日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

天下り・・・

2009-06-14 20:01:37 | Weblog
 同級生と、還暦祝いの同窓会の開催のことを話している内に、変な方向に話が行ってしまった。
 「今、市役所には、同級生は、(副市長以外)誰もいない。皆、定年前に辞めてしまって、それなりのいい所に就職している。自分の様に、公務員でないものは、自分で就職口を探さんといけん。役人はいいよなあ。お医者さんは、その点、就職先がいつでも何処にでもあっていいなあ・・・」と言われた。
 昨日の「しゃべり場何でもトーク」でも、役人は公のお金を無駄に使って何も責任を取ろうとしないのは何故か?何てことを話題にしている人もいたかな。
 医者の間でも、開業医と勤務医では、話が平行線だ。ある開業医が言っていたなあ、「年間総給与の収入が3000万円もあっても、その半分は完全に税金で持っていかれ、残りから毎年経費に落ちない土地などのお金を払うと、年間300万前後しか残らない。これで、生活が出来る訳がない。高級車を持っているじゃないかと言われても、それ、経費で落とせるからで、経費で落とせることと家内の給料がなければ、生活できない!!勤務医はいいよなあ・・・」と。
 ある勤務医が言っていたなあ、「勤務医は、朝から晩まで働かされている。有給休暇なんて、名ばかりで、深夜も起こされて、労働基準法なんて、全く無視。給料が高くても、時間当たりにすると、普通人とあまり変わりない。体ボロボロだし、それに、何かあれば大変だし・・・」と。
 他の畑はよく見えるみたいで・・・?!

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還暦での挑戦(その6、トリニティ校での教訓)

2009-06-14 18:23:43 | Weblog
5月14日(木)
 朝9時に、トニーさんが迎えに来てくれて、市庁舎に行った。格調高い感じの所で、市会議員かつミュージシャンのClyde Cameronが、ギターを持って待っていた。ボンゴも用意されていて、私がそれを使って、一緒に、「ワルティング・マチルダー」を演奏した。不思議にピタッと息が合って演奏出来た。又、最後に、篠笛で「さくら」を私が演奏して、その場を去った。楽しかった。(5月19日にその地方の新聞Observerにその時のことが記載されていた・・・タイトルが、Sister cities move to the same beat となっていた。)
 市の車の中には、10年前に私が寄贈した(くり抜きの)がっちりした重い立派な太鼓が置かれていた。(昔の恋人に会った感じで?!)何かジーンと来てしまった。市議会議員でかつ友好協会のルイスさんが、学校まで連れて行ってくれた。
 トリニティ校、結構遠い所で、行くと、広い(祭壇のある)講堂に、5歳ぐらいの小さな子どもたちが一列にずらっと並んで、女の先生が一人立っていた。ルイスさんは、15時過ぎに来ると言って、直ぐにいなくなってしまった。
 5歳前後の子どもにまで紹介するとは思ってもいなかったので、どうしたらいいのか、最初面食らってしまった。付き添いの先生と下手な英語で話し、しばらくの時間が経過してから、どうも、直ぐに始めていいみたいだと言うことに気が付いた。その日の予定表も分からない状態で、始めた。それが終わると、休みなく続けて次のグループが来た。途中で長い休みが2回あったが、緊張していたせいか、食事も喉に通らずにいた。学年が次々と上がっていった。全く同じ内容はしなくて、少しずつ変えていった。付き添いの先生もその都度変わっていった。6回ほどそれが続いて、トリニティ校での演奏が無事に終わった。最後の方は、笛を吹きながら、涙が出そうになって、目頭が熱くなるのを感じてしまった。回数が多くなるにつれて、要領を得て行ける自分をそこに発見した。1回目が一番まずくて、次第に教え方が上手になって行き、6回目の最後のグループでは、多くの子ども達がニコニコしてくれた(ヤッターと思った!)。15時過ぎにルイスさんが迎えに来てくれた。
 疲れ切ってしまって、夕方も軽く食事を済ませて、外に出る元気もなく、21時前に寝てしまった。
 その日、宿泊先で反省した。時間(30分間か40~60分間か、それ以上か)を初めにちゃんと知っておくこと。年齢に応じて(5歳ぐらいから15歳まで)、適正な内容にすること。その為には、どんな内容にするのか、前もってそれなりにしっかりと頭の中で、5歳~15歳まで、年齢別に整理してしておくこと。子どもに出来るだけ太鼓を打たせ、主役はあくまでも子どもにすること。時間内一杯最後まで多くの子どもを飽かせない為には、どんな状況になっても、その都度、臨機応変に出来る能力がこちらに必須だと感じた。



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還暦での挑戦(その5、過密スケジュール)

2009-06-14 09:33:44 | Weblog
 (佐伯市好きで、佐伯市でのトライアスロンにも参加していて、何と4回も来佐している)ジョンさんと(副市長の旦那さんの)トニーさんの二人が、午後同行してくれた。
 取り敢えず、宿泊先のバックパッカーズに行った。リンダと言う気さくな奥さんが迎えてくれて、ピーターと言う旦那さんはその時不在であったが、パンディーと言うボクサー犬の1歳のメス犬がいて(これがとてもかわいい!)、トワイラと言う小学生の息子もいるとのこと。荷物をそこに預けたまま、直ぐに、ジョンさんの家に招待された。
 ジョンさん、とてつもなく広い農場の持ち主で、スポーツマンで、トニーさんと家内と3人であちこち見せたもらった(彼の書いた小雑誌までも頂いた)。佐伯の人がジョンさんの畑に植えた木も、それぞれの木の下にその名前が書かれていて、大きくなっていた。
 いろんな木や花があり、鳥も沢山いて、カンガルーの小さなタイプのワラビーもいた。(こんな所に時々来れば、心が浄化されるだろうなあ・・・)
 まる2年で自分の背丈以上に大きくなる木もあり、家内は、とても感激していて、旅の疲れも吹っ飛んだみたいだった。
 トニーさんが、宿泊先まで見送ってくれた。その後、リンダさんに2週間分の宿泊費を払い(4週間で10万円だったが、2週間ずつ払った。周りには、高級ホテルが結構あったが、この(家庭的な)グラッドストーンバックパッカーズが断トツ一番安いと思われる)。
 その日(5月13日)の午後6時に、ウェンディーさんの旦那さんのハワードさんが迎えに来てくれて、ウェンディーさんの自宅に行った。そこにいる友好協会の人達を中心に、歓迎会をして頂いた。
 その場に日本人の女性が2人いて、2人とも、旦那さんはオーストラリアの人。女性の1人は、○ロ○さんと言い、オーストラリアの大学を卒業し、3つの学校で日本語を教えている先生。も1人の女性は、○キさんと言って、旦那さんは、現地で体育の先生をしている。
 ○キさんの旦那さんは、日本に8年間もいて(福島県にいいて、福島弁も得意?)、その時に太鼓チームに入って(○キさんも入っていて)太鼓を覚えている。彼が教えている高校生の数人で太鼓チームをこのグラッドストーンで作ろうとしている矢先とのこと(既に申請をして、進行中とのこと)。驚いたのは、彼が、日本の和太鼓を自分なりに創っていること。インターネットにちゃんと創り方が出ているよと言う。(スゴイなあ、自分が教えるサウス校には、自分が困らない様にと、前もって彼が作ったバチと練習用のタイヤを用意しているとのこと、・・・ホント、有難い!!)
 やはり日本からオーストラリアに太鼓を持ってくる時、ブリスベンで止められて、放射線を浴びせられたとのこと。で、別にそれで壊れるわけじゃないから、大丈夫ですよと言われて、一安心。
 彼は、高校生のみに教えようとしているが、まだ、教えた経験は全くないとのことで、奥さんの○キさんも笛を吹かれるとのこと(挑戦しているが、なかなかいい音が出ないと言われる。彼は、○キが笛をもっと練習してくれるといいんですがと言われた。)
 会の終わりに、「さくら」の曲を、自分なりに3通りの方法で吹いて終わった。上手く吹けた。美味しかった。楽しかった。安心した。多くのいい人ばかりに会えて、自分は運の強い人間だと思った。
 帰って、トランクを開けて整理していると、見慣れないものがある。何と、あの検閲官が探していたIDカードが2枚重なって底に入っているではないか!(後日、○ロ○さんに預けて、事なきを得た)。
 万事順調かな、しかし、出迎えの空港でウェンディーさんからもらった予定表を改めて詳細に見て、びっくした。
 14日(木)は、トリニティー校で演奏、15日(金)は、ベナラビー校とサウス校で演奏、18日(月)は、ベナラビー校とブローレン校とサウス校で演奏、19日(火)は、聖ジョン校で演奏、20日(水)は、シャネル校で演奏、21日(木)は、聖ステファン校(この日、クイーンズランドの公的な学校は、ストライキで、その為か予定の○○校がこちらの学校に変更になった様だった?)、22日(金)は、ベナラビー校とサウス校と書かれていた。
 エェ!、・・・こんな感じで、最後まで行く訳ないだろうなあと思ったが(それが現実となってしまったが・・・?!)。

(写真は、ウェンティーさんが歓迎会で用意されたケーキで、taharaと書かれていて、私がナイフで切らせてもらった)


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