先月のワンコお告げ本は、30そこそこの今どきの若者が、ひょんなことからポジションとして執事のような仕事につく話で、その若い執事の語りで物語が進んでいくので、「日の名残り」(カズオ・イシグロ 訳・土屋雅雄)を思い出し、再読したんだよ。
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晩秋まで千輪の花が咲き誇るという千輪向日葵
立冬の朝
「日の名残り」を初めて読んだ時は、まだほんの子供みたいなものだったので、物語の最後に執事が流す涙の意味も、そんな執事にかけられる言葉の重みや温かさも、実感としてなかったと思うんだ。
長年ひたすらに主人に仕えてきた執事が、人生も後半になったとき、旅に出る。
名執事として、自分を殺し淡い恋心にも蓋をし、ただ ひたすらに主人に仕えてきた自らの半生に、職業的な誇りこそあれ後悔はないのだが、それでも来し方を振り返り、残りの行く末に思いを巡らせたとき、名執事は涙を抑えることができない。
一人涙する執事に、印象的な言葉がかけられる。
『夕方が一日で一番いい時間なんだ』
その言葉に深い意味を見出したのは、ちょうどその頃、eveningの語源を耳にしたからかもしれない。
逢魔時とも誰彼時とも云われる夕方には、少し恐ろしく少し物悲しいイメージが付きものであるし、(ここからがお楽しみ、という向きもあるかもしれないが)一日がほぼ終わった心持ちにもなるものだが、平等という意味をもつ古ドイツ語のevenが転じて、二つに分けるという意味を持つようになったeven(ing)が、夕方を指すのは素敵だと感じた。一日を時刻的に半分(二つに)分けるのなら、正午がeveningでも良さそうなものだが、夜明けを始まりとして、残りの半分が始まる時をeveningとする。
長年ひたすらに主人に仕えてきた執事が、人生も後半になったとき、旅に出る。
名執事として、自分を殺し淡い恋心にも蓋をし、ただ ひたすらに主人に仕えてきた自らの半生に、職業的な誇りこそあれ後悔はないのだが、それでも来し方を振り返り、残りの行く末に思いを巡らせたとき、名執事は涙を抑えることができない。
一人涙する執事に、印象的な言葉がかけられる。
『夕方が一日で一番いい時間なんだ』
その言葉に深い意味を見出したのは、ちょうどその頃、eveningの語源を耳にしたからかもしれない。
逢魔時とも誰彼時とも云われる夕方には、少し恐ろしく少し物悲しいイメージが付きものであるし、(ここからがお楽しみ、という向きもあるかもしれないが)一日がほぼ終わった心持ちにもなるものだが、平等という意味をもつ古ドイツ語のevenが転じて、二つに分けるという意味を持つようになったeven(ing)が、夕方を指すのは素敵だと感じた。一日を時刻的に半分(二つに)分けるのなら、正午がeveningでも良さそうなものだが、夜明けを始まりとして、残りの半分が始まる時をeveningとする。
だからこその、『夕方が一日で一番いい時間なんだ』、なのだ。
0時に始まる時刻で計れば、夕方は残りの時間が少ないことを感じさせる侘しい逢魔時かもしれないが、夜明けを一日の始まりとすれば、夕方はまだ後半戦のほんの入り口ということになる。
人生も同じではないかと、最近思う。
始まりの時を、更新することも出来るかもしれないし、たとえ夕暮れを感じたとしても、それは後半戦のほんの始まりで、しかも「一番いい時間」にできうるのだと。
そのように思う時、日の出前と日の入り前のほんの少しの時間だけ現れる、空が蒼い特別な時間『ブルーモーメント』が目に浮かぶ。
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槍ヶ岳を照らす夕焼け
執事の目に、ブルーモーメントが映ったかどうか。
しかし、「夕方が一日で一番いい時間」の言葉をうけた執事の独白を聞けば、その心に「ブルーモーメント」は刻まれたのだと思う。
『人生が思いどおりにいかなかったからと言って、後ろばかり向き、自分を責めてみても、それは詮無いことです。 ~略~あの時ああすれば人生の方向が変わっていたかもしれない-そう思うことはありましょう。しかし、それをいつまでも思い悩んでいても意味のないことです。私どものような人間は何か真に価値あるもののために微力を尽くそうと願い、それを試みるだけで十分であるような気がいたします。そのような試みに人生の多くを犠牲にする覚悟があり、その覚悟を実践したとすれば、結果はどうであれ、そのこと自体がみずからに誇りと満足を覚えてよい十分な理由となりましょう』(『 』「日の名残り」より)
年齢だけでみれば、人生も後半戦の入ってしまったし、近年は特に 自分が希望してきた道とは異なる道を歩み始めているので思い悩むことも多いのだが、それでも、いつも ’’始まり’’ の「ブルーモーメント」を瞼に浮かべ自分をリセットしながら頑張っていきたいと、今は思っている。