Umi kakasi

自分が感じたことを思うままに表現してみたい。

何で?・・辞めるの藍ちゃん

2017-06-08 23:37:10 | 日記
 宮里藍の引退表明と戦歴

 宮里藍引退会見
   
 女子プロゴルフ界を牽引し続けてきた宮里藍の突然の引退発表。
 15年間プロとして頑張ってきたが、その引退の理由について、2010年世界一
 になったころから、メジャータイトルを獲れない、この頃、どうしたらと自問自答、
 自分自身を見失ったことで、ここ数年の間に「モチベーションの維持ができなく
 なった事が一番の理由です」と引退を表明、現役引退に対し、これ以上ないゴルフ
 人生で、決断に悔いはないと記者会見で語った。
 まだまだやれる藍ちゃんの、現役引退は悔しいが、今はただ、お疲れ様でしたの一言。


 宮里藍の戦歴

 2003年
  
 ミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープンゴルフトーナメント
  
 2003年、アマチュアの高校3年年生(18)で出場し、バックを担いでくれたのは、
 現在、男子プロゴルフ選手会、会長をしている、兄の優作選手とで掴んだミヤギ
 テレビ杯、ダンロップ女子オープンゴルフトーナメントで、並み居るプロを抑えて、
 史上初めてアマチュアが、ツアー最年少記録を更新し優勝を成し遂げると、日本女子
 プロゴルフ界は、藍ちゃんの登場で一変、藍ちゃんフィーバーを巻き起こした。
 翌10月にプロ宣言、史上初の高校生プロゴルファーが誕生した。
  
 プロ入りした若い宮里藍に、ロッカーへ張り紙されたり、傘を折られたり、
 スイングで臍を出しているとか、等々、一握りの先輩たちに、陰で陰湿なイジメを
 容赦なく、隠れて浴びせていたようだが、世の中には人の活躍や才能を、妬む心の
 醜い人が、ゴルフ界にいるなんて、悲しくなるね。

 元来、気性の明るい沖縄生まれ藍ちゃんも、こんな国内ツアーで過ごすより、
 実力の世界米ツアー(LPGA)を、選択したのではないだろうか?
 国内主力選手の陰湿な、虐めがあったのなら、実力のある若い選手の将来の
 為にも、虐めをやった先輩たちの実名を、挙げて見てはどうだろうと言っても、
 藍ちゃんなら、過去の事、いまさらと、笑って済ますだろうが、
 虐めは断固、許すべき事でないと、今の宮里藍だからこそ、言えるのでは
 ないだろうか。
 泣き寝入りで、済ましてほしくないよね。


 2004年
  
 小柄で爽やかな笑顔の、高校生プロゴルファーが参戦する大会で、優勝を重ねる
 度に、観客動員数もウナギのぼりは、プロ転向後の宮里藍の勝利が、女子ゴルフ
 界の人気を一変させた。
 まして、プロ転向した初戦は、兄優作をキャディして参戦し、いきなり、ダイキン
 オーキッドレディスゴルフトーナメントで、宮里藍のプロ初優勝でLPGA(女子ツアー)
 の人気に拍車をかけたようだ。

 2004年5勝
  
 ダイキンオーキッドレディスゴルフトーナメント
  
 サントリーレディスオープンゴルフトーナメント
  
 アピタ・サークルK・サンクスレディス
  
 マスターズGCレディース
  
 大王製紙エリエールレディスオープン

 プロ転向した翌年の2004年に5勝を挙げ、女子ゴルフ人気を、先頭に立って
 けん引してきた宮里藍にも、先輩選手からの、陰湿な虐めは続いていたようだ。

 2005年、宮里藍は、昨年の年間5勝で自信を付けたのか、夢でもあった米女子ツアー
 に本格参戦する為の資格の獲得に、小柄の宮里藍(20)が挑戦し、5日間90ホールの
 厳しい戦いを、トータル17アンダー、2位と12打差と圧勝、1位で2006年(平成18年)
 のLPGAツアー最終予選会をトップで通過し、ツアーカードを取得、周囲を驚かせた。

 2005年 6勝

  
 ヴァーナルレディース
 
 中京テレビ・ブリヂストンレディスオープン
  
 新キャタピラー三菱レディース
  
 日本女子オープンゴルフ選手権競技
  
 樋口久子IDC大塚家具レディス
  
 大王製紙エリエールレディスオープン

 宮里藍は順風満帆で、この年も国内ツアーで6勝を挙げて破竹の勢いで、留まる
 ところを知らない勢いで、2006年を迎えた。

 2006年

  
 日本女子プロゴルフ選手権大会コニカミノルタ杯
  
 ミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープンゴルフトーナメント
 日本ツアーで15勝を挙げて後

 2009年
  
 SANKYOレディースオープン


 LPGAツアー[アメリカ本格参戦]
 2006年から宮里藍(24)は、LPGA米ツアーへ本格参戦。

 2006年
 宮里藍は2006年度(平成18年度)から日本を離れ、ロサンゼルスをゴルフの
 拠点に、米国ツアーを主戦場にした。
 この年2006年から女子プロゴルフにも「世界ランキング」が導入され、宮里は
 最初に発表された2006年2月20日付のランキングで6位に入った。
 主な成績は、メジャー大会の全米女子プロゴルフ選手権3位、全英女子オープン
 ゴルフで9位に入賞、この年は米国ツアー出場21大会中、19大会で予選を通過し、
 賞金ランキングでも22位に入ったが。
 2006年(平成18年)からも不振の兆候はあった。

 2007年度(平成19年度)は連続5回予選落ち(うち1回は棄権)するなど、
 これまでにない不振に陥っている
 この年の、クラフト・ナビスコ選手権では15位に入っている。
 小柄な宮里藍にとって、アメリカのフィールドの距離などの厳しい設定であっても、
 通常のツアーでは勝てても、メジャーといわれる大会となると、一層設定も厳しく
 過酷なフィールドの攻略が求められたようだ。

 2006年から本格参戦してからの3年間は、一時は米ツアーでドライバーに苦しむなど、
 どん底も経験したが、2009年にエビアンで1勝を挙げた翌年(2010)に5勝、
 2011年1勝、2012年2勝を挙げ、通算9勝を挙げた。
 年間5勝を挙げた2010年には、世界ランク1位にも輝く金字塔を打ち立てた、
 宮里藍の戦歴を列記してみた。


 2009年1勝
  
 エビアン・マスターズでLPGA Tour初めて米女子ツアー初優勝を達成した

 2010年 5勝
  
 ホンダLPGAタイランド
  
 HSBC女子チャンピオンズ
  
 トレスマリアス選手権2011
  
 ショップライトLPGAクラシック
  
 セーフウェー・クラシックは年間5勝目を成し遂げた ..

 この驚くべき年間ツアー5勝の優勝で、岡本綾子の成し遂げられなかった、
 日本人初の米女子ツアー、世界ランキング1位が宮里藍には重くのしかかった、
 負けられないとツアーで勝てても、何故メジャーで勝てないのか、この精神的
 負担は重くのしかかった。、

 2011年1勝、
  
 エビアン・マスターズ
 エビアン・マスターズ同大会2度目の、優勝はしたがこの年この1勝のみ、
 LPGAツアー7勝目をあげたが、あまりにも昨年と落差が大きすぎる。

 2012年 2勝
  
 LPGAロッテ選手権
  
 ウォルマートNWアーカンソー選手権


 2016年、不振が続く中で、腰痛にも見舞われる苦しい1年、体の小さい藍ちゃんは、
 ゴルフは体格の差がハンディになる訳ではない、自分のゴルフを信じる事で
 ここまで来た、プロでやる以上、甘い気持ちでやれる世界ではない、ゴルフは凄く、
 すごくエネルギーを必要とする、不振が続けばどうすれば好調時に戻す事が
 出来るのかと、自分自信を失う胸中の中で、世界一になったプライドがプレッシャーと
 なってのしかかる、こんな筈ではないと。
 ツアー9勝していても、メジャーが取れない、一度、世界ランキング1位に君臨した、
 宮里藍からすれば、このままではプライドが許さなかったんだろうか。

  
 藍ちゃんのようなアスリートが、早くに米ツアー9勝し、世界ランキング1位という
 目標に達成しながら、一つも、メジャー優勝を成し遂げていない事で、自分自身に
 重圧を招き、宮里藍引退声明へ一大決心させたのだろうか?

 特に藍ちゃんの座右の銘は「意志あるところに道がある」と言うが「道とは」?
 ゴルフは生涯のスポーツと言われる中で、若い宮里藍の引退宣言は、あまりにも、
 ファンとしては寂しすぎるよね、まだ、まだ続けてと叫びたくなる思いだ。