日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

イスラーム(5/5)

2011-01-25 19:17:08 | Weblog
  イスラームを誤解している人、周りに多い。
 一番多いのは、4人の妻を持つと言うことかな?確かに、ある裕福な国(その国の女性からの情報なので、確かと思うが・・・)では、とても経済的に恵まれた男性の半分ほどが、2人以上(2人を含む)の妻と結婚しているとか。
 しかし、そんな国は、アラブ世界では、例外!今や、大半のアラブの人は、一夫一婦制なのだ(!)。そうでない所も、次第にそんな傾向になりつつある。
 当時のメッカ周辺では、男性は何人でも妻に出来た。それを4人までと限定したのは、画期的だったのだ。そして、その理由は、男の色欲を満たすためではなくて、未亡人や孤児を救うため、救済のためのものだった(今は、その必要があまりないかな・・・)。(・・・←しっかりと、訂正してくださいね!)
 もしも、複数持った場合、妻を全く平等(!!)に愛さないといけない(・・・←仕事に追われ、ストレスの多い日本では、1人の妻を満足させるのも、至難の業って感じなのに・・・?!)。
 複数の妻を持つ場合の多くは、子どもが出来ない時(イスラームでは、子どもをとても大切にしているので)、初めの妻に許可を得て、二人目を持つケースが多い様だ。
 ダッカのあるムスリムが言われていた、「2人何て、いないですよ。99%以上が1人ですよ。もしも2人持っている人がいたとしたら、周りから、人間として扱ってもらえないでしょう・・・」と。
 イスラームの世界では、子どもにしても、夫婦の間の子も、妾との子も、全く区別なく平等に扱わないといけないことになっている。
 イスラームの世界では、犯罪に対しては、非常に厳しい。窃盗罪であれば、初犯であれば右手首、再犯なら左足首、三犯であれば左手首、四犯なら右足首が切断される。現実に、サウジアラビアの国では、公前で、それが今でも行われていたのを日本人が現に見ている(?!)。
 姦通罪では、未婚者であれば、皆の前で100回の鞭打ちと追放刑が、既婚者であれば、石が投げつけられ、死刑が科せられる。
 犯罪に対する厳しさからか、イスラームでは、エイズも現に少ないし、凶悪犯罪も、少ないと言われている。
 ムスリム(イスラーム教徒)の人と話すと、悪いことをしようと思っても、アッラーが全てを見ているので、出来ないと言われる。

 難問めいた質問をムスリムにしてみました。
 どうして、豚肉食べたらいけないの(世界では、鶏肉以上に牛肉、牛肉以上に豚肉が摂られているのに・・・)?・・・→クルアーンには、はっきりと豚とは書いていないが、それが豚であろうと思われる動物が書かれている。豚の姿が不潔に見えるからとか何とか、明快な解答が出来なくて、困った感じで言われていたけど・・・。(本当の理由、ムスリムも、よく、分からないんじゃないのかなあ?)
 医学的に、生の豚だと、有鉤条虫がいるので、そんな感じになったのかなあ・・・?!(ムスリムに聞くと、クルアーンの内容、先々の事まで書いているので、解明されていないことの方が多いとのこと。・・・←宇宙の果ての研究にしても、研究すればする程、奥が深くなって振り出しに戻る感じになって来ている感じだが、それと似ているのかな?)
 もしも、豚肉を食べて、後でそれに気が付いた場合、どうなるの?・・・→その時は、たまたま知らなかったということで、アッラーは許してくれます。
 もしも、食べるものがなくて、豚肉を食べれば生きられると言う時でも、豚肉は食べられないの?・・・→その時は、アッラーの許しで食べられます。
 もしも、奥さんが浮気をしたら、どうなるの?・・・→多分、相手の男性を殺して、妻も殺すかも知れません。(姦通罪に対するムスリムの意識は、極めて厳しい!仏教国であるタイの女性にしても、風俗でない普通の女性の貞操観念は、実にしっかりとしている!
 イスラームでは、飲酒も喫煙も御法度である。食べ物の制限は、いろんな宗教で見られる。モルモン教徒の女性(佐伯でホームステイしてもらったことがありますが・・・)は、コーヒーは御法度とのことでした。(10億人近くの信者を持つ)ヒンデゥー教では、牛肉は、御法度とであり、仏教にしても、肉は御法度となっています(・・・→性欲を抑える為でもあるらしい?!)

 ここまで、読んで頂きまして、誠にありがとうございます。私も、今、勉強中です。世の中は、グローバル時代です。そんな中で、15億人ものムスリム(イスラームの信者)を持つイスラームを知ることは、今の我々日本字に課せられた課題の様にも思っております。私なりに解釈している宗教です。「イスラーム(1)~(5)」を読まれて、アラブ世界により関心を抱く様になって頂けれが、私にとって、こんな嬉しいことはありません。

*写真でお点前している(インドネシアのムスリムの)人は、私が(マンツーマンで教えた)茶道の弟子です。
http://blog.m3.com/syumi-syounikai/20061003/2

↓食のタブー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%9F%E3%81%AE%E3%82%BF%E3%83%96%E3%83%BC
↓私のイスタンブール記
http://blog.m3.com/syumi-syounikai/categories/1197

http://islamcenter.or.jp/jpn/NihontoIslam.htm

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イスラーム(45)

2011-01-25 11:41:25 | Weblog
 実際に、バングラデシュのダッカでホームステイしたり、トルコのイスタンブールに行って、イスラームの世界に自分を置いてみた。又、それ以前に、ムスリム(イスラーム教徒)の人で、インドネシア(佐伯に住んでいたインドネシアの沢山の研修生)やエジプト(私のアラビア語の先生)に住んでいた人と、イスラームに付いていろいろと教えてもらっていた。
 一番初めに、佐伯に来たインドネシアの人が、アラビア語で「アッサラーム・アライクム」とスラスラッと上手に書いた時、感動してしまった(13年前?)。又、私のアラビア語の先生(半年ほど教わった。CDで予習していたので、発音に付いて注意されることは、少なかった。)とエジプトに1カ月行くはずが、私の都合で、行けなくなってしまった。
 ダッカの人からは、2年近くベンガル語を教わっていたが、彼の誘いで、「断食」が終わった後の(APUのムスリムの学生さんの作る)食事に誘われたり、バングラデシュのダッカでは、彼の家にホームステイまでさせてもらった。
 イスラームの世界では、客人をとても丁重にもてなす。ダッカでのホームステイでは、いろんな所に連れて行ってもらって、とても楽しく過ごさせてもらった。自分が、魚が好きだと言えば、朝早くから、魚市場で魚を買って来た(肉よりも魚の方が高い)。自分が、マンゴが好きだと言えば、マンゴジューズが冷蔵庫に入っていた。フォークも用意されていたが、初めの日以外は、皆に合わせて右手で食べた。(・・・←誰でも出来ます!)
 イスラームでは、信仰を心の内だけに留めずに、具体的な行為で示す様に義務付けている。その中に、「六信五行」がある。前者には、「唯一神アッラー」「天使」「啓典」「預言者」「来生」「運命」があり、後者には、「信仰告白」「礼拝」「義務の喜捨」「断食」「巡礼」がある。
 「信仰告白」は、「アッラー以外に神はなしと私は証言する、ムハンマドはアッラーの使徒であると私は証言する・・・」と祈る前に唱えている。「礼拝」の中には、毎週金曜日の正午に、男性のみの集団礼拝(偶然、イスタンブールでこれに出会ったが・・・)がある。「喜捨」には、自発的な喜捨(サダカ)と義務としての喜捨(ザカート)がある。
 弱者を助ける相互扶助として存在する「ザカート(義務としての喜捨)」は、イスラーム社会を支える社会原理の一つになっている。
 ザカートの課せられる対象は、1年以上所有している通貨、家畜、果実、穀物、商品など。税率は、ものによって異なり、通貨の場合は、2.5%となっている。集めらたザカートは、極貧者、貧しい巡礼者、旅行者(!)、借金を返済できない者などの援助に用いられる。
 クルアーンでは、次のような内容になっている・・・→「・・・どんなことに金を使ったよかろうかとみんながお前に訊いてくることであろう。答えてやるがよい。善行に使う金なら、両親と親類縁者、孤児と貧民と路の子(旅行者!)のため。お前たちがする善行については、アッラーは何から何までご存知だぞ。・・・汝ら、己れの施しごとを、目立つようにしてももちろん結構、だが、そっと隠して貧乏人にくれてやるならもっと自分の身のためになり、その功徳で前に犯した悪事まですっかり帳消しになる。・・・」
 これまで、ザカートの徴収は、政府によって行われていたが、今は、ムスリム個人が自発的にモスクなどに支払っているケースが多くなっている。

*写真は、イスタンブールにある「アヤソフィア」。 

 
http://www.youtube.com/watch?v=MJg0I-81nZs&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=O_iUJ_LEW7w&feature=related

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イスラーム(3/5)

2011-01-25 09:24:22 | Weblog
 イスラームに付いて、多くの日本人、あまり(と言うより、殆ど)長い間、知らされてこなかった。
 今の中国に唐があった時代、日本では、最澄と空海が唐から帰って、その後、天台宗と真言宗を開いている。日本人が唐の長安を世界最大の都会と思っていた時、その西方では、長安をしのぐ世界最大の都市である(今のイラクの首都)バクダードが栄華を誇っていたのだったが・・・!
 イスラームでは、第1の聖地は、「メッカ(マッカ)」、第2の聖地は、「メディナ(マディーナ)」、第3の聖地は、イェ(エ)ルサレムとなっている。
 実際にモスクに行くと、まず、高くそびえる「ミナレット(尖塔)」がある。これは、礼拝への参加を呼び掛ける「アザーン」を朗誦する塔である。お浄めの「水場」がある。ムスリム(イスラーム教徒)は、礼拝前に、必ずそこで、決められた手順で体を清めている。
 どのモスクも、内部構造は極めて単純で、4方向にほぼ対照的な造りとなっているが、内部の装飾が実に素晴らしい。装飾には、神や人や動物などはいっさいなくて、植物紋や幾何学紋、アラビア文字を使った装飾が数多く見られる。(イスラーム世界では、書道も盛ん!)
 内部構造には、メッカの方向を示す目印の「ミフラーブ」があり、大きなモスクには、その右側には、階段状の「説教檀(ミンバル)」がある。
 預言者の預言とは・・・→神の言葉=啓示を「預かる」ので預言と言い、未来の事を予想する予言とは違う。預言を預かった者が預言者であり、それを人々に伝える義務を負うと、「神の使徒」となる。啓示をまとめたのが「啓典」であり、アッラーからそれを与えられた最後の人が、「ムハンマド」となっている。
 「アッラー」には、家族はいなくて、飲み食いはせず、睡眠も休息も取ることなく、姿形もない。その耳や目は、人間一人一人の心の奥底こまでおよび、善悪の判断を誤ることもない。アッラーは、目に見える世界のことも見えない世界のことも何でも知っている。実に、無限の智慧と知識を備えている。
 天地創造以来存在し、未来永劫生き続け、万物の創造者であり支配者、唯一絶対であり、全知全能の神、それが「アッラー」なのである。
 イスラームには、仏教での僧侶やキリスト教で牧師など、神と信徒の間に入る人が全くいない。つまり、アッラーの前では、ムスリム(イスラーム教徒)は、全て平等であり、一人一人のムスリムが直接アッラーと結び付いている。
 人間のものさしではとうてい計ることの出来ない森羅万象を超越した存在、それがイスラームでの「アッラー」なのです。

*写真は、イスタンブールにある「ブルーモスク」。
 

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