日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

国技ですが・・・

2009-09-30 09:07:36 | Weblog
 今回の大相撲、横綱同士で闘って、まず、白鵬が勝ち、次に、テレビの解説者(元力士)二人の予想を裏切って、今度は朝青龍が勝った。
 勝った直後、握り拳をし、又、土俵の上でガッツポーズをしてしまった。本人もこの日は誕生日で、離婚やケガや引退の噂などいろいろあっただけに、思わずガッツポーズをしてしまったと思われる。反省していることだし、あまりに強いので、そんなに騒がなくてもいいのではと思ってしまうのだが。
 それにしても、朝青龍の歴代3位タイの24回目の強さ、普通じゃない。スゴイ!スゴイ!この頑張り、日本人も見習うべきかな。朝青龍の顔が何となくクビライに見えてきてならない。
 しかし、君が代の斉唱の時、初めの方では、朝青龍も合わせて歌っていましたが(報道はされていませんが、こんないい所、完全にカットされている何て、報道が公平でないですね。個性的な朝青龍がいてこそ、相撲協会もそれなりに潤っていると思いますヨ。)。
 それと、千秋楽で一番いい所なのに、無情にも18時00分ちょうどに終わってしまった。高校野球でも、続きを教育テレビでしっかり見れるのに、何故と思ってしまった。朝青龍の優勝インタビューも新総理の授与も、続けて見れなくて残念だった。独占して放映しているNHK、ちょっと配慮が足りなかったのではないでしょうか。
 それにしても、外国人力士の活躍、スゴイですね。
■幕内優勝
西横綱 朝青龍(ドルゴルスレン・ダグワドルジ )モンゴル・ウランバートル出身 平成11年1月初土俵
■十両優勝
東筆頭 玉鷲(バトジャルガル・ムンフオリギル )モンゴル・ウランバートル出身 平成16年1月初土俵
■幕 下 優 勝
東十枚目 臥牙丸(ジュゲリ・ティムラズ )グルジア・トビリシ出身 平成17年11月初土俵
■序 ノ 口 優 勝
西三十枚目 碧山(ダニエル・イヴァノフ )ブルガリア・ソフィア出身 平成21年7月初土俵

以下日本人
■三 段 目 優 勝
東二十九枚目 青木(青木 誠) 奈良県奈良市出身 平成21年1月初土俵
■序 二 段 優 勝
西五十九枚目 大木下(木下 祐樹) 鹿児島県志布志市出身 平成21年5月初土俵

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三別抄・・・

2009-09-30 08:45:39 | Weblog
 9月27日(日)のNHKのETV特集での「日本と朝鮮半島20000年」の第6回で、「三別抄」のことが述べられていた。
 朝鮮半島には、かって高句麗・百済(日本との交流がとても深く、白村江の戦いでは日本から兵を送り、その後、百済から日本に沢山の人が渡来している)・新羅とあり、その後、新羅が統一した後に、高麗が誕生する。が、高麗時代には、蒙古の力が強く、そんな蒙古に高麗は強く抵抗して行くが、とうとう屈してしまう。そして、蒙古・高麗軍として、日本を襲撃することになる。
 蒙古の勢いは、第5代のクビライの時に最も強く、その特徴は、征服した所の力を自分の力として上手に利用することにあった。
 が、高麗の中で最後まで抵抗した組織に「三別抄」があった。13世紀後半、日本を震撼させた蒙古襲来。その3年前に朝鮮半島から救援を求める謎の国書が届いていて、送り主は、高麗王朝に反旗を翻し蒙古に徹底抗戦を唱えた軍事集団、三別抄であった。三別抄は崔氏武臣政権下で組織された軍隊で、左別抄・右別抄・神義軍(モンゴル逃還者の軍隊)から成り立っていた。
 三別抄は、鎌倉幕府に応援を求めたのだ。しかし、当時の鎌倉幕府には、そんなゆとりはなかった(幕府は内政をするので、海外のことは朝廷にって感じになっていた)。
 近年の研究で三別抄の激しい抵抗が日本攻撃を大幅に遅らせるなど、蒙古軍の敗因のひとつになったことがわかってきている。(三別抄が済州島で滅びるまで、蒙古もこれにかなり手こずって、沢山の兵力を使っている。)
 第1回目の蒙古襲来は、もっと早くする予定であった。しかし、高麗の王が死去し、軍備もちゃんと整わないまま決行となっている。それで、襲来1日にして武器を使い果たす感じになり、直ぐに引き返している。
 第2回目の蒙古襲来の時には、鎌倉幕府もそれなりに準備をし、又、台風の襲来もあって、日本が難を逃れることが出来ている。
 これ以後に、日本に「神国思想」が生まれ、又、日元文化交流が盛んとなっている。
 蒙古は第3回目の日本への襲来を前もって計画していたが、南宗を征服した後にベトナム(大越)まで足を伸ばしていて、それで兵力を使い過ぎ、やむなく、その後の日本襲撃を断念したのである。(蒙古は、ミャンマーやジャワにも出兵していた。1294年にクビライが死亡して、勢いが弱くなって行った。)
 当時の日本国は、当然、世界の流れの影響を受けていた。もしも、三別抄の願いを鎌倉幕府がしっかりと受け止めていれば、蒙古の襲来も、初めからなくて、別の流れになり、第二次世界大戦にも加わることなく、一億玉砕って感じの思想も生まれなかったかも知れない・・・?!

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