年末の松例祭以来の羽黒・手向です。
平野部より数十cmは雪が深いでしょうか。
研究室の皆さんと取り組んでいる手向のまち並み景観調査のワークショップのために地区の代表の方々が公民館に集まってくれました。わたしたちは、地域の方々が「手向らしさ」という言葉でどういうイメージを抱くのかを知りたいと思っています。各人各様の「手向らしさ」があるはずですし、同時に共通する「手向らしさ」も浮かび上がってくるはずです。
宗教集落としての門前町をイメージする人、あるいは普通の峠的な集落をイメージする人など各人さまざまなイメージをもとにアンケートに答えていただきたいと思いましたが、皆さん手向の歴史、文化に詳しい方々とあって、規範的なかくあるべきというイメージを私たちに伝えようとしてくださる方も多かったかも知れません。まち並みに対するイメージを調査する難しさ(私たちの調査法の未熟さ)についても考えさせられることとなりました。ともあれいろいろ教えていただいたことも多く、収穫の多いワークショップでした。
アンケートの結果はこれから分析します。
調査に先立ち、次のような内容のお話をしました。手向の歴史について私の間違いもあり、指摘を頂いた点もありますが、概ね今回のワークショップ、アンケートに対して考えていたことを記述しています。
私たちは手向地区の歴史的風致維持向上計画作りに参加するに当たり、少し包括的に手向地区のまち並みについての研究を進めたいと考えています(図1)。私たちは、まち並みを単に即物的に「見えているもの」としてだけではなく「住民との間の相互作用の領域」であり「無限の多様性を持ち、常に変化し続けている社会的、文化的な場(ケヴィン・リンチ)」として理解しています。そういった意味で、手向地区のまち並みを理解するためには社会・経済的そしてなにより修験道を含めた文化的側面の理解と、人々の作り上げた物的な環境としての両面からの分析、検討が必要だと考えています(図2)。私たちの研究は、後者の視点が中心となりますが、常にまち並みに現れる社会・文化的な側面などに十分な配慮をしていきたいと考えています。今回は、アンケート調査に引き続き、図2に示す屋敷構えのレベルで手向らしいまち並みとは何かということについて、調べていこうと思っています。
手向には江戸時代後期には300を超える坊があったとのことです。その坊とは即宿坊のことではないそうですが、それでも、ある時期には宿坊が多数を占める並ぶまち並みであったと推測されます(図3)。宿坊が並ぶまち並みとは、図4のような屋敷構えの並ぶものもであったことが推測されます。またそのまち並みはたとえば貫き通し門は御恩分修験に限られるなど修験道の約束事が背後にある意味や約束事の了解事項の上に成り立っていたものです。
現在ではかつての最盛期とは相当変わったまち並みになっているわけですが、宿坊がまだ33も残っています(図5)。また宿坊をしていない家屋、屋敷も立派な構えや雰囲気を継承しているものが多い(図6,7)。それが手向を訪れるものにとっての魅力のひとつとなっているのは間違いありません。
さて皆さんご承知の通り、既に1970年代から80年代にかけてこのまち並みは大きく変貌していたわけです(図8)。宿坊の減少ということもありますが、車社会に対応しての暮らし方の変化ということも大きいと思います(図9,10)。これを元に戻すということは大変難しいでしょうし、皆さんの望むところでもないように思えます。
私たちは、「歴史的風致維持向上計画」を考えるにあたって、手向にとって何が大切であるのか、あるいはどこまで変わればもう手向らしいとはいえなくなるのかといったことについて、皆さんと共通認識を得ることが必要だと思っています。仮に、計画に沿って何かアクションを起こすとしても、一方では母屋や駐車場を改築したりすることは続くでしょうから、そのとき「手向らしさ」を意識するかしないではこのまち並みの未来が大きく変わるものと思われます。周知のように、宗教集落や門前のまち並みは庄内の近傍にも見ることができます(図11)。また山岳修験の御師のまち並みもあります(図12)。こういったものと共通するものは何か、ここにしかないものは何か、それをしっかりと認識することがこれからのまち並み作りにいたる道筋をより確かなものにすると考えるものです。
そこで、まず表面に見えている「景観」だけでなくお祭りやこの地域の暮らし方も良くご存知の住民の皆さんに、手向らしさとは何かということについての調査へのご協力をお願いする次第です。今日の調査は試行錯誤的な部分があるのですが、今日の結果を参考にしながら今後の調査(例えば旧鶴岡で時々手向を通る人たちにとっての手向らしさとは何かについても調査する予定)に生かしていきたいと考えています。
もちろん、手向らしさとは建築や門などの物理的要素ではなく精神的なものあるいは祭りなどの伝統行事の維持を通してこそ生まれるものであるという意見もあると思います。そういった声についてはアンケート調査できちんと捕らえていくつもりです。