6月20日から23日の日程で開かれた2024年度日韓都市デザイン交流会 in 金沢 and富山に参加しました。韓国側主催は「より良い都市デザインフォーラム(PUDA)」、日本側主催は「NPO景観デザイン支援機構(TDA)」です。韓国からは Lee Seokhyun先生(中央大学)をはじめとする35名の都市デザイナーや研究者、また日本側からは国吉直行代表以下TDAに属する都市デザインナーなど12名が参加しました。
今回は、まち歩きだけでなく前後の議論や事例・研究発表にそれぞれの都市デザインの最前線にいる行政、研究者、都市デザイナーなどの方々が深くコミットしてくれました。また韓国側からも都市デザインの最先端の発想や事例を教えてもらいました。大変中身の濃い、内容のある意見交換、知見交流の機会でした。
企画や運営も大変だったと思います。金沢の方々は能登との関係が深く、被災の当事者であったり、復旧復興に忙しかったりする中でいろいろご尽力いただきました。
こういう機会を作ってくださった日韓両国の方々、また金沢、富山の皆様に心より感謝申し上げます。感謝をしつつ・・・以下に簡単に加賀感想を述べます。
<金沢 人口45万人、加賀100万石の歴史文化都市>
照明環境まち歩きからスタート
日韓都市デザイン交流会のスタートは、TDAの近田副代表が照明環境を演出した金沢城周辺を歩く、金沢城夜景・夜間環境ツアーでした。景観照明の第一人者である近田副代表が、お城などの歴史的環境をどのように演出されるのかを実地に学びたかったのですが、日程の都合で参加できませんでした。残念です。
ちなみに、翌日知りましたが、金沢市には夜間景観形成条例があります。夜、照明によってつくられる環境の望ましい在り方につてきちんと市民との共有イメージを持っているということです。この一事からも金沢の都市デザインのレベルの高さが推測されます。
また、要綱などではなく「条例」にしていることには驚きました。金沢市は、「まちづくりは継続性が命であり、たとえ市長が変わっても、その一存で方針転換してはいけない」ということから、景観づくりの方向性を議決が必要な条例で定めているとのことです。
私は翌21日朝から参加しました。
ひがし茶屋街です。
町家の中。通り庭に明り取りがあります。
坪庭。
ひがし茶屋街で、ツアーの皆さんに追いつき、その後、主計町、近江市場、百万石通りをへてレクチャー会場であるしいのき迎賓館までのまち歩きを楽しみました。レクチャーまでの待ち時間を縫って鈴木大拙館や21世紀美術館を駆け足で見て回りました。短い滞在でしたが、地元金沢で活躍する専門家の皆さんの案内にも恵まれ、多くのことを体験できました。
金沢診断から続く開発と保存のメリハリ
金沢が、歴史文化的な環境と、新しい再開発によるいわゆる近代的環境がうまく共存しているまちだという印象は、今回さらに確かなものになりました。韓国の皆さんも同様の印象を持ったように感じました。
東茶屋や主計町の落ち着いた町家の風景を体験した後にお昼を食べたのは武蔵が辻のビル群のすぐそばです。近代的なものと伝統的な環境が隣り合わせに同居しているのです。ここから香林坊までは大規模なビルが並ぶ商業的なにぎわいゾーンですが、実は一本横道にそれると、鞍月用水という豊かな水の流れる歴史的な環境があります。武家屋敷群もすぐそばです。ここでは特徴のある新旧の二つの軸が同居しています。
このように開発と保存が同居あるいは近居しているのは、開発と保存の両輪でまちづくりを進めるという金沢のまちづくり戦略の成果です。その戦略が生まれる原点となったのが1966年の「金沢診断」だったことをレクチャーで知りました。地元経済界、金沢出身の建築家谷口吉郎、日本画家東山魁夷他のメンバーで、金沢のこれからの開発には保存と開発の共存が必要だということを確認したのです。
保存と開発の両立のために、開発エリアを限定し、まずは駅南側の駅ー武蔵が辻ー香林坊の軸に集中させました。その開発が一段落したところで、駅北から港に向かう軸を開発するという戦略です。開発エリア以外はできるだけ伝統的なものを保存するというメリハリのある戦略です。
部分の確かさ
今回のまち歩きの中心は、上記の戦略に沿って保存されたエリアでした。
時間のない中でのまち歩きでしたが、たまたまJUDI北陸ブロックの上坂さんや木谷さんが案内してくれたことで、非常に深く理解できました。東茶屋街では、単に町家を保存活用するというだけでなく、みち空間やちょっとした広場スペースも含め、非常に丁寧にデザインされていることを知りました。
街角のバス停です。
また主計町をへて上のまちへ登る階段を見ても、段の置き方などきめ細かい配慮がされています。また川を渡る橋も、欅材を巧みに組んで、手作り感のある環境を作り出していました。案内してくださった方々の作品でもあります。
また、先ほどふれた鞍月用水。ビフォアアフターには驚きました。案内は計画づくりや設計を担当された上坂さんです。
昔は暗渠化され、蓋のうえは駐車場になっていたのです。想像できないですね。
それが今では、せせらぎ空間です。お店もしゃれたものに変わっています。みち空間という公共空間を美しく整えたことが、まちの人の意識を変え、商業的な位置づけも変わっていったのだろうと思います。都市デザインの力です。拍手を送りたい気持ちです。
背景にある町衆文化
歴史文化を大切にするまちづくりを、背後で支えているのは、町衆の力だと思います。金沢で感じる活力は、東京の中心部で目にする●●不動産などによる、営利第一の活動から生まれてくるものとは少し、違うテイストを持っています。
資力に恵まれていた町衆だけではなく、伝統を理解するまちの人々の創意でまちづくりが進められているのだと思います。
その一つの表れが、職人を大切にする文化です。くらしのディテールを確かにしてくれるのが職人の技です。金沢では職人を育てる学校があり、今も何十人もの人が学んでいます。効率や営利だけを大事にする発想では、長い目で職人を育てることはできないでしょう。市民レベルで、職人文化を大切にしたいと思っているからこそ、続けられるのだと思います。
そういった積み重ねが、金沢らしい奥深い風景を生んでいるのです。
鈴木大拙館
「金沢らしい奥深い風景」と書きましたが、その風景の中に新たにモダニズム建築も仲間入りしています。
鈴木大拙館です。そこへのアプローチの経路の演出にまず感心しました。
歴史エリアの中でもさらに奥まった一角にあります。緑の深い小路を進むと、少しだけ開けた場所があり眼下に大拙館の一部が見えます。しかしそこに到達するまでに、小路を下り、壁の開口から建物の手前の池をみたり、壁腰に本館の白い壁を眺めたりと多彩な体験が続きます。
蹲?数年前に亡くなった和泉正敏さんの作品です。だいぶ前ですがイサムノグチさんを牟礼のアトリエにお尋ねしたときに、ご挨拶したことを思い出します。
この後にも心憎い演出が続きます。
桂離宮への経路を思い出しました。
建物の玄関に到達した時には、すでに大拙の世界への期待感で一杯になっています。残念なことに開館時間を過ぎていたので中には入りませんでしたが、この中にも素晴らしい経路が用意されていることは十分感じられました。
新築の建築、モダニズムのボキャブラリーでできている建物ですが、金沢のもっている歴史文化を体現しているような気にさせます。今度は中を見るために、金沢を訪れることになりそうです。
しいのき迎賓館でのレクチャー、交流会
しいのき迎賓館は旧県庁のリノベーションです。旧県庁は1924年矢橋賢吉の設計だそうです。全体のフォームとしては古典様式を参照しながら、スクラッチタイルが特徴のアールデコスタイルでまとめられています。玄関側を残し、後ろ側(金沢城側)にガラスのアトリウムを付け加えています。
矢橋賢吉のデザインが密度の高いものですので、なかなか難しいリノベーションだと思います。旧建物に関わった人たちのエネルギーに負けないようにしないと、単に、「対比的にまとめました」という建物になってしまうと思います。
たまたま韓国のLEE KIOK先生(Chung-ang University)の報告は日本統治時代の建築の保存活用でした。歴史的建築の保存再生のために調査研究を深めて、ありうべき再生方法を追及されていることには感銘しました。
私も最近、いくつかの建物のリノベーションに取り組みました。私は歴史に敬意を払いながらさらに魅力を付け加えていく姿勢が大切だと思っています。オリジナルへの過度の尊重、オーセンティシティへの妄信は避けるべきです。またイージーな「対比的なデザイン」も考え物です。韓国の専門家の皆さんと議論する機会があればいいと思っています。
KANG DONGSEON先生(Hanyan Women's University)は設計者からの発想ではなく、使う側の発想を形にするService Designのお話でした。National Policy Design Groupとして、Service Designを研究されています。この分野でも韓国は日本をリードしているのではないでしょうか。
金沢の都市デザインについては木谷弘司さんと福塚正浩さん、お二方の説明がありました。的確な図版資料を使って分かり易いレクチャーでした。金沢の歴史にうらづけられたまちの特性をきちんと把握して、都市デザインやまちの魅力づくりに戦略的、継続的に取り組んでおられます。市の職員の方も相当な蓄積をお持ちです。
そのあとの交流会が盛り上がったことは言うまでもありません。
<富山:人口40万人 戦災復興からコンパクトシティまでの戦後都市計画のモデル都市>
コンパクトシティ
富山はコンパクトシティ戦略で日本中の注目を浴びています。TDA国吉代表が都市デザインの顧問をしておられることもあり、藤井市長自らコンパクトシティの要諦をお話しくださいました。3つありました。「公共交通×居住誘導×まちの活性化」。
公共交通(路面電車)と居住政策の一体的取り組み
行政だけでなく大学なども加わり、公共交通整備と、居住誘導策と合わせた総合に取り組みを進めています。
一例として、富山大学の久保田善明先生がまちなかのシェアハウスについて説明してくださいました。家賃政策だけでなく、若い人をまちなかに住まわせるためにシェアハウスFilをつくっています。1階にはコインランドリーや食堂があります。
説明を聞いた後、お昼を食べに行きました。カレーは(実は苦手の)辛口しかなかったのですが、食べてみました。お店の方が心配して途中に見に来てくれ、お水も継ぎ足してくれました。おいしく頂きました。
この他にも様々な取り組みを総合的に実施しています。
公共空間の豊かさ
市長がおっしゃっていた第三のポイントはまちの活性化です。公共交通と居住誘導策が連携しても、人々がまちに住むこと、まちに集まることに魅力を感じなければ、功を奏しません。
「魅力あるまちとは何か、どういう条件の下で人はまちのくらしを選択するのか」というのは、簡単に答えがありません。ただ、一つには中心部ならではの、人が出会う機会の多さ、また一定の人がいるからこそ提供される質の高い文化的体験との出会いというものが、あるだろうというのが私の考えです。公共空間そういった出会いや体験の場所になるものです。広場、みち、商店街、川端、公園などの外部空間あるいはただで入れる公共施設などの公共空間が質的に豊かであることも大事だと思います。
昨年日韓都市デザイン交流で訪れた仁川、議政府、ソウルで感じたのが内外の公共空間の豊かさです。富山はそういう部分でも韓国に負けず頑張っているという印象を持ちました。
前書きが長くなってしまいました。富山の公共空間巡りは駅北のブールバールから出発。
新しい公共空間整備です。ここを歩いた後、トラムで古くからの中心部に向かいます。
富山の賑わい軸は東西に延びる総曲輪商店街です。その西端にあるのが複合文化施設富山市民プラザ。その前には幅員26mの大手モールがあります。そこから東に向かって長い総曲輪通りが始まります。
総曲輪通りの特徴は、中心部にある屋根付きの広場グランプラザです。隣は老舗デパートです。このプラザは、本当によく使われています。イベントでも集まりますし、結婚式をした人の話も聞いたことがあります。もちろんただで座っていられるのでお年寄りの居場所にもなっています。この場所は今や市民の共有の場所コモンズになっているのです。
富山市民プラザと大手モール
グランプラザを運営しているのは㈱富山市民プラザです。社長の京田さんに案内していただきました。先ほど触れた富山市民プラザや大手モールは市が作ったものですが、運営は第3セクター㈱富山市民プラザが行っています。(株)富山市民プラザは「生活価値創造をコンセプトに市民の暮らしをより豊かにする機会を提供するとともに、活気とにぎわいにあふれた富山市の中心市街地の都市空間づくりをめざす」まちづくり会社です。京田社長のお考えだと思います。
実は市民プラザと「もともとの」大手モールは建築家槇文彦の手になるものです。「もともとの」というのは、槇文彦氏のデザインでつくった大手モールにトラムが通ることになり、その折に大改修されているからです。
私は、槇事務所時代に富山市民プラザや大手モールの設計を担当したのでこの富山市民プラザと大手モールには特別な思い入れがあります。槇さんは、1980年代、旧市立病院敷地に小さいけれどもきらりと光る文化施設群で複合的に構成される富山市民プラザを提案します。日常生活の中に、小さなハレの場を織り込み、町の中での暮らしをより楽しい魅力的なものにしようというお考えです。またその小さなハレの場は、建物の中だけにとどまってはならないということから、前面にある広幅員(確か26m)の道路をモール化して、細長い広場にしようということも提案されました。
槇さんにとっては、市民が利用するスペースとしての、市民プラザと大手モールは切り離せないもので、いろいろな活動の場としてデザイン的にも質の高い公共空間を提供したいと考えたのです。そして槇さんは建築はつくられた時が終わりではなく、建築空間を市民がアクティベイトして市民一人ひとりにとっての「場所」になってこそ建築が社会化されていくというお考えでした。
私は今回、㈱富山市民プラザ京田社長のお考えや取り組みを拝見して、まさに公共空間が単なるスペースから一人一人のとって大切な「場所」になっていることを感じました。京田社長は槇さんのお考えもよく理解しておられ、「大手モールは槇さんの通りと考えていますよ」いう趣旨のこともおっしゃってくださいました。私としては、今回の訪問の2週間前に槇さんの訃報を聞いたばかりでしたので、その言葉を心から嬉しく感じると同時に「槇さんにご報告したかった・・・」という思いで胸が熱くなりました。
また(株)市民プラザはまちなかにある映画館「ほとり座」に場所を提供する大家さんでもあります。ほとり座はすぐ近くに大手のシネコンがあるのに、90席余りの単スクリーンでがんばっています。私も鶴岡市で鶴岡まちなかキネマを設計し、その運営を応援(気持ちだけですが)しています。ほとり座の人とお話しすると、やはり小さな単館は営業的には大変ですとのことでした。京田社長ともその話になりましたが、ほとり座はもう少し別の形でも支援していきたいとおっしゃっていました。富山市民プラザに心の中で大喝采をお送りしたことは言うまでもありません。
レクチャーと交流会
レクチャーは、隈研吾さんが設計した図書館のラウンジスペースで行われました。最近の図書館は、ショッピングセンターをリノベーションしたものが話題になっていますが、ここは本棚を物販棚に替えればすぐに大きなショッピングビルになりそうな雰囲気です。
レクチャーでは副市長の美濃部雄人さん、久保田先生、そして市民プラザの京田憲明社長から、いまの取り組みについてお話しいただきました。「コンパクトシティ」で成功しているといわれていますが、その内実を作る素晴らしいプレーヤーがそろっているのが富山市です。
韓国からはUM JIYEONさん(インダストリアルデザイナー)が元GKのスタッフとしてトラムや駅廻りのデザインに取り組んだお話をされました。JIYEONさんにとって富山は第2の故郷なんですね。
続いてLEE UIJOONさん(SEDG CEO)からはデザインは社会問題解決のためにあるという視点から、交通の社会実験のお話を紹介いただきました。前日のKANG先生もそうでしたが、韓国では社会問題解決とデザインが不可分のものとして捉えられているようです。
交流会は、まち歩きの出発点である駅北のブールバールに面したレストランで行われました。ガラススクリーンを開けてブールバールと一体になった環境の中で、韓国チームからは歌もたくさん飛び出しました。外部に広い広場空間があると、本当にいろいろなアクティビティが可能になるということを実感しました。
岩瀬が浜
翌日は自由行動ということで、北前船交易で栄えたみなとまち岩瀬ヶ浜のまち並を訪れました。韓国の方々の多くは早朝名古屋や京都に移動したそうですが、金沢でレクチャーをしてくれたKANG先生とTDA倉澤さんとばったり遭遇。
以前にも来たことのある重要文化財森家はあいにく耐震補強中で入れませんでしたが、おかげで旧馬場家をはじめてじっくり見学できました。こちらも素晴らしい建築です。
こういう信用金庫のファサードはどう評価されるんでしょうか。まち並みを守っていこうと努力しています。まがい物だと非難する方もいると思いますが、私はまち並づくりに協力したいという金庫の方の気持ちが分かりますし、まずはこれでいいと思っています。
帰りは、トラムで駅北に戻り、久しぶりに富岩運河の世界一美しいスターバックスを見ました。
あいにくの雨でした。駅まで歩きましたが、以前は何もなかった(すいません!)駅北にもまちの厚みが増してきていることに驚きました。木を巧みに使っています。
富山市の建築模型を置いてある場所もあるんですね。いいことだと思います。
<金沢/富山の2都市を巡って>
二都物語
今回の2都市は韓国側「より良い都市デザインフォーラム(PUDA)」と日本側「NPO景観デザイン支援機構(TDA)」のリーダーの方たちが相談してきめたものと思いますが、本当に見事な二都物語を演出されたことに感心します。
韓国の都市デザイナーたちも、「金沢は歴史文化をテーマ、富山はプラクティカルな生活・利便性・楽しさをテーマにまちづくりをしている」という印象を語っていました。対照的な2都市の印象が残ったものと思います。
2都市の違いの背景には、戦災にも会わず、狭い路地小路を含め歴史的なものが多く残る金沢と、戦災でほぼ完全に消失、区画整理を進め近代化を目標とした富山の違いがあります。
また金沢は、戦後しばらくは江戸末期に同じ人口規模だった名古屋とよく対比され「停滞している」といわれ続けてきました。それに対して富山は豊かな水力を利用した電力を利用した化学工業やアルミ生産そして今でも全国トップの薬産業(富山の薬売りの伝統を産業化しています)など新しい時代に対応していると評価されていました。
さらに現代の都市計画や都市デザインのコンセプトという観点から見ても、金沢はチャールズランドリーなどヨーロッパ型の「創造文化都市」、対する富山は国も後押しする「コンパクトシティ」。いずれもその分野のトップランナーです。面白いですね。
もちろん共通することもたくさんあると思います。庶民レベルではどちらも浄土真宗の町ですし、職人仕事が多く残っている等・・・。また、どちらも加賀前田藩の領地です。とはいえ富山(越前)は支藩であったこともあり、金沢とは違うという意識を皆さんお持ちです。同じ富山県でも、前田家に強い親近感を持っている高岡とも違うのです。どうも意識の境界は神通川の西にある呉羽丘陵のようです。
いろんな意味で面白い二都物語を体験できた日韓都市デザイン交流2024でした。繰り返しになりますが、この2都市を選んだ慧眼には頭が下がります。
今後の日韓交流
来年はどのような企画になるのかわかりませんが、今年のような刺激を求めて参加したいと思います。それまでに少し韓国語を覚えておきたいと思います。そうすれば、交流ももう少し深いところにまで行けそうです。
高谷時彦
建築・都市デザイン
Tokihiko TAKATANI
architecture/urban design
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