先日、本校でも送別会が行われました。
今回、うちは大幅な人員入れ替えで、全職員の半分が転出することになりました。
たまたまタイミングでそうなるわけですが、これはさびしいものです。
送別会でも、雛壇に並ぶ人と、こちら側で見送る人の数がほぼ同じという形になりました。
ということは、4月にはそれと同じ数の新しい人が入ってくるわけで、人見知りな私としてはドキドキです。
人見知りはどうでもいいですが、教務主任として、来年度の学校運営がスムーズにいくように、がんばらなくてはと思っているところです。
さて
送別会では、出ていく先生たちと最後のお話をいろいろとしました。
私も本校在籍が長い方なので、どの先生たちとも一緒に仕事をしてきた時間が長く、思いでもいっぱいです。
ほとんどは私より年配の先生たちですが、みんなとってもいい先輩でした。
その中でも、私が尊敬する、ある先生とお話をしたときのことです。
「先生の仕事ぶりはいつでも爽快でしたよね」
お酒を交わしながら、そんな話をしていると、その先生が少し熱い調子で語りだしました。
「あのね、私は商売人の子なの」
お、聞いたことない話です。
私が小さい頃、親はいつも必死で働いてた。
月末には何とか売り上げを確保しないと、来月は生活できないわけだから。
父は営業先に走り回って、なんとか家族を養うお金を集めてきた。
そうやって、親は私を育ててくれた。
私はいつもそばで親のそんな姿を見てきた。
だから、生きることは大変だというこということを、幼いうちから肌で感じていたように思う。
働くこと=お金を稼ぐこと=家族を養うこと
これを子どもながらに理解していたと思う。
ようするに、結果がすべて。
結果が出せなければ、生きていけない。
「結果はでなかったけど、がんばりましたから」なんて通用しない。
それが分かっていた。
父はいつも私に
「お前は公務員になれ」
って言ってた。
小さい頃は、それがなんでかよく分からなかったけど、今はよく分かる。
だって、給料が安定しているし、「かぜひきました」って言って仕事休めるんだもん。
私、小さい頃から体が弱くてよく病気をしてたから、父はなおさらそう言いたかったんだと思う。
おかげさまで学校の先生になれたけど、でも親が必死で働いていたあの姿は絶対に忘れないし、今でも私の中では、「仕事をする」ってことは、ああいうことだと思ってる。
この仕事だって、結果がすべて。
「がんばりました」は通用しない、と。
ほら、今日、監査に出さなかった人がいたでしょ。
(昼間、校内監査があったけど、必要書類の提出が間に合わなかった先生がいた)
あんなのあり得ない。
許せない。
あれが許される職場じゃいけない。
そう思うよ。
この話、私がこのブログでも時折伝えようとしてきた私なりの教師観とびったり重なる気がしました。
いや、ぴったり以上に、この先生のエピソードが加わって、もっといい教師観を与えてもらったような気がして、感激しました。
なるほど、私が尊敬するこの先生の仕事ぶりは、こういったものに裏付けされているんだと、納得がいきました。
この先生は、子どもからも保護者からも同僚からも頼りにされる、とてもいい先生で、学校から手放すには非常に惜しい存在でした。
今回、うちは大幅な人員入れ替えで、全職員の半分が転出することになりました。
たまたまタイミングでそうなるわけですが、これはさびしいものです。
送別会でも、雛壇に並ぶ人と、こちら側で見送る人の数がほぼ同じという形になりました。
ということは、4月にはそれと同じ数の新しい人が入ってくるわけで、人見知りな私としてはドキドキです。
人見知りはどうでもいいですが、教務主任として、来年度の学校運営がスムーズにいくように、がんばらなくてはと思っているところです。
さて
送別会では、出ていく先生たちと最後のお話をいろいろとしました。
私も本校在籍が長い方なので、どの先生たちとも一緒に仕事をしてきた時間が長く、思いでもいっぱいです。
ほとんどは私より年配の先生たちですが、みんなとってもいい先輩でした。
その中でも、私が尊敬する、ある先生とお話をしたときのことです。
「先生の仕事ぶりはいつでも爽快でしたよね」
お酒を交わしながら、そんな話をしていると、その先生が少し熱い調子で語りだしました。
「あのね、私は商売人の子なの」
お、聞いたことない話です。
私が小さい頃、親はいつも必死で働いてた。
月末には何とか売り上げを確保しないと、来月は生活できないわけだから。
父は営業先に走り回って、なんとか家族を養うお金を集めてきた。
そうやって、親は私を育ててくれた。
私はいつもそばで親のそんな姿を見てきた。
だから、生きることは大変だというこということを、幼いうちから肌で感じていたように思う。
働くこと=お金を稼ぐこと=家族を養うこと
これを子どもながらに理解していたと思う。
ようするに、結果がすべて。
結果が出せなければ、生きていけない。
「結果はでなかったけど、がんばりましたから」なんて通用しない。
それが分かっていた。
父はいつも私に
「お前は公務員になれ」
って言ってた。
小さい頃は、それがなんでかよく分からなかったけど、今はよく分かる。
だって、給料が安定しているし、「かぜひきました」って言って仕事休めるんだもん。
私、小さい頃から体が弱くてよく病気をしてたから、父はなおさらそう言いたかったんだと思う。
おかげさまで学校の先生になれたけど、でも親が必死で働いていたあの姿は絶対に忘れないし、今でも私の中では、「仕事をする」ってことは、ああいうことだと思ってる。
この仕事だって、結果がすべて。
「がんばりました」は通用しない、と。
ほら、今日、監査に出さなかった人がいたでしょ。
(昼間、校内監査があったけど、必要書類の提出が間に合わなかった先生がいた)
あんなのあり得ない。
許せない。
あれが許される職場じゃいけない。
そう思うよ。
この話、私がこのブログでも時折伝えようとしてきた私なりの教師観とびったり重なる気がしました。
いや、ぴったり以上に、この先生のエピソードが加わって、もっといい教師観を与えてもらったような気がして、感激しました。
なるほど、私が尊敬するこの先生の仕事ぶりは、こういったものに裏付けされているんだと、納得がいきました。
この先生は、子どもからも保護者からも同僚からも頼りにされる、とてもいい先生で、学校から手放すには非常に惜しい存在でした。