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Lec9:中心部にコモンズをつくるーもう一つの風景―
事例研究その1 社会的企業が作るもう一つの風景:鶴岡まちなかキネマ
1.概要と経過
絹織物工場を映画館にリノベーションした鶴岡まちなかキネマ
鶴岡まちなかキネマは、昭和初期の木造絹織物工場を4スクリーンの映画館にリノベーションしたプロジェクトです。計画は2006年に始まり、映画館は2010年にオープンしました。映画館や多目的なイベント会場として地域で親しまれ、建築的にも高い評価をいただきました。しかし、実質的なスポンサーであった地域銀行の体制・方針が変わり、コロナを契機として2020に、運営会社とともに閉鎖。その後市民有志により2023年に一部が復活して、上映活動を続けています。
中心部の空き地が大問題
2006年、中心部にあった合繊メーカー松文産業鶴岡工場の郊外移転が決まりました。
3000坪の遊休地が中心市街地に生まれます。松文産業は明治23年創業の勝山に本社がある合繊メーカーです。昭和7年に鶴岡で遊休化していた大泉機業場を買収して以来、70年以上この地で操業を続けてきました。多くの人がここで働き、工場も地域に溶け込んだ風景となっていました。郊外移転は中心市街地にとっても大問題です。
活性化の好機会ととらえた銀行頭取
しかし中心部に「労せずして、3000坪のまとまった敷地が生まれる」のは、衰退しつつある中心部再生の一大機会だととらえた経済人がいます。地元荘内銀行の國井頭取です。東北公益文科大学大学院でまちづくりの研究をしていた私は、國井頭取に呼ばれ、下記スライドのビジョンを聞きました。発想の転換です。既存のS造(壁はRC造)工場を壊さず活用するアイデアもお持ちでした。すごい発想の方だなと驚きました。発想力だけではありません。実行力もお持ちです。
木造の絹織物工場を活用した映画館計画
私は、さっそく頭取のビジョンに沿ってラフな全体計画のスケッチを開始しました。少し時間をいただいたので操業中の工場も見学しました。そこでまず気になったのが、誰もが壊すしかないと思っていた古い木造工場のことです。その時は創業の歴史などもまったくわかっていませんでしたが、木造工場に素晴らしい木造トラスの小屋組みがあることだけは、現場で確認しました。また、S造部分の階高が低く、また重い機械を設置するために柱が増設されていることから、映画館としての大きな気積のある空間つくるためには大きく手を入れる必要があることにも気づきました。そこでこの木造工場を残す案もあるのではないかと思ったのです。私たちは、簡単な模型とスケッチですが2つ案をまず作りました。1つは、木造工場はすべて壊して駐車場にするという案です。もう一つは、最も古い木造工場の2棟を残して、映画館に活用する案です。
頭取の判断は、後者でした。ここから、木造工場を映画館へ、またRC工場を複合文化施設(当初の考え方、結果的には2期以降として存置することになった)にする計画がスタートしました。
「木造絹織物工場を映画館にリノベーションする」という貴重なプロジェクト(残そうとした木造工場が絹織物工場であったことは後の調査で分かりました)が始まったのです。調査を経て計画案の骨子が固まった翌2007年には銀行の後押しや市民の出資により運営会社である㈱まちづくり鶴岡が発足。優秀なマネージャーも得て、事業として着実に歩みだしました。
2.調査
腐朽が進行する軸組
木造工場(B、C棟)とS造工場(D、E棟)の両方を対象に、現地調査や文献調査、工場関係者からの聞き取り調査などを行いました。木造工場については、大変腐朽が進んでいることが分かってきました。防音のためにグラスウールなどで覆われているため、わかりにくい部分もありましたが、柱脚など多くの部分が腐朽しており、かなり大掛かりな補修が必要だと思われました。また柱や頬杖を撤去するなど、改変が激しいこともわかりました。
S造工場については、溶接部分の信頼性をどう担保していくかの課題がありました。
歴史を証言する小屋組み
木造工場においては、既存の天井をはがして中に入ると、素晴らしい木造トラスの小屋組みがあります。2種類のトラスがありました。すべて杉材です。スパンの中央に真束のあるキングポストトラスの部分では水平方向の下弦材は杉の一本もので6間の長いものでした。キングポストより少し古い形式であるクイーンポストトラスの部分もありました。この小屋組みが桁行方向に1間間隔で並んでいます。増築のあとを物語る歴史資料です。
建築年の判明
工場長や幹部職員の皆さんも木造の古い工場を残すという方針を大変喜んでくれ、文献資料などもいろいろ用意してくれました。そのおかげで、建築年もきちんと割り出すことができました。クイーンポストの部分はやはり一番古くて、昭和7年に買収した大泉機業場の建物がそのまま使われていると判断できます。その後少しずつ増築が繰り返されて今の姿ができているのです。
この時点でB棟が第三織布工場、C棟が第二織布工場で、戦時中に軍の要請で羽二重を織っていた以外は1970年頃まで輸出用高級絹や人絹を織っていたことが分かりました。
D、E棟は古い木造工場がありましたが、昭和33年の火災で全焼して建て替えられたものです。
3.再生の方針
守り継承すべき価値とは
このように調査を経て、B、C棟が昭和初期あるいはそれ以前の構造物を利用した絹織物工場であり、建築史的にも大変価値のあることが分かりました。文化財ではないものの、価値としては同等です。ただ、映画館にするためには、ある意味では大胆に手を入れる必要があります。調査に平行して様々な案を検討していましたが、どの案も大きな改変が伴います。
私は、斯界の第一人者である後藤治先生を大学に訪ねて意見を伺いました。後藤先生の答えは明快でした。「この建物の価値の一番は桁行方向に並んだ柱と小屋組みの構造的システムにある。このシステムのおかげで、自由に増築したり、システムを残したうえで部分改変したりを地元の大工が自由にやれた。それが今日まで残った理由である。このシステムを尊重したうえでの改編であれば、大丈夫、思った通りやってみたらどうか」というアドバイスでした。
私は、映画館として改変は伴うものの、構造システムは尊重して行うこと、そしてこのシステムを分かり易く見えるようにすることを根底にして計画案を詰めていきました。
当初は三棟で計画
事業性の観点からまずはB、C、Dの三棟をまずは活用することになりました。B、C棟は映画館とエントランスホールそしてD棟は平土間のホールと小さな貸しスタジオ、練習室を持つ文化的な収益施設としました。
用途は建築審査会でクリア
都市計画の用途地域としては、住居地域でしたので、映画館のような興行場はできません。このため建築審査会の同意を得て、山形県の許可を得ることとしました。騒音や、交通の影響など資料を作成し、許可を得ることができました。
木造の興行場のための分棟
映画館は興行場です。建築基準法によりネット面積200㎡以上の興行場はできません。私は、防火避難上の別棟にすることを考えました。あえて建物の一部を壊し、RC造の渡り廊下でつなぐのです。結果的に3棟を一つの廊下でつないでいます。この形態は基準法では想定されていないものでしたが、山形県の指導を仰ぎ、適法であることが保証されました。
地下に掘ってRC客席を埋める
1間おきに並ぶ柱と小屋組みをそのまま残すと映画館としての高さが確保できません。小屋組みを壊して補強により上の方に気積を確保することは考えませんでした。逆に地下に掘り下げて、RC造の客席空間を木造柱脚、土台、基礎構造の下に設けました。大変難しい工事となりましたが、現場の皆さんがやり遂げてくださいました。
構造補強
現状軸組の劣化状況を確認し、部材の繕いや取り換えとともに構造補強を行います。構造家の古川洋さんの方針に従って行います。
スクリーンの間仕切りのある部分では、天井面に相当する面を棒鋼を用いて剛な平面をつくります。そのうえで妻壁と間仕切り壁を変形性能が期待できる合板で耐力壁とします。間仕切り間部のないエントランスホールでは、外部において地中から立ち上げた片持ち柱で水平力を受け持たせるようにしました。
4つのスクリーン
スクリーンの数は試行錯誤の連続でした。当初の頭取のイメージは7から8つでした。行政や寄付金に頼った入り、経営者の篤志によるいわゆるコミュニティシネマではなく、事業性のある映画館をつくりたいという強い意思に基づく判断です。しかし、建築コストや、建築基準法による増築面積の制限(既存遡及を避けるため)で平面計画上から、165、152、80、40の4スクリーン案が浮かび上がってきました。映画パーソナリティの荒井幸博さんのアドバイスも大きく影響しています。スクリーン数が少なくてもこの構成なら事業的にも行ける、配給会社にも納得してもらえるだろう。この4スクリーンと広いエントランスホールを利用していろんな仕掛けを考えていきたいという熱い思いも語ってくださいました。
1期工事を絞り込む
設計案としては、3棟案でまとめましたが、最終的な経営判断で、1期工事はB、C棟だけで行くということになりました。逆に木造映画館をつくるというテーマが明確に伝わるようになったのだと思います。
4.再生のデザイン
絹や機織り機をモチーフに
映画館のインテリアは、絹織物から発想をいただきました。経糸を整える筬のイメージから、平行な糸状のもので覆ってしまおうということです。実際には、コストや施工性のこともあり栂の細い材を並べた縦格子で筬を表現しました。あらゆるものをこの筬優先で収めようと思いました。排煙窓やスピーカーにも工夫をしました。コンセントボックスも筬の背後にあります。
また椅子も、シネコンのような既製品ではなく、絹の布のようなしなやかな曲線をイメージしてオリジナルなものをつくりました。映画館の場倍座席や背もたれが汚れた場合に、幕間で交換するのですが、メーカーの方と細かく増段を重ね、そのあたりの仕掛けもきちんと織り込むことができました。背板の材はブナの合板です。
小屋組みを見せる客席空間
小屋組みを見せることにはこだわりました。天井現しの映画館はおそらくほとんどないと思います。上映責任者の支配人はスクリーンの光が反射して梁が金あるのではないかと心配でした。そこで、現場で実験をして、大丈夫なことを確認しました。しかし、音場効果については実験できません。音響コンサルタントのかたは天井をつけないと(トラスの下弦材、陸梁が等間隔に並んでいるので)フラッターエコーが出る、NC値の達成が難しいなど心配でした。結果的には、大変良い音場が得られ、専門家の団体からも表彰を受けたほどです。おそらく木材の微妙なゆがみや、間隔の誤差が良い影響を与えたのだろうと思います。
舞台のある映画館
たまたま設計中に、大学のまちづくり調査でシカゴ郊外の小都市の映画館を訪ねる機会がありました。小さな映画館は、経営的には苦しいが何とかやってこられたのは、舞台がついていて多目的に活用できたからだとの説明がありました。ケネディ大統領が選挙の時に演説会場にもしたとのことです。訪れた時にも映画ではなく演劇公演のための舞台設営の準備中でした。
私は、まちキネにもぜひ舞台をつけたいと思いました。また客席を地下に彫り込んでいく形式の中でスクリーンに近い側に舞台を設けることは、土圧の軽減という意味でも有効であることに気付き、舞台設置の提案をしました。当時、一円の無駄も省きたい、映画館に不必要なデザイン的な要素なども一切やめたいというのが、事業を運営する㈱まちづくり鶴岡の方針でしたが、総合的な判断力のあるマネージャーは即座に舞台の有効性を理解してくれました。オープン後は舞台を利用しての監督挨拶や、講演会などでも大いに活用されています。
光に満ちた多目的のエントランスホール
エントランスホールでは、継承すべき価値である「1間おきに並んだトラスの小屋組みによる構造システム」を、光に包まれた形で見せたいと考えました。訪れた人たちは、このエントランスホールで木造絹織物工場の歴史的価値を味わうことができるのです。
5.まちなか文化的コモンズとしてのまちキネ
まちキネ方式の多彩な運営
シネコン、名画座、地応都市単館、コミュニティシアターと異なる独自の地方都市型映画館を目指し、ミニシアター系からアニメ、大作に至る田尾由奈映画上映、ODSやデマンド上映、ステージを利用した落語会、多目的ホールと連動した映画祭など多彩な運営を行ってきました。
年間8万人の観客、1億円の売り上げを達成しています。
配給会社との信頼関係
4スクリーンをフル活用して1日24上映機会、10から12作品の併行上映を続け、映画館経営に欠かせない中法のすべての配給会社との信頼関係を築くまでになりました。
中心部において映画を楽しむ文化の定着
上映活動だけでなく、広く明るいエントランスホールも大いに活用されました。鶴岡はユネスコの食文化創造都市ネットワークに加盟していますが、食文化と映画をコラボレートした「食の映画祭」の開催会場ともなっています。コンサートや食の販売イベントも行われたりする中で、映画だけでなく多彩な人々が集まり交流する、まちなか文化的コモンズとなりました。鶴岡においては中心部において映画を楽しむ文化が再び定着したといえるでしょう。
建築的にも内外から評価され、日本建築学会建築選奨、BELCA賞、LEAF賞ショートリストなどの栄誉に浴しています。
6.社会的企業がつくるもう一つの風景
継承された記憶の風景
鶴岡は蚕から織物製品までが一貫しつくられる貴重な地域です。かつては多くの織物工場があったのだと思います(松文産業本社のある勝山市には今もそういう風景が残っています)。松文産業鶴岡工場で働いていた方々にも、そうでない人にも工場のあるまちの風景は記憶にあるものです。
この鶴岡で培われた営みの風景を次の世代に手渡すことができました。いつの時点の建築に価値を置くのかとか、オーセンティシティをどこに求めるかということよりも、建築を長い時間の流れの中でとらえていくことが必要だと思っています。この建物を拠り所として新しい映画文化の風景が織り込まれていくことを願うものです。
社会的企業による開発
以前「もう一つの風景」と題して、ロンドンのコインストリートに生まれたまちの風景を紹介したことがあります(高谷時彦2008)。コインストリート地区は大規模な再開発計画が持ち上がりデベロッパーの「ベルリンの壁(Berlin Wall)案」に対し、地元の社会的企業が「今までの都市の文脈の延長上で、暮らし、営みを守りながら開発する方式」を提案し実現しています。開発業者の提示したインターナショナルなビジネス街の風景に明快なNOを突きつけ、ヒューマンスケールのまちを実現したのです。
鶴岡まちなかキネマも㈱まちづくり鶴岡(背後には地域金融機関としての使命を自覚した地元銀行)が開発主体にならなければ、まったく違うものになっていたことは明らかです。実際、2020年に閉鎖した後、隣接敷地は大手のドラッグストアに売却されました。実は、まちなかキネマの敷地もドラッグストアや遊興娯楽施設に売却してはどうかという話もあったのです。
㈱まちづくり鶴岡は國井頭取のアイデアに基づき、市民の出資も得て誕生した社会的企業です。社会的企業とは「公益を目的としながらも、ビジネスの手法を取り入れた新しい非営利の組織形態」(渋川、高谷他2010、p156)です。資本の利益を第一とすれば、映画館を復活するということは非合理な選択です。また映画館をつくるにしても、行政や関係者からさんざん言われたように、木造を壊して安く鉄骨造サイディング張りでつくるという選択になったはずです。しかし、まちの中心部で映画を楽しむ文化を復活させたいという公益のための会社であるからこそ、鶴岡の基幹産業であった絹織物の工場を継承した映画館作りに取り組んだのだと思います。このあたりの経緯は『ソーシャルビジネスで地方再生―地域を甦らせた映画のまちづくりー』(渋川2015)に紹介されています。
終わりに:閉館、そして再開へ
しかし、2020年、実質的なスポンサーであった荘内銀行の体制・方針が変わり、㈱まちづくり鶴岡(優秀な社長やマネージャーは銀行からの出向でした)の清算と、映画館の閉鎖売却が突然決まりました。その後再生を願う市民の声が大きく、新たに所有者となった鶴岡社会福祉協議会のご厚意もあり、地元のまちづくり会社が2003年に小さなほうの2スクリーンで映画館を復活しました。現在は私たちも含め市民みんなで応援をしているところです。
高谷時彦 建築・都市デザイン
Takatani Tokihiko architecture/urban design