「先生、うちの子には厳しくやってください。お願いします。」
という親の申し出はよく受けます。
我が子の未熟な部分を親として理解し、そこを成長させるためには、厳しい教育も必要だと感じているのでしょう。
厳しい教育は、その子にとって辛いこともあるから、親としても同じ辛さを感じるはずですが、そこをぐっとこらえて
「厳しくやってください。」
と言うのでしょう。
だから、以前はこう言ってくる保護者に対しては
(我が子を本当に思っている、いい親なんだろうな)
って思っていました。
逆に、我が子を抱え込んで、我が子に足りないものはないなどと買い被って、厳しいことを強いることができない親もいますから、なおさら、それと対照的に見て、「いい親」と思っていました。
しかし最近、こういう保護者と出会いました。
「うちでは、あの子に対して本当に厳しくしてるんです。かわいそうなくらい。だから先生、学校ではうんと甘えさせてもらえませんか。」
今までに聞いたことのない申し出で、驚きました。
「学校では甘えさせてください。」なんて。
この人はどんな親なんだろうか。
自然と考えてしまいました。
親と学校の役割で考えるならば、
厳しく教育する=親の役割
楽しい思いをさせる=学校の役割
と、考えているということでしょう。
そして、私はすぐに思いました。
(あぁ、こっちの方が、いい親なのかもしれない。)
子どもの教育って、やっぱり甘えさせるのは簡単なんです。
甘えさせるのは、教育者としては楽だし、子どもには好かれるからいいんです。
子どもの笑顔もたくさん見れて、教育者としても幸せを感じるものです。
一方で
厳しくするのはやっぱり大変なんです。
厳しいことをするとき、子どもには辛い思いをさせることになり、その辛さは教育者も同じものを味わうことになります。
子どもの涙を見ることもあるし、子どもと対立してしまうことも多々あります。
厳しくすると一言で言っても、難しいもので、そこには確固たる信念と、意図と、何より深い愛情がなくてはできないものなんです。
それを思えば、
甘えさせる役割を学校に、厳しくする役割を自分に、とできる親って、すごい親だなと思わざるを得ません。
逆に、以前「いい親」と思っていた「学校で厳しくしてください」という側の人たちのことを、親として本当はどうなのかなと思うようになりました。
じゃあ、家で甘えさえているんですね。
もしくは、家でも厳しくしてるかもしれませんが、教育的にうまくやれないんですね。
厳しくするという、大変な役割を、自分ではなく、学校に任せるんですね。
そう返したくなってきます。
こんな風に親という立場を考えるようになったのも、最近私が人の親になったからです。
毎日小さな我が子と接しては、いろんなことを考えさせれています。
この子に、これからどんな教育をしていくのがよいのだろうか。
自分はどんな親になるべきなのだろうか。
それを必死に考えています。
私は学校に「厳しくしてください」という親になるのか、「甘えさせてください」という親になるのか。
これから長い時間をかけて、親業を勉強していきたいと思います。
思う気持ちに差はなく、どちらがいいというものではないと感じました。厳しくしてくださいという親さんは、たくさんの大人に育てられるべきだという広い視野の持ち主かもしれません。
私の個人的な意見になりますが、どちらの親も子どもを大切に思う気持ちは同じであり、口に出てくる言葉だけでよいかわるいかなどは、判断しづらいと思いました。
私なら、厳しくしてやってほしいと言われる親さんは、たくさんの大人に育てられたほうが良いと考える謙虚さの現れと捉えるかもしれません。
甘やかしてほしいと言われるのは、自分たちのしつけなら完璧だと思っているとも考えられます。
先入観にとらわれず、目の前の子どもや親子の様子を冷静にみさせてもらうことが大切なのだろうと思いました。ありがとうございました。