田舎主婦の日日是好日

今日も生きてることに感謝かな。

ウサギにも暖房を

2024年11月30日 | ペット・動物

リビングにケージを置いてるウサギにも、

暖房を考えてやらねばね。

 

今まではケージの中に、

稲わらで編んだウサギマットを入れておりました。

 

ご近所さんから藁を頂いてあるので、

ふんだんに編めるのですが、

ウサギの破壊力は半端ないので、

一日でバラバラにされてしまいます。

 

で、

最近は藁を半分に切って入れるだけです。

 

オカアサンはサイキンてぬきをしてます。

こっそりいうとワタシのことだけではありません。

にわそうじにもサムイといっていかないし、

すこしコウレイシャになったのかも。

 

それにオカアサンはおやつをかってくれましたが、

ハンガクのものなんです。

45グラムしかはいってないのにタカイんだって。

なんだかさいきんケチになってきたみたい。

でもワタシはショウミキゲンはみないからいいのだけど。

 

こういうカタイおやつをカジカジしていると、

ココロがおちつきます。

 

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エノキダケの海苔巻き

2024年11月29日 | お料理&台所用品

私のパソコンは立ち上げると世界中の景色や、

簡単お料理の画面が出ます。

 

先日はエノキロールでした。

エノキダケの新作料理を覚えました。

 

エノキダケ1袋・焼きのり2枚・片栗粉・サラダ油・

バター10グラム・しょうゆ小1

エノキダケは石突を切って4等分にして、

水にさっとくぐらせて海苔(1枚を半分に切ったもの)で、

くるくるきつく巻きます。

4等分か5等分に切って片栗粉を片面につけ、

火が通るまで立てたまま、

サラダ油を引いたフライパンで両面を焼きます。

 

そこにバターとお醤油を入れ絡ませます。

熱々が美味しいです。

海苔を巻いた時にはみ出したエノキダケは、

賞味期限過ぎそうなジャコと一味をいれて佃煮に。

どちらもご飯にとても合います。

 

 

 

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この世をば:光る君へ第45回

2024年11月25日 | 趣味・本・テレビ他

先週の道長の歌

この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも 無しと思へば

 

ドラマでは藤式部(紫式部)の歌に呼応しているのでしょうね。

以前の記事36回

めづらしき光さしそふ盃はもちながらこそ千代もめぐらめ

 

ドラマでは藤式部(紫式部)が、

中宮様という月の光に皇子様という新しい光が加わった盃は、

今宵の望月のすばらしさ そのままに千代もめぐり続けるでありましょうと、

説明していました。

 

で、

そんなことは知らない昨夜放送の四納言の感想。

 

源俊賢・藤原斉信は、

何もかも思いのままだという栄華を歌い上げているのかな。

でも藤原公任と藤原行成は、

道長は皆の前で驕ったような歌を披露するような、

人となりではない。

と意見が分かれました。

 

さてドラマから離れてみれば、

大昔歴史で道長のこの歌を知った時、

なんて傲慢な人なんだろうと思っておりましたが、

でも次第に、

少し違う解釈をするようにもなっておりました.。

 

この世この夜が掛詞になってるとしたら、

少し意味合いがやわらかくなって、

望月の夜に娘の3后がそろっていい気分だな~

というような歌にとか。

 

道長の『御堂関白記』には私は和歌を詠んだ。

人々はこの歌を詠唱したとしか書かれておりません。

歌が書かれてませんから、

「世」なのか「夜」なのかわかりません。

 

3人もの后を出した家はありませんから、

ほろ酔い気分で我が世と思ってもおかしくはないですけどね。

 

でも私は最近ではそれ程、

道長は傲慢な人ではなかったのではと思うのですけどね。

 

史実では、

道長は身体が弱く何度も辞表を出しておりますし、

兄たちがみまかってしまいやむなく押されたこともあったわけですし、

次々起こる幾多の困難も切り抜けねばならなかったのですし、

あんがい「わが世」だなんて思わなかったのかもと。

 

実資は日記の中で(小右記)、

道長は傲慢な歌を歌ったなんて書いておりません。

皆で唱和したとあるだけです。

(歌の文字は世)

 

でも、

この歌が、

実資の日記に残されているということだけで、

道長は非常に傲慢な人だったと後世に取られてしまうのですから、

「史料」と言うものの怖さを想います。

 

でも、

書き残した実資さまをお恨みしているのではありません(汗)

 

さて、

私も子孫に誤解されないように、

色々片付けていかねば(笑)

 

°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°第45回「光る君へ」°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°

 

さて藤式部(紫式部)と道長。

そして倫子。

 

何があったのだ。

これ以上手に入らぬお方のそばにおるのも・・・

ここらで違う人生を歩んでみたくなったのでございます。

お前とはもう会えぬのか。

会えたとしてもこれで終わりでございます。

 

藤式部が旅に出るといい、

賢子が道長の娘とわかり(それは混乱の極みでしょうね)、

出家をするという道長に倫子は、

お休みになりたければ、私のもとで、

現世でお休みくださいませ。

今際(いまわ)の際でもありませんのに、

ご出家なぞあり得ませぬ。

 

でも聞き入れられず、

道長と心が通じ合わぬ倫子の悲しそうな表情。

 

道長が髪をおろし剃髪にするとき流した倫子の涙と、

道長の涙は交じり合わないものでした。

「光る君へ」45話(C)NHK

辛い正妻の倫子ですが、

また大らかな気持ちで皆を包んでいくことでしょう。

でも何だか倫子が可哀そうすぎました。

 

そして今回、

2度ほど道行く庶民たちの映像が映りました。

 

藤式部がまひろと呼ばれていたころの時代より、

30年以上の年月がたっているでしょうか。

 

道行く庶民の衣装が小ぎれいで、

人々の顔つきもにこやかでした。

足元は素足に草鞋(わらじ)か藁草履(わらぞうり)。

 

民が幸せになる政。

まひろ(藤式部・紫式部)が願った世。

道長の努力もあり、

少し進んだのかななんて観てましたけどね。

 

藤式部(紫式部)が旅に出、

おつきの乙丸が越前の海を思い出しますね~なんていう先には、

この周明(ジョウミン)が。

今回もやっぱり影像が美しかったです。

彰子の衣装の色重ね・藤式部邸の几帳の色は桜色に変わっていて、

海の波は日本画で描かれたような感じで、

ずっと見て居たかったです。

 

あと3回ですね。

 

ではまた来週。

 

 

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友人:良い香りを残して

2024年11月23日 | 人間・社会

遠くから友が我が家を訪れてくれた。

 

7年会わなかったけれど、

彼女の穏やかな雰囲気は相変わらずだった。

 

日帰りだったから、

我が家でのランチしか出来なかったけれど、

かえって色いろ語り合えたかな。

 

彼女は商家へ嫁いだゆえに40年以上も、

自由にならずだったけれど、

義親を送りご子息夫婦が跡を継いでくれ、

縛られずの時間を持てるようになったとのこと。

 

そして、

これまでした、

どんな苦労もみんな役立ったと言う。

 

もともと見目麗しい彼女。

端正な口元から発せられる言葉も温かで、

良い香りを我が家に残していかれた。

 

田舎の婆様の私。

彼女のように香らなくも、

悪臭だけは振りまかないようにしようと思いましたよ。

 

薫習(くんじゅう)というのかな。

彼女の振りまいていった良き香りは。

お終いになってきた薔薇。

蕾を切り取って部屋に置くと開いてくれるのです。

 

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畑:作物収穫終了

2024年11月20日 | 家庭菜園

畑のお片づけがほぼ終了しました。

 

サツマイモは殆どが使いやすい大きさでした。

干して新聞紙に包み、

段ボールや発泡スチロール箱に収めました。

 

中玉トマトも片付けることに。

隣へ植えていたキュウリのツルがトマト側に入っていて、

最後のキュウリが採れました(先週)。

カボチャも先月収穫済みと言うのに、

こんな青いのまでなっていてウフフ。

 

支柱を片付けながら、

一度も倒れずに立て方も上手くなったな~と、

自分をほめて(笑)

ナスもピーマンも抜いてニンジンも全部掘りました。

 

大根もネギも抜いて残りは白菜のみ。

パセリはビニールで覆いたいな

 

で、

玉ねぎの植え付けはパスの予定でしたが、

余ったからと苗が届きましたので、

先日200本超植えましたよ。

 

ああ~

「田舎の婆様道まっしぐら」になってきたかな(笑) 

 

時にはオシャレで変身すればって言ってみても、

すでに土台がだめになってますからね(笑)

 

先日の着物でのお出かけ姿も、

綾小路きみまろさんの口調でいくと、

奥様お綺麗ですね~お着物が

って感じ。

 

でも、

こうして働ける身体なんだから感謝です。

少しやせ我慢で言ってますけれど(笑)

アチコチ痛くならず動ける体に本当に本当に有難うです。

 

 

 

 

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出家:光る君へ第44回

2024年11月18日 | 趣味・本・テレビ他

出家ってなんでしょう。

 

仏道に励み極楽往生を願うことのようですが、

明子の子息は若くして出家しましたし、

道長の父親の兼家も晩年に出家でしたね。

昨夜のドラマでは、

藤式部(紫式部)の父の為時も出家でした。

 

42回では、

藤式部(紫式部)が出家しようかしらなんて言ってましたし、

詮子(一条天皇の母)は円融法皇が崩御した後に出家。

定子は出家しながら内裏へ出入りしてました。

(実資の日記には批判が書かれてありましたよ)

彰子は万寿4年(1026年)39才で出家してますが、

母親の倫子は長歴3年(1039年)75才で出家と遅いのです。

 

以下の青文字は、

NHK「光る君へ」の冊子コラムからお借りいたしました。

 

平安時代中期になると、

貴族たちは極楽浄土へ行くことにこだわるようになっていました。

そのための方法の一つが出家です。

 

出家には、

極楽浄土にいる御仏に仕える身となって奉仕し、

少しでも極楽へ行けるようにという願いが込められているんですね。

 

なので晩年に自分の意志で出家する人もいましたし、

病気で倒れた方の死を覚悟し、

家族が当人の極楽往生を願って、

剃髪(ていはつ)を受け入れることもあったようです。

 

当時の貴族たちは「必ず極楽へ行きたい」という、

純粋な願いから出家をしていました。

 

若者の場合には寺で修行のようですが、

大人の場合は在家出家で、

出家しても政の相談にはのっていたようですし、

現世(現生)とキッパリ手を切ってということではないのですね。

 

昨夜放送でも藤式部の娘の賢子が、

出家をするという為時に、

家に居て会えるなら、

おじじさま、それでは何も変わらぬのではないですか。

などと言ってましたね。

 

良くわからない平安時代の出家ですが、

出家すると男性は剃髪(ていはつ)にしたようです。

このドラマでは、

道長の父の兼家・花山天皇・一条天皇・

三条天皇・藤式部の父の為時が剃髪でしたねぇ。

 

女性が出家の場合は直ぐに剃らず「尼削ぎ(あまそぎ)」という、

肩くらいの長さで切りそろえた状態にするのだそうです。

そして後に、

男性のように剃髪されることもあったらしいです。

 

出家してない女房たちの長い髪は大変だったでしょう。

髪の毛は御盆のような箱に入れて寝てますね。

(以前の放送)

 

男性にせよ女性にせよ、

髪を切るって神聖な行いなのですね。

 

 

°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°第44回「光る君へ」°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°

 

昨夜も盛沢山。

 

三条天皇の姫皇子を道長の嫡男頼通(よりみち)の妻にと言う、

三条天皇からの申し出に頼通は、

そのようなことを私にお命じになられるなら、

私は隆姫を連れて都を出ます。

 

道長と藤式部(まひろ)もかってそういうことがありましたね。

ふたりで藤原の家を出て遠い国へ行こうと。

 

道長はそのような自分の若き日の苦悩を想いだしたのか、

婚姻を断るために頼通に病になれ怨霊のために重病だと噂を流し、

嫡男の頼通を守ります。

 

文句言うな隆姫を守るためじゃ。

大声で頼通に言うところにはちょっぴり胸を打たれました。

 

まひろ(藤式部)と父・為時。

わしは官人にはむいておらぬゆえ皆には苦労をかけたなぁ。

父上長らくご苦労様でございました。

 

月明かりの中の二人の対話は、

いつもしみじみとしていい感じですね。

 

暮のあいさつに参ったと藤式部の房を訪ねた道長。

 

道長さまの想いが頼通さまに伝わらなくも、

次の代その次の代と、

一人で成せなかったことも時を経れば成せるやも。

 

このドラマの伏線のような話をしましたね。

(私にはそう感じられたのですが)

この時の道長の顔つきは、

とても安堵しているような落ち着きが出てました。

でもそこへ倫子さま。

 

えっ?殿の物語を書いてほしい?

赤染衛門に頼むのではなく?

何だか嫌がらせのように見えましたけど、

彼女はみんなお見通しですものね。

 

場面が変わり、

闇だ・・・

闇でない時はあったかのう。

闇を共に歩いてくれて嬉しかったぞ・・・

三条天皇は無念であられたことでしょう。

 

敦明親王(あつあきらしんのう)も父である三条天皇に亡くなられ、

先行きに不安を覚え、

自ら申し出て東宮を降りることになり、

後一条天皇(道長の孫)の弟の敦良親王(道長の孫)が、

東宮の座に就いたのですね。

 

このことには棚ぼただったというような気持ちの、

道長だったことでしょう。

 

そして、

道長の娘の威子が後一条天皇の中宮になり、

それを祝う宴席。

彰子が太皇太后、妍子が皇太后、威子が中宮と3つある后の席が、

道長の娘。

 

道長の息子は後一条天皇の摂政ですから、

「全て満たされた」という想いはあったでしょうね。

 

かがり火のなかでの頼通と教通の兄弟の舞は良かったです。

雅楽は琴・太鼓・笙(しょう)でした。

二人の衣装も華やかでしたし、

盃を回すときの音楽が良かったですね~

美しい品のある旋律が印象的でした。

宴席より月に向かって歩いて行く道長が、

月を観ながら歌を詠むのですが、

このドラマでは若き頃、

廃邸でまひろ(藤式部)と見た月とも重なり合ってるのですね。

 

そして以前、

めずらしき光さしそう盃はもちながらこそ千代もめぐらめ

藤式部(紫式部)が若宮の祝宴で詠んだ歌に対して、

道長は、

よい歌だ。覚えておこうといっておりました。

 

ですので、

藤式部(紫式部)の歌に呼応する形で、

この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも 無しと思へば

と、

詠まれたのだとドラマではなってるのかな。

 

長くなるので、

この歌の部分は次回へ持ち越します。

 

ではまた来週。

 

 

 

 

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訪ねてくれるって嬉しいね

2024年11月16日 | 人間・社会

地区の友人知人。

時々チャイムを鳴らしてくれる。

家の横を通ったから顔をみていこうと思ってと。

 

そういう時にはお茶してということは殆どなく無く、

たいがい玄関でおしゃべりなので、

皆さん訪れるのにも気楽かな。

 

遠くの元学友も近々会いに来るというし、

遠くの親族も近日見えるそうです。

こういう時は上がって頂きますけど。

 

親戚や知り合いたちが訪れてくださるのは嬉しいですね。

 

人の出入りのある家は栄えるといいます。

栄えなくも細々長く続いていけばと思ってますけどね。

毎年律儀に咲いてくれるマユハケオモトの蕾。

かまいすぎないほうが元気でいます。

 

 

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本『聖の青春』

2024年11月13日 | 趣味・本

ブロ友さんの御紹介で『聖の青春』を読みました。

将棋の村山聖(むらやまさとし)さん

 

1969年(昭和44年)6月15日 - 1998年(平成10年)8月8日

日本の将棋棋士 九段(追贈)

森信雄七段門下 棋士番号は180

 

村山聖さんのお話はTVドラマになったり、

松山ケンイチさん主演の、

映画(2016)になったりしてましたが、

私はどれも見ずにきまして、

本を読んでいるのですが、

よくこのお身体で病気と闘いながら、

病院を脱走しながら将棋を戦えたな~と。

平凡な言葉でしか言い表せないけれど、

ただただ心が震えました。

 

師匠の森信雄さんは、

2017年に引退されてるそうですが、

ご両親や森さんはもちろんの事、著者の大崎善生さんを含め、

彼を取り巻く人間関係の温かさに胸を打たれました。

 

村山さんが、

小鳥を飼いたいウサギを飼いたいなどと言ったなんてところには、

クスっと笑わせて頂きましたが、

終盤には読むのが辛すぎて、

何度も本を閉じました。

 

ですが5才より発病の、

ネフローゼと死闘のような壮絶な戦いをしながら、

将棋と言う盤上でも「名人になる」という夢を持ち、

果敢に戦っていく姿は、

感動なんて言葉では言い表せないほどの衝撃でした。

 

村山聖さん享年29才。

合掌

 

VINさん御紹介有難うございました。

なお先の『将棋のわたなべ君』の本は、

2巻目を読み始めてます。

 

 

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古今和歌集:光る君へ第43回

2024年11月11日 | 趣味・本・テレビ他

平安時代の貴族は、

『古今和歌集』がお好きだったようです。

  

古今和歌集 平安時代(905年とも914年とも)

   日本最初の勅撰和歌集(ちょくせんわかしゅう)

   醍醐天皇(だいごてんのう)の命令で紀貫之(きのつらゆき)らが編集

(約1100首)

 

『古今和歌集』は二つの序文を持っていて、

仮名で書かれた仮名序。

やまとうたは、人のこころを種にして、

おおくのことばとなったものである・・・・

古今和歌集仮名序の画像

そして漢文で書かれた真名序とがあります。

古今和歌集真名序 - 書砦梁山泊 大阪店の画像

仮名にしろ漢文にしろ読めません。

 

平仮名は平安時代にできたため、

奈良時代までは日本語を表記する文字は、

漢字しかなかったようです。

 

なお

万葉仮名(まんようがな)というのは、

仮名と言っても漢字を、

本来の意味から離れ仮名的に用いた文字のことだそうで、

特に万葉集(現存する日本最古の歌集)に多く用いられているので、

この称があるとのことです。

 

古事記・日本書紀・懐風藻・万葉集・古今和歌集・風土記・

伊勢物語・大和物語・土佐日記・枕草子・源氏物語他。

 

奈良時代平安時代の書物。

こうして訳された本であっても読めるのは、

保存してくださった方々のお陰もありますね。

 

古今和歌集の紀貫之の歌

人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香(か)ににほひける

 

歌の意味合いから少しずれますが、

花でなくも、

1000年以上たっても香ってくるような昔の書物。

日本の宝です。

 

°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°第43回「光る君へ」°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°

 

昨晩観終わって感じたのは人の成長・変化でした。

 

三条天皇は即位3年というのに身体に異変が起き、

譲位を迫られお気の毒でなりません。

敦康親王は母と慕った彰子に、

お変わりになられましたねと言っておられましたが、

彰子は本当に堂々としてこられました。

(この時の彰子の袿?は母親の倫子が着ていたものですね)

 

倫子は、

道長の長男頼通(よりみち)に子ができないことに、

覚悟をお決めなさい。

父上のようにもう1人の妻を持てばいいのです。

倫子も悩みぬいて己の歩む道に光を見出したのですねえ。

でもね~倫子さま。

私だって色いろ考えておりますのよ。

ですからたまには私のほうもご覧くださいませね。

おほほほほほ・・・

これはひとこともふたことも余計かな(笑)

夫君は貴女様を貴女様が思う以上に大事にされてたようですよ。

 

そして藤式部宅の乳母のいと

藤式部宅に出入りする双寿丸を見る目がきついものだったのに、

いつの間にか目が優しくなってたし。

(前回、双寿丸にお料理を誉められたせいかな)

 

大宰府へ行くという隆家が、

清少納言になにか佇まいが変わったなと言ったけれど、

清少納言も確かに噛みつくような物言いではなく、

以前より柔らかさが出てきてました。

 

人は良いにつけ悪いにつけ変化するものなのですね。

道長と実資の「政問答」は興味深かったです。

 

まひろ(藤式部・紫式部)伝授の、

政とは民が幸せになる世を作ることという道長。

 

実資

民の幸せとは?

左大臣殿に民の顔なぞ見えておられるのか!

幸せなどというあいまいなことを求めるのが我々の仕事ではない。

朝廷の仕事は何かことが起きた時、

まっとうな判断が出来るようにすること

 

道長

志を持つことで私は私を支えてきた

 

実資

志を持つものが力を持つと志そのものが変わっていく。

それが世の習いでございます。

 

何だか実資に軍配が上がりましたが、

また来週。

 

 

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四季を願って

2024年11月09日 | 人間・社会

(11月7日 裏山)

こちらは秋もたけなわです。

 

私の地域での季節分けは、

3・4・5月が春で、6・7・8月が夏。

9・10・11月が秋で12・1・2月が冬でした。

 

3月に花が咲きはじめ4月には春の入学♪

6月にはムシムシした梅雨に入り学校の夏休みは7~8月にかけて。

9月には虫の鳴き声が聞こえ稲刈りなどが始まって、

12月には雪が降ってきて学校の冬休み。

これって気象学的季節の分け方だったのですね。

(下の図参照)

 

(以下の青文字は国立天文台からお借りしてます)

 

一般的に季節と言うと春夏秋冬を思い浮かべると思います。

しかし、たとえば春がいつからいつまでなのかについては、

絶対的な定義は存在しません。

よく使われる分類には以下のようなものがあります。

 

分類
気象学的季節 3月~5月 6月~8月 9月~11月 12月~2月
天文学的季節 春分~夏至 夏至~秋分 秋分~冬至 冬至~春分
伝統的季節 暦月区切り 正月~三月 四月~六月 七月~九月 十月~十二月
節月区切り 立春~立夏 立夏~立秋 立秋~立冬 立冬~立春

 

季節変化は緯度によって大きく異なります。

北半球と南半球では寒暖の時期がさかさまです。

赤道付近では雨季と乾季に分けるのが適切です。

極付近では日が沈まなかったり(白夜)、

逆に登らなかったり(極夜)と極端に変化します。

海沿い、内陸、山岳地帯など、環境によっても異なります。

年によってもマチマチです。

 

ブロ友さん方と交流しておりますと、

同じ日本でも随分違います。

 

ですので

季節の捉え方も違って当然なんですね。

 

季節を分ける、

絶対的な定義は存在しませんとのことですし、

今はもう秋♪といっても地域によっては、

今はもう冬♪といってもいいのかも。

 

でも気候的な違いやずれがあっても、

どうか日本の四季が無くなりませんように。

 

バランスよく存在してほしいと思います。

 

願ったところで、

どうにかなるわけではありませんし、

たとえそれが人間の行いの故であったにしても、

どうか四季がある日本であってほしいです。

 

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