まち・ひと・くらし-けんちくの風景-

建築設計を通してまち・ひと・くらしを考えます。また目に映るまち・人・くらしの風景から建築のあるべき姿を考えています。

京都1928ビル

2011-09-22 19:35:13 | 建築まち巡礼近畿 Osaka, Kansai

大学の視察旅行で京都・宇治方面へ。

京都泊となったので、夜の食事を兼ねて1928ビルを見学。武田五一設計の旧毎日新聞京都支局をアートスペースにコンバージョンしたもの。

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水平線が強調された表現主義風の外観です。彼はゼツェッション風の作風も持っていますが、下の写真のようなアールヌーボーデザインはあとで改装したものと思われます。

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中に入ってみると、若い人が出店できそうな小さなお店。アーティストのためのインキュベーションスペースだと思います。

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それから、貸しギャラリー。徳島の大学を卒業したアーティストが共同展をやっていました。

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3階に登るとこじんまりとしたホールがあります。もともとは講演会などしたスペースでしょうか。

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すぐに思い出したのは日本橋の常盤小学校(下の写真)の講堂。1928ビルは文字通り1928年(昭和3年)にできたのでしょうが、こちらは1929年(昭和4年)。設計には岡田信一郎なども絡んだかもしれないといわれていますが、何より時代に共通するエートスのようなものを感じます。

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1928ビルの地下にはアンデパンダンという食事(お茶)処があります。

この階段を降りていきます。

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店内はタイルが剥がれ落ちていますが、当時のタイルのように見えます。P1130979

先日酒田のまちなかで見学させてもらったH邸のビルも食事とアートスペースにコンバージョンできるかな・・・。そんな勝手なことを考えながらホテルに戻りました。他にも三条通には面白い建築がたくさんありました。一度昼間来ないといけなくなりました。


ボローニャにようやく到着(2011視察01)

2011-09-06 08:58:16 | 海外巡礼 South Europe

成田からミュンヘン経由でボローニャに入るつもりでしたが、成田空港で聞いたのがミュンヘン・ボローニャのフライトはキャンセルになったとの情報。一時は今日中にボローニャ入りするのをあきらめて、次の日のチネテカなどの日程調整に入りましたが、何とかミュンヘンから一度フランクフルトに飛んで折り返せば何とか今日中にぼろーにゃにはいれることが判明。

    

ということで、ボローニャのほテルに着いたのが真夜中ということになりました。長い一日でした。写真もとれませんでしたが、今日は明日からの視察のための準備日ということにしましょう。


現代のまち並みをどうかんがえるのか(3)

2011-09-04 13:47:22 | 建築・都市・あれこれ  Essay

ボローニャそしてウルビノから日本のまち並みを考える

      

前回のブログではもし「今より美しい建築で置き換える確信がない場合には、今あるものをそのまま置いておくべき」と書きました。

    

そこに今あるもの(あるいはかつてあった美しい街並みを構成していた建築)を新しいもので置き換えるのであれば、それ以上の(広い意味での)デザインを提示しないといけないということです。

    

たとえば町家建築の場合には、町家という形式を地域の皆が守ることで、隣地と呼応した空地(坪庭)の位置、まち並みの調和、お祭りのときなどの使い方など諸々・・・・を継承してきています。単純に見栄えだけでなく、社会のシステムをも視野に入れた「町家」を超える建築の型、建築デザインを提示することが求められるのです。

    

さらに、今では手に入らない材料、例えば大断面で長大なヒノキなどを使っていたり、職人芸による組子細工の施された欄間がある場合などもあります。自分の力で過去を超えたいと思うのが設計者マインドです。しかし、「うーんこれはすごい、大したもんだ」と思う場合はひと先ず、それに対して敬意を払い、残すことを前提に考えてはどうでしょうか。

    

「残す」ことは決して後ろ向きな行為ではありません。新しい創造につなげることもできます。

・・・・・・そんなことを考えながら、今イタリアのボローニャ、ウルビノに向かおうとしています。

  

イタリアと日本は似ています。敗戦後、工業化と軌を一にする人口増加、農村から都市への人口集中を経験し、高度成長を遂げます。このあたりの、成長していく社会と古いきずなの崩壊していく家族の雰囲気はヴィスコンティの「若者のすべて」(1960)によく出ています。    

戦後イタリアも日本と同じようにスクラップアンドビルドで古いまち並みを機能的に造り変えていたのです。しかし、イタリアは1970年代に都市の思想の転換を遂げます(陣内秀信編著『都市住宅特集号 都市の思想の転換点としての保存』 都市住宅 1976 7月号)。

    

「モダニズムによる古い町の破壊・再開発、地域の無秩序な開発を放棄し、古い町の社会的背景を変化させずにそれを再生・再活用しながら、住民の生活・文化・伝統を守り、地域全体のバランスのとれた環境を回復する>脱近代の思想」の実践が多くの都市で始まったのです。

     

上の思想を最も早く実践した都市のひとつがボローニャです。「<新しい社会のための古い都市(una citta antica per una societa nuova)>」というボローニャの掲げたスローガンはその精神を端的に表現するものです(引用は陣内秀信「都市の思想の転換」上掲書所収論文pp2-3)。

  

今回は保存活用を建築類型学的な手法で行った地区を訪れるつもりです。

  

    

また、そういった流れの中で、保存することが全く創造的な行為であることをウルビノ大学他の一連の作品で証明してくれたのがジャンカルロデカルロです。丘の下と上を巧みにつなぎこんだサンツィオ劇場のランプや、山岳都市であることを想起させる教室が立体的に積層するウルビノ大学教育学部など創造的デザインの空間を体験できることが楽しみです。