何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

続 ぜんぶ、山・槍 ⑥

2018-10-03 17:00:00 | 自然
初夏の頃だったと思う。
行きつけのお店の店長さんとの雑談で、「時間とお金がふんだんにあったら、どこに行きたいか」「もし余命が一月と宣告されたら、どこで何をしたいか」という話になった。
さまざまな国名や日本各地の名と共に、「初恋の人に会いたい」とか「出会った人に感謝を伝える旅をしたい」とか「家族と静かに過ごしたい」とか「美味しいものを食べつくしたい」とか、さまざまな声があるなかで、私の答えは一つだった。

「上高地」「持てる限りの本を持って上高地に行き、本を読みながら最期を迎えたい」

これが余程印象に残ったのか、久しぶりに先日そのお店に赴くと、店長さんが開口一番 「上高地、行ってきましたよ」と。

生憎の雨降りで河童橋から穂高は望めなかったそうだが、大正池から明神池までの遊歩道をゆっくり歩き、すっかり上高地の自然に魅せられたようで、「次は岳沢に登りたいが、どのような装備が必要か?本格的な登山靴やザックやカッパが必要か」と嬉しい質問攻めにあい、今年の夏の山歩きの記録が中途半端なままになっていることを思いだした。
「命からがら、間一髪」 「ぜんぶ、山①」 「ぜんぶ、ワンコ 山 ②」 「個々の累積の個々が全部 ③」 「ココは全部、山 人生④」 「ぜんぶ、同じ花⑤」

というわけで、山の思い出を語るのに欠かせない山小屋の食事の写真を、まずは記録しておきたい。
 
槍沢ロッヂの夕食と朝食

濃霧のなか山頂を目指すか否か迷いながら食した、槍ケ岳山荘のラーメン

 
槍ケ岳山荘の夕食と朝食

忘れてならないのが、槍ケ岳山荘が朝一番(5:30くらい)に焼き上げる絶品のパン。
これを食するためだけにココまで登ってもイイというほど美味しいのだが、前回は並ぶのが一歩遅れたため一つしかget出来なかったという反省から、今回は早めに並び、4種類もgetでき感動のうちに美味しく食した。
皆が「街中の、三ツ星級のパン屋よりも美味しい」と言いながら食した絶品のパンなのだが、大雨のなかザックを背負ったまま食したので、一枚の写真も撮れていない。

次回こそ、槍ケ岳山荘のパンの写真を撮るぞ?!

山のお話は、もう少しつづくよ

皇太子様が登られていない山の神が皇太子御一家をお守りしている

2018-08-28 23:51:15 | 自然
「命からがら、間一髪」 「ぜんぶ、山①」 「ぜんぶ、ワンコ 山 ②」より
 
今年も穂高神社奥宮には、皇太子御一家のお写真が飾られていた。

平成30年 8月14日 穂高神社奥宮

  



二年前の2016年8月11日、皇太子御一家は上高地で行われた「山の日」制定記念式典に御臨席された後、(明神池と報道は言うが、正確には)穂高神社奥宮の明神池を訪問された。(上記の写真は、その折のお写真だ)
四方山祭・四方山話 その壱
「山の日制定記念式典」の会場には、当然のことながら招待者しか入れないので、会場のそばに設置されたテレビ中継を見守る人も多くいた。テレビ前には多くの人だかりができており、じっくり見......


あの日、偶然にも上高地にいた私達は当初の予定(穂高登山)を変更し、皇太子御一家を奉迎場所で待っていた。
どれぐらい待つことになるかは、規制線を張っている警察関係者にも正確なところは分からないという。
勿論それは、警備上の秘密保持もあるのだろうが、皇太子御一家が式典後に河童橋を御覧になるか否かが決定していないからだという。だが、そんな事など気にすることなく、この式典のご臨席が敬宮様の初めての地方公務だということもあり、居合わせた人々は皆期待に胸を膨らませて待っていた。
そこへ、皇太子御一家は河童橋を御覧にならず、式典後すぐに、白樺荘の横の穂高連峰が望めるポイント(奉迎場所)へ来られる、と連絡が入った。
規制線の前に立つ警備関係者は、「観光シーズン真っ盛りのため、皇太子ご夫妻が、観光客が河童橋を楽しむことを優先して下さり、御自分達はご遠慮されたそうだ」と教えて下さった。

この話で思い出したことがある。

たしか常念小屋に泊まられた折の皇太子様のお言葉だ。(山を歩いていると、山小屋関係者や山の案内人や登山者から様々な話を聞く機会があるのだが、これも、そんなお話の一つだ)
「日本百名山」(深田久弥)を愛読されている皇太子様は、そこに記されている「常念を見よ」という言葉を心に刻みながら常念岳に登られたそうだが、皇太子様が常念岳に登られた日は天気もよく、穂高連峰と槍ヶ岳がそれは美しく見えたそうだ。
いつまでも飽くことなく槍穂を御覧になっている皇太子様に、山の案内人が「いつか槍にも穂高にも登りましょう」と声を掛けると、思いがけないお返事が返ってきたという。

皇太子様は、「槍ヶ岳や穂高は、人ひとりが通るのが精一杯の登山道や岩場がある。自分がそこを歩くと、警備上の問題もあり、どうしても一般の方を足止めにしての一方通行のような形態をとることになるので、一般登山者の方に迷惑をかけることになる。だから、自分は槍にも穂高にも登ることはない」という趣旨のことを仰ったというのだ。

事実、皇太子様はこの常念岳登山の折も、常念岳から蝶が岳へ縦走されているが、蝶が岳から上高地へは下山されず、三股へ下山されている。
これも、観光客が多い上高地へ大勢の伴を引き連れて下山することをご遠慮されたからだと云われている。

日本山学会の会員であり、日本百名山の半数を登られている皇太子様は健脚で、地味ではあってもかなり険しい山に多く登られている。
そんな皇太子様であれば、槍ケ岳も穂高連峰も登ることは容易だと拝察されるが、登山者の安全を優先し、飽かず眺めるほどに憧れておられる槍ヶ岳にも穂高連峰にも登られてはいないのだ。

だが、そんな皇太子様を、穂高の神様はお守りしていると、私は信じている。
奥穂高のてっぺんに鎮座まします穂高神社嶺宮には、安曇野と穂高を守る穂高見神がいらっしゃるが、その奥宮には二年前の山の日の皇太子御一家のお写真が、大切そうに今も飾られているからだ。

四方山祭・四方山話 その弐
「四方山祭・四方山話 その壱」より「山の日制定記念式典」に御臨席される皇太子ご夫妻に敬宮様が同行された今回のご訪問であったが、敬宮様が地方公務にご出席されるのは初めてのことだと......


あの日、多くの観光客や登山者が喜びのあまり皇太子御一家へカメラを向けた。
それぞれが思い出深い一枚をカメラに収めて今も大切にしていることと思うが、そんな中でも最高の一枚、敬宮様がとびきりの笑顔を向けて下さっているのが、嘉門次小屋の方が撮られた一枚だ。
明神池の側にある嘉門次小屋は、山の宮様と云われた秩父宮殿下と御縁がある。

北アルプスの神々と山の宮様に守られておられる皇太子御一家の、新たな時代への準備となる平成最後の夏であったと思う。

ぜんぶ、山 ①

2018-08-19 12:00:00 | 自然
「命からがら、間一髪」より

8月11日(山の日)、am6:30 早朝降り立ったバスターミナルで装備の確認し出発!

いざ行かむ 行きてまだ見ぬ山を見む 眼に甘き山は青空にあり
「夏草冬濤」(井上靖)、木部の歌より)


そもそも山岳部ではなかった私が山を歩き始めた理由の一つに、井上靖氏の「氷壁」があるのだが、今年の山歩きでは、私は本当に井上靖氏の影響を受けているのだと感じていた。
井上靖氏が「穂高の月」で御自分にとっての山は「穂高だけ」と書いておられるのと同様に、私もまた山といえば、ワンコのお名前を頂いた「穂高だけ」との思いなのだが、登るとなるともう少し幅を広げ、穂高か穂高を拝めるお山ということにしている。
穂高もしくは穂高を拝する山への道

そんな私なので、今年もワンコのお名前のお山に登りたかったのだが、今年はどうにもその自信がなかった。
ともに登山部でもなかった山パートナー(以後は山P)と私が、若さ?と体力と気力と根性で登ってきた穂高の山々や槍ヶ岳や蝶が岳。
ほったんの散歩で日々の体力を維持していたが、それがなくなり二年と7か月。特に今年は年初から、山Pも私も仕事上の変化が激しく、とてもじゃないが運動に割ける時間などなかった。
それでも、穂高もしくは穂高が拝める山を歩き、魂の洗濯をすることが諦めきれなかった私達が計画したのが、槍ケ岳へ登ることだった。

奥穂(3190m)、北穂(3016m)、槍ケ岳(3180m)

これはまったく個人的な感覚でしかないのだが、「山高きが故に貴からず」は真実で、日本第三位の奥穂と第四位の槍ケ岳と比ぶれば、北穂の方が難易度でいえば難しい。又あの切り立ったフォルムで難しそうに見える槍の岩場よりも、ザレ場が多く落石のおそれがある奥穂のほうが怖いという印象を持っている。
そのうえ、初日の行程として、穂高への基地となる涸沢(2350m)への道程は、なまった体に相当にキツイ。それに比べれば、上高地から15キロと距離こそあるが、1820mの槍沢ロッヂ(しかもお風呂がある!!!)への道程は、体を起こすのに もってこい という判断で、今年の山は、槍ケ岳に決まった。

長い道のりを楽しませてくれる可憐な花たち
 


ほったん 
忙しくて写真も文もまとめる時間がなく小分けにするしかないので、お山の話はこれからまだまだ続くよ

桜の木の下、で

2018-04-05 21:00:00 | 自然
「桜の木の下、」より

風流を解さない性格のせいか、あまり桜を意識することがなかった私が、ワンコがトボトボと歩くようになった頃から、桜を苦手とするようになった。
「来年もワンコと桜を見ることが出来るだろうか」と怖れながら過した春が終わり、今年はワンコのいない三度目の春だった。

ようやっと私のなかで、桜と死の距離にある種の均衡が生まれたのか、今年はただただ桜に見惚れる春だった。

そんな桜と私の距離にふさわし本を読んだ。

「崩れる脳を抱きしめて」(知念実希人)

医療系の小説が好きなので、医師でもある作家さんの本はほぼ読んでいるのだが、最近新刊がでるのを楽しみにしているのは、この作家さんだ。
医療系・ミステリー・恋愛もの、いずれかのジャンルに分類しようとすると、知念氏の作風は微妙に物足りないが、これが混然一体となり描かれると、その物足りなさが、なかなかいい味わいを出している。

そんな知念氏の「崩れる脳を抱きしめて」の最終場面に、満開の桜の木の下の描写があった。
本書は、大賞の発表を5日後に控えた「2018年 本屋大賞」にノミネートされている、発売から間もないミステリーなので、内容を記すことは控え、本の帯を記すにとどめようと思う。
が、(最近の傾向として、いつも思うことだが)これほど大仰な煽り文句を打たないと売れないと(出版社が)思い込んでいること、この煽り文句が読後感に悪影響を与えうると関係者が思わないこと、この二点の方が私にとってはよほどミステリーだと一言書いておきたい。

それは兎も角、本の帯より引用
『圧巻のラスト20ページ!
驚愕し、感動する!!!
愛した彼女は幻なのか?
どんでん返しの伝道師が描く、
究極の恋愛×ミステリー!!

広島から神奈川の病院に実習に来た研修医の碓氷は、脳腫瘍を患う女性・ユカリと出会う。外の世界に怯えるユカリと、過去に苛まれる碓氷。心に傷をもつふたりは次第に心を通わせていく。実習を終え広島に帰った碓氷に、ユカリの死の知らせが届く。彼女はなぜ死んだのか? 幻だったのか?
ユカリの足跡を追い、碓氷は横浜山手を彷徨う。そして、明かされる衝撃の真実!?
希代のトリックメーカーが描く、今世紀最高の恋愛ミステリー!!』

医師である作家さんが、余命いくばくもない女性と研修医の物語を書くのだから、全編にそこはかとなく死は漂っている。
まして最終場面で描かれる桜は、墓地とホスピスに生えているのだから、桜と死は切っても切れない関係にある。
だが、知念氏が意識し、そのような作風にしておられるのかは分からないが、知念氏は死をただ忌み怖れるものとしては描いていない。

それは、ホスピスで大活躍した死神犬レオの物語「優しい死神の飼い方」(知念実希人)でも明らかだ。
http://www.kobunsha.com/shelf/book/isbn/9784334929145

装幀 谷口博俊(next door design)  装画 くまおり純

そのレオが、本書「崩れる脳を抱きしめて」の最終場面でも桜の木とともに登場する。
研修医が謎解きを終え 訪ねたホスピスで、道案内をするレオ。
ホスピスの小高い丘に雄々しく広がる満開の桜は、『まぶしさをおぼえるほどに艶やかだった。』
レオに連れられ辿り着いた満開の桜の下で、研修医が見つけたのは、愛する人。

ミステリーの種明かしになるので、これ以上は書かないが、眠りながら笑いながら眠っていったワンコを思う時、死を必要以上に忌み怖れない知念氏の作品は、私には受け容れやすい。

そんなことを思いながら桜の木の下から天を仰ぎ、、、桜の木の下を見つめてみた。
 
空一面を桜色に染めるような満開の木の根元に、次の代の準備をするかのような小さな枝がつき、そこにも天に咲き誇る桜と違わぬ桜が咲いていた。 
そんな桜を下から見守るように、お日様色のタンポポが笑っていた。

ワンコがしっかり胸に住みついてくれた三度目の春は、美しい。

追記、
知念氏が、医療ミステリーを通じて伝えたいのは、病や死に対して徒に不安を煽ることではなく、医療の在り方だと思う、それも極々さりげない表現で、それについては又つづく

参照、
優しい死神の飼い方」につき 「心つばげ!」 「我が主様 ワンコ」





桜の木の下、

2018-04-04 12:00:00 | 自然
桜というと、西行法師の「ねがはくは 花のもとにて春死なむ その如月の 望月のころ」のように静かであろうが、「同期の桜」のように勇ましかろうが、どうしても’’死’’に結びついてしまい、最終的には梶井基次郎の「桜の樹の下には 屍体が埋まっている」になってしまうこともあり、もう何年も、私にとっての桜は、心寂しさの方が勝っていた。(近年その理由の一番は、ワンコであるが)
そんな気持ちを増幅させるような、桜の本を読んだ。

「桜の森の満開の下」(坂口安吾)
あらすじwikipediaより引用
『昔、鈴鹿峠に山賊が棲み着いた。通りがかった旅人を身ぐるみ剥がし、連れの女は気に入れば自分の女房にしていた。山賊はこの山のすべて、この谷のすべては自分の物と思っていたが、桜の森だけは恐ろしいと思っていた。桜が満開のときに下を通れば、ゴーゴーと音が鳴り、気が狂ってしまうのだと信じていた。
ある春の日、山賊は都からの旅人を襲って殺し、連れの美女を女房にした。亭主を殺された女は、山賊を怖れもせずにあれこれ指図をする。女は山賊に、家に住まわせていた七人の女房を次々に殺させた。ただ足の不自由な※ビッコの女房だけは女中代わりとして残した。わがままな女はやがて都を恋しがり、山賊は女とともに山を出て都に移った。(注、※本書にある 現在では不適切用語とされる語を、wikipediaはそのまま用いている)
都で女がしたことは、山賊が狩ってくる生首をならべて遊ぶ「首遊び」であった。その目をえぐったりする残酷な女は次々と新しい首を持ってくるように命じるが、さすがの山賊もキリがない行為に嫌気がさした。山賊は都暮らしにも馴染めず、山に帰ると決めた。女も執着していた首をあきらめ、山賊と一緒に戻ることにした。出発のとき、女はビッコの女に向って、じき帰ってくるから待っておいで、とひそかに言い残した。
山賊は女を背負って山に戻ると、桜の森は満開であった。山賊は山に戻ったことがうれしく、忌避していた桜の森を通ることを躊躇しなかった。風の吹く中、桜の下をゆく山賊が振り返ると、女は醜い鬼に変化していた。全身が紫色の顔の大きな老婆の鬼は山賊の首を絞めてきた。山賊は必死で鬼を振り払い、鬼の首を締め上げた。
我にかえると、元の通りの女が桜の花びらにまみれて死んでいた。山賊は桜吹雪の中、声を上げて泣いた。山賊が死んだ女に触れようとするが、女はいつのまにか、ただの花びらだけになっていた。そして花びらを掻き分けようとする山賊自身の手も身体も、延した時にはもはや消えていた。あとに花びらと、冷めたい虚空がはりつめているばかりだった。』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%9C%E3%81%AE%E6%A3%AE%E3%81%AE%E6%BA%80%E9%96%8B%E3%81%AE%E4%B8%8B


桜が死と関連付けられるのは、散り際の美しさと儚さだと思いがちだが、梶井基次郎坂口安吾は美しさのなかの醜さ、儚さというよりも’’虚’’を見ているのかもしれない。

山賊は世にも美しい女性を八人目の女房にしながら、女房の美しさに その下を通る者を狂わせるという桜の花を重ね、『花の下は冷めたい風がはりつめている』『花の下は涯はてがない』と言うようになる。(『 』「桜の森の満開の下」より)

美しいもの 豪華なものへの執着も、残忍さを極めることにも、際限のない女房。

いつしか山賊は、残忍で強欲な女房を殺そうと考えるようになるが、そこで はたと「あの女は俺ではないか、俺自身ではないか」と思う。

もう何が何やら分からなくなった時に、山賊の心に湧き起ってくる感情は、山を歩く私としては感慨深い。
『山へ帰ろう。山へ帰るのだ。なぜこの単純なことを忘れていたのだろう?』

だが、山へ帰った時には、すべてが遅かった。

世にも美しかった女房は、実は鬼であった。
その鬼を殺し、屍体に触れんとすると、それは桜の花であった。
其は桜か屍体かと伸ばす山賊の手は消え、身体も全て消え、後には虚空が残されるだけだった。

自分の存在そのものを「孤独」だと感じた時 初めて、満開の桜の下への怖れが消えていた。

・・・・・
桜の美しさに醜悪さを見たり、’’虚’’を感じるほどの感性はないかもしれないが、桜に抱く不安や怖れと「孤独」の関連性であれば分かるかもしれない。

愛するものがあれば、その想いが強ければ強いほど、桜は怖いかもしれない。

人間の何倍ものスピードで年を重ねていくワンコと満開の桜並木を散歩する度、「来年もワンコと桜を見ることができるだろうか」と怖れた春を、思い出している。

だが、こんな時はこんな本がいいと お気軽に読んだ本に見つけた桜は、一味違った。
正確に云えば、やはり死の匂いは満ちているのだが、その満開の桜の下には、哀しく切ないけれど、希望があった。(追記、希望のそばには、やはりワンコがいてくれるね ワンコ)

そして、好天に恵まれ長く楽しむことのできた今年の桜は、私の目には華やかだった。

つづく