コンクリート剥き出しの無機質な空間を左右に音がパンし響きわたる。この空間だからこその迫力の音響・映像展示だ。楽曲は70分位のループで、映像は2時間程の素材が繰り返されていたような気がした。心地よい空間に身を任せていたらあっという間に時間が過ぎ、昼近くになっていた。
inter fm、細野晴臣の“Daisy Holiday!”をradikoで聴いた。高橋幸宏とのトークを振り返る放送だった。オープニングに、93年のアルバム『テクノドン』から“BE A SUPERMAN”(教授と幸宏の競作)と“POCKETFUL OF RAINBOWS”を流した。ハリーは教授が亡くなったことを知らず、奇しくもその当日にこの2曲を選曲したそうだ。78年デビューから散会の83年まで昭和を駆け抜け、
ようやく、あのアルバム2枚がCD再発。言うまでもなく「ペニーレイン…」が、そのまま収録されている。「今はまだ人生を語らず」「ツアー`79」は、学生時代ホントによく聴いた。友人のアパートでギター弾きながら語ったっけ。残念ながら当時、ライブは行かなかったが、レコードから、ロックしてる拓郎の熱量をしっかり感じることができた。EP盤20分の「人間なんて」は、落ちこぼれの自分にはただ、勇気でしかなかった。
和田アキラが亡くなっていた…知らなかった…初めて彼を知ったのはケ〇&ス〇ッフの警備バイトで、クラプトン武道館ライブの前座を務めた”プリズム”ステージを背中越しに聴いた時だ。以来、六ピ、FM放送の公開収録、楽器店のセミナー等、気がついて行けるときは何度も見に行った。写真は六ピ閉店直前のラスト・ライブの日。活動拠点が横浜に移り、見に行く機会がぐっと減ってしまった。六ピ近くの居酒屋でやってた上司の送別会を抜け出し、1部演奏終了後の物販に潜り込んで”PRESENT 1”を購入し一服中のメンバーにサインをねだったなんてこともあったなぁ。アキラさんが、”早く戻りなよ”って笑顔で声をかけてくれた。R.I.P. (敬称略)
家にあるレコード、CDのきっと半分以上は彼がプレイしたものでは…と思えるくらい数多くの作品でプレイされた国宝級のミュージシャンが亡くなった。自分が 最後に観たのは南青山での“TRIPLE BOND”だった。もう8年も前のことだったんだ。R.I.P
近藤等則が亡くなったと……伊勢丹脇にあった新宿PIT INNで観た(87年3月5日)、山木秀夫のプロジェクト“テンテレック”のステージで初めて演奏を体験した。時に、ステージから飛び出し、客席のテーブルの上に登ってエモーショナルでパワフルな演奏を聴かせてくれた。R.I.P
エフェクター特集の雑誌に 森園勝敏のインタビュー記事が 思わず買ってしまった クロコダイルで見たボードもペダルに変化があって手が入ってる様子 現役感があり嬉しくなった デジマート調べで 学生の頃買ったDM-2 OD-1をはじめ 国産の古いエフェクターが未だに売れ筋にあるのがビックリだ そう言えば 80年 J・ベックもステージでOD-1を使ってた ‟Space Boogie”のイントロで音が出ていないことに気が付き 慌ててOD-1踏んだらデカい音が出た その時のおどけた表情を思い出した (敬称略)