名手が鬼籍に入った。90年代六ピで、キーボードをMIDIコントロールする彼を間近で見たことが強く印象に残っている。R.I.P.
週末、583系がラストランしたとの記事が。大量輸送時代の国鉄名車両がまた消えていった。何度か“月光”(581系)を利用したが、当時の客車A寝台のような造りがよかった。下段がとれなくて敢えて中段をとることもあった。空間の狭さと小窓が秘密基地のようで好きだった。“ひかり”が遅れて新大阪で接続できず、車掌さんに計らってもらい岡山までそのまま乗って、先回りして乗り換えたなんてこともあったなぁ(確か寒い夜で、事務室で待たせてもらえた)。
会期が迫った3月下旬にようやく足を運ぶことができた。気がつくと夢中になり3時間近く時間が過ぎていた。これだけの資料がよく遺されていたものだ。赤ペンで書かれた歌詞の草稿(Fashionのオリジナル歌詞)が印象に残った。思い入れある“ライフ・オン・マース”のブースでは思わず涙があふれてきた。そう言えば、最近はすっかり桜並木で賑わう中目黒の目黒銀座商店街に以前、ジャグ・スタング(カート・コバーン・モデル)が窓際に置かれた洋食屋さんがあった。なぜか、デヴィッド・ボウイの曲をながし続けていた。ご主人の趣味なのかと尋ねてみたら、息子さんがファンだからと教えてくれた。家庭的でとてもくつろげる町の洋食屋さんだった。それにしても、山本寛斎さんの寄せ書きが“スゲーッ!”
(追記)ニルヴァーナ、アンプラグドで“The Man Who Sold the World”演ってたっけ。