小学生攻略法

このブログも10年目。久しぶりに担任復帰です。

持久走大会で走っている子に声援を送ったら、走り終えたある子が

2017-02-10 12:41:53 | 「教師-子ども」関係の攻略法
校内持久走大会がありました。
学校によってはマラソン大会とかロードレース大会とか言うでしょうか。
冬の恒例行事ですね。

担任じゃない私ですが,一係としてお手伝いしました。
どの子もがんばって走っていました。
速い子も遅い子も。
私は係をしながら,目の前を走って行く子たちに声援を送っていました。
「その調子だー がんばれー」
「いいペースだよー」
「あと1周だー いけるぞ-」
そうして,今年の大会も無事終わりました。

大会が終わったその日の午後,廊下ですれ違ったある男の子が私に声をかけてきました。
「先生,ぼくに『前の子に追いつけるぞー』って言ったでしょ。だからぼく,本当かなって思ってめっちゃがんばってみたけど,あと少しのところで追いつけなかったよ」
ですって。

私は,目の前を通過する子たち,ほぼ全員に声をかけていました。
だから,何十回も何百回も。
正直,だれに何て声をかけたなんて覚えていないし,もっと言えば,個別に意図的に声をかけていたわけじゃありません。
とにかく声援を送っていた,という感じです。

私にとってはそんな感じだったのですが,その子にとっては,私のかけたほんの一言が,自分の走りに影響を与えるほど重要になっていたわけですね。

いやぁ
教師の声かけって,大事なんですねぇ
先生にとっては,自分1人対子ども何十人という関係。
でも,子どもたちにとっては,自分1人対先生1人という関係なんですよね。
若い頃に何度も教えられたようなことですが,年をとって改めて実感しました。

卒業式練習 私の役目は嫌われ役

2016-03-18 22:03:29 | 「教師-子ども」関係の攻略法
6年生が卒業式練習に励んでいます。
6年担任が進めるのが基本ですが、本番も近くなり、私も教務主任としての立場から加わるようになりました。
その他、音楽指導の先生や放送担当の先生、教頭先生も加わるようになりました。
徐々に体育館で6年生を指導する先生の数が増えていきます。

先生が増えると、まず問題になるのが
「評価基準」
です。
指導内容はもちろん事前に共通理解しているのですが、それらに関して6年生の子たちがどれくらいできれば
「合格」
と見なすのか。
そこの基準がそろっていないと、指導がバラバラになってしまいます。
例えば
「声の大きさ」
6年生が名前を呼ばれて「はい」と返事をするのに、
「大きな声で」
という指導は共通しているのですが
「具体的にどれくらいの大きさ」
というのは明確になっていません。
というか、明確したくてもするのが難しいものです。
だから、返事を聞く先生の耳で判断するわけですが、ある先生が「十分」と思った大きさでも、ある先生は「まだまだ」と思うことはあり得ます。
声だけでなく、卒業式で重要となる動きや歌などについて、いちいち評価基準が必要になってくるものです。

そこをバシッとそろえるのは難しいのですが、私たちは基本的に6年生担任の基準を尊重するようにしています。
6年生のことを最もよく理解していて、卒業への思いをもっとも深くもっているのが担任ですから。

この前提をもとに、「指導者キャラの役割分担」
というものが見られるようになります。

複数の指導者がいるのに、みんな同じ「指導者キャラ」だと、子どもたちへの刺激が少なくなり、もったいないことになります。
数を生かして、それぞれがいろんなキャラを演じるようになります。

・子どもの側に寄り添う優しい先生
・常に厳しく声を張り上げる先生
・遠目に全体を見守る先生
・子どもを奮い立たせる言葉で励ます先生
・個別指導に徹底する先生

いろんな先生を演じます。
これは別に
「じゃあ~先生が~の役で」
なんて事前に打ち合わせをするわけじゃなく、自然と役割が決まります。
先生たちも長い付き合いの中で、だれがどんな役をすればハマるかはお互いに分かり合っているものです。
だから自然とできます。

今回の本校の卒業式練習で、私が何の役を演じているかというと
「鬼先生」
です。笑

は~
結構疲れます。笑
でも、なんとなくそれがハマりました。
嫌な役だし嫌われ役ですけど、いいんです。
必要だと思いますから。

おかげで、最近は私が体育館に現れただけで子どもたちは神妙な顔つきになります。

本番までもう少しです。
この嫌われ役を 全うします。

掃除をサボっている子を見つけました。(久し振りの更新です)

2015-09-14 20:14:05 | 「教師-子ども」関係の攻略法
長らくブログの更新をサボってしまいました。
夏休みの途中から、仕事が一段落し、それと共に仕事もブログも完全にスイッチオフになってしまいました。
一度ブログから離れてしまうと、なかなか帰ってこれないのはこれまでにも何度かあったことで、今回も相当空いてしまいました。
読者の皆様、すみませんでした。

2学期も始まっていますし、仕事のリズムを取り戻すのと同時に、ブログのリズムも取り戻したいと思います。

さて

掃除時間に校内を回ってみました。
すると、案の定掃除をサボっている子を何人も見かけました。
「こらー」
と、いつものようにすぐに声をかけようとしましたが、今回はその前にちょっと考えてみました。

この子たちが掃除をしない理由はなんだろう?

いろいろと思い浮かびます。
・掃除をする意欲がない
・掃除の仕方を知らない
・掃除以外のやりたいことがある。
・きれいだから掃除をする必要がない(と思っている)
・健康上の問題があって掃除ができない。(身体的・精神的)
・外的な要因から掃除ができない(暑さ・寒さ・騒音…)
・掃除に必要な道具がない
・掃除を命じた人に対して反抗している

どうでしょうか。

掃除をしない子は、以上のどれかに理由が当てはまると思うのですが、まだあり得る でしょうか。

これらのうち、どれが当てはまって掃除をしていないのかは、その子の様子を見たり、その子から話を聞いたりすれば分かることも多いでしょう。
大事なのは、掃除をさせるための指導をするにしても、その子が掃除をしていない理由に則した指導をしなくては効果は期待できないということでしょう。

私は、掃除をしていない子を見かけては頭ごなしに
「こら~」
でした。
考えたこともなかったけど、私の中では、掃除をしていない子はみんな
「掃除をする意欲がない」
んだと捉えていたんです。

確かに、見た感じから明らかに
「サボっている」
子たちはそうなのでしょうが、考えてみると、掃除がをしない、もしくは掃除ができない理由というのはたくさんあり得るわけです。
例えば
「掃除の仕方を知らない」
からダラダラとしている子に対して
「学校をきれいにすることの大事さ、責任」
なんて話をもって指導しても、ピントがずれていることになります。

だから今度から、掃除をしていない子を見かけたら、まずこう声をかけようと思います。
「なんで掃除しないの?」
これで理由を明らかにしてから
「じゃあ…」
と必要な言葉をつなげようと思います。
「なんで掃除しないの?」
聞かれた側は不気味でしょうか。(笑)
理由を答える前に、慌てて掃除を始める子がいたら、それは単にサボっていたということでしょう。(笑)

久しぶりに本気で子どもを叱ったとき、心から情けなくなりました。

2015-07-07 21:40:02 | 「教師-子ども」関係の攻略法
私は、めっきり子どもを叱ることが少なくなりました。
少なくなったというより、正確にはほぼなくなったと言えます。
というのは、今は担任を離れて教務主任を務め、子どもと関わるのは高学年の算数の授業のみとなっているからです。

担任をしていたころは、当然子どもを怒鳴り散らしていました。笑
それが必要だったし、それが受け持つ子どもたちへの愛情でもありました。
だから、子どもを叱ることにも慣れていたし、そのノウハウも覚えつつあったし、精神的にも身体的にも叱る体力が備わっていました。

しかし現在、立場が変わり、以前とはいろんなことが私の中で変わってきています。

子どもを叱るということに関してもそうで、子どもを叱らなくなると、以前にもっていた叱ることに関する知恵やエネルギーがなくなっていることに気づかされました。

高学年の算数をしていて、子どもを叱らなくてはいけない場面はほぼありません。
とりあえず、私の授業に関しては。
子どもたちもある程度落ち着いていますし、私も授業の中で子どもが乱れることがないよういろいろと工夫をしているつもりです。

しかし、珍しく、それが崩れる場面がありました。

ある授業の中で、ある子がすごく悪い態度をとったのです。
私の前で、私がする算数の授業の中で、そんな態度を見ることは今までになく、これは叱るべきだととっさに思いました。

そこから、私は授業を中断して、大きな声を出してその子を叱り始めました。
久しぶりの感触でした。

…が、どうもうまくいきません。
「うまくいかない」というのは、叱りながら、自分がどう叱っていいのか分からないのです。
その子への怒りは十分にあるのですが、叱り方が分かりません。
だから、ただひたすら、あまり意味もない言葉を、深みもない言葉を、怒りに任せたまま、その子にぶつけ続けていました。

なんとも、下手で、醜い叱り方だったように思います。
叱るというより、ただ単に私は「キレていた」だけだったようにすら思えます。
センスの欠片もなく、一番やってはいけない叱り方だったはずです。

その子は涙を流しながら震えていました。
かわいそうに。
上手な叱り方で反省して心を入れ換えられたらよかったのに、私の下手な叱り方で、ただただ恐怖を感じ、苦い思い出を作っただけだったでしょう。

授業が終わり、職員室にもどり、ぐったりと疲れていました。
叱ることの体力なんて、前はたくさんあったはずなのに、もうすっかりなくなっていました。
そして、あまりに下手な叱り方をした自分が情けなくなり、気を落としました。

担任を離れたがゆえのことでしょうが、それにしても、ここまで子どもを叱ることもない授業に甘えてきた自分が明らかになり、それが腹立たしくもなりました。

子どもと本気で向き合うことをしなくなった自分の立場が寂しくもなりました。

初心忘れるべからず。
立場が変わると、成長できる面もありますが、大事なことを忘れてしまうという一面もあるんだということ。
いつも見失わないようにしていこうと思います。



















我が子の幼稚園担任から意外な電話が

2015-05-08 20:57:04 | 「教師-子ども」関係の攻略法
うちの2歳の娘は4月から通いだしている幼稚園にまだまだ慣れず、毎日泣いています。
泣きながらバスに乗り、泣きながら帰ってきます。
「ようちえん たのしくな~い」
が口癖です。笑

GW明け、娘のぐずりは一層強くなるのではないかと心配していましたが、なんと初めて笑顔で帰ってきました。
そして
「ようちえん たのしかったよ~」
と。
私も妻もすごく喜びました。
妻が言うには、この子の幼稚園の担任の先生から電話があったそうです。
「󾀕󾀕さん、今日は一度も泣かなかったんですよ。
園に着くなり、すぐに私のところにきて
きょうは がんばる
っておっしゃったんです。
それから一日中笑顔でいらっしゃって、私もとてもうれしかったんです。」
という電話だったそうです。
妻が電話の内容を聞いたまま教えてくれました。

娘のこともうれしかったですが、私はこの先生がまた立派な先生だなと感心しました。

まず、うれしかったことをわざわざ家庭に電話連絡してくれたこと。
普通、何人もの子どもを受け持っている担任は、電話を家庭にするとしたら「うれしくない連絡」がほとんどです。
事故、怪我、悪事、学習の落ち込み、友達とのトラブル…
こんなことで電話をしなくちゃいけないというのが一般的です。

だけど、逆にうれしいことがあったときにそれを伝えてくれる先生というのは、心温かく上に、先生としての力量もある人だと思わされます。

さらに、この先生は、うち子に対して敬語を使っていたそうです。

うちの2歳の子に。
これはまたまた見上げたものだと思いました。
親としては、先生の謙虚な姿勢と、子どもを大事にしているという姿勢が伝わってくるようで、それがうれしく感じます。

園としての共通の方針なのか、この先生が努めていることなのか、それは分かりませんが、同業者としては、そこまで尋ねてみたい気もします。
私も、そこまでしたことはありません。
親に話すとき、その子に対して敬語を使うなんてことは。
呼び捨てにしないとか、冗談めいて失礼なことを言わないとか、その程度のことは気をつけていましたが、この先生を見習って、今後は自分もそうしてみようかなと思うほどでした。

どうやらいい担任の先生にうちの子は恵まれているようです。

心からホッとしました。