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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

なぜあなたは主に従うか 17 デビット・カン講演

2012年03月21日 | 日記





     ひまわりさんより(3月21日)
日曜日に、グレンジャー先生の墓前礼拝に東京へ出かけたことを紹介しました。
その帰りは、息子が市原まで車を運転することになりました。
息子は免許は持っているのですが、ふだん軽自動車ばかりで、大きい車はほとんど運転したことがありません。
その上、首都高速は初めてなので、運転する後ろ姿を見ているだけで、彼の緊張ぶりが伝わってきました。
7人の命を預かっているので、事故が起きないように私は必死で祈りました。
(夫も心配で首都高速の間中祈っていたそうです)。
おかげさまで何とか無事に家まで帰りつきました。
そして今日21日は、息子が久しぶりに、以前やっていた引越しのアルバイトに行くことになりました。
学校が春休みになり、1年ぶりぐらいでアルバイトに行くのですが、ハードな仕事なので、前の日から、かなり緊張していました。
昨夜は、隣の部屋で寝返りをしている物音の中に、緊張している様子が伝わってきました。
そのことを通して、私は、頼りにならない人間の親でも、子供のことをこんなに案じているのだったら、
天の神様は、どれほど私たちのことを心にかけていてくださるのだろうと思いました。
そして、私たちを本当に心配してくださる神様の前で、神様を悲しませるようなことはしたくないという思いが強くしました。
カン先生のメッセージの中で(少し先の方ですが)私たちは、「罪を犯すことができなくなる」、
と教えられています(1ヨハネ3:9参照)。
私たちをこよなく愛して下さる神様を悲しませるようなことはしたくなくなり、罪を犯すことができなくなるのです。
そのことが少しわかったように思いました。

    試みの中に立つ信仰

『大争闘』下巻の391ページから392ページをお読みします。
「サタンが神の民をその罪のゆえに責められるときに、主はサタンが彼らを極限まで試みることをゆるされる。
神に対する彼らの信仰と堅実さとが激しく試みられる」。
終わりの時に、神様がご自分の教会をサタンの手に渡して、極限まで試みられるのをおゆるしになるのです。
その極限まで試みられる人たちが、14万4000であります。
そしてこの大いなる悩みから抜け出してくる人たちが14万4000であります。
次に『大争闘』下巻396ページです。「かつてなかったほどの悩みの時が、間もなく我々の前に展開する。
それだから我々は一つの経験、今我々が持っておらず、また多くの者が怠けて持とうとしない経験が必要なのである。
現実の困難というものは予想したほどではないということがしばしばある。
しかし、我々の前にある危機の場合はそうではない。
どんなに生々しく描写しても、この試練の激しさにはとうてい及ばない。
この試練の時に、人間はみな、自分で神の前に立たなければならない」
神様の前に立つ用意が、皆様できていますか。
ヨブの経験というのは、はるか昔に起こったものではないのですね。
私たちの経験になってきますよ。



なぜあなたは主に従うか 16デビット・カン講演

2012年03月20日 | 日記




  ひまわりさんより(3月20日)

今日3月20日は、地下鉄サリン事件が起きた日です。
実は、夫はその日会議があって、横浜から荻窪まで、地下鉄丸ノ内線を使っていました。
会議の最中に事件のことを知ったのですが、あと30分ほど遅かったら、被害にあっていたかもしれないと言っていました。
ところで、今日の朝イエス様の十字架について瞑想していました。
イエス様は、十字架を通して、
私たちがやがて受けることになる最後の7つの災害(黙示録8章~11章)の時の苦しみも経験されて、
「すべてが終わった」(ヨハネによる福音書19章30節)と言っておられたのだなあ、という思いが強くしました。
そして、イエス様がすでに歩まれた道だから、これから、たとえヨブのようなことが起きたとしても、
私たちは恐れる必要はないのだと思いました。カン先生はこのことを語っておられます。

  試練の時の準備 (デビット・カン講演)

でも、もし、私の妻が私を非難したとしたら、これはちょっと話が違ってきます。
私の家内が私を非難したら・・・。
説教を終わって、教会員が私の語ったメッセージを非難したとしてもあまり気にしません。
どうでもいいんです。全く気にしません。
しかし、家内が、私の妻が、私に何かを言ったりしたら・・・。
「今日あなたは何というメッセージを語ってくれたの」、と言ったとします。
「あんまりいい話じゃなかったわね」。そんなことを言われたら、私は意気消沈したことでしょう。
おわかりですね。奥さんである皆さんは、ご主人に優しくしてあげてください。
彼の確信は、皆さんの承認にかかっているのです。皆さんが支持するか否かにです。
ヨブも自分の妻から譴責されました。
「あなた、神様を呪って死になさい」と言われたんです。
彼は本当にすさんだ状態に陥りました。にもかかわらず彼は固く立ったんです。
これがヨブの忍耐でした。そして、これが私たちに必要な信仰なのです。
遅かれ早かれ、私たちはこのような試練に入っていくことでしょう。
悩みの時に入っていくわけです。皆さん準備ができていますか。
今私たちは、イエス様の愛を積立てていかなくてはいけないんです。



なぜあなたは主に従うか 15 デビット・カン講演

2012年03月19日 | 日記




     ひまわりさんより(3月19日)

今日読んだ本の中で心をひかれた文章をご紹介いたします。
これは、キリストの12弟子の一人、ヨハネについて書かれたものです。
「ヨハネは、堂々とした柱にまつわりつくぶどうの木のように、キリストによりすがった」(『キリストを映して』)。
イエス様と人間の関係は聖書に、「わたしは ぶどうの木、あなたがたはその枝である」と表されています。
私はぶどうの模様が大好きで、以前はぶどう柄の食器や持ち物をコレクションしていました。
でも、私がこれまでもっていたぶどうのイメージは、細くてくねくねまがった頼りないものでした。
今回ここを読んで、そのぶどうを支えているのは、堂々とした柱である、イエス様であることわかりました。
ぶどう自身は弱くても、イエス様は力強い方です。
ぶどうが柱に巻きつくように、イエス様にしっかりと縋りついていきたいと思いました。

 人からではなく神様から認めていただく (デビット・カン講演)

私も、いろんな人から自分の伝道活動に対して、非難を受けたことがあります。
あまりそんなものは気になりませんでした。狂信者、極端な人物、と呼ばれたこともありました。
完全主義者とか、そういった、ありとあらゆる譴責を受けました。
デビット・カンが、ある日酒場から女性と腕を組んで出て来たのを見たぞ、という噂も流されました。
私の評判、人格を無きものにしようと、いろんな試みがなされたのです。
デビット・カンは金持ちになって、高級マンションに住んで、金の蛇口をひねっているぞ、という噂まで流されました。
伝道活動で、「悪質のもうけを自分の懐に入れて大儲けをしているぞ」、いろんな噂を流されました。これは全部嘘ですよ。
私は今でも、あそこにトレーラーがありますよね。ああいった家に住んでいます。
私は今まで一戸建ての家を所有したことは一度もありません。
でも主にあって、いつも私は幸福です。富とか世的なものに関してはどうでもいいのです。
私にとっては・・・。もう、とうの昔に、私は世の中の幸せや、富や名声、地位を放棄しました。
毎日毎日、神様から認めていただくだけで、私にとっては十分であります。
たくさんの人から、いろいろな非難を受けました。
私を意気消沈させようと、いろんな試みがなされました。しかし、気にしませんでした。どうでもいいんです。



なぜあなたは主に従うか 14 デビット・カン講演

2012年03月18日 | 日記




     ひまわりさんより(3月18日)

今日は私の両親、弟たち、夫と子供、7名で、東京青山墓地にあるセブンスデー・アドベンチスト教会の初代宣教師、
ウイリアム・C・グレンジャー先生の墓前礼拝に行ってきました。
グレンジャー先生は、米国ヒルズバーグ大学の学長でしたが、日本人伝道の志を持ち、
ちょうどそのころ日本から留学していた大河平輝彦(おこひらてるひこ)青年と共に、明治29年(1896年)、
日本へ「三天使の使命」を宣べ伝えるためにやってこられたのでした。
三天使の使命とは3月12日にも紹介していますが、生きてイエス様の再臨を迎える備えをするというメッセージです。
この時代に、日本にはすでにかなりの教派の伝道が行われていました。
しかし、これらの教派は、信仰による義を通して、死んだ後キリストに会う備えをさせる教えでしたが、
三天使の使命は、エノクやエリヤのように、生きて天に上げられる民を備えるものです。
先生は、このメッセージを、日本人に伝え続けられましたが、慣れない気候風土、
米国伝道局の手違いによる活動資金の遅れによる生活困窮などにより、帯日わずか3年弱で病死されました。
その少し前に、4名のバプテスマがあり、日本伝道の基礎がようやくできつつあった時でした。
先生は臨終の間際に、傍らにいた教え子国谷秀先生に「あなた同胞を愛しますか」という問いかけをされました。
国谷先生は、「しかり、愛します」と力強く答え、それを聞いたグレンジャー先生は満足そうに微笑を浮かべ、
「私は日本に使命を伝えに来たが、果たさなかった。わたしは、今世を去ろうとしている。
わたしは信仰の道を守った。あなたがたも忠実であって欲しい。そして天において再会しよう」
と言われ眠りにつかれたのでした。55歳でした。
私たち家族も、この使命を伝えるために再献身を誓いました。

     ヨブの忍耐 (デビット・カン講演)

その次に、彼の富が全部奪われていきました。
その時も、彼は文句を言いませんでした。
サタンが再びやってきて、神様が尋ねられるわけですね。
「あなたはどこから来たのか」。「私は地球の支配者です」。神様は、「あなたが地球の支配者だというなら、
なぜあのヨブのような人物が、まだあなたの支配する国に住んでいるんだ」と言われました。
「神様、待ってくださいよ」と、サタンは言うわけです。「私が彼の身体に触れるのを許されるならば、
彼はあなたを拒むようになるでしょう」。そこで神様は、サタンに向かって、
「あなたが彼の命を奪うのでなければ、あなたの好きなように彼を苦しめなさい」と言われました。
そのあと彼の身体全体にできものができました。
終末において、七つの災害の最初の災害ができものですね。
ヨブはあたかも神様から見放されたような状態に追いやられました。
そしてヨブが灰の上に座っていた時に、彼の妻が彼のところにやってきて、「あなたは神様を呪って死になさい」と言いました。
ヨブにとって、これは本当に苦しい状態でした。皆さんだったら、あのような状態に置かれて、どのようになされるでしょうか。
聖徒たちが「ヤコブの悩み」に投げ入れられるという意味、皆さん理解しておられますか。
どんな状態に陥っていくのか、私たちにはわかっていません。ただヨブの忍耐を学ぶ必要があるのです。
神様に対する愛を、しっかり持つ必要があります。






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2012年03月17日 | 日記




ひまわりさんより(3月17日)

今日の安息日は、銚子の聖書研究会へ出かけ、一緒に礼拝を捧げました。
今日の礼拝メッセージでは、ローマ人への手紙7章24節の聖句で、使徒パウロが、自分のどうしようもない罪の現実に絶望し、
「わたしは、なんというみじめな人間なのだろう。だれが、この死のからだから、私を救ってくれるだろうか」と叫んだとき、
次の瞬間、あふれるばかりのキリストの愛に目が開かれ、「わたしたちの主イエス・キリストによって、神は感謝すべきかな」と
喜びの声をあげたことが教えられました。
私たちは、自分で何かをやろうとすると、できない自分に失望したり、できる自分を誇ったりしてしまうものです。
しかし、私たちが、自分の罪に気づかされ、自分の力では神様に従うことはできないと本当に分かって、自分に絶望し、
「だめだ!」と、ペッチャンコになったなら、もうあとは、イエス様を信じ、
イエス様のみ言葉の力をを信頼して生きる以外にはないのです。
そうすると、もう、感謝以外にはない人生が始まります。

 ヨブと信仰のテスト

私たちはなぜ神様に仕えるのですか。
ある時イエス様は、ペテロに向かって言われました。
「ペテロよ。サタンがあなたの名を呼んでいる。あなたの名を呼んでテストします」。
サタンは、私たちの名前も天で用います。しかし神様が、まだあの人については終わってないよ、と言われます。
待っていなさい、待っていなさい、と神様は言われます。
今現在に至るまで、神様はずっと私たちのために、時間を稼いでおられるのです。
しかし、遅かれ早かれ、私たちの名前が、天において取り上げられる時が来ます。
それが調査審判なんですね。その時、私たちの心の真の動機が吟味されます。
「なぜ、私たちが神に仕えているのか」。
サタンがヨブを訴えたときに、神様は何をされましたか。
神様は他に選択肢がなかったんですね。
神様は、ご自分が正しいということを証明するために、サタンがヨブを試練に陥れることを許されたのです。
そういったわけで、ヨブは激しい試練にあうことになりました。
ヨブの子供たちがお祝いしているときに、屋根が崩れて子供たち全員が死んでしまいましたね。
皆さんの家族でそのようなことが起こったら、どのように感じられますか。
その時にもなお、神様をほめたたえ、神様に栄光を帰することができますか。
それとも皆さんだったら、不平不満を神様に向かってぶつけるでしょうか。
ヨブはその時、口を閉ざして不平不満を口にすることはありませんでした。