亡くなってから22年、今となっては奇跡としか言えない来日公演から32年だ。ビートルズの来日公演を観てないだけに、このコンサートはホントに貴重なものとなった。ビートルズでハリスン歌唱名義の7/28曲と、ソロの代表曲を生で聴けたことは忘れられない。今年は「ビートルズ最後の新曲」として“ナウ・アンド・ゼン”がリリースされ、本人の演奏も使われたようだ。2年前に公開された『ザ・ビートルズ:Get Back』で見ることのできた笑顔が思い浮かぶ。
20年前の10月、パシフィコ横浜で『楽器フェアー』があった。特に当てはなかったが、あちこちと目移りしながら会場を見て回った。
“マーシャル・アンプ”のブースに行くと、創設者“ジム・マーシャル”本人が来場していた(この時が最後の来日となったようだ)。しかも、用意されたポスターに目の前でサインしてもらい言葉を交わして握手することが出来た。ラッキー!
お馴染み“マーシャル・スタック”の前で演奏する“ジミヘン”のかっこいいモノクロ・ポスターだ。帰りがけに“ワールドポーターズ”でポスター・フレームを買って帰った。
しばらく経ってポスターを眺めたら、“James Marshall Hendrix”と記されていることに気づいた。“あれっ”と思い調べたら、ジム・マーシャルの本名は“James Charles Marshall”とわかった。ジミとマーシャル、二人とも“James Marshall”だったなんて知らなかった。
ジムはロンドン生まれで、地元でドラムを教えながら楽器店を営んでいたようだ。教え子のひとりだった“ミッチ・ミッチェル”はその後、このジミヘンとバンドを組んだ。こんな経緯があったとは…なにか運命的なものを感じてしまう。
間違いなく、二人の“マーシャル”はこの先も語り継がれていくロック・レジェンドだ。
(敬称略)
ゴジラ-1.0を観に行った後、『スペース・サーカス』の“ファンタスティック アライバル”を何故か聴きたくなった。一曲目のあのシンセ・SEを思い出したからだ。三大怪獣で登場した“キングギドラ”の鳴き声のようなSEに続いて怒濤の演奏が繰り広げられるアルバムだ。バキバキのベースが凄まじすぎ。発売当時、『プリズム』の“セカンド・ソウツ/セカンド・ムーヴ”と一緒に繰り返し聴いていた。“屋根裏”へいつか観に行こうと思っているうちに、機会を逃してしまった。正規のアーカイブ・ライブ盤出たりしないかなぁ。(於須賀川、円谷英二ミュージアム)
イアン・ギランが“絶対に買うな”と言ったとかどうとか…のディープ・パープル Mk.Ⅶ期のライブ盤を久しぶり聴いた。ちょうど30年前の93年11月9日バーミンガムNECのCDだ。オープニングの“ハイウェイ・スター”、ステージに登場せず前半ギターを弾かなかった例のステージ。カメラ・クルーに水ぶちまけたりして、周りを不愉快にさせてしまったリッチー。でもイレギュラーな演奏はそこまでで、以降はリッチー節全開で弾きまくった。当時、“Anyone's Daughter”の演奏映像観たファンはみんな感動したんじゃないかなぁ。このライブ・アルバムはその時のフルセット収録盤だ。かなり評判のよかったこの『紫の聖戦』ヨーロッパ・ツアー。ところが、バーミンガムから2週間後、知っての通りリッチー・ブラックモアが突然脱退した。来日直前のことで、ジョー・サトリアーニを入れてやって来た。コンサート自体はそんな騒動を感じさせないものだった。メンバーは、ぎり40代。イアン・ペイスなんかキレキレで、ジョンもジョーもイキイキしてた。でもこの来日から、以前にもまして“リッチーのいないパープルなんて”ってよく聞かれるようになっていった。今は、ブラツクモアズナイトでコンスタントにツアーを演ってるようだが、さすがにもう極東の地には来てくれないんだろうな。聴きながら、パープル脱退後のいつだかの来日公演。ベイNKホールだったか横浜文体だったか忘れたけど、リッチーがなんとツアーTシャツ姿でステージ上手の支柱にギター擦りながら登場した時のことを思い出した。衣装の洗濯間に合わなかったの?なんて驚いて笑えたんだよな。