建築家でイタリアで活躍されている渡辺泰男さんのレクチャーを聞く機会がありました。主催はJIAの都市デザイン部会(代表宮崎淳さん)、 会場は竹橋のパレスサイドビル8階の日建設計ホール。ホールからは皇居側に素晴らしい風景が広がっていますが、残念ながら写真撮影は禁止でした。
渡辺さんは、槇事務所の大先輩です。私が入所したときにはすでにイタリア、ジャンカルロデカルロの事務所で活躍されていました。事務所には別の渡辺さんもいらっしゃいましたが、事務所の人たちは「イタリアの渡辺さん」と呼んでいました。私は、槇事務所のOB会でご挨拶する程度で、ほとんど面識がないに等しかったのですが、レクチャーの始まる前にご挨拶したら、そのあとも親しく話しかけて下さいました。槇事務所のOBOG同志は、皆さんフラットにお付き合いさせていただいています。私にしてみると槇事務所の雰囲気がそのままOB会などにも延長されているという感じです。
さて、渡辺さんが設計された教会Santuario del Sacro Cuore De Gesuは実に40年間の時間をかけて、渡辺さんが取り組んでこられたものです。ウルビノの旧市街を北から望む丘の上にあります。なだらかな丘陵、畑の中に、卵型?のような平面で、外壁もやさしく曲面を描く教会があります。内部は渡辺さんが意図した通り、軸線を持つバジリカ式と集中式の両方の空間が融合した、あるいは溶け合わせたような、不思議な教会です。内部空間も上に曲面を描き、頭上に球体を内包するような形状(実際そこに球体を浮かべようとされたそうですが、バチカンからの指示で中止となったそうです)です。バジリカ式教会のように祭壇に向かって列柱が並びますが、平面的に放物線を描いており、単純な身廊、側廊形式ではありません。隅々に至るまで渡辺さんが楽しく生きいきとした心持でオリジナルにデザインしているという空間です。
写真がないのが残念です。機会があれば訪ねてみたいと思います。
またレクチャーの前半では、ウルビノにおけるデカルロの作品群について解説をしていただきました。
漠然と見ていたサンツィオ劇場(下写真の円形の外壁)やその下部のランプ(フランチェスコ・ディ・ジョルジオ、劇場の基壇部)の改修が持つ、都市デザイン的な意味など改めて考えてみることになりました。市壁の外の低地にある駐車場から、「上のまち」に導く重要な動線になっています。劇場の向こうにはドゥカーレ宮の塔が見えます。下の駐車場もデカルロの発案なんですね。
また下写真のドゥカーレ宮の中庭をコルビュジエが絶賛していたことなど、恥ずかしながら初めてしることとなりました。
ウルビノでのデカルノの存在の大きさは、建築家の名前が通りの名前になっていることでもよく分かります。
有名な、教育学部です(下写真)。写真が極めて取りにくいのがデカルロです(いいわけだけでもありません。実際リノベーションだけでなく学生センターのような新築においても、撮りにくいのです)。
渡辺さんがこちらは保存状態が良かったのであまり手を入れてないとおっしゃっていた、経済学部。
レクチャーの資料として1987年のSDの『特集 ジャンカルロ・デ・カルロ:歴史と共生する建築』のコピーをもらい、再び読んでみました。
渡辺さんがデカルロにインタヴューをしています。大変面白い個所に出会いました。以前読んだ時にはおそらく素通りした個所です。モダニズムの建築や都市計画のありかたを提示したCIAMの最後となった会議のことを述べているところです。
デカルロはチームⅩの主力メンバーとして知られています。チームⅩとは、コルビュジエの主導で生まれたCIAMの運動を「壊した」若手建築家グループとしてよく知られています。アルド・ヴァン・アイクやスミッソン夫妻、バケマなど。彼らが、CIAMの方針に反旗を翻し、解体に導いたのです。
デカルロが会議の様子を具体的に語っています。
CIAMの最後となったオッテルロー会議で、デカルロはマテラの住宅地計画を提出しました。「教義を守ろうとする人たちの怒り」が大変なものであったそうです。窓が水平ではなく縦長であったこと、陸屋根ではなく勾配屋根であったこと、壁に本物のれんがを積んで表現しているいることなどが、怒りの対象だったそうです。「それは現代的ではない(could not be modern)」ということです。教条的(dogma)ではあるにせよ、モダニズムがどうとらえられていたのかを知るうえでー大変興味深い一文です。
ここでいったん話が変わります。特集号の巻頭に建築家槇文彦氏がエッセイを寄せています。槇文彦氏はデカルロのやっていることを高く評価しています。リノベーションの名作であるウルビノ大学教育学部の建築空間について「一つの空間の中に幾層もの教室群が重なりあい、干渉しあい、それがウルビノというヒル・タウンの記憶そのものを新しい形でよみがえらせてくれるからなのだ」と解説してくれます。私も教育学部の内部空間を体験しましたが、自分の中でその時の感動の意味をうまく言語にできていませんでした。槇氏の言葉は、なるほどそういうことだったのかと深いところで納得させてくれます。これこそが建築批評というべきです(私見ですがデカルロの空間の持つこの本質が「作品写真」をとりにくい理由も説明してくれています)。
確かにデカルノの他の作品ー例えば歴史的建築であるサンツィオ劇場は劇場の再生でありながら同時に市壁の外の低地にある駐車場から市壁上のメインストリートまでの自然の動線となっているようにーのそれぞれには「一箇の建築を通してそこにウルビノというまちのエッセンス、いうなれば歴史性が再現されている」のです。見事な論評です。
ただ、今回注目したいのはこちらの方です。槇氏はデカルロは「モダニズムというものがどのような歴史的使命を果たさなければならないかということをウルビノの町の中で常に思索し、実験を行っているのである」ととらえています。また、デカルノの行為において「最も重要なことは、それらの空間体験がモダニズムの建築言語を用いることによって、新しい精神を与えられ、先に述べたプロセスの連続性としての歴史性の獲得にだれもが否定し得ない重みを与えているという事実」であるといいます。
この文章ほど、デカルロの業績をモダニズムとの関係で的確にまとめ上げた文章はないのではないかと思いますが、それはさておき、ここで注目したいことは、槇氏がデカルロの用いた建築言語をあくまでもモダニズムととらえている点であります。もちろん槇氏が直接触れているのは、教育学部階段教室の大サッシやRC打ち放し壁ですが、槇氏にとってデカルロの「縦長の窓や勾配屋根」をも使った挑戦は、決してモダニズムを修正するものではなく、モダニズムのあるべき姿、あるいは本来追求すべき可能性の一面なのです。モダニズムの本質は決して「水平に長い窓、フラットな屋根・・・」などの決まった形態の約束事にあるのではないということです。モダニズムのきちんとした定義は知りませんが、(様式や制約としての決まり事などから)自由な精神で、現代の科学技術を用いて、人のための心地よい環境を創造することだ考えれば、窓が横長か縦長かは関係ありません。確かにモダニズムはインターナショナリズムスタイルとも呼ばれるように場所の特性、地域の文化、技術状況からも自由であるという考え方も含まれていますが、デカルロのように徹底的に土地の文化、歴史に向き合うというのも自由なモダニズム建築家のなせる業だと思います。
・・・などいろいろ考えさせてくれる楽しいレクチャーでした。有難うございました。
高谷時彦
建築・都市デザイン
Tokihiko Takatani
architecture/urban design