福音の力を体験せよ 88
仮に今、前にすわっている人と、口論になったとします。すると、とてもやりきれない気分になります。しかし、この人と友だち付き合いを続けていきたいと願っているために、私が、「すみませんでした。でも、あなたがあのようなことを言わなければ、私もあのように言うことはなかったはずです」と言ったら、どうでしょうか?
この場合、私は自分の罪の責任を感じていますか?いいえ。私はただ、自分の罪の言い訳をしているだけです。このようにしていては、神様から悔い改めの賜物を受けなくなることでしょう。このようなやり方は、ただの世的な悔い改めであって、ほとんどの人が、このような悔い改めだけで済ませています。それ故に、新しい心を受ける経験にまで導かれないのです。そのような悔い改めで済ませる人たちは、律法主義に流れていくしかありません。
主の幕屋の中へ 22
「わたしは幕屋をあなたがたのうちに建て、心にあなたがたを忌みきらわないであろう。 わたしはあなたがたのうちに歩み、あなたがたの神となり、あなたがたはわたしの民となるであろう」(レビ記26:11、12)
これが聖所の奉仕の結果です。この思想は新約時代も変わりありません。
「あなたがたは知らないのか、自分のからだは、神から受けて自分の内に宿っている聖霊の宮であって、あなたがたは、もはや自分自身のものではないのである。あなたがたは、代価を払って買いとられたのだ。それだから、自分のからだをもって、神の栄光をあらわしなさい」(第一コリント6:19、20)
「あなたがたは神の宮であって、神の御霊が自分のうちに宿っていることを知らないのか。もし人が、神の宮を破壊するなら、神はその人を滅ぼすであろう。なぜなら、神の宮は聖なるものであり、そして、あなたがたはその宮なのだからである」(1コリント3:16、17)