Ⓑ偽りの教えを受け入れた人
サタンは人々を罠に陥れるために、もっともらしい偽りの教えを教会の中に持ち込んでいます。一人ひとりの個性や感情を満足させてくれる、いろいろな種類の異端的な教えを用いて人々を惑わします。ですから、1つの偽りを拒絶したとしても、次に自分の心を満足させてくれるような偽りが来た時には、それに負けてしまうのです。中でも大きな偽りの教えの一つは、人が十字架を信じていれば救われるのであって、行いや品性は最終的には救いとは何の関係もないという教えです。これは罪を愛する人間の性質にピッタリの教えであり、サタンが一番好む教えです。真理が心に植え付けられたら、その人の心と生涯が純潔に変化することをサタンはよく知っているので、手軽に罪が赦され偽りの安心感を与えて、本当の福音の力を経験できないようにさせています。そしてサタンは、人の品性や心の動機とは無関係に、多くの奇跡や癒しなどを行って、これらの人々が神様の働きをしているように思わせるのです。
Ⓒ故意に真実を拒絶する人々
救いの真理は単純明白なものですが、真理を体験していない人は、自分の良心を満足させるための都合の良い教えを聖書から探します。そして自制心や忍耐を必要としない自由主義的な「手軽な福音」を受け入れるようになります。心からの祈りを持って聖書を学んでいない人は、自分の都合のいいように聖書を解釈し、悪霊の迷いに陥る可能性が大きいのです。真理の上に正しく立っている人に対して、サタンは惑わす隙を見つけることができません。
Ⓓ聖書の御言葉を疑う人
神様は私たちが信じられるだけの十分な証拠を与えておられますが、聖書には、一見すると分かりにくい個所があるので、疑いやすい人は不信の口実を見つけることができるのです。特に、聖書の御言葉の要求に従うことを好まない人は、最終的に、聖書の権威を疑うようになります。彼らは聖書の中にある難しい言葉を見つけて、それを自分の不従順と怠惰の口実にしようとするのです。真理を求める人は、当然それにともなう犠牲や献身が必要なのですが、それをしたくないために、かえって聖書を疑い批判するようになります。このような人の心にサタンは働いて、自分の意見や判断を最上のものとして保ち続けるようにします。神様の言葉に従うことを喜ばない人は、聖書の中の重要な光を理解することが出来ません。