日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

12日の出来事

2009-08-12 22:20:18 | Weblog
15時過ぎから少し涼しくなった時を見計らって、お墓の掃除に行った。墓は、母の住む所から500m程歩いて、電車の踏切を越えて、その傍からそそり立つ山を数分だけ登った所にある。墓がたくさんある中で、一番下の段で、その一番奥にある。父らしい土地の選び方だなあとつくづく思う。父が生前にこの土地を買って、ここに田原家の墓を作っておいたのだ。
 1年振りに来た。家内と一緒に掃除した。わずか1時間程できれいになった。いつもの様に、墓の傍で笛を吹いた。父の好きそうな曲「五木の子守唄」と「荒城の月」を演奏した。父は、自分が演奏する篠笛の音も太鼓の音も、生前に聞いたことがないのだ。
 17:30過ぎに、太鼓のメンバー6人(内4人は、11日の市民総盆踊り太鼓を打った4人)と一緒に食事を摂って、21:30過ぎまで楽しく話した。(自分の属する鼓舞龍こぶりゅうに)招待状が来ているのを見せてくれた(かって、鼓舞龍のメンバーの一員として、日加文化会館でカナダ公演をしたことあり)。9月ブルガリアのソフェアで、11月ベトナムのホーチミンで日本文化祭典での参加要請なのだ。ちょっと無理だなあ・・・(9月1日から今年はずっと仕事することにしている関係で)。
 今日は暑かった(今年2番目の暑さかな?)。退職してホントに良かったと思う。(8月31日まで休み)

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周囲からの影響・・・

2009-08-12 09:15:40 | Weblog
 昨日(11日)、南こうせつ(私と同じ昭和24年生まれ、一学年上)がブラウン管に出ていた。彼は、お寺の息子。大分の進学高校である舞鶴(まいづる)高校出身。その時に彼に数学を教えた先生が、私が鶴城高校1年の時のクラス担任の先生で、その先生から南こうせつのことをしばしば聞いていたので、身近な存在に思っていた。
 彼は、憧れの東京に上京して活躍し、いきなり芸能界の長者番付けで2位になっている。月4~5万の給料の所が、いきなり0がずっと続くお金が銀行の口座に入っていて、驚いたとのこと。しかし、質素な姿で振るまおうとするが、いろいろ言われ、その苦労を話していた。
 ムーッ、お金持ちになると、周りがその人を見る目が変ってきて、自分がしっかりしてないとお金に振り回される感じになるって感じで言われいた。歌う内容と自分のスタイルを同じにしようと自分なりに努力している姿、南こうせつらしいなあと思う。彼の曲を何度今まで歌ったことか。
 今、酒井法子のことで、世間が騒いでいる。手話を使ってのあの純情な彼女は、どこに行ってしまったのか。少なからずファンだっただけに残念だなあ。
 麻薬は、タバコ以上に体の依存性が強いもの。体がボロボロになる前に、医療機関でしっかりと治療して行くしかない。薬が手に入り易い関係からか(今は、厳しくなっているが)、医療従事者にもいて、それで仕事が出来なくなった人もいる。一旦止めても、再発が半分程あると言われている。犯罪に手を出す人も多い。
 宝くじで大金が当たって狂ってしまった人、若い時に長と名の付くポストをもらって、裸の王様って感じになってしまった人、いますね。
 人間は、弱いものです。周りに自分のことを注意してくれる人がいることは、とても有り難いことですね。

http://www.kosetsu.com/summerpicnic/index.html#/message

http://www.youtube.com/watch?v=ZIMKsLZ1ipo

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茶道・・・

2009-08-12 06:43:18 | Weblog
 昨日、遅く20時半過ぎに、茶道教室に足を運んだ(師匠の強い誘いで)。この日、扇子を買って行った。お点前はしなかったが。
 浦島太郎って感じだった。奥伝の「唐物」をしていた(私も、かっては、これを含む四科伝を全て一生懸命にしていたのだが)。3人いて、1人は、自分よりずっと遅れて入門してきた人で、小学校の校長先生を退職した人(女性)。既に小学生のお弟子さんを持っていて、退職後もアクティブに活動している。もう1人は、自分より数年前に入門した人で、佐伯鶴城高校での学校茶道をずっと受け持っていて、現在教授の資格を申請中とか。も1人は、自分より遅れて入門してきた人だが、とても上手で、バリバリ茶道の世界で活躍している。
 今の自分は、正座をすると足が痛くなってくる。師匠(名誉師範)は、そんな自分に、来てくれるだけで有り難い、痛くない恰好でいいと言ってくれる。私と話をしながらも、弟子が間違えた時には、ちゃんと指摘している。柔道2段で、合気道も段を持つ(亡くなった旦那さんは、大分県下で有名な柔道家だった)。スキがないって感じだ。
 22時半過ぎに終わった。かって0時過ぎて終わったこともあったが。クーラーなしの稽古部屋。修行になります。
 (自分の場合、昨年の11月、上天草看護専門学校の学園祭で、亭主になってお茶のお点前をしたが)

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老後・・・

2009-08-12 06:35:24 | Weblog
 11日(火)、佐伯市立の茶室(汲心亭きゅうしんてい)に午後行くと、偶然にも、水墨画の先生(しばらくこの先生に付いて習っていた)と入口でバッタリと合って一緒に入った。何故か、そこに1時間以上もいて、2人で話し込んでいる間、他の訪問客は、誰も来なかった(誰でも、自由に入ってお茶を点ててもらって、お菓子が付いて、一服300円で飲める)。
 水墨画の先生のご主人、整形外科医で開業していたが、80歳になって、完全にリタイヤしたとのこと。で、顔つきがコロッと変わって、穏やかな顔つきになり、毎日、とても楽しそうにしているとのこと。
 旦那さんは、剣道7段の達人で、現在、子どものお弟子さんを20~30人も抱え、大人は、それ以上の数を抱えている。好きな剣道が思いっきり出来るので、とても満足げにしていると言う。家業の後継ぎはいなくて、空いた医院の処理で少し悩んでいるとのこと。
 奥さんの水墨画の先生は、もっぱら卓球で汗を流している。夫婦元気で何よりだ。余生を思いっ切り過ごしたいと言われる。
 で、又、言われました、「先生、前にも言ったけど、やっぱ、お茶飲むの速いわ。お菓子もゆっくり食べて、お茶もゆっくり飲めば、90歳ぐらいまで生きられるヨ」と。
 立派なご指摘、どうもありがとうごさいます。

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