6年生の国語で「やまなし」の授業をしています。
今日は「時を表す言葉」を見つけてみました。
5月
12月
分けてみてみると,少ないながらもいくつかの言葉が見つかるものです。
「幻灯」と賢治さんが言っているとおり,なんとなくぼやっとした景色の中にも,それぞれの「時」を表す言葉を注意深くとらえてほしいと,私なりにねらいをもっていました。
12月の方をしたときのことです。
子どもたちは集中して,教科書に目を近づけながら探しています。
なかなか見つけられない子もいましたが,そのうち
「あった」
「あ,これかも」
という声が上がるようになりました。
・夏から秋の間に
・月の光
・やまなし
そういった言葉です。
季節という時を表しているもの,一日の中の時を表しているもの。
きちんと描かれていることが分かると,子どもたちも小さな発見に小さな感動のようでした。
これらの言葉は私が「予想」していた言葉でもあり,これらが一通り子どもたちから出された時点で「ほっ」としましたし,本時のねらいをおおむね達成できたと思いました。
ちょうど授業終了のチャイム。
・・・と,そのとき。
「まだあります」
と手を挙げる子が。
周りの子たちと同様に,私が驚きました。
(もうないはず)
その子は
「お父さんの『もうねろねろ』というセリフです」
と。
・・・・・・・・・・・なるほどぉ
クラス全員が同じリアクションでした。
発表に一瞬きょとんとし,発表の内容を黙って検討し,そして共感,納得しました。
私も。
いやいや,全く教材研究不足でした。
6年生で何度か「やまなし」をしているという横着な自負から,改めて詳しく読み返すこともしていませんでした。
反省です。
私のそんな反省をよそに,子どもたちは先生なんて放っといて,その子の発表に盛り上がりだしました。
「『ねろ』ってことは何時だ!?」
「9時ぐらいでしょ」
「俺的には10時くらいだけど」
「まだ幼いかにの兄弟だよ。7時ぐらいじゃないかな」
「違うよ。『遅いぞ』って言ってるんだよ。夜更かししてるってことだよ。」
「だから…」
「11時?」
「そんな時間まで兄弟だけで『外』にいるはずないでしょ」
「お父さんもそんな時間まで放っとかないでしょ」
「じゃあ…」
近くの子たちとあーだこーだ言っている声がたくさん聞こえました。
もちろんはっきりとした何時という答えは出ません。
「自分が一番ぴったりだと思う時間を書いておきなさい。それでよかろう」
という無責任な(笑)指示を出して終わりました。
この,予想外の発表から生じたこれらの小さな話題が,やまなしを学習する上で必要であったかどうかということは置いといて。
大事なのは,子どもの側から出た発言に,子どもたちが自然と反応し,自然と対話を生んだということです。
ただ,単純に,おもしろい1シーンになりました。
おもしろい話題になりました。
次またこの部分を読むときに,多くの子たちがこの話題を思い出してくれるのではないかと思います。
思い出せるものがあるということは,この部分に,この作品に自分なりの特別なものを持っているというとになるでしょう。
私は教材研究不足の先生でしたが,それが期待できるだけで十分です。
国語はまさしく「言葉のおもしろさ」ですね。
私も子どもたちと一緒になって勉強させてもらっている気分です。
さて
教師の教材研究を超える子どものおもしろい見方や考え方を大事にする授業を!
と,まとめます。