小学生攻略法

このブログも10年目。久しぶりに担任復帰です。

小中連携研修会で,中学校の先生の言葉に心底ガッカリ

2013-06-25 22:27:16 | 教師力UPの攻略法

同じ地区の小学校,中学校数校の先生たちが集まり,会場となる学校の授業を参観したり,テーマを挙げて協議をしたりする研修会がありました。

年に3回行われます。

会場校となった先生方,お疲れ様です。

全学級が授業を見せるということで,どの先生もあれこれ準備をしたことでしょう…

掲示物がとても整っていてきれいでした。

違う学校の空気を吸い,違う先生の授業を見るっていいことですよね。

新しい刺激をもらえるようで。

こんな機会は大切にして,前向きに臨みたいと思いました。

協議では,各校の先生たちが数名ずつ参加し小グループを編成し,意見交換をしました。

なかなか,最初はみなさん遠慮がちでしたが,時間が経てば,さすが学校の先生,口数が増えてくる人が増えました。

学習指導に関することや,生徒指導に関することなど,幅広く話題になり,それぞれの学校の現状や,先生ごとの実践を紹介したりしました。

その中で,中学校の先生が,不満気にこう言いました。

「新しく入ってきた一年生で,名前を呼ぶのに返事もしない子がいるんですが,小学校ではそういう指導はしないのですか?」

中学校の先生と話せる機会はさらに少ないので,私も積極的に言葉を返しました。

「うちではもちろんその指導はしていますが,実際にはできていない子もいますね。小学校での指導の仕方を見直すべきかもしれませんね。」

本音です。

中学1年生の姿に見える課題は,素直に小学校に責任があると思うべきでしょう。

特に私は昨年度も6年生担任でしたから。

それ以降も,その中学校の先生は,口をとがらせるように,生徒の不満を挙げていました。

話題は授業のことに。

さっきの「指名と返事」の件にも関連して,子どもの「発表の仕方」が話題に。

各小学校から

「積極的に発表する子が多いです」

「発表の仕方に課題があるので,話型指導を進めています。」

「うちではグループ活動を多く取り入れています。」

「学び合うことをめざして,子ども同士が進んで話したり聞いたり…」

実践が紹介される中,私はふと,中学校の先生たちに切り返してみました。

「中学校ではどのように発表をさせているですか。」

中学校の先生たちは,苦笑いのような表情でお互いに顔を覗き込みながら

「手を挙げて発表ってことはないですね。」

「えっ」

「そんな,小学校みたいにしないですよ。」

「じゃあ,子どもが意見を言うときはどうするんですか?」

「全部,指名です。」

「○○。はい次,△△みたいに?」

「そうです。そのときに返事が少なくて…」

「なぜ手を挙げて発表させないのですか?」

「なぜって… 中学生はしないでしょう。私たちが中学生だったころもそうだったでしょう。」

「いや,でも」

「そんなとき手を挙げる子っていうのは,目立ちたがり屋か,やんちゃぼうずかですよ。」

「・・・・・・」

言葉が出ませんでした。

私以外の小学校の先生がどう受け止めたかは分かりませんが,少なくと小学校の先生の私には,大変ショックな言葉でした。

じゃあ,小学校で繰り返してきた「発表」に関する指導はどうなるんだ

じゃあ,せっかく子どもたちに身についてきた発表に関する技能はどうなるんだ

じゃあ,中学校では子どもの意欲や表現力はどこで見取るんだ

じゃあ,この先,この子たちは社会に出て,手を挙げて物を言うということはしなくてよいということなのか

言いたいことはたくさんありましたが,気付いた時には,もう話題は先に進んでいて,言えませんでした。

いや,分かるんです。

確かに中学校の授業で,生徒が盛んに手を挙げて発表することはないでしょう。

高校でも。

発達段階的に,そういったことをする子は自然と減るはずです。

「指名」で進む授業が,きっとほとんどなのではないでしょうか。

でも,問題なのは(私が思うに)

生徒が発表をしないのではなく,先生たちが,もうさせていないということです。

先生たちが,発表をあきらめているということです。

もちろん,全ての中学校の先生がそうだとは思いませんが,今回話をした中学校の先生たちからは,ありありとそれが伝わってくるようで,大変さびしい思いがしました。

「小中連携」などと言いながら,子どもの成長に関してなんら連携できていない部分があるということです。

小学校で大事にしてきたことが,中学校になったとたん消えるんですから。

中学校の先生たちが,入学してきた子たちに不満があることは,真摯に受け止めます。

だから,ぜひ中学校の先生たちも,逆戻りして,その子たちが小学校のときにできていたことを,大事にしてほしいと願います。


休日に久しぶりに一人で庭の草取りをしながら

2013-06-22 14:44:15 | 教師力UPの攻略法

妻と子どもたちが外出し,久しぶりに休日にふと一人の時間ができました。

さて,何をするかと言えば・・・

庭の草取り。

雑草がぐんぐん育つ季節ですね。

我が家の庭にもぐんぐん育っています。

まったく,毎年この時期になると,この草たちの生命力と成長力に… ため息です。

うちは子ども二人がまだまだ小さいので,親がこまめに草取りがなかなかできないんです。

だから,こんなときにハマってごっそりぬかないと。

梅雨の晴れ間で,蒸し蒸しと熱い中,せっせとがんばりました。

根っこの深い草と,いろんな虫たちと遭遇しながら。

とりあえず,庭が少しはすっきりして,満足です。

でも,きっとすぐまた「うわっ」と生えてくるんだよな~

夏休みに入ったらもう一回,いや二回ぐらいはしないといけないだろうな~

さて

私は,小さいころから植物と触れ合う生活をほとんどしていなかったもので,今になっても,いわゆる「園芸」が苦手です。

苦手というか,別に嫌いではないのですが,詳しくないということです。

季節の草花とか

植物の手入れの仕方とか。

最近は自分の家ができて,庭ができて,庭を草花で飾ることにも興味が出てきましたが,それまでは,園芸に詳しくないだけでなく,関心もありませんでした。

そしてこのことが痛い影響がでるのは,学校の先生という仕事でした。

学校はたくさんの草花を育てる場でもあります。

先生は,その草花の世話をする子どもたちに教える立場でもあります。

学校の先生は基本的な園芸に関する知識はもっておくべき!

そう痛感したのは,この仕事を初めて間もないときでした。

自分のクラスの学級園をつくるとなっても,自分では土の作り方も,花の名前も植えつけ方も知らないので,主事さんに授業に入ってもらって,子どもたちへの指導はお任せという,情けないものでした。

それ以来,学校で草花に触れる機会があるたびに,覚えようと,勉強しようとはするのですが,これってやっぱり育ってきた中での経験が大きいのかな?

なかなか園芸が身近なものにはなりませんでした。

いつまでも苦手意識がありましたね。

だから,植物のことに関するときは,仕事では私は大変頼りない存在だったと思います。

最近では,自分の家の庭いじりをしながら,妻が大変植物に詳しいので,いろいろと教えてもらっています。

やっぱり草花も自分の家で育てるとなると愛着もわくもので,そうなると一気に身近なものに感じだしました。

学校で子どもたちに堂々と教えられるほどはまだありませんが。

ときおり

学校の先生で植物に大変詳しい先生がいます。

そんな先生の話を聞いたり,実際に草花を触る手慣れた様子を見たりすると,私には自分にないものをもっている先生として惚れ惚れするものがあります。

学校の先生うんぬんという以前に,植物に対して詳しくて,優しくて,その世話に積極的な人って,どこか品格があるように思いませんか?

そんなオーラをもっている人は,学校の先生としても,子どもたちに対して素敵な何かをもっているような気さえします。


大好きなバレーボールに対して,初めて感じる戸惑い

2013-06-17 23:17:45 | 教師力UPの攻略法

今年も恒例の職員バレーボール大会がありました。

このブログでもそのたびに書いているように,私バレーボールが大好きです。

この時期誰よりも熱くなります。

1ヶ月ほど前から練習を開始。

レギュラーメンバーのみならず,職員室の全員の先生に度々声をかけて,練習に参加するよう募りました。

他校との練習試合は今年も実施。

研修主任という立場から「本校バレーボールの研究」という論文まで作成し全職員に配布するというバカッぷり。(笑)

「いつこんなの作ってるの?」って呆れられるほどです。

そうして迎えた今回の大会,結果は3位でした。

ライバルチームに勝利しなんとか予選を勝ち上がり,決勝トーナメントの準決勝で,毎年優勝している強豪校と対戦。

本校も過去にそのチームに負けた経験もあり,燃えないわけがありません。

私もチームも奮起し,なんとあと1点で勝てるところまでいったのですが… 及ばず。

またしても敗れてしまいました。

めっちゃ悔しかったっす。。。

が,少し時間が経つと,3位という結果も,今大会のバレーの内容にも,そして1ヶ月も仲間と練習をがんばってこれたということに,晴れ晴れとした気持ちにもなれました。

夜の打ち上げでも,みんな笑顔でした。

さて

今年もこの時期のバレーが終わってしまって,私としては少しさびしさもあるのですが,ふと,客観的に今回のバレーの取り組みを振り返ってみました。

「客観的に」というところが,昨年までとは違うところです。

このバレーに参加している先生と,していない先生がいるというのは明確なことで,これは毎年のことです。

チームの人数にも限りがあるし,それぞれの先生には事情がありますから,それは当然のことです。

もちろんできるだけ多くの先生が参加してくれたらうれしいのですが,そうでない先生がいたとしても,私たちもいい大人だし,社会人だし,そういったことは割り切って考えるものです。

参加することがいいこととか,参加しないことは悪いこととか,そういうことではない。

当然のこととして,今まではそれ以上深く考えていませんでした。

しかし,今回思ってみたのは

「参加してない先生たちの気持ち」

です。

どうなんでしょう。。。

私のような者が「バレー」「バレー」と熱くなり,実際試合でも活躍させてもらっている一方で,そういった空気にはほとんど全く関わらない人たちの立場や思いとは。

同じ職場にいながら。

私が想像している以上に,実は,気分を悪くしているということがあるんじゃないかと…

ひょっとしたら「参加せずに申し訳ない」なんて感じてしまってるということは…

「あなたたちはいいよね」なんて卑屈になっている一面もあり得るかも…

そして

「バレーをする人たち」と

「バレーをしない人たち」との間に

距離を作ってしまっている,そんなことはないだろうかと。

積極的な人間が,消極的な人間を生む結果になってしまっていては,親睦を深めることが第一の目的で取り組むこの職員体育としては,残念なことになってしまいます。

う~ん

参加しない人たちからそういう声をこれまでに聞いたことはないし,「どんな気分ですか」なんてこちらから尋ねたこともないので,分からないことですが,なぜか今回はそんなことを想像してしまっています。

今回もバレーはものすごく楽しかったんです。

だから逆に,この楽しさを味わっていない人たちのことを思うと… 誰も顔には表わさなくても,やはり,正直に言えば,両者が全く同じ気持ちでやっていけるというわけにはいかないでしょう。

だとすれば,私自身,責任を感じます。

よかれと思って積極的にやってきた私のやり方に問題があったということになります。

バレーをしなさそうな先生たちへの配慮をしてなかったわけではありません。

私なりに,できるだけ声をかけたり,作成する文書などには全員の名前を入れて,形上は全員参加しているというものにしたり。

でも,結果は結果です。

これはバレーの取り組みの中での問題だけではなくなります。

同じ職場にいる職員相互の関係や組織そのものに影響を及ぼすことですから,重要です。

管理職は「先生,今回も一生懸命盛り上げてくれてありがとう」と言います。

でもその言葉がすべてではない。

それを私のような立場の人間が知っておくべきだと,強く思うようになりました。

何かでリーダーシップをとるならば,そういう資質も備えていなくてはいけないはずです。

じゃあ,バレーの取り組みはどうあればいいのか。

バレーが終わった後,何が必要なのか。

そういうことを具体的に考えていくことが,次のステップです。


運動会終了後一週間経過。今子どもたちに必要な時間とは

2013-06-11 21:04:37 | 学級生活の攻略法

本校初の春開催運動会が無事に終了し,普通の学校生活に戻り1週間ほどが経ちました。

我々としては,

「本当に,運動会という大イベントがもう終わったんだぁ」

なんて印象があり,運動会がもうない秋にはどんな時間がやってくるんだろうと,少し安心したような,少し気の抜けたような時間を過ごしています。

一方子どもたちはどうでしょうか。

まず春開催ということで,約1ヶ月に及ぶ子どもたちの練習の様子を見ていると,やはりまだどの学年も,それ相応の姿にはなりきれないまま,新しい年の運動会を迎えてしまっているという風に,私には見えました。

まだ少し落ち着かないような雰囲気の練習が続きました。

まぁ,それでも運動会は運動会。

子どもたちがかけっこで一生懸命走って,ダンスでにこやかに踊れば,見る人も満足。

終わってみれば大成功ですからね。

我がクラス6年生にとってはどうだったでしょうか。

前にも何度か書きましたが(嘆きましたが 笑),叱られっぱなしの運動会でしたねぇ。

叱られ続け,だめだ,だめだと言われ続け,本番を迎え,勝負どころでは自分たちにできる精一杯をやり遂げました。

私の目から見ても,あれは間違いなくあの子たちにできる今のベストだったと思います。

叱られて惨めな思いをし,また叱られて悔しい思いをし,少しできるようになって自信をつけ出し,経験したことのない成功に大喜び。

大事なことは,今回の運動会の中心は自分たちだったということ。

それを忘れてほしくないです。

あれだけ大きなイベントを終えて,今子どもたちに必要なことは

運動会前の自分たちと,運動会後の自分たちを比べて,成長を実感させる!

これを欠かしたくないです。

大きなエネルギーを費やして乗り切った運動会です。

絶対に,それ以前と以後では自分たちに変化が起きているはずです。

その変化,いわゆる成長を,しっかりと自分たちで気付かせ,味わわせ,そして自信につなげさせたいものです。

集合,整列などの集団行動が迅速にできるようになった。

リレーの技能が上達した。

最上級生という立場に対する自覚が強くなった。

落ち込む友だちを励ませるようになった。

クラスで団結すればすごいことができるということに気付いた。

会場の設営や片づけ,学校のために力になることに大切さを知った。

下級生が,自分たちを憧れる目で見るようになった。

探してみれば,きっといろんな成長が起きているはずです。

子ども個々によって,またクラスによって,程度の差はあるでしょうが。

こういった成長を,運動会の時期には先生はたくさん話題にするのですが,終わってしまうと,なかなか,また運動会を振り返って話をするということができません。

もう新しい学校生活が始まっていて,ノルマはいっぱいですから。

だからといって,放っておけば子どもたちは自然と自分たちで自分たちの成長をかみしめることができるかというと,それもそうではないですね。

子どもたちはいつも前を,未来を見て生きていくものです。

だから,やっぱり先生が意図的に,そういう時間を作ってあげることが必要です。

道徳の時間にどっぷり運動会を題材にするのもいいでしょう。

学級の掲示物に,運動会を振り返る写真やコメントのコーナーを作るのもいいですね。

もしくは,普段の生活の中で,子どもたちの成長が表れたふとしたときに,それを見逃さずに

「できたね!運動会のときにできるようになったんだよね!」

とフィードバックしてあげられたら,腕のいい先生ですね。

がんばった子どもたちの喜びは,そのときだけでなく,その後何度でも味わうことができますから。


運動会打ち上げの席でヒヤッと!

2013-06-09 07:02:33 | 教師の仕事術の攻略法

もうすぐ2歳になる娘の誕生日ということで、実家に帰っています。

人見知りする娘ですが、じいちゃんばあちゃんは大好きで、ここではすごく楽しそうにのびのびとしているので、パパもママも喜んでいます。

この間は、家事はもちろん、子育てもバトンタッチすることができて、骨休めにもなります。

助かります!

さて

先日、本校初の春開催の運動会が無事に終了し、その日の夜は恒例の打ち上げでした。

年間通して恒例の飲み会はいくつかあるけど、この運動会打ち上げが1番と言っていいほど盛り上がるような気がします。

それだけみんな「よくやった」感が強いんでしょうね。

同時にみんな疲れているから酔いも早い。(笑)

若手で、運動会となればあれこれ駆り出される私も、クタクタでした。

地域の人たちに混じって、職員もリレーを走るのですが、私は走り終えたときに、若干息切れ、というより酸欠的なものを感じた時はショックでした。(笑)

わずか100mほどをダッシュしただけなのに、初めてでした。。。苦しい顔はだれにも見せませんでしたが(笑)

それはいいとして

打ち上げの席で、一人ずつ反省を述べる場面がありました。

「反省を述べる」というより、何を言ってもいいのですが。

私は、まだまだ6年生として足りないうちのクラスの話を少ししました。

「練習のとき、集合や整列からできない子たちで…」

自分と、自分の学級を謙遜するつもりで言いました。

「でも、本番では自分たちなりによくがんばった」

そうつなげようと。

でも、その「謙遜スピーチ」の途中、ふと先生たちの顔を見ると、苦い顔をしている先生が何人か見えた気がしました。

(あれ?)

真剣に聞いてくれているのかな?

それにしても・・・ あ!

苦い顔をしているのは、この6年生の子たちを、過去の学年も受け持っていた先生たちでした!

そうか…!

下手に自分のクラスの子たちを低く評価する言葉を言わない!

ことですね~

自分のクラスを自慢するのは横柄な感じがするので、おおっぴらには言いませんけど、逆に自分のクラスを「できない子たち」と謙遜する言葉は、その子たちの過去の担任には失礼な話になるんですね。

「私の指導が悪かったってこと!?」

なんて、内心思っているかも・・・?