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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

キリスト再臨の前兆  デビット・カン講演 第2回

2012年03月26日 | 日記




ひまわりさんより
今日の聖書日課の言葉をご紹介いたします。
「聖化は日毎の働きである。だれ一人として、自分たちが神のご要求の一つでも踏みにじっていながら、
このお方が自分たちを許し、祝福してくれるだろうなどと信じて、自らを欺いてはならない。
知っている罪を故意に犯すとき、聖霊の証するみ声は沈黙し、魂は神から分離する。
宗教的な感情がどんなに高揚させるようなものであったとしても、
イエスは神の律法を軽視する心の中に宿ることはおできにならない。
神はご自分を尊ぶ者たちを尊ばれる。・・・ここにキリストの助けの必要がある、人間の弱さは神の力と結びつき、
そして信仰は『感謝すべきことには、神は私たちの主イエス・キリストによって、
わたしたちに勝利を賜ったのである』(1コリント15:57)と叫ぶのである」。(キリストを映して)
神様への従順を生み出さない信仰はあり得ないのですね。

     アララテ山で発見された箱舟

ノアの箱舟は、」去年の4月(2010年)に発見されたそうです。
写真はトルコのアララテ山です。美しい山ですね。
常に頂上付近には雪が積もっていて、非常に美しい山です。
この山の、標高4000メートル付近で、氷の洞窟を見つけたというわけです。
飛行機でそのあたりを空中から見てみると、通常は上と下に穴が見えます。
そして、雪が溶けてくると、そこに舟の形をしたものが表れてくるのです。
しかし、このあたりは、かつてトルコとロシアとの間で戦争が激しかった所なので、あまり人々は行きたがらなかったのですね。
この調査は、香港とトルコのクリスチャンの探検隊が合同で行いました(写真)。
だいたい1年前、去年の4月ごろのことです。写真の人はこのチームのリーダーでして、
博士号を持っていて、考古学にとても関心のある人でした。
アララテ山の頂上付近で、このような洞窟を見つけたのです(写真)。
そしてロープを垂らして洞窟の中へ降りていきました。探検隊が洞窟の中へ入って行って、氷の壁をたたいたりして音を聞き、
音の違いを確認しながら進んでいったわけです。
そうすると、ノアの箱舟の上に、雪や雨がどんどん降ってきてそれが凍って、そこが氷の洞窟になっているという形でした。
そして、どんどんもぐって行ったときに、木の化石化したものが見つかったのです。
写真ではよく見えませんが、これは自然にできたものではなく、人間が作ったものであると言わざるを得ない結果がでてきました。
人間がノコギリで切ったとしか思われない形になっています。こう言った(写真のような)部屋まで見つかりました。
板がはめ込まれているのですね。また、動物の糞の化石化したものも見つかっています。
これらを調査した結果、99.9%ノアの箱舟に間違いないという結論を出しました。
ノアがよみがえってきて証言しないかぎり100%はあり得ないですね。




キリスト再臨の前兆  デビット・カン講演 第1回

2012年03月25日 | 日記




ひまわりさんより

職場で読んでいる教養書の4月号にこんな記事がありました。吐くという言葉は、口偏に+(プラス)、-(マイナス)からできています。
そして人間は、プラスの言葉と、マイナスの言葉を口から吐きだしているのです。
でも、この吐くという言葉からマイナスを取ると、なんと〈 叶う 〉という言葉になります。
マイナスの言葉を口から出さないようにすると、願いが叶うというのです。
聖書には、「悪い言葉をいっさい、あなたがたの口から出してはいけない。
必要があれば、人の徳を高めるのに役立つような言葉を語って、聞いている者の益になるようにしなさい」
(エペソ人への手紙4章29節)とあります。
2000年も前に、聖書は私たちの正しい生き方を教えていたことに感動しました。

ノアの箱舟発見!? (デビット・カン講演 1 )

今日は『マタイによる福音書』24章の預言に焦点をあてたいと思います。
マタイ24章は、イエス・キリストの再臨の前兆について書かれた有名な預言です。
ですから、これまでによく理解されていることを、さらに復習するという形で見ていきます。
この聖書の箇所を長年研究してきて悩んだのは、
どうして『マタイによる福音書』が私たちの時代のために書かれたといえるのか、
それがどうしてわかるのか、ということでした。
ここには、地震とか災害、飢餓、戦争と戦争のうわさなどが書いてありますね。
こういった出来事は、歴史上何回も起こっているわけです。
では、これらの出来事が、今の時代に、イエス・キリストの再臨の前兆としてどういう役割を果たすのでしょうか。
そういったことをいつも悩んできたんですね。
太陽が光を放たなくなったり、月が血のように赤くなったり、星が落ちてきたり、こういった現象は、過去において、
特に1700年代、1800年代に起こったことがあるわけです。
それでは、この最終時代に生きているといわれる私たちと、どういう関係にあるのでしょうか。
もう、2011年に入っていますね。そういった観点から今日の勉強を進めていきたいと思います。
進んでいく前に、最終時代のしるしについて、色んなものをお見せしたいと思います。
まず、ノアの箱舟についてお見せしたいと思います。
最近、中国人によって、ノアの箱舟が発見されたという新たな情報を知っている方、おられますか。
最近、中国のクリスチャンのグループが、ノアの箱舟を発見したという情報を聞いて、
私は伝道チームの中国にいるスタッフに電話で聞いてみました。
中国人の考古学的調査チームがノアの箱舟を見つけたことについて聞いたら、私たちのスタッフはとても喜んでくれました。
そして、こういったことを話してくれました。  (続く)





なぜあなたは主に従うか 20  デビット・カン講演

2012年03月24日 | 日記




   ひまわりさんより

私の属している教会は、セブンスデー・アドベンチスト教会と言います。
この教会はイエス様がもう一度、世界からあらゆる罪、悲しみをなくすために来られること(アドベント=再臨)と、
聖書にある十戒を心から愛し、イエス様の恵みによって十戒に従うことができるようになることを信じています。
そして、十戒の中でも、第4条の安息日を、天地創造の記念日、救いの記念日、神様に忠誠を表す日として大切にしています。
現在の土曜日(セブンスデー = 第7日目)にあたる安息日に、私たちは神様への感謝の礼拝を捧げます。
世界が神様によって造られたとき、第7日目の安息日に礼拝を捧げることによって、創造の御業は完成しました。
そして、イエス様による救いの御業もまた、私たちがイエス様を通して、信仰の真の休みの経験に入り、
安息日を喜びの日として礼拝を捧げる時、完成するのです。

   なぜあなたは主に従うか(デビット・カン講演・最終回)

「私は神様に仕える、神様を礼拝します。安息日を清く守っています。
毎日毎日、私の心をイエス様に捧げたいと思います。神様のために生きています。
喜んで神様のために生きたいと思います」。そうしたら、そのようなことを言ったら、「なぜですか」と聞かれるかもしれません。
皆さんだったらどのようにお答えになりますか。「なぜなら、私は神様を知っているからです」、と答えることができるでしょうか。
神様は、すばらしい神様であられるから、はかり知れない愛を私に注いでくださったから、
たとえ地獄に行くことになったとしても、天国に行けなくなったとしても、
それでも私達は、神様に信頼すると言えるでしょうか。
神様はすばらしい愛の方であるから、それが私たちの動機となるべきであります。
それこそが私たちが神様に仕える理由となるべきであります。

お祈りしましょう。
「天のお父様。本当の意味で、あなたを知りたいと思います。
聖霊を通して私たちに教えてください。あなたの美しい品性を示してください。
あなたのすばらしい愛を教えてください。
私たちのうちに何が起こっても、正しい理由、正しい動機をもってあなたにお仕えしたいと思います。
十字架上であなたが払ってくださった驚くべき犠牲を、再びここで
感謝したいと思います。そして今、あなたの安息日に入らせていただきました。
私たちの罪をおゆるしください。私たちの心を清めてください。あらゆる汚れ、罪から清めてください。
安息日が清い日であるように、私たちを清いものとしてください。
神様、この安息日を守ること、これこそが、生ける神の印であります。
私たちを、あなたの聖なる休みに入らせてください。時が短いのを知っています。
ですから、私たちの品性を備えて下さい。イエス様の御名を通してお祈りいたします」。
   アァメン





なぜあなたは主に従うか 19 デビット・カン講演

2012年03月23日 | 日記




ひまわりさんより(3月23日)

今日は、毎日日課として読んでいる本の中の1節をご紹介いたします。
「神に対して本物の愛を持つ人々は、神のみ旨を知ってそれを行いたいとの熱心な願いを示す。
…自分の両親を愛する子供は快く服従することによってその愛を示すが、利己的で感謝をしない子供は、
自分の両親のためにはできるかぎり少ししかしようとせず、
その一方で従順で忠実な者に与えられる特権はすべて自分のものにしたいと望む。
神の子であると公言する人々の中にも同じような相違がみられる。
自分が神の愛と心配りの対象であることを知っており、神の祝福を受けたいと願う多くの人が、
神のみ旨を行うことは喜ばないのである。彼らは自分への神の御要求をうれしくない束縛と見なし、
神の戒めを耐えがたいくびきとみなす。しかし真に心と生涯の清潔を求める者は、神の律法を喜び、
ただ神のご要求に応えるにはあまりに足りないことを悲しむのである」。(『キリストを映して』より)

 神様に仕える理由は? (デビット・カン講演)

これまで聞いたことのない、最高の証だと思いました。
そのような状況にあって、皆さんだったら、この女性のように言う事ができるでしょうか。
私たちはなぜ神様に仕えるのでしょう。神様が皆様を祝福しておられるからですか。
健康改革のメッセージに従って、健康にしてもらったからですか。なぜ神様に仕えるのですか 。
永遠に生きたいからですか。神様の裁きを避けたいからですか。なぜでしょう。
神様がどのような神様であられるか、もっと学ぶ必要があります。
ヨハネの福音書17章でイエス様は言われました。
「永遠の命とは、父なる神と、父なる神が送られた御子を知ることであります」と。
永遠の命とは何ですか。神様を知ることであります。皆さんイエス様を知っておられますか。
神様を知っているがゆえに神様に仕えているでしょうか。
それが私たちの神様に仕える理由でなくてはなりません。




なぜあなたは主に従うか 18 デビット・カン講演

2012年03月22日 | 日記




    ひまわりさんより(3月22日)

私の訪問しているお年寄りの中に、3人、足のむくみでつらそうにしている人がいました。
今日はその人たちに行った、足のむくみを取る方法をご紹介します。
①40度から41度ぐらいのお湯をバケツに入れ、その中に足を10分ぐらい浸けます。
②それが終わったらよく拭いてマッサージ用のオイル(または市販のベビーオイルでも可)を少し手に付けて、
足の甲から膝に向かって(下から上に向かって)片足5分ぐらいマッサージします。
これをやったら、3人とも、みるみるむくみがとれて足が軽くなったとすごく喜ばれました。

   それでも私は神様を讃えます

3年前のことですけれど、感謝祭の日に、車を運転していました。
クリスチャンのラジオ番組を聞いていましたが、あるクリスチャンの女性が証をしていました。
彼女は日曜教会に属する人でした。
そして彼女は、「私の夫は、ある詐欺の罪名で疑いをかけられて、投獄されてしまいました」と言うのです。
「それでも私は神様の御名を讃えます」、と言いました。
まあ、そんなことが言えるのは感謝祭の日だからかなあ、と私は思いました。
それから彼女は次のように言ったのです。「私の17才の息子が2週間前に自殺してしまいました。
それでも私は神様を讃え、神様に感謝するものです」と言いました。聞いていて信じられませんでした。
息子が自殺したのに、なおも神様を讃えるということは、どういうことだろう。感動し感銘を受けました。
それから続けて、このように言いました。
「私はガンにかかってもう治らないと言われ、第3段階の状態にあります。
そして医者からは、あと6ヶ月しか生きられない、と言われました。それでも神様に感謝して、神様のみ名を讃えます」。
私は、本当にもうびっくりして、倒れそうになりました。そして深い感銘を受けました。SDAの信者ではありません。
しかし、驚くべき信者さんです。そして彼女は、このように言いました。
「私が天国に行く時に、今よりもっともっと、神様を讃え、神様を賛美していることでしょう。
私の主人も、私の息子もそこにいないかもしれないけれど・・・。
なぜなら、天国に行ったら、神様がどれほど一生懸命私の家族を救おうとされたかということが明らかになるからです。
だから神様の側に非はありません。私たちの側に非があるわけです。
ですから神様が私の家族を救おうと、どれほど懸命に働かれたかということを私がもっと知るようになる時、
私の心はさらに感謝の念に満たされ、神様のみ名を讃えることでしょう」。