SOS.TV.JAPAN

ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

これが真の福音です ソン・ケムン 第3回

2017年11月18日 | 日記

 言は肉体となり

それでは、イエス様が 「肉体をとってこられたこと」はどんな意味なのでしょうか。

ヨハネの福音書1章14節を見ると、「そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた」とあります。 ここで「言」はベツレヘムに誕生したイエス・キリストに適用されます。「言が肉体と」なった時はいつですか?

ローマ人への手紙1章3節を見ると、

「御子に関するものである。御子は、肉によればダビデの子孫から生れ」

つまり神様が人間になられた時を指します。ここに重要な質問があります。その方が人間になられた時、どのような種類の肉体を持たれましたか。注意深く調べるべきです。

ヘブル人への手紙2章14節を見ると、

「このように、子たちは血と肉とに共にあずかっているので、イエスもまた同様に、それらをそなえておられる。それは、死の力を持つ者、すなわち悪魔を、ご自分の死によって滅ぼし」と述べています。

聖書が明確に語るのは、イエス様が私たちと同じ「血と肉」を取られたということです。「それがどうしたというのか。これが反キリストと何の関係があるか」と皆さんは言うかもしれません。

そこで「肉」が何かを理解しなければなりません。 肉とは何ですか? 「肉」は罪の影響を引き継いだ私たちの堕落した人間の本性を説明する言葉です。パウロは「わたしの内に、すなわち、わたしの肉の内には、善なるものが宿っていないことを、わたしは知っている」と言いました。

言い換えれば、肉は悪です。それは私たちの敵です。それは悪臭が出る下水溝のようなものです。「肉」はサタンが私たちを誘惑して罪を犯すようにさせる経路です。

聖書で最も驚くべき神秘の一つが、テモテへの第一の手紙3章16節にあります。

「確かに偉大なのは、この信心の奥義である、『キリストは肉において現れ、霊において義とせられ、御使たちに見られ、諸国民の間に伝えられ、世界の中で信じられ、栄光のうちに天に上げられた』」。

これは想像しがたいことですが、イエス様が、私たちと同じ肉体を取られたと言われているのです。なぜそうなさったのでしょうか。 それは私たちの戦いを理解し、私たちと同じ誘惑を受けられるためでした。しかし、私たちと同じ肉体を持っていながらも決して罪は犯されませんでした!

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。