9月とは言え木々の緑は鮮やかで、水も冷たさを感じず、滝の水を頭から浴びても心を洗われている清々しささえ感じます。
女性陣の、水を楽しむように敢えて水に立ち向かう姿にも命の力を感じました。
水を全身で感じ、水や岩の感触を楽しみながら目標地点を目指すのが沢登りの醍醐味のように思えました。
何より、仲間を支え、また仲間と支え合いながら沢を遡るというのが沢登りの素晴らしさだと感じました。
この日もおにぎりとカップ麺の昼食を取りましたが、何処で食べたか、どんな味だったか覚えていません。
夢でも見ていたかのように疲れも感じることなく、沢が二手に分かれる目標地点にたどり着いたのでした。
私たちは沢靴を履き替え、登山道を1時間半ほど下り車を停めていた場所まで戻り、“連チャン” の沢登りは無事終了しました。
連れ合いには申し訳ない気持ちもありましたが、私にとっては神様がくれた夢のような2日間でした。
さすがに疲れていたのでしょう、私はいつもより早く眠りにつきました。
そして夜中に目が覚めました… 。
私はぼんやりした頭でテレビに映し出された山の映像を観るとは無しにしばらく見ていた時、突然、私のスマホが鳴ったのです。
夜中の電話は気持ちの良いモノではありません。
ナンバーを見ても知らない番号からです。
何か胸騒ぎがしましたが、私は携帯をとらずにいると呼出音は切れ、今度は家の固定電話が鳴り始めたのです。
『母に何かあったな… 』
私はその電話で、施設にお世話になっていた母が危篤状態にあり、救急車で病院へ運ばれていることを知ります。
そして、私や私の兄弟が病院に到着するのを待つようにして、母は息を引きとったのです…
月曜の早朝の事でした。
沢登りをやりたくてたまらなかった私に、夢のような2日間をくれたのは、神様ではなく優しい母だったと今は思っています。
<おわり>
*母のことを書こうか書くまいか随分と悩みました。
あまりにも個人的なことであり、ブログを覗きに来てくださる方には不快に思われる方もおられると思ったからです。
あれから1月以上経ち、当初の慌ただしさも私自身の心の波も随分と治まりました。
コロナ禍にあり、長いこと顔も見れずにいましたが、最後の最後にお別れができたことは倖でしたし、2日間も続けて私を沢に行かせてくれた母に感謝しています。