小学生攻略法

このブログも10年目。久しぶりに担任復帰です。

子どもが先生に「教える」という発想

2019-01-30 13:49:53 | 「教師-子ども」関係の攻略法
先生が子どもたちに「教える」

子どもたちが先生に「教わる」

というのが当たり前の形ですが,これを逆転させてみます。

子どもたちが先生に「教える」

先生が子どもたちに「教わる」

これは双方にとってとても新鮮な感じがするし,特に子どもにとっては「先生にぼくが教えるなんて,痛快!」みたいな感じで意欲的になれます。

え?じゃあ子どもたちが何を先生に教えるの?ってことになりますが,以前に実践していた先生は
「先生に,四字熟語を教えてください。」
としていました。
子どもたちは家で四字熟語とその意味を調べてきて,次の日に学校で先生に教えるという形でした。
全員必ず,というわけではなく
「もしよければ」
としていました。
聞いてみると,「もしよければ」でも,クラスのうちの多くの子が毎日教えにきていたそうです。
「先生!今日は『有言実行』です!これは,言ったことは必ずやるって意味ですよ!」
こんな感じでしょうね。

この取組は,子どもをやる気にさせて,その子の学校生活の活性化を図る目的がありますが,ここにもう一つねらいがあると思います。
それは,まぎれもなく「教えたことは,その子自身が習得する」ことです。

学習の効率性を言うときに,よく言われるのが
「最もよく習得できる学習形態は,学習者が他者に教えること」
ということです。
教えれるということは,そのことを十分に理解しているということだし,それを他者にも分かりやすく伝えるということが,またその定着を強めます。

「先生にぜひ教えてね。」
この言葉には
(そしたら,きみがそれを覚えるからね)
というのがくっつくのですね。

だから,教える内容は「アニメのキャラクター」とか「好きなアイドル」ではなくて,「四字熟語」とか「歴史上の人物」とか,ぜひ知識として蓄えてほしいものにするのですね。

娘が入学した小学校の校長先生がすごい

2018-04-28 16:43:05 | 「教師-子ども」関係の攻略法
私の長女もこの春に小学校に入学し、ピカピカのランドセルを背中に登校し始めました。
私も初めての小学生保護者となり、娘の学校や学級の運営の仕方が色々と気になるところです。
同業者なのでどうしても。

娘はいきなりちょっと体調を崩してしまい、一日学校を休んでしまいました。
そして翌日は登校。
まだ体調の心配もあり、朝は妻が一緒に歩いて登校したそうですが、そのときのことです。
校門には校長先生が立っていました。
(この時点でいい校長先生っぽいです)
あいさつとともに、妻が校長先生に言いました。
「すみません、今日は一緒に来てしまいました。実は…」
と言うと、すぐに校長先生が
「あぁ、昨日はお休みでしたね。」
妻はびっくりしました。
それはそうです。
だって校長先生が、子どもの欠席を細かく把握しているなんて。
そして校長先生は続けました。
「初めての環境で緊張も多いことでしょうね。
がんばってる子ほどそうなんですよね。
少しずつ慣れていきましょうね。
実は私も今年この学校にやってきたばっかりなんです。
それでもう、毎日バタバタで。
大人の私でさえそうなんですから、1年生なんてなおさらですよね。」
と。

たった一人の欠席に、たった一人の保護者にこんな温かい言葉をかけられる校長先生です。
きっと素晴らしい人に違いないと思いました。
たった1つのエピソードですが、私はすっかりこの校長先生のファンになり、この校長先生の学校運営に関しては安心できるのではとホッとしてしまいました。

おとなしい子への接し方で、もう失敗はしない

2018-01-04 21:54:31 | 「教師-子ども」関係の攻略法
クラスに一人おとなしい女の子がいます。
私の教卓の周りには元気者の子たちが群がっていて、ピーピー騒いでいるのですが、その子はなかなかその輪には入れません。
だからといって孤立しているわけではなく、仲のいい友だちもいます。
その子なりのペースで、普段をにこにこと過ごしています。
私もその子のことを気に掛けてはいますが、特に心配することはありません。

そんなこの子も、ふと気が付くと、騒がしい子たちに紛れて、私の教卓のそばにいることがあります。
最前列ではなく、一歩下がったくらいのところで。
そこで何をしているかというと、他の子と同じように話をしているわけではなく、ただそこにいてみんなの話を聞きながらにこにこしているだけです。
ですが、周りがうるさい分、逆に私にはその子が目立って見えます。

私はずっと前に失敗したことがあります。
初任の頃ですから相当昔ですが。
こんな子とまったく同じような子がいて、私の周りで同じようなシチュエーションができていました。
そのときの私はこう思いました。
(お!あのおとなしい花子ちゃんがそばに来てくれている!きっと、何か俺に話したいことがあるからだ!これは話を聞いてあげるチャンスだ!)
そして私は他の子を押しのけるようにして
「花子ちゃん!どうしたの!?先生に何か話かな!?先生何でも聞くよ!なになに!?」
その子がいたことのうれしさのあまり、すごいテンションでかかっていったら…

「…別に」
小さい声でそう言って、その子は去って行きました。笑
私が怖かったのでしょう。笑
こんな人が苦手だったのでしょう。
明らかなコミュニケーションの下手な先生でした。

このときの失敗を、もう繰り返さないように、私も今度の子の接し方には慌てないようにしています。
この子がとりたい距離で。
この子の好きなペースで。
この子と同じテンションで。
すると、今のところこの子も私から離れず、相変わらずそばでにこにこしていてくれます。

「子どもってやっぱり純粋」図工の一場面

2017-09-15 20:59:48 | 「教師-子ども」関係の攻略法
4年生の図工の授業で、「飛び出す絵カード」のような工作をしました。
折りたたみ式のカードを開くと中から起き上がってくるみたいな、あれです。
(最近はこんな図工が増えましたね。がっつり絵を描くようなのは減りました)

最初に簡単な説明をしたら、みんな夢中になって作っていました。
「誰かにプレゼントするつもりで作ろうね。もらったその人が幸せな気分になるように」
と、私なりに精一杯目を輝かせて言いました。笑
すると、どの子も
「誰にあげようかな」
「もう決めてるよ!」
のような顔をしたのが分かりました。
やはり何をするにも、目的意識、相手意識があるのとないのでは、やる気が違ってきます。

活動を進めながら、子どもたちは無意識に口を動かします。
「ここに折り紙を貼ろうかな」
「どうしたら飛び出してくれるのかな~」
「あはは、お母さんの顔、変になっちゃった」
「喜んでくれるかな~」
こんな愛らしい声に
「静かにしなさい」
とは言えなくて、まあまあ騒々しい授業になってしましいます。

普段やんちゃなある男の子が、珍しく黙々と作業をしていたので、ちょっと尋ねてみました。
「誰にあげるの?」
「おばあちゃんです!」
見ると、カードには「いつもありがとう。ずっと元気でいてね」と書いてあり、上手とは言えないけど、ゆがんだ「飛び出すケーキ」が作ってありました。
「おばあちゃん、りんごすきだから書いてあげよう!…先生、りんごってどうかくんですかね?
こうかな?」

かわいらしいものです。
普段は憎らしいときもあり、私の怒号を毎日のように浴びているその子ですが、こんなに純粋で優しい一面があるとは、驚きました。
こんな姿は偶然に現れるものではなく、これこそがこの子の本質だと思います。
なぜかふと、自分の幼少期を思い出してしまい、
(家族に手作りのプレゼントなんてあげたことがあったかな。ばあちゃんになんて絶対ないわ)
笑えてきました。
自分なんかよりずっといいものをもってるんだろうなと、そう思えました。

こんな素晴らしい一場面に出会うと、またがんばろうと思えるこの仕事です。
恵まれてます。

出会う前から子どもの情報が頭に入りすぎてしまった

2017-04-17 22:48:56 | 「教師-子ども」関係の攻略法
事前に聞いていた情報とは反対に、
意外に子どもたちはしっかりとしています。
自分からあいさつができる
先生に対して敬語が使える
時間を守れる
先生の言葉に返事ができる

これらのことが出会った時点からみんな自然とできていました。
四年生です。
大したものだと感心しました。
以前の担任の先生の指導がよかったのか、学校全体としての特徴なのか、それとも地域性なのか。
とにかくうれしく思ったし、かなり身構えて臨んだ私としては、ビックリさせられました。

やっぱり事前の情報で 偏見を持つのはよくないですね。
子どもたちにも失礼だと思いました。
子どもとの出会いに際しては、ある程度の情報は頭に入れておきながらも、まっさらな気持ちで迎えるべきですね。
人はたった一人との出会いで変わることだってあるんです。
自分がある子にとってその一人になりえるかもしれないから。
学校に行きたくないと思っていた子が、「この先生のクラスなら行きたい」と思う。
授業中に立ち歩いてた子が、「立ち歩くよりこの先生の授業で活躍したい」と思う。
学校に不信感を抱いていた保護者が「この先生なら信頼して子どもを預けよう」と思う。

それはあり得ることです。

もちろん簡単ではないけれど、先生にかかっているんです。
その先生が始めから子どもたちを色眼鏡でしか見ないようでは、変わりたいと思っている子達も変わることはできないでしょう。

「どんな子も可能性がある。もちろんきみたちも」
そういう信念を持っていることを、しっかりと子どもたちに伝えることこそ、出会いの場面で大事なことだと痛感しました。