まち・ひと・くらし-けんちくの風景-

建築設計を通してまち・ひと・くらしを考えます。また目に映るまち・人・くらしの風景から建築のあるべき姿を考えています。

被災地の方々に心よりお見舞い申し上げます

2011-03-30 21:01:24 | 建築・都市・あれこれ  Essay

被災されたかたがたに心よりお見舞い申し上げます。

また危険な状況の中で復旧活動や捜索活動に当たられている方々に深い敬意を表します。

それにしても、あまりにも悲惨です。

そしてまだまだ大変厳しい事態が進行しています。

地震・津波の被災状況然り、FUKUSHIMA第一原発然り。

これから事態がどう進むのか全く予断を許しません。

そういった中で復興について考えるのは、まだまだ早いのかもしれませんが、それはモノを復活して再建するというだけではなく、新しい社会システムの構築と並行するプロセスになるように思えます。

成長なき時代の復興というのは経済的には大変きついものだと思いますが、今までの価値観、幸福観をもう一度吟味しながら、わたしたちが本当に必要とするもの、本当に大事と思うものを少しづつ積み上げる作業が必要になるでしょう。

まちを再構築するに当たっても、集まって住んでいることの意味を根源的に問い直す作業が出発点になります。

今の私の関心事は被災された方々の現況やこれからの暮らし、そして原発の行方などです。しかし一方、人が生きる空間や人の活動を包み込む環境をデザインするものとして、これからのまちの姿・社会の姿をおぼろげなりにもイメージしていかなければならないとも思っています。


大変なことになりました東北太平洋沖大地震

2011-03-12 01:17:14 | 建築・都市・あれこれ  Essay

大変なことになりました。東北地方太平洋沖大地震。

たくさんの方がなくなられています。心よりお悔やみとお見舞いを申し上げます。

東京の事務所でも普通に立っていられないゆれでした。棚から模型が落ちてきます。隣の事務所では棚が倒れてきました。

明日は鶴岡で東北公益文科大学大学院・総合公益研究センター主催のシンポジウム「社会を変える公益ビジネス」が予定されていました。最終便ANAで鶴岡入りするつもりでした。しかし電車が動きません。そうこうするうちに、思っていた以上に大きな被害があったことがわかってきます。

基調講演をお願いしていたG先生にもメールでやっと連絡がつきました。帰宅困難の学生対応で大変のご様子。とてもシンポジウムでの講演どころではなさそうです。

徐々に日本中で起きていることがわかってきました。鶴岡、庄内の建物に被害はないようでした。また郡山・福島の妻の実家や親戚もみな大丈夫との連絡に一安心。一方東京では外に出ると道路は大渋滞。深夜まで続きます。

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コンビニが頼りになる存在です。

そんなときに大家さんからおにぎりと中華スープの差し入れ。暖かい心が身にしみます。自宅にもようやく連絡がつき一安心。

たった今、家に帰ることをトライした所員のOさんSさんが到達不可能とあきらめて事務所に戻ってきました。みんなで今日は帰宅難民です。


まちキネのレイトショウ

2011-03-06 23:26:14 | 建築・都市・あれこれ  Essay

 まちキネのレイトショウはちょっと早めの8時からです。

 今日は日曜日ですが、鶴岡泊。原稿を2つしあげないといけないことは分かっているものの、夜7時前に研究室を脱出。まちキネに向かいました。

 ヒラボク食堂で三元豚とビール。偶然食事にこられた市役所のOさんへの挨拶もそこそこに、シネマ2の「ツーリスト」へ。主演のジョニーデップがなぜあんなに人気があるのか分かりませんが、よく映画館でお見かけします。前回は「ドクターパルナサスの鏡」への友情出演シーン。この映画はスペインの建築家リカルドボフィールの作品が登場したことでも話題になった(なっていない?)「未来世紀ブラジル」のテリーギリアムの作品。楽しい映画でした。まちキネでも昨年オープニングウィークでやっていましたが、東京で見ていたので失礼しました。丁度、そのころ「ハートロッカー」、「母なる証明」と、良い映画が続いていましたが、あまり映画館に行かない私がたまたまそのふたつはすでに見ていて、パスしてしまいました。

 それではいけません。心を入れ替えて、これからは、まちキネで映画を見る楽しみを再発見したいと思っています。私の世代の人間は日本人が平均して一人一年間で10本見ていた時期に子供時代を送っています。なにやらそんな時代の習慣が戻ってくるような気がしています。

 さて今週3月12日にまちキネで「社会を変える公益ビジネスー地方都市の再生をめざして-」と題したシンポジウムを行います。Ⅰ部は建築史家で「街の中の文化財をいかす」分野の第一人者、後藤治氏(工学院大学教授)のお話がメインです。私もまちキネの計画経緯や設計意図、そしてまちキネの母体となった松文産業旧鶴岡工場の建築的価値や、それを活かし継承することの意味を報告しようと思っています。といっても堅い話ではなく、鶴岡の人々の暮らしに大いに関係のあった絹織物の工場で、いま楽しく映画が見れることはかなり恵まれたことではないかという私の想いをお伝えしようと考えています。

 第Ⅱ部では、渋川先生を中心に進めてきた「公益ビジネスプロジェクト」総括のための「パネルディスカッション」があります。公益ビジネスのもっとも良い事例が㈱まちづくり鶴岡のまちキネ事業だというのが渋川先生の位置づけです。会場の皆さんのご意見も伺うことになりますが、どういう総括になるでしょうか。


手向らしさとは何かを求めて

2011-03-05 23:04:44 | 建築・都市・あれこれ  Essay

年末の松例祭以来の羽黒・手向です。

平野部より数十cmは雪が深いでしょうか。

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 研究室の皆さんと取り組んでいる手向のまち並み景観調査のワークショップのために地区の代表の方々が公民館に集まってくれました。わたしたちは、地域の方々が「手向らしさ」という言葉でどういうイメージを抱くのかを知りたいと思っています。各人各様の「手向らしさ」があるはずですし、同時に共通する「手向らしさ」も浮かび上がってくるはずです。

 宗教集落としての門前町をイメージする人、あるいは普通の峠的な集落をイメージする人など各人さまざまなイメージをもとにアンケートに答えていただきたいと思いましたが、皆さん手向の歴史、文化に詳しい方々とあって、規範的なかくあるべきというイメージを私たちに伝えようとしてくださる方も多かったかも知れません。まち並みに対するイメージを調査する難しさ(私たちの調査法の未熟さ)についても考えさせられることとなりました。ともあれいろいろ教えていただいたことも多く、収穫の多いワークショップでした。

 アンケートの結果はこれから分析します。

 調査に先立ち、次のような内容のお話をしました。手向の歴史について私の間違いもあり、指摘を頂いた点もありますが、概ね今回のワークショップ、アンケートに対して考えていたことを記述しています。

私たちは手向地区の歴史的風致維持向上計画作りに参加するに当たり、少し包括的に手向地区のまち並みについての研究を進めたいと考えています(図1)。私たちは、まち並みを単に即物的に「見えているもの」としてだけではなく「住民との間の相互作用の領域」であり「無限の多様性を持ち、常に変化し続けている社会的、文化的な場(ケヴィン・リンチ)」として理解しています。そういった意味で、手向地区のまち並みを理解するためには社会・経済的そしてなにより修験道を含めた文化的側面の理解と、人々の作り上げた物的な環境としての両面からの分析、検討が必要だと考えています(図2)。私たちの研究は、後者の視点が中心となりますが、常にまち並みに現れる社会・文化的な側面などに十分な配慮をしていきたいと考えています。今回は、アンケート調査に引き続き、図2に示す屋敷構えのレベルで手向らしいまち並みとは何かということについて、調べていこうと思っています。

手向には江戸時代後期には300を超える坊があったとのことです。その坊とは即宿坊のことではないそうですが、それでも、ある時期には宿坊が多数を占める並ぶまち並みであったと推測されます(図3)。宿坊が並ぶまち並みとは、図4のような屋敷構えの並ぶものもであったことが推測されます。またそのまち並みはたとえば貫き通し門は御恩分修験に限られるなど修験道の約束事が背後にある意味や約束事の了解事項の上に成り立っていたものです。

現在ではかつての最盛期とは相当変わったまち並みになっているわけですが、宿坊がまだ33も残っています(図5)。また宿坊をしていない家屋、屋敷も立派な構えや雰囲気を継承しているものが多い(図6,7)。それが手向を訪れるものにとっての魅力のひとつとなっているのは間違いありません。

さて皆さんご承知の通り、既に1970年代から80年代にかけてこのまち並みは大きく変貌していたわけです(図8)。宿坊の減少ということもありますが、車社会に対応しての暮らし方の変化ということも大きいと思います(図9,10)。これを元に戻すということは大変難しいでしょうし、皆さんの望むところでもないように思えます。

私たちは、「歴史的風致維持向上計画」を考えるにあたって、手向にとって何が大切であるのか、あるいはどこまで変わればもう手向らしいとはいえなくなるのかといったことについて、皆さんと共通認識を得ることが必要だと思っています。仮に、計画に沿って何かアクションを起こすとしても、一方では母屋や駐車場を改築したりすることは続くでしょうから、そのとき「手向らしさ」を意識するかしないではこのまち並みの未来が大きく変わるものと思われます。周知のように、宗教集落や門前のまち並みは庄内の近傍にも見ることができます(図11)。また山岳修験の御師のまち並みもあります(図12)。こういったものと共通するものは何か、ここにしかないものは何か、それをしっかりと認識することがこれからのまち並み作りにいたる道筋をより確かなものにすると考えるものです。

そこで、まず表面に見えている「景観」だけでなくお祭りやこの地域の暮らし方も良くご存知の住民の皆さんに、手向らしさとは何かということについての調査へのご協力をお願いする次第です。今日の調査は試行錯誤的な部分があるのですが、今日の結果を参考にしながら今後の調査(例えば旧鶴岡で時々手向を通る人たちにとっての手向らしさとは何かについても調査する予定)に生かしていきたいと考えています。

もちろん、手向らしさとは建築や門などの物理的要素ではなく精神的なものあるいは祭りなどの伝統行事の維持を通してこそ生まれるものであるという意見もあると思います。そういった声についてはアンケート調査できちんと捕らえていくつもりです。


まちキネで公益ビジネス研究の成果展示中

2011-03-03 21:19:03 | 建築・都市・あれこれ  Essay

東北公益文科大学大学院・公益総合研究センター主催のシンポジウム「社会を変える公益ビジネス」にちなんだパネル展示をおこなっています。期間は3月1日からシンポジウム翌日の13日まで、場所は鶴岡まちなかキネマのエントランスホールです。

高谷研究室の人たち、大学関係の皆さんで28日から設営し、1日12時頃オープンと相成りました。

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展示は、パネルと模型から構成されます。

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研究員の國井さんが作成した松文産業旧鶴岡工場の歴史を紐解くパネルです。

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うえにある額は松文の工場訓です。最初に「いかるな」とあります。一種の人生訓です。

こちらは、松ヶ丘開墾場と鶴岡魚市場の模型。松文と同じように、大規模な木造架構が特徴です。庄内には、明治以来進取の気に富む地元大工の伝統があります。研究室の池田さんが作成しました。

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こちら(下)にあるのは、まちキネを設計するときにデザイン検討のためにつくった模型です。東京の設計計画高谷時彦事務所から、はるばる運んできました。事務所には、ほかにも計画初期の検討模型がありますが、いつか、計画の初動期も含めて紹介できる機会があると思います。

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皆さんの力で、立派な展示となりました。展示をご覧になったかたがたからの反響も来ています。できるだけ多くのかたに見てもらえることを願っています。