「桜の木の下、で」 「面・白い巨塔、腹黒い虚像 その壱」より
恋愛×ミステリーものと銘打つ「崩れる脳を抱きしめて」(知念実希人)のさりげない一コマに、患者とその家族の本音や、明後日の方向にいきがちな病院の「患者さんのための」のモットーが書かれているのに対し、「医療崩壊の救世主を」取材するノンフィクション作家を主人公にしながら、患者とその家族の視点が一切書かれない、お医者さん作家による小説もある。
その名もズバリ!
「院長選挙」(久坂部羊)
本の帯には、一際大きい赤文字「医学部でいちばん偉いのは、何かの教授だと思うかね?」の横に、「超エリート大学病院を舞台に、医師たちの序列と差別、傲慢と卑屈だけを描いた抱腹絶倒、本音の医療小説!」の言葉が踊っている。
幻冬舎の本の紹介より
『医学部でいちばん偉いのは、 何科の教授だと思うかね? 超エリート大学病院を舞台に、医師たちの序列と差別、傲慢と卑屈だけを描いた抱腹絶倒、本音の医療小説! 「ふんっ、医療の平等性? そんなもの、あるわけないじゃないか。臓器の王様・心臓を扱う医者が、いちばん偉いに決まってるんだよ! 」 国立大学病院の最高峰、天都大学医学部付属病院。その病院長・宇津々覚が謎の死を遂げる。「死因は不整脈による突然死」という公式発表の裏で、自殺説、事故説、さらに忙殺説がささやかれていた。新しい病院長を選ぶべく院長選挙が近く病院内で開かれる。候補者は4人の副院長たち。「臓器のヒエラルキー」を口にして憚らない心臓至上主義の循環器内科教授・徳富恭一。手術の腕は天才的だが極端な内科嫌いの消化器外科教授・大小路篤郎。白内障患者を盛大に集めては手術し病院の収益の四割を上げる眼科教授・百目鬼洋右。古い体制の改革を訴え言いにくいこともバンバン発言する若き整形外科教授・鴨下徹。4人の副院長の中で院長の座に着くのは誰か? まさに選挙運動真っ盛りのその時、宇津々院長の死に疑問を持った警察が動きだした……。』
http://www.gentosha.co.jp/book/b11056.html
幻冬舎の本書の紹介文だけ読めば、何処にでもある世間知らずのエリートの足の引っ張り合いにも思えるが、そこは熾烈な教授選が繰り広げられる「白い巨塔」(山崎豊子)の国立浪速大出身の現役医師が書く「院長選挙」なので、飛び交う本音はエゲツナイ。
循環器内科は、「かつてドイツでは、’’髪を切りに行く’’は女を買いに行くの隠語だ。外科医は床屋を兼ね、看護師は売春婦を兼ねていた、それくらい外科と云うのは下世話なんだ」として、外科医が医師を名乗ることすら腹立たしいという。
一方 外科は「投薬なんてものはブラセボ効果しかないのに、患者に治るかもしれないという偽りの希望を抱かせる内科は詐欺も同然の、(勤務体制が)9時5時集団だ」とバカにする。
若手改革派を気取る整形外科医は「内科と外科の覇権争いこそ医療崩壊の原因を作っている」と一見まともなことを言うが、それはその実内科と外科への嫉妬からくるものに他ならず、医学が進歩し病気が減った時こそ整形外科医の出番だと舌なめずりしている。
それは眼科も同様で、『メジャーの科は、まやかしの治療が多い。内科の出す薬はほとんど効かんし、外科は切る必要のない臓器を切って患者を苦しめておる』と攻撃するが、自らのセールスポイントは、医術ではなく売り上げの高さだ。要は、眼科の する必要のない大量の検査と高額な白内障の手術が病院の利益をあげているので、眼科こそ病院の屋台骨だというのだ。
だが、この程度の蹴落とし合いを「エゲツナイ」とは私は思わない。
真に「エゲツナイ」のは、日頃は反目し合っている各科の医師たちが、患者や家族やマスコミが医療に完璧を求めた時に見せる、一致団結だ。
内科が『世間の連中は、医療が安全で当たり前のように思っているから困りますな。医師を超能力者か魔法使いと勘違いしてるんじゃないですか。医師だって人間なんだから、成功もすれば失敗もする。医療ミスをゼロにはできませんやね』といえば、外科は我が意を得たりと『その通り。医療には常に不確定要素がある。やってみなきゃ分からん部分があるのに、結果だけ見てああだこうだと言われても困る。特に手術で合併症が起るかどうかは、半ばギャンブルみたいなもんだ。同じようにベストを尽くしても、運の悪い患者は合併症で命を落とす。患者の運の悪さまで、外科医は責任をもてんよ。フフフン』という。同じく手術をする眼科もここぞとばかりに言い募る『眼科も同様だな。高齢者の治療なんか、ほとんど気休めだからな。気休めで悪けりゃまじないだ。そもそも老化現象なんだから、治るわけないじゃないか。収益をあげるために無駄を承知でやってるようなもんだ。アハハ』これに若手の改革派のはずの整形外科医も『賛成!整形外科でも、年寄りの患者が厚かましくて困りますよ。痛いだの歩けないだの、関節が曲がらないだの、自分の都合ばかり並べたて文句を垂れる』と文句を垂れる。
そうして声を揃えて言うのだ。
『努力はしてるよ、精一杯ね。優秀な我々が、細心の注意を払い、食事の時間も睡眠時間も削り、家庭サービスも趣味の時間も犠牲にして、不眠不休で研究に励み、自らの進退をかけて、必死にミスや事故がないようにと心を砕いているんだ。それでも起るのが医療ミスなんだよ。油断したり、気を緩めたり、手を抜いているわけじゃない。これ以上、どう努力できると言うんだ。方法があったら言ってみたまえ』
看護師をして『そこ(医師)に患者側の視点はゼロね』と言わしめる、患者を置いてけぼりにした 「エゲツナイ」医師の本音も、繰り返し読んでいるうちに、必死な叫びに思えて納得してしまう部分が生じてくるのだから、恐ろしい。
恐るべし、浪速大学財前教授の門下生、久坂部羊
ところで本書には、『手術のヘタな人格者と、手術のうまい色ボケだと、色ボケが教授になっちゃうのよ。(そこが医療の難しいところよね)』というセリフがあるが、ブラックジャックといい財前教授といい、国立浪速大医学部は同様の問題を定期的に突き付けてくる。
恐るべし、浪速大学医学部
恋愛×ミステリーものと銘打つ「崩れる脳を抱きしめて」(知念実希人)のさりげない一コマに、患者とその家族の本音や、明後日の方向にいきがちな病院の「患者さんのための」のモットーが書かれているのに対し、「医療崩壊の救世主を」取材するノンフィクション作家を主人公にしながら、患者とその家族の視点が一切書かれない、お医者さん作家による小説もある。
その名もズバリ!
「院長選挙」(久坂部羊)
本の帯には、一際大きい赤文字「医学部でいちばん偉いのは、何かの教授だと思うかね?」の横に、「超エリート大学病院を舞台に、医師たちの序列と差別、傲慢と卑屈だけを描いた抱腹絶倒、本音の医療小説!」の言葉が踊っている。
幻冬舎の本の紹介より
『医学部でいちばん偉いのは、 何科の教授だと思うかね? 超エリート大学病院を舞台に、医師たちの序列と差別、傲慢と卑屈だけを描いた抱腹絶倒、本音の医療小説! 「ふんっ、医療の平等性? そんなもの、あるわけないじゃないか。臓器の王様・心臓を扱う医者が、いちばん偉いに決まってるんだよ! 」 国立大学病院の最高峰、天都大学医学部付属病院。その病院長・宇津々覚が謎の死を遂げる。「死因は不整脈による突然死」という公式発表の裏で、自殺説、事故説、さらに忙殺説がささやかれていた。新しい病院長を選ぶべく院長選挙が近く病院内で開かれる。候補者は4人の副院長たち。「臓器のヒエラルキー」を口にして憚らない心臓至上主義の循環器内科教授・徳富恭一。手術の腕は天才的だが極端な内科嫌いの消化器外科教授・大小路篤郎。白内障患者を盛大に集めては手術し病院の収益の四割を上げる眼科教授・百目鬼洋右。古い体制の改革を訴え言いにくいこともバンバン発言する若き整形外科教授・鴨下徹。4人の副院長の中で院長の座に着くのは誰か? まさに選挙運動真っ盛りのその時、宇津々院長の死に疑問を持った警察が動きだした……。』
http://www.gentosha.co.jp/book/b11056.html
幻冬舎の本書の紹介文だけ読めば、何処にでもある世間知らずのエリートの足の引っ張り合いにも思えるが、そこは熾烈な教授選が繰り広げられる「白い巨塔」(山崎豊子)の国立浪速大出身の現役医師が書く「院長選挙」なので、飛び交う本音はエゲツナイ。
循環器内科は、「かつてドイツでは、’’髪を切りに行く’’は女を買いに行くの隠語だ。外科医は床屋を兼ね、看護師は売春婦を兼ねていた、それくらい外科と云うのは下世話なんだ」として、外科医が医師を名乗ることすら腹立たしいという。
一方 外科は「投薬なんてものはブラセボ効果しかないのに、患者に治るかもしれないという偽りの希望を抱かせる内科は詐欺も同然の、(勤務体制が)9時5時集団だ」とバカにする。
若手改革派を気取る整形外科医は「内科と外科の覇権争いこそ医療崩壊の原因を作っている」と一見まともなことを言うが、それはその実内科と外科への嫉妬からくるものに他ならず、医学が進歩し病気が減った時こそ整形外科医の出番だと舌なめずりしている。
それは眼科も同様で、『メジャーの科は、まやかしの治療が多い。内科の出す薬はほとんど効かんし、外科は切る必要のない臓器を切って患者を苦しめておる』と攻撃するが、自らのセールスポイントは、医術ではなく売り上げの高さだ。要は、眼科の する必要のない大量の検査と高額な白内障の手術が病院の利益をあげているので、眼科こそ病院の屋台骨だというのだ。
だが、この程度の蹴落とし合いを「エゲツナイ」とは私は思わない。
真に「エゲツナイ」のは、日頃は反目し合っている各科の医師たちが、患者や家族やマスコミが医療に完璧を求めた時に見せる、一致団結だ。
内科が『世間の連中は、医療が安全で当たり前のように思っているから困りますな。医師を超能力者か魔法使いと勘違いしてるんじゃないですか。医師だって人間なんだから、成功もすれば失敗もする。医療ミスをゼロにはできませんやね』といえば、外科は我が意を得たりと『その通り。医療には常に不確定要素がある。やってみなきゃ分からん部分があるのに、結果だけ見てああだこうだと言われても困る。特に手術で合併症が起るかどうかは、半ばギャンブルみたいなもんだ。同じようにベストを尽くしても、運の悪い患者は合併症で命を落とす。患者の運の悪さまで、外科医は責任をもてんよ。フフフン』という。同じく手術をする眼科もここぞとばかりに言い募る『眼科も同様だな。高齢者の治療なんか、ほとんど気休めだからな。気休めで悪けりゃまじないだ。そもそも老化現象なんだから、治るわけないじゃないか。収益をあげるために無駄を承知でやってるようなもんだ。アハハ』これに若手の改革派のはずの整形外科医も『賛成!整形外科でも、年寄りの患者が厚かましくて困りますよ。痛いだの歩けないだの、関節が曲がらないだの、自分の都合ばかり並べたて文句を垂れる』と文句を垂れる。
そうして声を揃えて言うのだ。
『努力はしてるよ、精一杯ね。優秀な我々が、細心の注意を払い、食事の時間も睡眠時間も削り、家庭サービスも趣味の時間も犠牲にして、不眠不休で研究に励み、自らの進退をかけて、必死にミスや事故がないようにと心を砕いているんだ。それでも起るのが医療ミスなんだよ。油断したり、気を緩めたり、手を抜いているわけじゃない。これ以上、どう努力できると言うんだ。方法があったら言ってみたまえ』
看護師をして『そこ(医師)に患者側の視点はゼロね』と言わしめる、患者を置いてけぼりにした 「エゲツナイ」医師の本音も、繰り返し読んでいるうちに、必死な叫びに思えて納得してしまう部分が生じてくるのだから、恐ろしい。
恐るべし、浪速大学財前教授の門下生、久坂部羊
ところで本書には、『手術のヘタな人格者と、手術のうまい色ボケだと、色ボケが教授になっちゃうのよ。(そこが医療の難しいところよね)』というセリフがあるが、ブラックジャックといい財前教授といい、国立浪速大医学部は同様の問題を定期的に突き付けてくる。
恐るべし、浪速大学医学部