まち・ひと・くらし-けんちくの風景-

建築設計を通してまち・ひと・くらしを考えます。また目に映るまち・人・くらしの風景から建築のあるべき姿を考えています。

建築家渡辺泰男さんレクチャー:イタリアでの設計活動~ウルビノの教会他~について

2022-07-24 22:14:00 | 建築・都市・あれこれ  Essay

建築家でイタリアで活躍されている渡辺泰男さんのレクチャーを聞く機会がありました。主催はJIAの都市デザイン部会(代表宮崎淳さん)、 会場は竹橋のパレスサイドビル8階の日建設計ホール。ホールからは皇居側に素晴らしい風景が広がっていますが、残念ながら写真撮影は禁止でした。

渡辺さんは、槇事務所の大先輩です。私が入所したときにはすでにイタリア、ジャンカルロデカルロの事務所で活躍されていました。事務所には別の渡辺さんもいらっしゃいましたが、事務所の人たちは「イタリアの渡辺さん」と呼んでいました。私は、槇事務所のOB会でご挨拶する程度で、ほとんど面識がないに等しかったのですが、レクチャーの始まる前にご挨拶したら、そのあとも親しく話しかけて下さいました。槇事務所のOBOG同志は、皆さんフラットにお付き合いさせていただいています。私にしてみると槇事務所の雰囲気がそのままOB会などにも延長されているという感じです。

さて、渡辺さんが設計された教会Santuario del Sacro Cuore De Gesuは実に40年間の時間をかけて、渡辺さんが取り組んでこられたものです。ウルビノの旧市街を北から望む丘の上にあります。なだらかな丘陵、畑の中に、卵型?のような平面で、外壁もやさしく曲面を描く教会があります。内部は渡辺さんが意図した通り、軸線を持つバジリカ式と集中式の両方の空間が融合した、あるいは溶け合わせたような、不思議な教会です。内部空間も上に曲面を描き、頭上に球体を内包するような形状(実際そこに球体を浮かべようとされたそうですが、バチカンからの指示で中止となったそうです)です。バジリカ式教会のように祭壇に向かって列柱が並びますが、平面的に放物線を描いており、単純な身廊、側廊形式ではありません。隅々に至るまで渡辺さんが楽しく生きいきとした心持でオリジナルにデザインしているという空間です。

写真がないのが残念です。機会があれば訪ねてみたいと思います。

またレクチャーの前半では、ウルビノにおけるデカルロの作品群について解説をしていただきました。

漠然と見ていたサンツィオ劇場(下写真の円形の外壁)やその下部のランプ(フランチェスコ・ディ・ジョルジオ、劇場の基壇部)の改修が持つ、都市デザイン的な意味など改めて考えてみることになりました。市壁の外の低地にある駐車場から、「上のまち」に導く重要な動線になっています。劇場の向こうにはドゥカーレ宮の塔が見えます。下の駐車場もデカルロの発案なんですね。

また下写真のドゥカーレ宮の中庭をコルビュジエが絶賛していたことなど、恥ずかしながら初めてしることとなりました。

ウルビノでのデカルノの存在の大きさは、建築家の名前が通りの名前になっていることでもよく分かります。

有名な、教育学部です(下写真)。写真が極めて取りにくいのがデカルロです(いいわけだけでもありません。実際リノベーションだけでなく学生センターのような新築においても、撮りにくいのです)。

渡辺さんがこちらは保存状態が良かったのであまり手を入れてないとおっしゃっていた、経済学部。

レクチャーの資料として1987年のSDの『特集 ジャンカルロ・デ・カルロ:歴史と共生する建築』のコピーをもらい、再び読んでみました。

渡辺さんがデカルロにインタヴューをしています。大変面白い個所に出会いました。以前読んだ時にはおそらく素通りした個所です。モダニズムの建築や都市計画のありかたを提示したCIAMの最後となった会議のことを述べているところです。

デカルロはチームⅩの主力メンバーとして知られています。チームⅩとは、コルビュジエの主導で生まれたCIAMの運動を「壊した」若手建築家グループとしてよく知られています。アルド・ヴァン・アイクやスミッソン夫妻、バケマなど。彼らが、CIAMの方針に反旗を翻し、解体に導いたのです。

デカルロが会議の様子を具体的に語っています。

CIAMの最後となったオッテルロー会議で、デカルロはマテラの住宅地計画を提出しました。「教義を守ろうとする人たちの怒り」が大変なものであったそうです。窓が水平ではなく縦長であったこと、陸屋根ではなく勾配屋根であったこと、壁に本物のれんがを積んで表現しているいることなどが、怒りの対象だったそうです。「それは現代的ではない(could not be modern)」ということです。教条的(dogma)ではあるにせよ、モダニズムがどうとらえられていたのかを知るうえでー大変興味深い一文です。

ここでいったん話が変わります。特集号の巻頭に建築家槇文彦氏がエッセイを寄せています。槇文彦氏はデカルロのやっていることを高く評価しています。リノベーションの名作であるウルビノ大学教育学部の建築空間について「一つの空間の中に幾層もの教室群が重なりあい、干渉しあい、それがウルビノというヒル・タウンの記憶そのものを新しい形でよみがえらせてくれるからなのだ」と解説してくれます。私も教育学部の内部空間を体験しましたが、自分の中でその時の感動の意味をうまく言語にできていませんでした。槇氏の言葉は、なるほどそういうことだったのかと深いところで納得させてくれます。これこそが建築批評というべきです(私見ですがデカルロの空間の持つこの本質が「作品写真」をとりにくい理由も説明してくれています)。

確かにデカルノの他の作品ー例えば歴史的建築であるサンツィオ劇場は劇場の再生でありながら同時に市壁の外の低地にある駐車場から市壁上のメインストリートまでの自然の動線となっているようにーのそれぞれには「一箇の建築を通してそこにウルビノというまちのエッセンス、いうなれば歴史性が再現されている」のです。見事な論評です。

ただ、今回注目したいのはこちらの方です。槇氏はデカルロは「モダニズムというものがどのような歴史的使命を果たさなければならないかということをウルビノの町の中で常に思索し、実験を行っているのである」ととらえています。また、デカルノの行為において「最も重要なことは、それらの空間体験がモダニズムの建築言語を用いることによって、新しい精神を与えられ、先に述べたプロセスの連続性としての歴史性の獲得にだれもが否定し得ない重みを与えているという事実」であるといいます。

この文章ほど、デカルロの業績をモダニズムとの関係で的確にまとめ上げた文章はないのではないかと思いますが、それはさておき、ここで注目したいことは、槇氏がデカルロの用いた建築言語をあくまでもモダニズムととらえている点であります。もちろん槇氏が直接触れているのは、教育学部階段教室の大サッシやRC打ち放し壁ですが、槇氏にとってデカルロの「縦長の窓や勾配屋根」をも使った挑戦は、決してモダニズムを修正するものではなく、モダニズムのあるべき姿、あるいは本来追求すべき可能性の一面なのです。モダニズムの本質は決して「水平に長い窓、フラットな屋根・・・」などの決まった形態の約束事にあるのではないということです。モダニズムのきちんとした定義は知りませんが、(様式や制約としての決まり事などから)自由な精神で、現代の科学技術を用いて、人のための心地よい環境を創造することだ考えれば、窓が横長か縦長かは関係ありません。確かにモダニズムはインターナショナリズムスタイルとも呼ばれるように場所の特性、地域の文化、技術状況からも自由であるという考え方も含まれていますが、デカルロのように徹底的に土地の文化、歴史に向き合うというのも自由なモダニズム建築家のなせる業だと思います。

・・・などいろいろ考えさせてくれる楽しいレクチャーでした。有難うございました。

高谷時彦

建築・都市デザイン

Tokihiko Takatani

architecture/urban design

 

 


伊藤滋先生の『東京、きのう今日あした』

2022-07-19 15:39:27 | 建築・都市・あれこれ  Essay

図書館でふと手にした伊藤滋先生の著書『東京、きのう今日あした』(NTT出版 2004)。ちょっと古い本ですが、読んでいませんでした。そういえばこの数年は伊藤先生の謦咳に接する機会もないまま過ぎていることを思い起こします。

伊藤先生のお話というと、大変面白いので、その場に対応した話題提供的なお話と思われる向きもあるかもしれません。しかし、この本を読んでも感じるのは、きちんとデータに基づいて、現実に即した議論をしていこうという姿勢です。その場の思い付き的な話にみせて人を笑わせ、引き付けるのは、伊藤先生の話術あるいはサービス精神です。伊藤先生はあくまでも「都市計画家」という立場から、都市の将来の姿を語っています。現実のデータに基づき、そのトレンドの延長上に問題のない静かな道筋を想定し、その線に沿ってコントロールしていこうというのは伊藤先生の言う「役人」の仕事です。また伊藤先生の言う「建築家」は現実を無視した絵を勝手に書いている人種。そして「土木のひと」は権力を行使する人間ということになります。都市計画家は、ビジョンに基づいて現実に大胆に働きかけ、その実現にも責任を果たしていく人種ということでしょうか。

伊藤先生のこの本を読むと、先生が東京に感じている愛おしさみたいなものが伝わってきます。特に庶民の暮らしがつくってきた「まち」には、深い思い入れがあるようです。伊藤先生というと規制緩和に基づいた大規模開発の推進者というイメージがありますが、一方では庶民的な文化、暮らしを大事にしていくことで東京の固有性、アジア的な魅力が維持されるということにも留意されています。そのためにはそういう普通のまちから「容積制」の考え方を取り払い、いわゆる絶対高さ制限でまちの暮らし方の質を保持しようという提案をされています。Jacobsのストリートライフがあるまちです。

一方では、世界と戦う東京には、グローバルな論理でのまちづくりも必要だと述べられています。役人の発想を超えて思い切ってやらなければだめだ(例えば容積率2000%)、ただ、普通のまちは別だよ、そうすべき場所を戦略的に決めていくべきだというのが伊藤先生のお考えです。以前、Mビルの主催する都市塾で講師を務めた時のことを思い出します。まさにグローバル戦略の中での課題設定でした。しかし私は学生さんたちと案を作成すべきA地域の、歴史文化、地形などを知れば知るほど、設定された1000%(さすがに2000%ではありません)の容積率が高すぎると感じてしまいました。全体を統括されていた伊藤滋先生にご相談しました。先生のお答えは「無理するな。地上のかたちは君のイメージの許容範囲の中で作り上げなさい。足りない床面積は地下に埋設したと思ってやれ」というものでした。ホッとしました。それでも、地上に相当のボリュームが出てきましたが、何とか、暴力的にはならずに収まったように思っています。

この本は、比較文化的な視点からの都市論としても面白いものでした。特に最後にまとめてくれている10項目の東京の特徴は興味深いコメントです。文章の前半が負の現実です。前半を見守りつつ改めていきたいというのが伊藤先生の願いだそうです。

1.まちの構造は平凡/何事もなく暮らせる安心感がある

2.文化は二流/文化を楽しむ場所はたくさんある

3.自動車都市ではない/鉄道都市

4.醜い街が多い/清潔である

5.都市設備は複雑/維持管理は優れている

6.きわめて良質な住宅地はない/スラムがない

7.外国人には使いにくい/日本時には使いやすい

8.公共の力が弱い/地主の権利強い

9.再開発は進まない/個別建物の更新は進む

10.世界の物真似都市/東京人は世界から尊敬されたいと思っている

醜く、混雑しているように見えるけど、隠れた秩序があるのでそれを理解することも大事だといったのが建築家、芦原義信先生。西洋の分かり易い論理だけでは、理解できない空間構成の妙を説明しようとしたのが建築史家伊藤ていじ先生や建築家磯崎新さんたちの日本の都市空間。ケビンリンチのイメージマップだけではとらえきれない文化に根差した領域感、空間の理解の仕方があるというのが建築家槇文彦先生たち(恐れながら私もその末席に)の都市へのまなざし。

いままで、いろんな日本空間論、都市空間論がありますが、伊藤先生の東京論も、背後に深い空間論や文化論が控えているように思います。思想といってもよいかもしれません。都市計画家の思想というと、黒谷了太郎や石川栄耀さんのことが浮かびますが、伊藤滋先生のお考えも、もう一度著書などを通して勉強しておきたいと思いました。

高谷時彦

建築・都市デザイン

Tokihiko Takatani

architect/urban designer

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


カミロジッテ 広場の造形から

2022-07-16 19:23:14 | 建築・都市・あれこれ  Essay

グーグルマップを眺めていたら、ふと思い立って、下のような図をつくってみました。

カミロジッテが『広場の造形』(大石敏雄訳、鹿島出版会SD選書、1983)において、「芸術的基準に従った都市計画」として例示するウィーンの都市空間の改造提案です。グーグルマップを見ると市庁舎、大学、ブルク劇場、議事堂に囲まれた大きな空地、緑地があります。確かに、衛生上の効果などは建物の間隔を離すことで達成できた。しかし芸術的な観点からは失ったことが多いことを嘆いているのです。具体的には広場、空地が芸術的観点から見て、広すぎる、あるいはバランスがおかしいというのがジッテの主張です。そこでその空地の部分に黄色い形で建物を建てる、そうすることによって広場が小さく分割され、より好ましいスケールがえられ、また建築やモニュメントもその効果を最も発揮できるようになるという提案です。これまで、ジッテの本の挿図だけだとよくわからなかったのですが、グーグルマップのおかげで、彼の提案が現実の都市空間の中で確認できました。正直なところ初めて彼の意図を理解できました。

大きすぎない広場が隣接して素晴らしい効果を生んでいる事例は、本の中にたくさん出てきます。例えばベローナのエルベの広場とシニョーリの広場(p67)の関係です。下写真はエルベ広場ですが左手にもう一つ広場があります。素晴らしい演出です。

都市は、美しい形と空間を持つことで、私たちが心豊かに暮らせる器となりえると主張します。ジッテが生きた19世紀後半において、大都市に人口が集中し衛生上の問題や交通混雑などの問題が発生しました。そのために道路を広くしたり広場を設けたりすることが行われました。また効率優先の碁盤目状の都市改造が行われた時期でもありました。ジッテはそれらの改造は仕方のない側面を持つが、機能的な目的と芸術上の目的を一致させることもできるはずだというのがジッテの立ち位置です。

仮に機能優先でつくられたまちも、芸術的な視点で改造をしてくことが可能である、そして私たちの都市空間がより美しくなり、美しい都市空間を通して私たちの誇りがはぐくまれていくというのが『広場の造形』の中で展開される主張です。私も共感するところです。

ただ、改めて言うことでもありませんが、ジッテが前提としている都市空間は私たち日本の都市デザイナーや建築家が取り組んでいる都市空間とは大きく異なるものです。そのため発想の基盤も違ってくるようです。

まず第一に、一度建てられた建築の持続性をどう考えるのか、この点が大きく異なります。ジッテは19世紀後半までに機能優先で建物ができてしまったので、これを壊すわけにはいかない。その存在を前提に、新しいものを付加することで都市空間を変えていこうという発想です。要するに、都市を構成している建築は一度建てられたら、数世紀のオーダーでそこに存在し続けることを暗黙の前提にしています。ですから都市空間の改造も、非常に長期的な視点で行おうというものです。都市空間の改造というといわゆる再開発で、今あるものを壊して作り直そうという発想とはだいぶ違うようです。

第2に建築の建っていない空間が道路や広場の都市空間であるという前提です。芦原義信先生がだいぶ前の本でお書きになっている、ネガ/ポジの関係性があるかないかということです。ポジティブスペースとしての建築の外形ライン、配置を考えることが、道路の形態や広場などのネガティブスペースを同時に考えることになるのが、ジッテの前提です。ポジとネガの空間は反転も可能です。この前提があるから、ジッテは広場の形態を建築の外形の問題として論じることができるのです。しかし日本の場合には、それ以外のあいまいな空間がたくさんあります。

ジッテのウィーンはまさに芦原先生がポジ、ネガの例で挙げていたノリの地図の世界です。しかし日本の空間はあえて挙げるなら下図のような大徳寺の伽藍、塔頭の配置図です。再びグーグルマップにお世話になります。日本人にはなじみやすい配置です。建物と建物の関係や、建物と外部空間との関係性もなじみがあるものです。

もちろん大徳寺の場合は、ジッテが論じている都市空間ではなく一つの敷地の中の配置、むしろ建築空間です。ただ、ジッテがいうようにローマという都市が広場をもつのは、個々の住宅において、個室群がアトリウム(という共有空間を)を持つという構成原理に対応している(p16)とすれば、日本の都市空間を考えるうえで、建築の作り方、建築とその外部との関係などをきちんと押さえておくことには大きな意味があると思います。

うーん、いずれにせよ彼我の発想の違いは相当大きそうですね。

高谷時彦

建築・都市デザイン

Tokihiko Takatani

architect/urban designer

 

 

 

 


富岡製糸場 繰糸工場など

2022-07-16 15:47:10 | 建築まち巡礼関東 Kanto

二つの繭置所を見た後に、繰糸工場へ。南北方向に平行に配置された2つの繭置所を、東西方向につなぐような位置にあるのが繰糸工場です。これも大きい。これらの3棟で北に開いたコの字型ができています。

棟方向(東西)に長い越屋根(櫓)があるのが外観の特徴です。

 

中に入ってみるとわかりますが、越屋根はハイサイドライトではありません。ほかの蚕建築と同じように換気用です。明かりは下写真のように側面の大開口から入ります。白い色もいいですね。

蒸気機関を動力とする繰糸機です。何メートルくらいあるのでしょう。

(下写真)変則的であった繭置所のトラスと違い、こちらの小屋組みはちゃんとしたキングポストトラスです。

下写真の繰機が動き出すと相当な迫力だと思います。NISSAN製です。機械は富岡製糸所を片倉工業が所有していたころのものだそうです。実に驚いたことに1987年まで製糸をしていたそうです。またその後も建物や機械を壊さずに、きちんと保存していたということには驚きます。

 

工場として眺めても実に興味深いものです。下写真などは、ほかの地域の工場にも多く見られた風景ではないでしょうか。

工場の中の社宅。これも「あるある」ですね。

なんで工場というのは、どこを見ても見飽きないのでしょうか。工場や、小屋、倉庫など、特に見る人を意識して作ったものでないはずですが、ひとを感動させる空間(空間構成)がしばしばみられます。

ところで、富岡製糸場の展示や、紹介映像は大変分かり易く、感心しました。

富岡製糸場はモデルとして国がつくったものですが、「モデル」としてのやう割を十分に果たし、全国に機械製糸工場がつくられていたことが分かります。

高谷時彦

建築・都市デザイン

Tokihiko Takatani

architect/urban designer

 

 


高崎市、 電気館、シネマテークたかさき

2022-07-16 15:45:09 | 建築まち巡礼関東 Kanto

富岡製糸場からの帰りに、途中駅の高崎で下車し、少しだけまちの中をぶらつきました。

考えてみると、高崎のまちを歩くのは初めてです。

古くからの商店街と思しきアーケード街。人口40万人弱の中格的な都市でも、古くからの商店街はさみしくなっているようです。日曜の夕方です。商店も日曜はお休みですし、商店主の自宅は郊外にあるので、ひっそりとした雰囲気になるのだと思います。平日はもっと活気があるはずです(?)。

覗いてみたかったのが高崎電気館。大正時代にできた由緒ある映画館です。電気館というのは浅草にあった(おそらく)日本でも最も古い映画館と同じ名前ですから、全国にある電気館という名前の映画館は、概ね古くからあるものだと想像できます。なお、建物は昭和のものです。

私の育った町にもこういうのがありました。懐かしいです。映画館は2階にあります。

この電気館(全体)は市の施設です。所有者の寄贈を受けた高崎市が映画館と、研修室、集会所からなる地域交流館として運営しています。私たちがリノベーション設計をして昨年オープンした酒田市日和山小幡楼と同じ仕組みです。映画館は劇場空間として様々な活用が可能です。地域の財産、文化の場(Cultural Venue)です。中心部にあり市民にとって親しまれてきた文化の場(Cultural Venue)を、みすみす失っていくとすると、都市は魅力を失い、結果的には後々に禍根を残すことになるでしょう。地方都市の行政の目の確かさが問われる(試される?)時代になっています。

さてこちら(下写真)は民間の映画館、シネマテークたかさき。新潟のシネウインドもそうですが、ある程度大きな都市では名画座的な運営で、がんばっている映画館があるんですね。素晴らしい。

ほんのちょっと、群馬音楽ホールにも立ち寄りました。アントニンレーモンドの設計。今度時間をつくってきちんと見学しようと思っています。

高谷時彦

建築・都市デザイン

Tokihiko Takatani

architect/urban designer