小学生攻略法

このブログも10年目。久しぶりに担任復帰です。

今年もこれが許される職場でよかった

2015-05-25 22:05:35 | 教師の仕事術の攻略法
今年も、学校職員のバレーボール大会が近々開催されます。
私、バレーが大好きで、この大会に異常なくらい燃えています。
ということは、このブログでも毎年のように書いています。

バレーの時期になると、私がまずすることは
「バレーボール研究」
の作成と職員室への配布です。

これは、本校チームが今度の大会で優勝にたどり着くまでの戦略や道筋を研究するもので、ただただ私が一人で勝手に作成しています。
主題設定の理由に始まり、研究主題、目標、仮説、めざす職員像、研究構想と、ちゃんとした研究と同じようにできています。
量にしてA4で8枚ほど。
そしてこの研究の中には、大量のブラックジョークが含まれています。笑
本校にいる職員は一人ももらさず登場し、ブラックなネタでいじられています。笑
しかし、結論としては、その職員全員が個性を発揮し、本校の力をすべて引き出せたときに必ず優勝にたどり着けるということを示す研究です。

これ、私の大好きな仕事のひとつです。
いや、仕事と言うにはあまりにふざけていますが、私にはこれを作ることは私の重要な使命だと勝手に思い込んでいます。

今年もこの研究が出来上がり、校長の許可を得て、いよいよ先生たちへ配布。
誰も職員室にいない隙を狙って、こそっと机上に置くのがいつものやり方です。
そして、私が楽しみにしている瞬間は、先生たちがこの資料に気付き、それを読むときのリアクションをこれまたこそっと見ることです。笑

今年転勤してきて、これを初めて目にする先生たちのリアクションは様々で、かなりおもしろかったです。
まずいたのが
「読まない」
先生たち。笑
あまりに小さい字でびっしりと難しそうなことを延々と書いていますので、もう一目見ただけで、資料を裏返すパターンです。笑
忙しすぎて、こんなの目に入れたくない、って先生たちです。

次にいるのが
「混乱する」
先生たち。笑
これも見てておもしろいです。
なんの前触れもなく、いきなりこんな訳のわからないものが目に飛び込んできて、どう受け止めていいのか分からないんです。
仕事上真面目に受け止めなくてはいけないのか、冗談だから軽く受け流せばいいのか、それがつかめない。

そして何よりうれしいのは
「爆笑」
する先生たちです。
まず、じっくりとハマって読んでくれることが前提です。
全部読むには相当な時間がかかりますが、一発で興味をもってくれる先生やゆとりのある先生が読んでくれます。
そして、読み進めるうちに気付いてくれます。
随所に笑えるネタが含まれていることに。
すると、読む顔がだんだんニヤけてきたり、惜しみ無く声を上げて笑ったりします。
中には涙を流しながら笑ってくれる先生もいます。
こんな先生たちを見たときに、私は何より達成感を感じます。笑

また、さっき一目見ただけで読まなかった先生たちは、この爆笑が耳に入りだして、
(なになに!?)
と、慌ててもう一度資料を広げる先生もいたりして、そこがまた痛快です。
そうこうしているうちに、徐々に職員室はザワザワとしだして、今年も私のうれしい瞬間が訪れるわけです。

もう何年も一緒に仕事をしている先生たちは
「これが出るの待ってるのよ」
「これ見ると元気が出るよ」
「今年のもいいね~」
なんて言ってくれます。

忙しい、ピリピリとした空気が続く職場に、ほんの一時でもくだけた時間を作りたいというのが私の本心です。
このバレー研究、はっきり言ってくだらないものです。笑
でも、そのくだらないことを話題にしながら笑いあったり、忙しいなかだけどまたみんなでバレーがんばろっかと、気分を盛り上げたり、そんなきっかけができるので、私はこれを続けています。

そして、今年一番思ったのは
「今年もこのバレー研究が受け入れられる職場でよかった」
ということです。
今年、うちは職員の半分が入れ替わりました。
だから、新しいメンバーのなかには、こんなふざけたものを見て、気分を害す人がいるのではないかと、心配するものです。
(それくらいブラックな部分があるので 笑)
でも、みんな笑って見てくれました。
単に冗談が面白かったというだけでなく、作った人の気持ちを理解してくれる人たちなんだろうと思います。
今年もうちの職場はみんないい人です。
それが分かったことが、何よりうれしかったです。

ひっさしぶりに体育の授業をしました~!

2015-05-21 21:12:51 | 授業中の攻略法
ある担任の出張に伴う補教で、私がそのクラスに入りました。
教務主任をしていると、補教は日常的なものです。
さて、今回は何の授業かな。
算数のプリントかな。
国語の漢字練習かな。
書写かな。
図書室で読書かな。
パソコン室で調べものかな。
だいたい、補教に任せる授業といったらそういったものがほとんどです。
突然入った補教者でも見れる活動がふさわしいですから。
ところが今回は
「先生、もしよかったら体育をお願いしたいんですけど…」
きた~ 体育~!
「やっぱり厳しいですか?」
「そんなこと!!喜んでやります!!」

ということで、本当に久しぶりに学級の体育の授業をすることになりました。
本校はもうすぐ運動会で、そのクラスもどうしても運動会練習を進めてほしいということでした。
やりますやります。
喜んで。
内容は運動会のリレー練習でした。
入退場の練習から、リレーのルール指導。
そしてバトンパスなどのコツの伝授。

いや~
楽しかったっす。
入退場を一発でピシッとさせるための声を張り上げました。
ルール指導では、おおげさな例え話なども入れながら子どもたちに印象付けました。
そしてバトンパスの指導なんていうのは、もう私にはおもしろくて仕方ありません。
一度走らせたあと
「きみたちに一言だけ言いたいことがある。ヘタクソ」
ここでの大笑いから始まり。
あーだこーだ
バトンパスについて話して、いっぱい動かせました。

いかにも「体育~」って授業で、私は大満足。
本当にあっという間に授業が終わってしまった感じがしました。
張り切りすぎて、担任の先生がいない間に学級をかき混ぜてしまったかもしれませんが、そこは勘弁してもらうことにして。笑

やっぱりいいですね、体育。
改めて担任の先生がうらやましくなると同時に、算数しか授業をしなくなった自分の立場をさびしく感じました。

担任をしていたときは、体育があるから、算数も引き立っていたように思います。
逆もそうですね。
算数があるから、体育が引き立っていた。
いろんな授業をするから、どれも新鮮さを失わず、メリハリがつけられて、そしてトータルとしてバランスがとれる。
そんなものでした。

しかし算数しかしなくなった今、新鮮さを保つこと、メリハリをつけることが非常に難しくなりました。
算数だからといって、同じような流れの、同じような手法の授業を繰り返していては、限界があります。
子どもの心はあっという間に離れていってしまいます。
だから、体育の授業はできなくても、算数の中だけで新鮮さを保ち、メリハリをつける工夫を絶えず考える必要性があるということです。

どっぷりと机に向かう授業。
顔を上げてがんがん話し合う授業。
鉛筆は持たず操作的、体験的な活動に終始する授業。
ICTを活用した授業。
他教科のエキスを取り入れた授業。
教室を出る授業 …

こういったものをバランスよく取り入れて、常に新しい算数を求めていく姿勢を失いたくないです。
久しぶりの体育の授業から学びました。



授業が終わったあとの子どもの一言ってグサッときますよね

2015-05-17 20:54:58 | 授業中の攻略法
今日も6年生の算数の授業が終わりました。
そして、終わったと同時にある男の子が一言口にしました。
その一言は、小声で独り言のように言ったものでしたが、私の耳にもはっきり聞こえました。
その一言とは

「おれ、天才になった気分だ」

くぅ~
うれしいこと言ってくれるね~
「天才になった気分」とは、この授業がとても分かりやすくて、自分でメキメキと問題が解けて、それが楽しくて、すごく自信がついたってことでしょ!?
それはまさしくこの先生のおかげ!!
は~
この一言はうれしかったですね。
また、授業後の感想はいろいろと耳にするものですが、これは初めてちょうだいした一言だと思います。
この子は、はっきり言って算数が得意な子ではありません。
いつも苦戦している子です。
結構投げやりなところがあって、私がそばで教えたり、時には渇を入れたりしている子です。
その子が授業後に
「天才になった気分」
とは。笑
いやいや、この授業のどこがよかったのかなと、自負してしまいそうです。

授業の腕前がまだまだなのは承知の上ですが、たまにはこんなふうに子どもの小さなリアクションからでも、うれしい話題を見つけて、また次への活力が出てくるというものです。

授業後の子どものリアクションって、授業者としては気になるものですよね。
言われて残念な言葉としては
「長かった~」
「はぁ やっと終わった」
これは辛いですね。笑
楽しくない時間ほど長く感じられるそうですから。
ごめんね って感じです。
「次の授業何だっけ」
即次の授業を気にする一言。
今の授業は何も印象に残ってないの… 笑
「 はぁ(ため息)」
単なるため息もグサッとくるものです。笑
先生を気遣って言葉にはしないものの、その一つのため息に、この授業がつまらなかったことへの不満がたっぷり込められているのが痛いほど伝わってきます。笑

こんなリアクションがきたときは残念ですが、何よりのリアルなフィードバックです。
怖がらず、見て見ぬふりせず、しっかり受け止めるべきですね。
そして、次の授業ではため息が出させないように、また工夫をするべきです。


我が子の幼稚園担任から意外な電話が

2015-05-08 20:57:04 | 「教師-子ども」関係の攻略法
うちの2歳の娘は4月から通いだしている幼稚園にまだまだ慣れず、毎日泣いています。
泣きながらバスに乗り、泣きながら帰ってきます。
「ようちえん たのしくな~い」
が口癖です。笑

GW明け、娘のぐずりは一層強くなるのではないかと心配していましたが、なんと初めて笑顔で帰ってきました。
そして
「ようちえん たのしかったよ~」
と。
私も妻もすごく喜びました。
妻が言うには、この子の幼稚園の担任の先生から電話があったそうです。
「󾀕󾀕さん、今日は一度も泣かなかったんですよ。
園に着くなり、すぐに私のところにきて
きょうは がんばる
っておっしゃったんです。
それから一日中笑顔でいらっしゃって、私もとてもうれしかったんです。」
という電話だったそうです。
妻が電話の内容を聞いたまま教えてくれました。

娘のこともうれしかったですが、私はこの先生がまた立派な先生だなと感心しました。

まず、うれしかったことをわざわざ家庭に電話連絡してくれたこと。
普通、何人もの子どもを受け持っている担任は、電話を家庭にするとしたら「うれしくない連絡」がほとんどです。
事故、怪我、悪事、学習の落ち込み、友達とのトラブル…
こんなことで電話をしなくちゃいけないというのが一般的です。

だけど、逆にうれしいことがあったときにそれを伝えてくれる先生というのは、心温かく上に、先生としての力量もある人だと思わされます。

さらに、この先生は、うち子に対して敬語を使っていたそうです。

うちの2歳の子に。
これはまたまた見上げたものだと思いました。
親としては、先生の謙虚な姿勢と、子どもを大事にしているという姿勢が伝わってくるようで、それがうれしく感じます。

園としての共通の方針なのか、この先生が努めていることなのか、それは分かりませんが、同業者としては、そこまで尋ねてみたい気もします。
私も、そこまでしたことはありません。
親に話すとき、その子に対して敬語を使うなんてことは。
呼び捨てにしないとか、冗談めいて失礼なことを言わないとか、その程度のことは気をつけていましたが、この先生を見習って、今後は自分もそうしてみようかなと思うほどでした。

どうやらいい担任の先生にうちの子は恵まれているようです。

心からホッとしました。

気が付けば、過去の遺産ばかりが並ぶ学校中の壁

2015-05-06 21:20:27 | 教師力UPの攻略法
ふと自分のブログを見て、テンプレートのデザインが
「雪だるま」
のままであることに気が付き、春らしいものに変えました。笑

いやいや、お恥ずかしい。
同時に、それを見て「!?」と思ってた人がもしいたら、申し訳ないです。

こんなものは放っておくと時期外れのものになりますから、管理者が適切に変えていかないとですね。
と、これと似ているのが、学校の掲示板ですね。

教室や図書室などの掲示板には、季節や行事に合った掲示物が貼ってあるべきです。
しかし、ここを疎かにしている先生がいると、そこはいつまでも季節外れだったり、ずっと前に見たものがいまだにそのままだったりします。
残念ですね。
そこだけ見ても学級経営や担当教師の質が伺えそうな気がします。

そういったところに一番鋭い目を向けるのが、きっと参観日などで訪れる保護者の人たちでしょう。
ずっとその教室にいる者は気づかなくても、たまにしかこない保護者の方が気がつくことがありますから。
こういった学級設営については、私も担任時代に工夫しようと努めていたつもりですが、担任を外れた今、学級設営以上に気になることがあります。

それは
「学校設営」
とでもいいましょうか。
いわゆる、職員室、校長室、廊下、正門… そういった所に掲示されているものです。

これらの場所には過去の遺産がズラリと並んでいます。
誰かの名言
誰かの名作
何かの賞状
何かの写真
いつかの研究公開時の作成物
いつかの卒業生の卒業記念 等々

その当時の職員が
「ぜひここに!!ドーンと!!」
みたいな勢いで掲げられたものたちです。
その当時の価値や、それに関わっていただろう人々の思いは伝わってくる気がするのですが、なにせ古い…

「先輩たちが残してきた大事なものだから」
ということで、今に至るまで誰も手をつけずにそのまま残っているのでしょうが、それもあまりに時間が経ちすぎて、すでにその掲示物のそもそもの制作者や意味を知っている者が誰もいなくっているというものがたくさんあります。

教務主任になり、学校の環境をよくしたいと思っている私にとっては、これらの遺産たちが目障りで仕方ありません。笑
私は何でもあっさりと捨てるたちですので、誰も気にしないのであれば、どんな年期の入ったものでも容赦なく処分する自信があります。笑
古いものは捨て去り、今に合った、見る人が新鮮に心ときめかせるようなものを新たに掲示したいです。

が、私にそんな権限は当然なく、いつもこれらの遺産とにらめっこしている毎日です。
時々校長には言うんですけどね。
「これ、もう古すぎませんか。処分しちゃいましょうか」
私の性格を知っている校長は、笑いながら
「まぁ待て待て」
とブレーキをかけてくれます。

しかし、まあ真剣に思うのは、学校の主要なところに何か掲示するときは、そのときのみならず、それが何年も先に残ることまでちゃんとイメージしてするべきだとは思いますね。

無責任に何でも張らないということ。
例えば、その当時の校長が好きな詩を、みんなにも見てほしいときれいな額にでも入れてドーンと飾ったとします。
そしてその校長は転勤しますが、その詩は残ります。
その校長がいなくなれば、その詩のもつ価値も薄れていくものです。
が、大事なものに見えるから、それ以降もその詩に手をつけられる者はいない。
そうなっていくんです。

立つ鳥後を濁さず
ということで、転勤と共に掲示を外す校長は素敵ですね。
もしくは、
○年 校長○○ 掲示
みたいな責任を明確に残していてくれるといいかな。

おっと、
自分のブログのテンプレートが古くさいものになっていたくせに、学校にはえらそうなことを言ってしまいました。
すみません。笑