


そこでの納涼盆踊り大会、初めてだったので、前もって電話して、盆踊り太鼓のOKの返事をもらって行った。18時15分過ぎに、家内とタクシーで行った。行くと、係の人から「佐伯音頭」をお願いしますと言われた。何と、ステージに太鼓が2つもあった。
太鼓は、職員の人が打っていた。曲は、ドンパン節→炭坑節→佐伯音頭→弥生いやさか節→堅田踊りと、それぞれ10分間ずつあった。途中で、西嶋佐伯市長の挨拶、それに、「とがむれ陣太鼓」の演奏もあって、とても良かった。
佐伯音頭の時、10人程の人がバックで三味線を弾き、上手に謡っていた。こんなこと、初めてだった。盆踊り太鼓での生演奏、初めて経験した。アッという間の10分間だったが、充分に堪能できた。打ち終わったら、「ただ今の太鼓打ちは、飛び入りの特別参加の人で、長島の田原さんでした。」とマイクで紹介された。(拍手多かったみたい?)
最も嬉しかったのは、暗い中、近くにつかつかと女性が2人(元、西田病院の助産師と脳外科の婦長)来て、「田原先生じゃないですか、遠くから二人で見ていて、田原先生の若い時にそっくりな人もいるもんじゃなあと言っていたんよ。横に奥さんがいたので、エッエッ、ウソッと思って、田原先生と解って・・・。先生、ちっとも変わっていないですね、昔のままですね。」と言われた(たはら小児科医、平成11年の6月1日に閉院いて以来、全く会っていなかった。それから10年後経った今の私の姿、どんな風に想像していたのだろうか?)。
この助産師さん、「たはら小児科医院」でのカルテ番号1番の(助産師さんの)大きな子どもさんと一緒に来ていた。とても懐かしくて(結婚式の時にも、出席して祝辞を述べた)、お互いに、しばらく自然と話し込んでしまった。
この助産師さん、今は、医師会の准看護学校の教師をもう2年間していて、悩んでいるとのこと。自分も天草のの方で教えていると言ったら、「先生の講義、スライドが多くて解り易かった。先生から受け持たれている生徒さん達、幸せですね。」と言ってもらえた(この助産師さん、当時、准看護学校を首席で卒業し、苦労しながら高看の学校に行き、更には、助産師の免許も取って、助産師として頑張っていた。)。
最後に花火の打ち上げがあって、20:30に終わった。家内も満足げそうだった。