四代目桶屋金之助の世界

おろかなるひとり言
胸を張れるような自慢話などはありません。
照れくさい話や恥ずかしい話ばかりです。

『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』

2019-08-17 10:20:49 | 映画
『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』
1995年劇場公開
監督:岩井俊二 
島田典道:山崎裕太 及川なずな:奥菜恵 安曇祐介:反田孝幸

元々はこの映画は、1993年にフジテレビ系列で
オムニバステレビドラマ『If もしも』の一篇として放送されたものを
1995年に劇場公開された。
そして、昨年アニメ映画として劇場公開されている。

人生の中で「もし、あの時左に進むのを止めて右に行っていたなら・・・」
人生、変わっていたかもしれない。
そんなことを思うことが多々ある。

映画は、小学生の恋の物語を2つのパターンを瑞々しく描いている。
典道と祐介がプールで50メートル競走をする。
勝ったほうがなずなと花火大会に行く。

Aパターンは裕介の勝ち。
Bパターンは典道が勝つ。

一番最初に観た時、正直いって
「あれ、なんで話が元にもどり、ストーリーが変わってしまったんだ」と、
意味がよく解らなかった。
でも2回めに観た時に、この映画の意味、Yの起点に経ったとき
右に行った場合、どうなるか。
「もし」左に行ったらどうなるか。
映画は、それをいいたかったことに気付いた。

先日、NEKBSでアニメ版が放送されて録画して観た。
主人公たちは小学生でなく中学生に置き換えられていた。
実写版の印象が個人的に強かったため、
正直、アニメ版は抵抗をを感じていた。

でも、観てみるとアニメ版もけっこうおもしろい。
実写版よりもより一層「Y]の起点、もしもの世界が描かれている。

盆休み、アニメ版を見た後、録画してある実写版も観た。
同じ題材の映画を対比して観るのもおもしろいもんだなと思った。

さて今日は、刈谷わんさか祭りの花火大会。
花火は丸いか、へらべったいか。
そんなこと思ったこともなかったなぁ。
コメント (2)
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森山良子 『死んだ男の残したものは』

2019-08-15 09:55:17 | 音楽
♪死んだ男の残したものは
ひとりの妻とひとりの子ども
他には何も残さなかった
墓石ひとつ残さなかった

死んだ女の残したものは
しおれた花とひとりの子ども
他には何も残さなかった
着もの一枚残さなかった

死んだ子どもの残したものは
ねじれた脚と乾いた涙
他には何も残さなかった
思い出ひとつ残さなかった

死んだ兵士の残したものは
こわれた銃とゆがんだ地球
他には何も残せなかった
平和ひとつ残せなかった

死んだかれらの残したものは
生きてるわたし生きてるあなた
他には誰も残っていない
他には誰も残っていない

死んだ歴史の残したものは
輝く今日とまた来るあした
他には何も残っていない
他には何も残っていない

作詩:谷川俊太郎/作曲:武満 徹

この歌は、森山良子さん以外にも
高石友也さんや小室等さん、本田路津子さんなど
数多くの方々が歌っている静かな反戦歌である。

詩は僕の好きな谷川俊太郎さん。
ベトナム戦争の頃に書かれた詩である。

今日は74回目の終戦記念日。
60年代終わりごろ、多くの反戦歌が生まれた。
反戦歌の中でもとくにこの歌が好き。

『戦争を知らない子供たち』ももう、60代終わりから70代である。
今の若者たちは「戦争」についてどのように捉えているか知らないが、
あの悲惨な愚かな戦いは2度と起こってほしくない。

戦争の語り部が少なってきた今、今日ぐらいはどこかのラジオ局で
「今日は一日、反戦歌三昧」、そんな特集があってもいいじゃないかと思ってしまう。

『戦争は知らない』、『坊や大きくならないで』、『戦争の親玉』、『腰まで泥だらけ』、
『教訓Ⅰ』、『まぼろしの翼とともに』、『あの人の手紙』・・・・

流行らないかもしれないが、「反戦歌」などを若者たちに聴き継がれてほしいと思っている。


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岩井 宏 『紙芝居』

2019-08-14 11:25:54 | 音楽
♪紙芝居 紙芝居 
 紙芝居屋の あのおやじは もういない

 古い自転車に 小さな箱つんで ジンジャカ やってくる
 ひょうしぎの音で ぼくらは神社に集まる
 手に五円玉もって

 紙芝居 紙芝居 
 紙芝居屋の あのおやじは もういない

 小さな箱に 大きな夢つんで ジンジャカ やってくる
 めぬきあめを買って ぼくらは夢中にしゃぶる
 二本目をねらって

 小さな箱に 小さな劇場つんで ジンジャカ やってくる
 こわいろまじりの おやじの声が おいらの耳をほじくる

 紙芝居 紙芝居
 紙芝居屋の あのおやじは もういない

岩井宏さん
ちょっとマニアックかもしれないフォークシンガー。
バンジョーの名手でもある。
高田渡さんや加川良さんのサポートなどもされていた。

この高田渡さん、加川良さん、岩井宏さん
別名、3バカトリオとも云われていたらしい。
一度、生で観たかったなぁ。
この3人はもういない。
天国に行ってしまった。

夏になると何となくこの歌が聴きたくなる。
小学校低学年のころ、夏休みになると近くの神社に
紙芝居屋さんが来て、アイスキャンディ食べながら見ていた。

どんな内容の紙芝居だったかは記憶がない。
だけど心の中に夏休みの想い出として残っている。
だからこの時季になると『紙芝居』が聴きたくなるのかもしれない。

久々に聴くと懐かしさが蘇る歌である。
興味のある方、ユーチューブで聴くこともできます。
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70年代洋楽ヒット

2019-08-11 11:33:01 | 音楽
私の好きなラジオ番組
ピッチFM83.3の「ピッチハッピーマーケット」
月曜日のパーソナリティ鈴木亜紀子さんが、
ツイッターで「おすすめの洋楽曲やアーティストあれば、ぜひ教えてください。
特に最新音楽ではない年代もの」と書かれていた。

僕はどちらかといえば洋楽はあまり詳しくない。
英語が苦手だったから。
ただそれだけ。

でも、ラジオが好きだったから、ある程度は知っている。
もちろん好きなアーティストはいる。
CDをもっているアーティストは、
カーペンターズ、サイモン&ガーファンクル、エルトン・ジョン
ビージーズ、ビリージョエル、クイーン、ビートルズ、ボブディラン。
そして70年代洋楽ヒットと80年代映画音楽(洋楽)のコンピレーショアルバム。
あ、「ラジオの時代」というCDもあった。
1968年から1976年まで各年ごと(各1枚)に邦楽と洋楽が半分づつ入っている。

亜紀子さんファンとしては、何を薦めればいいか。
久々にコンピレーションアルバムの70年代洋楽ヒットと
80年代映画音楽(洋画)のアルバムを聴いてみた。

スリードッグナイト、ショッキングブルー、アルバートハモンド、
ディープパープル、アバ、オリビアニュートンジョン・・・
全てラジオから知った曲が並ぶ。
なつかしい、CDからあの時代が蘇る。

その中で気にいっている曲がある。
ジャニス・イアンの 『ラブ・イズ・ブラインド(恋は盲目)』
この歌、テレビドラマ「グッドバイ・ママ」の主題歌だったんだよね。
ドラマを観ていて、めちゃ感動したことを覚えている。

さて明日の放送。
午前11時からFM83.8でオンエア。
最近はメッセージの他にもリクエストも送っている。
明日のリクエストは70年代の洋楽から番組に合いそうな曲を選ぼう。

これを読んでいる方、
もし興味があれば「ピッチハッピーマーケット」を聴こうよ。
そしてメッセージやリクエストなどを送って番組を盛り上げましょう。

なんせ私、「鈴木亜紀子ファンクラブ会員No1」ですから。


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第1回 中津川フォークジャンボリー

2019-08-09 10:39:47 | 音楽
1969年8月9日
岐阜県恵那郡坂下町の椛の湖で
日本で最初の野外コンサートが行われた。
全日本フォークジャンボリー(通称/中津川フォークジャンボリー)。

あれから50年が経ったのか。
久々にこの復刻CDを聴いている。

岡林信康と高石友也で「友よ」でオープンニング。
そして高石友也の開会宣言。

出演者は、岡林信康、高石友也のほか
高田渡、五つの赤い風船、中川五郎、遠藤賢司、岩井宏、
CDには収録されていないが、ジャックスや上条恒彦なども参加している。

このイベントを企画・運営したのが笠木透さんを中心にした地元の若者たち。
会場になった場所は草だらけだったらしい。
まず草刈から初めて整備していったという。
会場作りも手作りである。
もちろんボランティアである。

宣伝らしい宣伝もせずに交通の便の悪い岐阜県の山奥に
当時の若者たち約2500人が集まった。

今、思うとすごいイベントを実行したんだなと思う。
やはり、これは熱意か。
熱い気持ちがなければやれないだろう。

出演者も今も現役で活躍されている人もいる。
CDを聴いていると当時の歌のパワーが伝わってくる。

フォーク史を語るなかで避けては通れないコンサート。
第3回までつづいた。
第3回は途中、討論会になってしまった。
いろんなことがあって途中で中止。

ここ最近、いろんな場所でフォークジャンボリーと名を付けて行われている。
刈谷でも毎年4月にハイウェイオアシスで「西三河フォークジャンボリー」が
行われるようになった。
出演者も観客も50代以上が多数を占める。

僕たちの世代。
心の中に「フォーク」という魂がどこかに根付いているのかもしれない。

この第1回フォークジャンボリーに出演した方のなかには、
すでに亡くなった方もいる。
そして企画・運営した中心人物、笠木透さんも亡くなっている。
運営に携わった方の中にも亡くなった人がいるかもしれない。
そんな人たちにご冥福をお祈りします。
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