四人囃子の最終形‟二十歳の原点”を聴いた。大人の事情で何曲か作ったと雑誌か何かで読んだ覚えが…。背景は学生運動が起こっていた頃、実在の女性の日記が題材になった映画(観てないけど)のサントラだ。春を迎えようとしてるのに気が晴れない毎日が続く。開花宣言があった晴天の週末、人混みを避け近所を散歩した。温室改装工事が終った植物園をのんびりと散策。めいっぱい深呼吸して、雨上がりの草木のかおりを愉しんだ。桜まつりが中止となった播磨坂をのぼって茗荷谷へ。10数年ほど前までは、昼間でも薄暗くうっそうとした雑木と廃校となったガラスの割れた校舎が残っていたが、 教育大の跡地も今はきれいに整備されている。東大同様、ここもあの頃学生運動の舞台だった。近所をぐるっと回り帰宅した。‟二十歳の原点”と散歩が自分のなかでつながった。
GWの人混みを避け、四谷から田村町まで都心を散歩した。ソフィア通りを抜け“J・ボンド”が2000GTで駆けたホテルに出る。“西郷どん”が通った!?かもしれない“紀尾井坂”を下ると“利通”哀悼の碑が建つ清水谷公園に出る。新緑が生い茂る枝葉の隙間から、“キスミ~”の麦わら帽子に見えるホテルラウンジを見上げながら弁慶橋を渡る。平日ならここ見附の“河鹿”で腹ごしらえするのだけど、残念、今日はお休み。まっすぐ豊川稲荷へ向かう。境内の七福神巡りをしていたら、思わぬものに目が止まった。花の高三トリオが卒業記念に植樹とあった。森昌子が泰山木、桜田淳子が木蓮、山口百恵は山茶花だ。それぞれに何か意味が込められているように感じた。赤坂通を経て“勝海舟”所縁の赤坂氷川をまわり、田村町へたどり着いた。
(敬称略)
ラジオで、“パイドパイパー”がタワレコ内に限定復活してることを知った。懐かしい名前だなぁ…。青学の隣道にあって(その頃からお店沢山あったけど、骨董通りなんて呼んでたかな?)レコードをよく探しに行った。店員さんに、入荷したばかりでまだ世(日本で)に知られてなかった“ペンギンカフェオーケストラ”を教えてもらい買ったっけ。通りを挟んで向かいの雑居ビルにあった、結構マニアックな車やバイクの本を置いていた洋書屋さんに立ち寄り、スパイラルビルが建つ前の246並びにあったお豆腐屋さんで豆乳飲んで、オープンしたばかりのベルコモンズに入っていた小さなレコード屋さんまで巡るのを散歩コースにしていた。
明神さんへ初詣に行った。道すがら、フロントグリルに“海老”のついた正月飾りをした車とすれ違った。“おっ‼”と思って見たのだが、その後、街行く車を見るとお飾り付けた車がぜんぜん走っていない…。去年はどうだったんだろうなんて、気にして見ていたわけでもないので、知る由もない。さっきの車は今どきのお正月だと“痛い”車なのか。どうでもいい事だけど、プチおどろいたお正月風景だった。