小学生攻略法

このブログも10年目。久しぶりに担任復帰です。

研究公開を振り返る 3 ~公開アンケート本校職員編~

2012-11-29 22:22:33 | 教師力UPの攻略法

公開後のアンケートは本校職員にもお願いしました。

ちなみに公開が終わったその日の夜は打ち上げ。

自分なりにですが、大きな達成感がありましたから、気分爽快で飲みました。

(…って飲む時はたいていそうですが)

打ち上げでは

「あれがよかったね~」

「これがよかったね~」

と、みんな自画自賛。

久しぶりに朝まで飲みました。。。。

二日酔い、三日酔いも覚めやらぬうちの、研修の反省の時間。

今度は真面目な(?)振り返りをする時間です。

係として、同じ仕事を進めた仲間からもらえた「◎」の言葉としてうれしかったのは

「いつも仮説を確かめるように、一歩ずつ研究を進められた」

→やっていることが確実に実を結ぶよう心がけてましたから

「研究を広く分担して進めていたので、自分も関われた」

→組織を大事にしたつもりです。みんなでやる研究になるように。

「計画的で、早め早めの取り組みだった」

→研究に限らず、仕事ではいつもそうありたいと思っています。

公開授業に関しては

「無駄のない指示」

→これはうれしいです。前日、前々日と5回はリハーサルをして精選しました。

「めあてが、一貫して子どもたちの中に残っている」

→そんなことを見抜ける先生もすごい。

一方、課題となる「▲」の意見で、ちくっとくるものだってありました。

「資料は出せばいいというものではなく、実践が伴うべき」

→出したにすぎないと思われてるものがあったか…!

「もっと全体で取り組めるものもあったのでは」

→一部の人しか関係しないものがあったか…!

「より広く分担してもよかった」

→なぬ~ 早く言ってくれ~

「できた指導計画や指導案を、なかなか目にすることができなかった人も多い」

→何十ページもの資料を毎回訂正を入れるたびに全員に配布しろというのか~「サーバー上にデータであります」と、いつも言っていたではないか~

って感じです。

係としては、今のやり方がベストだと思ってやっているから、終わってからこんな意見を出されると

「なぬ!」

と反論したくなるのですが、いやいや、これは言ってる側の意見の方が本当なんでしょうね…

先生たちはみんないい人です。

攻撃するためにこんな意見を言う人はいません。

全体のことを思って、私のことを思って指摘してくださっています。

それに客観的な違う視点からの意見は必要です。

思いました。

研究の途中にちょくちょくアンケートをとるべきだった!

PDCAというサイクルを一回やって研究が完結するのではなく、

PDCDCAPDCPCADDCDPCCPCDA・・・・

のようにやっていくものかなと。(笑)

最後に一回Cをするだけでは、後の祭りとなってしまうことも多いことが分かりました。


研究公開を振り返る 2 ~公開アンケート参観者編~

2012-11-28 23:03:09 | 教師力UPの攻略法

公開に参加した先生方が帰りにアンケートを出してくれました。

参観者が多かったので、全部目を通すのが大変でした。

この中身はとても興味がありました。

自分がした研究への一種のフィードバックですから。

自分がした公開授業に対するリアクションですから。

よかった という意見があればうれしいな。

ここに問題が という意見もあるのかな、緊張するな。

正直、目を通す時には少し弱気になってそんな気分です。

そして見ていくと…

もちろん、よいと言ってくれている意見も、問題点を指摘する意見も幅広くありました。

視点も様々です。

会場に展示した教具のことから、公開授業で言った授業者の一言まで。

参考になります。

客観的な意見は、私にとっては新鮮で、刺激の多いものです。

はっとさせられるものも多々あります。

この意見をもとに、また研究自体を再構築してみたい気分になります。

ところで、アンケートをぜーんぶ見て一つ気付いたことがありました。

掲げた研究テーマを意識して見てくれている参観者は、そう多くない。

一般的な研究同様、本研究もテーマと、視点となる研究内容を掲げていました。

視点となる研究内容は、いわゆる「見てほしいところ」です。

ここをじっくり研究してきました!

形にしました!

授業の中で見せますので、見てください!

というものです。

・・・が、アンケートを見ていると、それについてコメントしてくれているものばかりではないんですね。

感心な?賢い?参観者はちゃんとその視点から授業も研究発表も見てくれているんですが。やっぱりみんな見たいところを見たいようにみているものです。

そりゃそうかも。

我々は長い時間をかけてこの研究に携わってきたわけですから、やっていることが手に取るように分かるのですが、参観者の先生方は、今日始めて本校に来て、研究の一端を見るわけです。

そんなに瞬時に研究の概要を理解できるはずがない。

目に付いたことを、自由な立場でコメントして当然です。

・・・・ってことは、研究テーマや内容というのは、研究を進める、深めていく自分たちにとってはもちろん大事だけど、公開するとなれば、それ以外の要素も重要になってくるということです。

なにか指摘されて

「そんなことは研究内容に含まれていませんので」

なんて跳ね返すようでは残念ですから。

公開授業であれば、研究内容に関わらず全ての要素を整えて、参観者がどこを見てもいいものであるようにしておくべきです。

そして、どこを指摘されても、納得のいく答えを準備しておくべきです。

そういう意味では、自分たちがしてきた研究以上に、公開では広くいろんなことに気を配らなくてはいけないということです。


研究公開を振り返る 1

2012-11-26 21:53:13 | 教師力UPの攻略法

研究公開が終わりました。

あ~

ついに~

って感じです。

事前の申し込み数を大きく上回る参観者の数で、会場は思っていた以上の雰囲気になっていました。

過去の記事にもちょいちょい書きましたが、私は今年研修担当で、自分で公開授業をしました。

普通は研修担当は研究発表をするのですが、ただ原稿を読み上げるだけの発表より授業をしたかったので、名乗り出ました。

この公開に向けて4月からずっと準備を進めてきました。

私の中の意識としては、受け持つ6年生学級と同じくらい、この公開の仕事に重点的に力を注いできました。

それくらい強い責任を感じていました。

絶対成功させてやると、気持ちを込めていました。

担任という仕事とは違って、研修を主となって進めるのは経験の少ないことです。

自分のできる限りの力を尽くすと同時に、周囲の先生をできるだけ巻き込んで強い組織をつくることを心がけました。

同時に、研究分野について、書物・先行研究・他校の公開などから勉強しました。

公開当日だけでなく、そこに向かう道のりそのものが、私にとっては新鮮で、刺激が多くて、大変学ぶことが多くありました。

自分の財産として記録に残すためにも、しばらくブログで取り上げたいと思います。

公開が近くなり、私はクラスの子たちに本気で、本音で語りました。

「研究公開という仕事を担っている」

「担当を断ることもできたけど、引き受けた」

「教師として成長したいと思っている」

「4月から大変な苦労と努力を重ねてきたつもりだ」

「絶対に成功させたいと思っている」

「きみたちの力が必要だ」

こんな話をするときだけは

「先生-子ども」という関係じゃなく、「仕事人-子ども」という関係になる!

子どもに何かを教える先生という立場から離れて、一仕事人になるんです。

そして、子どもたちに強烈に印象付けます。

大人が仕事をする際の責任感

大人が仕事にのぞむときの覚悟

大人が仕事にかける熱意

大人社会に興味のある子たちは、大人のこんな姿に惹かれるものです。

自分の将来を描き始めている高学年ですので、その姿は印象に残ります。

もちろん、うそがないことが大前提です。

軽い感じで語ってはいけませんし、口にしたことは本当に実行しなくてはいけません。

子どもはすぐにそういうところを見抜きます。

普段先生は同じ口調で子どもたちにものを教えるだけですが、そんな先生が様子を変えて、

「おれには大事な仕事がある」

なんて話をしだせば、素直な子どもたちは、一緒にその仕事の成功を願ってくれます。

私の話をしっかりと受け止めてくれたのでしょう。

子どもたちは、私以上に本気な姿勢で、授業ではとても立派な姿を見せてくれました。

もちろん私の話だけが効果を成しているわけではありませんが、公開授業をする授業者が本気である姿勢を、まずは子どもたちに示しておきたいと思ったのです。


空き時間がいっぱいなのに、なぜか疲れる…

2012-11-20 21:48:09 | 教師の仕事術の攻略法

研究公開がいよいよです。

研修係の私を気遣ってくれて、ここ数週は空き時間をたくさんもらっています。

いろんな先生方のサポートがあって、大変助かっています。

おかげで順調に準備が進みました。

公開当日も手応えのあるものがあればいいなと思っています。

さて

空き時間をたくさんもらって、多い日には一日に3~4時間空くこともあります。

クラスを離れて、自分だけで仕事をできる時間は、小学校ならどの担任にとってものどから手が出るほどほしいものです。

時折、中高の先生がうらやましくなるほどです。

そんなぜいたくな状況がここしばらく続き、今までにない仕事の感覚です。

空き時間=授業をしなくていい時間

ですから、気が楽になります。

当然、授業の準備をしなくてよくなり、その分楽です。

だから、空き時間の連続は体力を温存できるもの

・・・だと思っていました。

が、なぜか妙に疲れます。

今日も3時間空きでした。

授業はそんなにしていないのに、1日の終わりには、なにかグタッとした疲れに襲われる感じでした。

う~ん おかしい。

なぜだろう。

職員室や教室の机に座ってパソコンに向かったり、細々とした作業をしている時間ばかりなのに・・・・・

あぁそうかぁ

分かりました。

学校の先生は、子どもといることが自然な、特異体質になっている!

ってことでしょう。

子どもと離れているから楽ができていると思ったら、子どもと離れていること自体に慣れていないらしいです。

授業をしないから楽ができていると思ったら、デスクワークをする方がよっぽど疲れるらしいです。

たまの空き時間は気分も休まり、仕事もできるからいいものですが、多すぎる空き時間は、小学校教員には向いていないようです。

少なくとも私にはそう思えます。

うーん、

大変さも子どもといる中に感じて、安らぎも子どもといる中に感じる。

先生という仕事のおもしろさでしょうか。

私も、今の特別な仕事の形態から、もうしばらくすれば脱出できます。

またいつもの巣へ戻りたい気分です。


授業中、横道に逸れた先生の話を覚えていませんか

2012-11-19 21:42:49 | 授業中の攻略法

「このように、私たちはいろんな場面で税金を納めています。 ・・・税金と言えば、先生はこないだ…」

のように、授業のあることをきっかけに、話が横道に逸れてしまうことがあります。

あ、「あります。」

ではなく、「先生によっては」ですね。

話がよく逸れる先生もいれば、まったくそんなことはない先生もいます。

正確に言えば、「逸れる」ではなく、「逸らす」でしょうか。

もちろん、話が逸れてしまったその時間は、予定していた授業の進呈がストップして、その後に支障をきたすわけです。

それだけを考えると、あってはならないことですね。

でも、自分が子どもの時受けていた授業を思い返してみても、思いがけず授業が逸れていったときは、楽しかったものです。

先生や友達の意外なトークに、クラス中が盛り上がったりして。

妙にそんなときの話題ばかり、今でも覚えていたりします。

思うに

時折は、授業中に話が逸れるもアリ!

子どもが喜ぶんなら、たまにはしてあげましょう。

・「時折」です。調子に乗ってしょっちゅうはしない。

・逸れた話の内容が、くだらないものではなく、子どもの関心をひくものであること。

・授業の進呈に余裕があることが前提。

・先生は逸れた話に夢中になっていそうに見えて、実はしっかりと授業のことを考えていること。

いつも、まじめにしっかりと授業をする先生だからこそ、時折するくだけた話が子どもたちには新鮮になります。

いつも、まじめにしっかりと授業をできる子たちだからこそ、時折聴くくだけた話にリラックスして、メリハリをつけることができます。

そういうバランスが大事です。

うまい先生は、緊張と緩和を上手に使い分けます。

適度な緩和のためにも、計画的に話を逸らす手もあるんだということです。

(私は最近、計画的でなく思わず話が逸れてしまうことが多い… 反省)