日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

続・小児救急医療・・・

2010-04-10 10:01:06 | Weblog
  小児の救急医療をして一番困ることと言えば、「今までの経過を知りたいのに、その情報が上手く把握できない!」と言うことではないだろうか。
 子どもによっては、薬を上手に飲める子とそうでない子がいる。中には、薬で発疹が出たり、下痢をしやすいって子どももいる。代診で、カルテを見ても、よく分からないこともある。
 いつも診ている主治医であれば、それを熟知していると思われるが、時間外に初診で来て、数多い中、それを上手く把握できなくて、診断を誤ることもある。
 いろんなケースがあって、薬をもらって飲んでいるのだが、その薬名が分からない。連れて来ている人が、いつも身近な人でなくて、中には、頼まれたのでとのことで、殆ど情報をもらってなくて、来院するケースもある(若夫婦が、仕事で忙しくて、同居してない祖父や祖母に依頼して来院する時に多いが)。親が正直に言わなくて、(他の医療機関にかかっていることを言わなかったり、疾患にかかわる大事な情報を言わなかったりして)困ることもある。
 子どもの場合、年齢が下がれば下がる程、急変する傾向にある。現実に、嘔吐が何度も続けば、その日の内に、危険な状態になることもある。
 私は、看護学生さんには、小児の救急は、「カキクケコ」、それに、熱があれば「髄膜炎」、不機嫌だと「腸重積」を疑うべきだと常々講義の時に言っているが。つまり、「カキクケコ」は、「(新生児の)仮死」、「気管支喘息」、「クループ」、「けいれん」、「(新生児の)呼吸窮迫症候群」のこと。熱があれば、「髄膜炎」ではと、一度は疑う。乳幼児が不機嫌で高い熱が無ければ、「腸重積」ではと、一度は疑って見るべきだと思っている。
 今だと、ウイルスによる急性胃腸炎が多くて、その症状に、嘔吐、下痢、腹痛、発熱、頭痛とあるが、似た病気は多い。いろんな可能性を考えて、経過を見ることが大切と思われる。
 髄膜炎でも、頭痛と発熱と嘔吐があり、急性虫垂炎(子ども場合、診断が難しい上に、直ぐに腹膜炎になってしまう!)でも、腹痛と嘔吐と発熱があり、腸重積でも、腹痛と嘔吐がある。それ以外に、腹痛を訴える疾患に、便秘(多いが)や、腸間膜リンパ節炎や周期性嘔吐症やアレルギー性紫斑病や、反復性腹痛など、沢山ある。
 しかし、経験的に言うと、髄膜炎や腸重積の極初期では、その診断は、症状が典型的でないことが多いので、診断を誤ることがある。
 要は、親御さんと医療側が協力し合って、いい医療を目指さないといけない。又、それを行政が強く後押しする必要がある。
 田舎の病院では、産科や小児科の医師が複数いると、採算が合わなくなってしまう。かと言って、沢山来ても、医師自体が体力的にも精神的にもくたばってしまう。
 そのことは、実際に、それに携わっている関係者しか、分からないことかも知れませんが・・・?!

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小児救急医療・・・

2010-04-09 11:00:38 | Weblog
  平成22年4月1日から、大分県大分市では、小児救急医療の夜間当番医制が始まっている。17:00~22:00まで、23の診療所が交代で開け、23:00~7:00までを、「大分こども病院」が週4日、「医師会立アルメイダ病院」が週2日、「大分県立病院」が週1日診療することになっている。
 これまでは、大分市にある民間病院の「大分こども病院」が中心になって、24時間365日って感じでされていた。「大分こども病院」の医師10人が3人減となり、小児科医の確保が出来ない為に、2人当番体制が維持できなくなり、(時間外にこの病院を受診する患者数は1日平均75人もいる為に、1人では診療できないので)やむなく、この体制となったのだ。
 県医務課によると、県内では、中津市民病院が24時間態勢、別府市医師会が「夜間こども診療」で午後7時~同10時半に小児患者を受け付けているとのこと。他の市町村では、救急搬送や重症者を除き、紹介状なしでいつでも受診できる病院はなく、「大分こども病院」には周辺地域から沢山のさんが来ていたと思われる。
 熊本県では、医師会員と医大が協力して、医師会立の地域医療センターで、時間外の小児救急医療が行われている。
 多くの個所で、それなりに難儀している。どうしたらいいのか、・・・動きとしては、「集約化」して、小児科医の負担を少なくしようとしている。しかし、まともに深夜ずっと来院すれば、小児科医が10人いても、きついはず。と言うのは、外来当直だけでなく、病棟の患者さんも受け持ち、それ以外のことも、少なからずあるからだ(個人的なことで、他の小児科医から任されたりとか)。
 私の場合は、佐伯市の救急病院で、独り勤務医でそれなりに毎日小児救急をしてきたし(8年半余)、開業しても、19床を持って、(代診全くなく、8年半余)毎日、小児救急をしてきた。何故、それが可能だったのか?
 まず、時間を決めた。私の場合は、兎に角20:00~21:00に集めた。その時間帯は、公表できなかったが、暗黙のうちに、多くの親御さんに理解してもらった。熱で来院した患児の親御さんには、熱型表をあげ、それに、医療機関に掛る場合の注意点(どんな時に慌てるべきかなど)を書いて上げていた。
 普段の外来でも、「機嫌」「顔付き」「食欲」「睡眠」の大切さをしばしば言い、親御さん教育に専念した。熱は(ウイルス疾患が多いので)、上がったり下がったりして、3日間は覚悟して節制し、夜の2時~6時でのクループや喘息発作で苦しい時は、吸入にいつでもどうぞ、命に関わる時は、必ず起きて診るから、・・・と言っていた。
 深夜、けいれんなどでも、診てもらえないから慌てる訳で、いざと言う時必ず診てもらえると思えば、朝まで待てるはず(?!)事実、夜、熱で来院を願ったケースでも、ナースが電話で説明すると…→朝になると、熱が下がり気味になったり、子どもがまだ寝ているのでと言って、6時過ぎ(自分の生活パターンが朝型なので、急ぐ時は、6時過ぎに来る様に言っていた)に来院することは、極めて少なかった(と言うことは、大切な子どもさんを持っている親御さんの気持ちが救急状態なのでは?!)。
 いろんな考え方があると思うが、・・・(一般状態が悪くなってしまって)行きついて来られると大変なので、その前に、集めて診ていた方が自分としては楽だった。
 もちろん、毎晩診る為に、それなりにきつかったが、前もって必ず電話する様に言っていて、しばらく待たせることも多かったが、それでもトラブルめいたことは、開業8年半余の時には、殆どなかった(病院勤務の時は、救急病院だったので、しばしばあり。特に、新患の場合は)。
 深夜、クループや喘息の吸入でやむなく来る場合も、昼間診ているので、吸入だけで(軽快させて)帰すことが多く、どうしてもの時は、自分が診て、入院させていた。
 昨晩も、20時ちょっと前に、二人来た(私が病院の前のアパートにいる時は、17:00~17:30と19:30~20:00の2回、全く公表なしで、暗黙の内に、小児救急を集めて診ている)。
 二人共、嘔吐が主訴。一人は、他の医院にかかっていて、治らないとのことで。も一人は、午後から数回嘔吐して、顔を青ざめて。前者には、五苓散の注腸とその処方を、後者には、それに、点滴200mlをして帰した。


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鶴谷城(佐伯の城山)

2010-04-08 16:45:40 | Weblog
 佐伯の城山には、「ムササビ」がいます。(夜、遠方より見に来る人もいますが)、「オオイタサンショウウオ」がいたり、鹿がいたりします。
 「鶴谷城」の復元を望む声も多いのですが、まだ、実現していません。城山の麓には、「歴史と文学の道」や市立の「茶室」や「国木田独歩館」もあります。
 息抜きには、とてもいい所です。城山の頂上まで、20~30分程で登れます(体力あって、急ぎ足で登れば、15分で)。
 日課として、毎朝登っている人もいます、・・・。


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熊本城

2010-04-08 11:43:33 | Weblog
 平成22年4月6日(火)の15時過ぎから、桜の花が満開の状態の「熊本城」に行った。何度行っても、又、新しい発見をする感じで、その個性的な姿に感動出来る。それが「熊本城」。迷路で、もう10回近く行っているのに、覚えられない(自分の方向音痴のせいもあるが)。
 観光客が、韓国や中国からだけでなく、ヨーロッパ(特に、ドイツ)からも多くなっている。昨年、入場者は、200万人程になっていて、熊本空港も、完全に黒字。
 この「熊本城」の存在、熊本県にとっては、とても大きいなあ。

*2009年4月12日の「朝日小学生新聞」によると、・・・
 熊本市は、熊本城の2008年度の入場者数が221万9517人で、07年度より100万人近く上回ったと発表しました。全国の観光地としての城郭48か所の中で最多、「日本一」としています。07年度1位だった首里城(那覇市)は約194万人で2位、3位は二条城(京都市)で約153万人=全国城郭管理者協議会推計。
 熊本城は、戦国時代の武将、加藤清正が1607年に築きました。初の1位に市は「本丸御殿を復元して公開したことが大きいのでは」と話しています。

*首里城↓
http://blog.m3.com/syumi-syounikai/20100313/2



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・・・熊本・・・

2010-04-08 08:47:53 | Weblog
 朝、佐伯駅から、9時過ぎの電車に乗って、大分駅まで行った。大分で、3軒ほど寄って、12時前の「九州横断鉄道」に乗って、熊本駅に着いた。そこからバスに乗って、15時過ぎに宿泊するホテルに着いた。
 荷物を部屋に置いて、直ぐに、「熊本城」に行った。桜が一番見頃の熊本城は、又、いつもと違った感じで、格別良かったかな。天守閣、一気に上がった。桜に囲まれたこの景色、年に一度しか見れないんだなあ。
 「島原城」や「中津城」を見たけど、熊本城は日本の三大城の一つになっているだけあって、それだけのモノを持っている。何せ、周囲が5.4Kmもあり、歩くだけでも、1時間半も掛かってしまう。日本の城の中で、一番個性的に造られているとのこと。何せ、暗い所を通らないと本丸御殿や天守閣に行けない何て、個性的過ぎる。
 今日は、焼かれずに残っている櫓を上まで上がって見た。まだ、熊本城、見てない所が沢山ある。それに、今から又、この熊本城、(戦争時に無くなった建物を)再建をして行くみたいだが、・・・!
 夕方、ゆっくりと郷土料理を家内と摂った後に、大きな本屋さんに行った。[「病気にならない免疫学のすすめ」「安保徹の免疫を高める食べ方」(一般向け)」を買った。又、経済の本がいっぱい並べられある所でしばらく立ち読みした。
 ・・・今後の台頭する国として、中国だ!、アメリカだ!、日本だ!、いや東アジアの国々だ!、といろんな経済学者が言いたい放題。どのケースの内容の本も売れていると言うことは、誰にも分からないと言うことかな?
 為替にしても、一時的に円高になっても、必ず円安になるとか、必ず1ドル50~70円までになるとか、全く逆の内容で、いろんな本が並べられている。まあ、どれかが当たるだろうが、・・・?!
 とても興味深い内容の本もあった。今からの日本で、年金がもらえなくなるのは(マスコミがでっち上げた)真っ赤な嘘で、一番損をするのは、(将来年金をもらえない)年金を今納めていない人と言うのがあった。又、国が貧乏だと、国民が裕福になるのは当たり前で、それが今の日本の姿で、全く心配は要らないと書かれていた。それに、戦後、日本ほど、犯罪率が少なくなっている国は、日本だけって感じで書かれていた。日本人程、ブログを書いたり読んだりする国民はないとも書かれていた。
 (1億人以上もいる)日本をより早くより強く経済的に強くするには、今の60歳以上のお金持ちが(死にまでに?)惜しまずにどんどんお金を使うことだと書かれていた。ムーッ、これは、ホントに当たりかな、・・・?!
(4月6日、記載)

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100歳まで生きる、・・・!

2010-04-06 07:07:59 | Weblog
 明日は、もう、佐伯を去る。佐伯市市政モニターOBの会長と2時間以上話し込んだ。佐伯市活性化の為に、空いた大手前の広い敷地をどうするか、今、もめているとのこと。
 その後、茶道の師匠の所に行った。満89歳になったばかりで、とても元気。現在、(茶道)裏千家の名誉師範で、佐伯市の裏千家青年部の相談役と佐伯市の裏千家の会長をしている。
 二階の稽古部屋から、道路を隔てて、「鶴城(かくじょう)高校」の玄関がよく見える。今は、桜が満開で、バックに城山も見えて、絶景だ。ここからだと、生徒の動向がよく見える。
 「今の高校生、姿勢がとにかく悪い。掃除をするのを見てると、ホウキの持ち方をちゃんと教わっていないみたい。それに、ホウキで真中に集めるなくて、周りに巻き散らしている。・・・」と。
 かって、市のお茶室を造る時に、その時の(佐々木)市長と師匠がとても苦労された。そのお茶室が、今では、佐伯の顔になっている感じだ。
 茶室が休みの月曜以外は、茶室「汲心亭(きゅうしんてい)」に行って、お客さんと話をしているとのこと。いい話をしてもらったと言って、お礼をよく言われるとのこと。
 稽古には、お弟子さんが、山口県の下関や宮崎の日向からも来ている。
 「女性は、目先のことを中心に考えがち。その点、男性は、視野を広く持って、それから、目の前のことを考える。男と女が同じことをするよりも、その役割分担をしっかりした方がいい。核家族だと、相談相手もいなくて、若い夫婦がかわいそうだ。・・・」と言われる。
 師匠と一緒に、「荒城の月」を二重奏で吹いた。「アメイジング・グレイス」の楽譜があったので、楽譜を写して、次の時までに、暗記して吹ける様にしてきますと約束してきた。
 稽古部屋の廊下には、皆で写った写真が額に入れられて飾っている(14の内、自分も写っているのが8あり)。その多くが、1月での初釜の写真。今年は、(1月は、休みが取れなくて)参加できなかった、・・・。
 師匠は、100歳まで生きる予定で行っているとしばしば言われる。まだまだ、元気で活躍出来そうだなあ。

(4月5日、記載)

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竹灯物語2010・佐伯

2010-04-05 18:48:38 | Weblog
 4月3日(土)の、佐伯藩灯りの祭典「竹灯物語2010」は、とても幻想的な光だったなあ。

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続・春祭り

2010-04-05 09:12:13 | Weblog
 昔は、「佐伯春祭り」は、金土日と3日間あった。今は、2日間になっている。見物人の数は、昨日よりは、明らかに多かった。
 10時からの「子ども太鼓ライブ」をまず見た。「やよい栂牟礼(とがむれ)太鼓」→「日心太鼓」→「鶴岡神子太鼓」の順だった。「日心太鼓」の演奏、一人で打つ所と皆で打つ所のメリハリが上手く出来ていると思った。メンバーが少ないが、週に2回、しっかりと練習しているとのこと。篠笛も、とても上手だ。指導者から、「次第に認められつつある、実践で見せるしかない。何かの時は協力をお願いします。」と言われた。演奏中、笑顔がも少し多いともっといいかな。
 11:00から、恒例の「佐伯藩大名行列」を見た。侍医は、昨年と同様、(西田病院の時に一緒に仕事をしていた)外科のI先生だった。大名行列が通り過ぎた後、青年部がしている恒例の「花見茶会」に行った。知っている人が多い。師匠は、もう、既に来て飲んで帰ったとのこと。西嶋市長さんが、同じ席で飲んでいて、作法を尋ねていた(師匠がいたら、初心者だと、鼻から入れさえしなければいい何て言うだろうが・・?!)。今回の花見茶会、スタッフが足りなくて、やむなく高校の茶道部の生徒が協力していた(大変だ!)。
 11:50~12:10まで、佐伯出身の歌手「五十川ゆき」さんの歌謡ショーがあった(私もそのファンクラブの会員だが)。彼女は、今回で、春祭りでの出演は(連続)3回目。この時になって、見学人が急に多くなった感じがした。4曲絶唱した。プロって、どんなきっかけで、大きくデビューするのかなあ?
 それから、春祭りの会場で買った弁当を持って家に帰り、自転車で、エッチラエッチラ漕いで、母の所にも持って行った。例の如く、篠笛演奏をした。「さくらさくら」「青葉の笛」「君が代」をまず演奏。母の一番のお気に入りの曲だ。「佐伯小唄」や「佐伯音頭」も演奏したが、あまり、興味なさそう。
 母の所にしばらくいた後、久し振りに「城山」に登った。20分程で、一気に登った。何と、頂上で上がり切った所で、「たはら小児科医院」で長いことお世話になっていたW婦長さんとバッタリ出会った。5人で一緒に登っていて、目を丸して驚いていた。「先生から声を掛けられなかったら、先生かどうか、分からなかったです!」と言われた。お茶会で「たはら小児科医院」を閉院してから、まる10年以上、会っていなかったのだ。で、更に驚いたのは、昨日会ったT先生と同じ所で働いているとのこと。Wさんから一緒に写真を撮らしてと言われて、写真を撮り、又、自分も撮らせてもらった。(偶然の出会いで、お互いに驚いてしまった!)
 城山の頂上で、「日心太鼓」の演奏がしばしば聞こていた。自分も、誰もいない感じの所で、持っていた篠笛で、「さくらさくら」をオリジナルでいつもの様に3つの違った感じで演奏したら、つかえていた物が、やっと取れた感じになった。
 帰る時、道端で、偶然に又、N先生と会って、声を掛け合った。それと、この日、師匠とも会って、明日の再会を確約した。それに、(向こうは全く気が付かなかったみたいだが)W婦長さんに三の丸の「櫓門」で又見かけた。
 何か、運命的な出会いを感じて仕方無かった一日であった。(自分の顔をジロジロ見る感じの人が結構いるけど、・・・!)
(4月4日、記載)

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→佐伯春祭り・・・

2010-04-04 07:09:54 | Weblog
 昨日は、ホテルの温泉にゆっくりつかって、外に出て、別府の「トキワ」の7階で夕食を摂った(22時まで開いている)。その後、20時過ぎに「別府タワー(90m)」の展望台に行った。初めて上った。
 これが出来たのは、日本で(電波塔としては)3番目で、4番目が札幌のテレビ塔とのこと。見晴らしがとても良かった。昼間ここから外を見ると、又、別の景色になるだろうなあ。
 今日は、9:51の「にちりん」で別府駅を出た。久し振りに佐伯に帰った。自転車をエッチラエッチラ漕いで、春祭りに出かけた。
 何と、城山の三の丸で、西田病院の時に一緒に頑張ってもらってていた小児科の婦長さんとバッタリとあった。向こうが気が付いて、声を掛けてきたのだ。元気そうだった。老けた感じが全くない。話を聞いた感じでは、病院は、大変そうだったが、もう、開き直っている感じだ。当時は、婦長と言うことで、朝、7:30に自分に合わせて来てもらっていたな。ただ働きって感じで。皆に迷惑掛けっぱなしだったなあ。
 そして、「歴史と文学の道」の最後の方(養賢寺の前)を歩いている時に、又又偶然に、茶道の師匠に会った。こちらが声を掛けて、向こうが気が付いたのだ。師匠は、汲心亭の表(千家)さんのお茶会に行くと言われた。5日(月)に、改めて師匠の所に伺うつまりだ。
 それから、パソコンのマウスとフラッシュメモリーを買いに、片道20分ほど自転車を漕いで遠くまで行った。
 その後、「菊姫」を見る為に、後戻った。そこで、甘酒と菊姫饅頭をごちそうになった。「日心太鼓(私がこの名前の名付け親)」の子どもたちが、「菊姫」の進行に合わせて、篠笛と太鼓の演奏をしていた。
 それから、又、祭りの会場に行って、「サンマのにぎり」を買って帰った(夕食は、それをメインに食べた)。イワシのそれを買うつもりが、売り切れていたのだ。(サンマのにぎりも、とてもおいしかった)
 で、夜は、家内と一緒に、「竹灯物語2010」を見に行った。良かった。とても。写真も、バチバチ撮った。今年は、昨年と違って天気が良くて、関係者はとても喜んでいる感じだった。
 途中で、西田病院の時に一緒に(10年半余)仕事をして、とてもお世話になった脳外科専門医のT先生に偶然に会った。懐かしくて、しばらく話し込んでいた。
 21時前、菊姫が最後、門に入る所も見れて良かった。明日も、楽しい日になりそうだなあ。
(4月3日、記載)

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宇佐→別府・・・

2010-04-03 08:28:54 | Weblog
 朝、早くホテルを出て、普通車で、「中津駅」から「宇佐駅」に行った。「宇佐神宮」って、大分県ではしばしば耳にするけど、どんな所か、サッパリイメージが掴めない状態でいた。
 宇佐駅は、中津駅から7つ目の駅だった。駅から歩こうと思ったが、宇佐駅の駅員さんに尋ねると、「1時間掛かりますよ!」と驚いた感じで言われた。で、仕方なく、バスで行った。バスだと、10分足らずで着いた。
 自分としたことが、(海外に行くには、かなり予習して行くのに)何も下調べをしなくて、全く無知の状態で、由緒ある「宇佐神宮」に参ることになった。まず、「宇佐神宮」の境内の広さに驚いた。
 ドンドン歩いて行った。で、やたらとその中に神社が多い。黒男神社から始まって、木祖神社、八坂神社、春宮神社、若宮神社、亀山神社など、・・・。何か、トロント大学と言うのに似ているなあと思った(トロント大学って、いろんな単科大学の寄せ集めの総称)。
 で、やたらと参る所が多くて、お金もコインで手ごろなのがなくなってしまった。こんなに賽銭箱が多くては。
 で、帰る時、タクシーに乗って、タクシーの運転手さんから教えてもらって、やっと気が付いたのだが、・・・→「宇佐神宮」には、3つの神様が祭られている。一之御殿は、「八幡大神」、二之御殿は、「比売(ひめ)大神」、三之御殿は、「神功(じんぐう)皇后」、で、少なくとも、どんなに省略しても、一番奥にある「上宮」と帰りの「下宮」で、6回参ることになると。
 で、賽銭の額も、初めに合わせて、皆、平等の額にすべきとか(後で、知って、冷や汗、・・・?!)。で、2礼2拍手1礼が、ここでは、2礼4拍手1礼。これ、後で気が付いて、・・・大変だあ!神様から許してもらえるかなあ、御免なさい・・・。
 心苦しい、沈痛な思いで、又、宇佐駅から又普通車に乗り、亀川駅で降りた。自分としては、別府駅で降りる予定にしていたのだが、亀川駅に着く直前に、家内が突如、「ここで降りる!」と言い出して、そうしたのだ。
 「海の地獄」から見るのと全く逆の道順で、「血の池獄」と「龍巻地獄」から見た(普通は、番号順に、海地獄から見て行く)。多くが、売店を通ってそれを見る感じになっている(地獄の沙汰も金次第?!)。
 初めの2つを見た後に、「地獄めぐり」案内図の見方を誤解していたことに気が付いた、・・・→つまり、「地獄めぐり」の地図(パンフレットには、「地獄地帯」何て、はっきりと書かれているが・・・)には、地獄が8つも書かれているが、歩ける距離でひとつにまとめると、2つのグループに分けられるに過ぎないのだ。
 2つのグループ間は、ちょっと遠いので、亀川駅からは26番線のバスで、鉄輪(かんなわ)からは、16番線のバスで行けばいい。
 「血の池地獄」→「龍巻地獄」→(その後、バスに乗り、鉄輪で降りて)→「白池地獄」→「鬼山地獄」→「かまど地獄」→「山地地獄」→「海地獄」→「鬼石坊主地獄」で終わった。
 (インターネットで1割引きの紙を出していたので、二人で400円割引してもらった。昨日1日だと、4月1日~4日までの「温泉まつり」の関係で、60歳以上は、地獄めぐり料金が無料だったが・・・。こんなこと、年に1回だけなのかな?)
 「鬼山地獄」では、ワニが沢山いた。どうも、ワニはとても無精者で、殆ど動かず寝てばかりで、獲物が来たら襲って食べるだけの毎日って感じだ。ここでは、1週間に1羽の鶏を食べるだけで事足りている様だ。
 この日も、宇佐神宮で冷や汗をかきながらも、いい思い出が出来た。人間、長い人生の中では、一回は、地獄に落ちる感じのことを経験した方がいいのかなあ。どん底まで落ちれば、後は、上がるだけだからして。それも、出来れば、若い時の方がいいなあ。
 生まれ変わった気持ちになって、新たに生きるって感じになることも、長い人生では、大切なことだなあ、・・・?!

(4月2日、記載)

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