小学生攻略法

このブログも10年目。久しぶりに担任復帰です。

3年生体育「キックベースボール」のルールを進化させる

2018-06-29 07:15:22 | 授業中の攻略法
前回からの続きで、「キックベースボール」が3年生には難しすぎる話です。

だから、段階的にルールを工夫していく必要があります。
本来なら、子どもたちに「みんなが楽しめるようにするために、どんなのルールの工夫ができるか」と投げかけ、考えさせたいところですが、それすら今回は難しすぎるだろうと判断し、教師側でルールを設定することにしました。

○第1時
チーム内で交替でボールを蹴ったりそれをキャッチしたりして遊ぶ

○第2時ルール
チーム対チームのゲームにする。
攻撃側は置いてあるボールを蹴って、守備陣がそれを取りこぼさす捕球できたらアウト。
捕球をミスしたり、守備よりも後方に抜けたらそれだけで1点

○第3時ルール
第2時ルールに加えて、守備側はピッチャーがボールを転がすようにする

○第4時ルール
第3時のルールに加えて、一塁に当たるベースを置き、打者は打ったと同時にそこへ走る。
守備側で捕球した子は、そのボールを持って同じく一塁へ走り、打者と競走する。
ベースへの到着が、打者が早ければ1点。
捕球者が早ければアウト。

○第5時ルール
第4時のルールに加えて、打者と捕球者の競走のとき、捕球者はベースにいる仲間にボールを投げてアウトにしてもよいことを加える。

○第6時ルール
第5時のルールに加えて、もう1つベースを増やす。
位置的には野球の三塁に当たる位置に。
攻撃側は1本のヒットで1つ進塁し、2本目のヒットで2つ進塁でき、この時点で1点入る

○第7時ルール
第6時のルールに加えて、ホームベースを設置。
前時と同じ要領で攻撃側は3本のヒットで1点をとれる。

以上です。
1時間ごとにルールを1つ加えて、本物の野球に寄せていくようにしましたが、それでも最後の7時をもっても完全には無理だと判断しました。
ルールを増やすことを、子どもたちには「進化する」という言葉で伝えました。

このやり方で、多くの子はその時間ごとのゲームを楽しめていましたが、中にはやはり理解が難しくて、試合中に固まってしまう子も見られ、フォローを必要としました。

3年生にキックベースボールは無理??

2018-06-26 07:16:09 | 授業中の攻略法
3年生の体育で、ベースボール型の運動として「キックベースボール」をしました。
全部で七時間の単元です。
これは、3年生の子たちにとってはかなりハードルの高い運動になることは、やる前から想像はつきました。

まず「キック」の部分に対して、ボールを蹴る運動そのものをほとんど経験していない子も多いのが実態としてあります。
低学年のうちの体育の授業でいくらかはやっているでしょうが、それだけでは「キック」か身に付くのは難しく、やはり日常の遊びからそれをしていないと、ゲーム的な要素の中で「キック」を駆使するのはかなり難しいものです。
特に女の子はまずここで苦労する子が大半です。

次に「ベースボール」の部分。
やはりここがとにかく難しい。
いわゆる「野球」の運動特性として、攻守に関する運動技能そのものが必要となるのは当然のことですが、それに加えて
・攻める場合には、どこに打つか(蹴るか)どれくらいの強さで打つかを、相手の投げるボールやゲームの状況に応じて瞬時に判断しなくてはいけない
・攻める側として進塁した場合、次の打者の打球に応じて進塁するかしないか、するならどこまでするか、瞬時に判断しなくてはいけない
・守る場合には、打球を捕球した場合、どの塁でアウトを取るか、瞬時に判断しなくてはいけない

このように、野球のルールに応じて「瞬時の判断」が随所に要求されるものです。
まず、野球のルールをほぼ知らない子たちがほとんどでさらには説明したとしてもすぐに理解できる子はほとんどいない状況がある中で、これらの「瞬時の判断」と、それに伴う正確なプレーを求めるのは、かなり厳しいことは間違いありません。
(次回に続く)

担任として必要と感じるのは「もう一人の自分」

2018-06-19 07:17:19 | 学級生活の攻略法
担任をしているとクラスの子どもたちへの愛情が日に日に強くなるものです。
その愛情がゆえに、子どもたちと向き合う姿勢も真剣に、本気になります。
時に子どもたちと一緒に思い切り笑ったり。
思い切り悩んだり。
思い切り感動したり。
そして思い切り怒ったり。

そんなときは、担任である、大人であるにも関わらず冷静さを失うときもありますが、それくらい先生は子どもと共にあるということの証だと言えます。

私も今担任をしながらそんな時間を過ごしています。
幸せなことです。
自分の全力を注ぐべき相手がいるということですから。
そして、その中で最近時に思うことがあります。
それは
「もう一人の自分が必要」
ということです。
この「もう一人の自分」は何をする者かというと、少し離れた所から、クラスを客観的に見る者です。
そのクラスとは、子どもたちはもちろんですが、担任である自分も含めたクラスのことです。

担任と子どもたちとで創る、トータルとしてのクラスを、そのもう一人の自分が客観的に、冷静に見る。

そんな自分が必要だと感じています。
例えば、子どもたちを本気で叱っているとき、叱る自分は頭がいっぱいで、目の前の子どものことしか見えておらず、叱っているその瞬間のことしか考えていません。
しかし、離れたところから見ているもう一人の自分はそうではなく、叱っている自分さえも冷静に見ていて、
叱ることにどんな意味があるのが
叱られている子へは今後どんなフォローが必要か
周りの子への影響はないか
叱り方は適切か
長い目で見てこの出来事は今後どんな展開に進むべきか
そして
叱っているこの先生に足りないものは何か
この先生は今後どう成長していくのか
そういったものを、叱っている自分とは対照的に、落ち着いて、そしてゆとりのある温かい目で見るもう一人の自分です。

いつもこんな自分をもつことができれば、仕事も少し安心できます。
よからぬ方向に進もうとしたときは、きっとこの自分が修正してくれるでしょうから。
こんな自分を創るためには、まず自分自身に心のゆとりが必要でしょう。
心掛けていきたいと思います。

私が、下手な書写の手本を作ってみたら授業が

2018-06-11 17:26:46 | 授業中の攻略法
私としてはとても珍しいことをしました。

書写(硬筆)の授業を前に、ちょっと時間が空いたので
「何しよっかな~ お、そうだ」
と、書写の授業で使う「お手本」を作ることにしました。
3年生に合わせて、マスが大きめの作文用紙に、最近習った漢字を使った適当な文章を書きました。
何でもデジタルで作る私としては珍しく、「手書き」で。

手書きですので、3年生向けの作文用紙とはいえ、まあまあな時間がかかりました。
そして何より「手本」にするつもりのものですから、上手な字でなくてはならないわけで、字に決して自信があるわけではない私が、本当に珍しくがんばりました。(笑)
書き終えた作品を見てみると、とても書写の教科書や達筆な先生たちのようにはいきませんでしたが、それでも「…まあまあかな」というくらいの手本にはなりました。

そして書写の時間。
「今日は書写ノートではなくて、先生が作った手本の視写をします」
印刷した用紙を配り、子どもたちが書き始めました。
すると…

カリカリ…

なんという集中力。
一切私語なし。
全員が力いっぱい視写に臨んでいるのが一瞬で分かりました。
じっくり書いては、その字に満足行かずにゴシゴシと消してはまた書き直す、そんな姿もたくさんあり。
ちなみに6時間目です。
普通、3年生ならもう体力の限界に来ていてもおかしくない時間です。
結局、その集中力は最後まで続き、多くの子は最後までたどり着かなかったのですがそれは丁寧に丁寧に書こうとし続けていた証拠でした。

私としては、恥ずかしながらこんな書写は初めてでした。
紛れもなくこれは「手書き手本」の力だと思いました。
やはり子どもたちにとって、それは
・温かみを感じられる手本
・先生の思いが伝わる手本
・デジタルや教科書よりも身近に感じられる手本
そして
・そっくりに真似したくなる手本
になりえるんだろうと感じました。
また、普段はそんなことをしない先生のものだったから、珍しく、新鮮さもあり、食いついたという一面もあったでしょう。

授業が終わり
「その手本は持ち帰っていいですよ」
と伝えると
「やった~!」
という声があがったときは、さすがに照れくさくなりました。笑
私の下手な手本がそんなに言ってもらえるなんて、教員人生で1回あるかないかの奇跡です。笑
さらに
「先生!ぼくが書いたの、今日持って帰ってもいいですか!?」
と来る子も。
丸つけは済んでいたのですが、6時間目でしたし返却は翌日かなと思っていました。
でも、あまりな勢いで来るものだから
「どうぞどうぞ」
「よっしゃ~!お母さんに見せる~」

地味な労力をかけてやる仕事にも、独特な魅力があるというのは、この職業の特徴かもしれません。

意外な指導で掃除が無言になりました

2018-06-02 11:54:46 | 学級生活の攻略法
3年生を受け持っていますが、まだまだ掃除の仕方が未熟だと思っています。

ホウキの使い方がなっていない
雑巾のふき残しが多い
おしゃべりが聞こえる
時間内に終わらないときも

ここら辺は100点をめざしたいところですが、まだ3年生という実態を考えて、段階的に指導を進めていこうとしているところです。
また、我がクラスは40人をはるかに超える特別なクラスで、教室も通常のサイズではなく、とにかくでかいんです。
だから掃除がなおさら難しいし、子どもたちの努力だけでは追いつかないところも実際あります。
なので、相当な工夫が必要です。
私も4月以来あの手この手やっているところです。

今回は少し思い切った方法を試しました。
それは
・ホウキの子と雑巾の子とでペアを作る
・ホウキの子がはいたすぐその後を、雑巾の子が拭く。(ワイパー拭き)
・教室の床を明確に区切り、ペアごとの担当場所をはっきりと割り当てる
・ゴミ1つなく、拭き残し1つなくなったら、次のゾーンに進む

普通の教室ならペアを作ったりすることはないし、すべての床をすべての子が掃除するところでしょうが、我がクラスの場合その必要性を感じました。

そうしてやってみたところ…

時間内に作業が終わるようになったし、みんな自分の役割を果たせるようになり、とりあえずの進歩を見られてよかったです。
が、最も大きな変化が
「掃除がほぼ無言になった」ということでした。
作業の間、子どもたちがしゃべることなく、黙々とした雰囲気ができているのです。
私は
「それと、掃除時間はしゃべらないように」
とは言っていません。
もちろんそれは望ましいことですし、将来的にはそこもめざすつもりであましたが、そのことを求めてはいない今回、なぜかそこを達成できてしまいました。

なぜかと考えてみると、やはり
・自分がやるべきことが明確になった
・自分がやるべき場所が明確になった
・自分と共にやる人が明確になった
ということが、子どもたちの掃除への集中力と緊張感を高め、それが自然と無言作業へとつながったのだろうと思います。
自分でも予想していなかった意外な成果が見られて驚きました。

おそらく、
「掃除は無言でやりなさい」
という指導から入っても、それを徹底させるのはなかなか難しかったはずです。
3年生、我がクラスの実態からしてもそれは想像がつきます。
しかし今回「偶然に」その姿が得られたことで
「すごいね。掃除を黙ってできるんだね」
とほめることで、今後継続できることはおおいに期待できます。

「無言を強要する」のではなく「無言になる必要性をつくる」こと。
勉強になりました。