田舎主婦の日日是好日

今日も生きてることに感謝かな。

人の世:光る君へ最終回

2024年12月16日 | 趣味・本・テレビ他

「光る君へ」最終回。

 

初回、

平安時代らしからぬ言葉遣いで、

なんだかな~で始まった「光る君へ」でしたが、

衣装の美しさ、

映像の美しさに引き込まれていきました。

十二一重は12枚でなくても良いと聞いておりましたので、

何枚だろうと数えてみたり、

色重ねの奥義を堪能し、

女房たちの小部屋や、

調度品の本物らしさや家や庭の作りなど、

その精巧さに目をみはりました

貴族の館でも上級貴族と下級貴族では室礼まで違いましたし、

京都・越前・太宰府とそれぞれの建築は変えてありました。

 

時折登場する庶民の家や衣装にも目がいき、

何を履いているのだろうと足元にも目を凝らしました。

海や湖の輝く白波など、

心にのこる映像が盛沢山でした。

音楽も良かったですね♪

当時、

貴族は人口の0・0003パーセント以下ということのようです。

貴族はほんの一握りで庶民のほうが断然多かったのですね。

 

都の京都では1パーセント前後だったようですが、

人口が正確ではなかった時代ですので

数字はあやふやなものなんでしょうけれど、

貴族階級がおられたからこそ、

ひらがなが生まれ、

我々もこうして文字を書き連ねているのですねぇ。

私の記事は不備が一杯だったと思いますが、

最終回は写真で振り返って終わりたいと思います。

 

°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°最終回「光る君へ」°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°

まひろ(紫式部)と三郎(道長)の出会いから始まりました

母を道長の兄に殺されたことを打ち明けるまひろ

架空の人物と言う設定の

散楽の直秀は人間的魅力がいっぱいでした

道長の偽弟役にもなったりの大活躍

でも虫けら同然に扱われてしまい道長は慟哭します

道長が直秀に扇子を持たせたところは胸を打たれました

廃屋の月明かりの中で結ばれる道長とまひろ(紫式部)

セットの見事さには目をみはりました

若き頃ふたりの逢う瀬はいつもここでした

のちに太閤と呼ばれる道長は

 この正妻倫子のお陰で人生が開いたのではと思います

ですが妾が何人もおったわけですから

正妻の倫子には辛いことも沢山あったことでしょう

その上このドラマにおいては

道長とまひろはソウルメイトという設定なのですから

昨晩の放送では非常に辛い想いで倫子を観てました

 

道長が布団から出していた手は倫子へでなく

まひろを求める手だったのでしょうし

それをわかって布団へ戻す

正妻の倫子がお気の毒すぎました

 

けれど最後を看取ったのが倫子で良かった・・・

まひろ・・・と道長の魂はまひろに会いに来たけれど

 

私は正妻なので(笑)

どうも倫子の心に寄り添ってしまいます

 

しかし

道長の後ろ盾がなければ

高価な紙は手に入らず『源氏物語』も生まれなかったかも

「香炉峰の雪は簾をかかげてみる」の清少納言

ファーストサマーウイカさんの演技は良かったですね

昨晩は老けメークすぎましたけれど

清少納言に『枕草子』で励まされる定子

白い寝間着に袿姿の定子は儚げで綺麗でした

いつもいつも一条天皇は上品で

どんな御姿も絵になり

品格のおありになる天皇でした

一条天皇に嫁ぐのにも「仰せのまま」にしか言えない彰子でしたが

年月と共に人間的にも成長し

やがては賢后と言われるようになられました

道長を支えた四納言

源俊賢・藤原行成・藤原公任・藤原斉信

この方たちの支えがあってこその道長だったんでしょう

書でも後世に名を馳せた藤原行成は奇しくも

道長と同じ日に亡くなります

 

見し人の なくなりゆくを 聞くままに 
いとど深山ぞ 寂しかりける    (藤原公任)
 
消え残る かしらの雪を はらひつつ
寂しき山を 思ひやるかな    (藤原斉信)

道長より9才年上の実資は

いつも筋を通し権力におもねることなく中立でした

道長は具合が悪かった時も起き上がり実資の訪問だけは受け入れたとか

彼が綴り続けた『小右記』は後世の貴重な史料になったことでしょう

紫式部の父の為時には常に爽やかな空気感が漂っておりました

この父あっての紫式部

どの場面にも心を打たれましたが

子息に亡くなられた為時を見るのは辛すぎました

父母や妹にも亡くなられ不運な伊周・隆家兄弟でしたが

弟の隆家は寛仁3年(1019)刀伊の入寇のおり

指揮官として国を守りました

昨晩放送では

まひろ宅に見えてましたね

物語が天から舞い降りてくるような演出で

源氏物語が書き始められ

月がサブテーマになっていたような「光る君へ」

月の映し方が幻想的で

その色合いが物語を深めており

サブテーマも「約束の月」「月夜の陰謀」「月の下で」「望月の夜」

 

昨晩!偶然望月でしたね

こちらでは曇っていて見えませんでしたが

前夜は煌々と輝いてましたよ

 

道長の病床での介護の日々も最初は三日月位でしたが

月の形の変化で日が過ぎるのを表しておりました

 

三郎がそっと手を出すと手のひらに鳥がやってきました

道長を永久の国へ送る前に

まひろの語りはじめる物語

 

こういう脚本には心を打たれました

死の前に穏やかな喜びの気持ちになるっていいですものね

 

道長を送り

9才から軒先にかけて置いた鳥かごも片付け

私が鳥になって見知らぬところへ行こうと思って

また乙丸を従え旅に出るまひろ

そこへ東北で戦が始まったと駆け抜けていく武者たち

 

道長さま嵐がくるわ

 

武士の世の足音が近づいてきていることを

道長に心で語りかけている終わり

・・・

ドラマ出演の小麻呂・小鞠・小丸の猫ちゃんたちも

微笑ましかったです

 

なお「光る君へ」では

政(まつりごと)は史実に沿って書かれており、

恋については創作のようでした。

 

ですので私としては周明が生きてたら、

一緒に宋へ旅立させてあげたかったのですが、

やはり絶命で残念でした。

 

でも直秀にせよ周明にせよ

私の心の中では生きていますよ

 

雅な1000年前後を描いた平安時代のドラマでしたが、

今なおこうして続いている我が国。

色いろなことを乗り越えてきた我が国。

有難うでいっぱいです。

そして誇りです。

 

長い記事を読んでいただき有難うございます。

皆様のおかげで、

何倍も楽しめたドラマとなりました。

重ねてお礼申し上げます。

 

NHKからも沢山の写真をお借りいたしました。

有難うございました。

 

°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°

 

今回コメント欄閉じてます。

 

 

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「光る君へ」付け加え:位階と色

2024年12月14日 | 趣味・本・テレビ他

身に着けている色で位がわかると、

この写真を掲載した頃、

紫色が一番高貴な色なのではないかという、

ブロ友Mさんから質問がありました。

 

私も紫色が一番高貴な色だと聞いておりましたし、

律令制では、

濃い紫を位が高い人が着たというような書き物もみていたので、

なぜドラマでは、

黒を位が高い人が着ているのだろうと疑問が湧いて、

番組終了までに調べておきますとお答えしました

 

しかし装束の本を色いろ読んでみても、

分からなかったのです。

 

黒に見えるだけで濃い紫なのかなと考えたり、

お手上げ状態でしたが、

つい数日前ネットで調べてみましたら、

「レファレンス協同データベース」に、

以下青文字の情報がありました。

 

位階によって定められている色の袍(ほう)。

(袍とは束帯や衣冠などの時に着る上衣)

時代によって異なり,

律令制では一位深紫,二位・三位浅紫,四位深緋,五位浅緋,

六位深緑,七位浅緑,八位深縹(ふかはなだ),

初位(そい)浅縹,無位黄。

 

平安後期以後は,

四位以上の黒,五位の緋,六位以下の縹だけとなった。

 

レファレンス協同データベースとは、

国立国会図書館が全国の図書館等と協同で構築している、

レファレンスサービス支援のためのデータベース。

(国立国会図書館利用に登録してあるのでお借りします)

 

ですので律令制の頃は紫を一番高い人が着たのですが、

このドラマの道長時代は、

紫染めが材料技法ともに容易でなかったため、

黒・緋(ひ)・縹(はなだ)の3種類となって、

紫色は使われなくなったのではという答えに落ち着きました。

 

ですが、

洋の東西を問わずは高貴な色だったようですね。

 

ローマ皇帝シーザーもマケドニアのアレキサンダー大王も、

好んで身に着けたようですし。

 

染色が難しい貴重な色だったから、

支配者階級にしか着られなかったんでしょうね。

いまは染料や技法が豊かな時代ですから、

どんな色でも着られますけどね。

 

さて「光る君へ」明日はいよいよ最終回。

Mさんお返事間に合ってホッ。

 

土日コメント欄閉じてます。

 

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源氏物語:椿餅モドキ&本『月と日の后』

2024年12月11日 | 趣味・本・テレビ他

2020年にTVで、

「源氏物語の椿餅を再現しよう」と言うような番組で、

椿餅もどきを作りました。

以前の記事はココ

 

1年間「光る君へ」にどっぷり浸かりましたので、

椿餅は作らねば(笑)

 

ドラマでは清少納言が「敦康親王さまから」と、

彰子に椿餅が届けられてましたね。

 

中身が見えませんでしたが、

椿の葉にお餅を包めば椿餅(笑)

 

これでは自己流解釈すぎますが、

今回は道明寺粉もつかわず、

お餅を中に入れ練り餡で包んでみましたので、

「椿餅もどき」なんてものでなく「モドキモドキ」です。

 

ですが椿の葉がいい雰囲気を醸し出します。

葉の中身はこんな感じ。

お餅と餡子が逆ですから椿餅とは言えないのですが、

こうして気分だけ平安の世に浸りました。

 

そして本。

『月と日の后』

冲方 丁(うぶかた とう)著

 

花水木さん御紹介有難うございました

 

彰子の小説だそうですのでドラマが終わってから、

『光る君へ』の余韻に浸ります。

 

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冷泉家:光る君へ第47回

2024年12月09日 | 趣味・本・テレビ他

800年以上前からの文化を、

忠実に伝えている家が京都にあります。

 

冷泉家(れいぜいけ)です。

 

冷泉家は和歌の家で藤原定家の孫:為相を祖とするとのこと。

 

ですので平安時代ではなく鎌倉時代からなのですが、

定家の父・藤原俊成は平安末期の歌人ですから、

平安時代からの香りが漂っているのです。

 

1000年前と800年前とでは、

200年もの差がありますが、

800年前同様に、

行事を執り行っている家は殆どないでしょう。

 

これについては、

日本中聞いて回らなければ断言はできないでしょうけど。

 

それで随分昔に購入した本ですが、

 

本より借用した写真を何枚かあげて置きます。

鏡もち

端午の節句の飾り

花見の料理

乞巧奠(きっこうでん)の星の座

 

貝合わせ

 

現代でも色々な行事を一般家庭でもしますが、

大本(おおもと)は、

平安時代からのものが多くあるのですね。

 

簡単にしようと、

楽なほうにばかりに流れている私で恥ずかしいですが、

素晴しい日本の文化を見直しております。

 

°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°第47回「光る君へ」°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°

 

周明は「まだ命はあるんだ。これから違う生き方だってできる」と、

まひろ(紫式部)に言っておりました。

 

「話がある。大宰府に戻れ」と言ったのも、

共に余生を送ろうだったのでは?

 

それなのに・・・

生きていてほしい・・・

でも亡くなってしまう無情。

だったら、

ここで二人が再会せずにいたほうが良かったと思う程、

辛い展開でした。

 

人生は無常とはいえ、

こんな別れ方では周明は浮かばれなかったのでは。

 

でも彼の心に束の間でも幸せな気持ちはあったのかな?

 

不幸な境遇で生まれた周明には、

もう少し幸せな晩年になって欲しかったので、

私は意気消沈してしまいました。

 

でも残りも少し書きますね。

 

「命を懸けた彼らの働きを軽んじるなぞあってはならぬ!」

実資の言い分はもっともです。

実資の日記『小右記』には、

刀伊入寇について詳しく書かれてます。

 

なのに朝廷の対応は…

 

お役人気質と言うかなんというのか、

自分が実際に戦ったことでないと、

どんなに大変なのかはわからないのですね。

その点私欲も持たずの隆家は立派ですね。

 

そして倫子さま・・・

私が知らないとでも思った?

胸に収めておいたほうがよかったのに・・・

 

来週は最終回。

もやもやして終わりませんように!

 

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彰子:光る君へ第46回

2024年12月02日 | 趣味・本・テレビ他

このドラマで一番注目していた人は、

一条天皇へ嫁いだ道長の娘の彰子でした。

 

次第に成長していく姿に心を打たれましたし、

性格の良さも垣間見られました。

 

それで彰子については

もう少し知ろうとこの本を。

小説ではなく、

出典が記されている研究者の書です。

 

恋敵と言ってよい、

定子のお子を大事にされたところはドラマにもありましたが、

定子の兄の伊周の子息までかばうのです。

 

明朗で闊達な定子と比較して、

口数が少なくおっとりした性格は事実であろう。

中略

十二歳で入内し二十四歳で一条天皇を彼岸におくり、

二十九歳で国母になった彰子は、

以後五十年以上の人生で、

父道長・母倫子、

夫一条天皇等から学んだ豊富な知恵や教養を遺憾なく発揮し、

人の機微に通じた大人に成長したのだと想われる。

250P)

ドラマの中でも、

母親倫子の着ていた衣装をまとっておりますが、

質素倹約に努めた后だったようです。

 

87才まで生きた彰子

演じた方は見上愛さん。

 

°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°第46回「光る君へ」°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°

 

まひろ(紫式部)と周明との再会。

 

朱さまと別れて博多に来た

ここに居場所があったのね

 

周明の師・恵清さまだと紹介された時、

まひろ(紫式部)は宗語であいさつをしました。

20年前を思い出したような、

周明の嬉しそうな様子が印象的でした。

 

かたや大宰府で目を治した隆家は、

一皮も二皮も向けたような感じで、

内裏のような狭い世界で位を争っていた日々を

実に下らぬことであったと思うようになった

富などいらぬ 仲間がおれば

そして大宰府は気取らないでいられる場所だというのです。

 

そんな隆家の前に壱岐(いき)から何日もかけて、

小舟で逃れて来たというお坊さんは、

女子供を殺され国守も殺され、

寺でも自分一人が助かっただけと話すのです。

 

隆家は良く知らせてくれたと労います。

 

1019年(寛仁3)、

50隻余りの船団で対馬・壱岐・能古島に襲来した事件。

刀伊の入寇(といのにゅうこう)の始まりです。

隆家は伸びやかに本領を発揮しだしましたね。

 

小勢でも今我らが討って出て食い止めねば

陸に上がられては無辜(むこ)の民に害が及ぶ

頼もしく指揮をとり先陣をきります。

何としても守り抜くのだ

しかし決して無駄死にしてはならぬ

そんなこととは知らない、

まひろは船越の津に近い浜辺にたどり着くのですが、

異国人に追われて逃げる村民たちと共に、

逃げる羽目に。

 

でも周明の胸に矢が刺さり倒れてしまうのです。

これには心で悲鳴をあげました。

 

都には居場所がなくなったのというまひろに

そんなこと言ってたら、

俺みたいに本当の一人ぼっちになってしまうぞ

そして、

話があるから必ず大宰府へ戻れ

 

そんな会話を交わしていた、

周明に矢が放たれるなんて!

どうか周明が師の手当によって命が助かりますように。

 

もうこういう展開ならば周明と晩年を!なんて思うのは、

余りにも節操がなさすぎるでしょうか。

 

あと2回ですね。

ではまた来週。

 

 

 

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この世をば:光る君へ第45回

2024年11月25日 | 趣味・本・テレビ他

先週の道長の歌

この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも 無しと思へば

 

ドラマでは藤式部(紫式部)の歌に呼応しているのでしょうね。

以前の記事36回

めづらしき光さしそふ盃はもちながらこそ千代もめぐらめ

 

ドラマでは藤式部(紫式部)が、

中宮様という月の光に皇子様という新しい光が加わった盃は、

今宵の望月のすばらしさ そのままに千代もめぐり続けるでありましょうと、

説明していました。

 

で、

そんなことは知らない昨夜放送の四納言の感想。

 

源俊賢・藤原斉信は、

何もかも思いのままだという栄華を歌い上げているのかな。

でも藤原公任と藤原行成は、

道長は皆の前で驕ったような歌を披露するような、

人となりではない。

と意見が分かれました。

 

さてドラマから離れてみれば、

大昔歴史で道長のこの歌を知った時、

なんて傲慢な人なんだろうと思っておりましたが、

でも次第に、

少し違う解釈をするようにもなっておりました.。

 

この世この夜が掛詞になってるとしたら、

少し意味合いがやわらかくなって、

望月の夜に娘の3后がそろっていい気分だな~

というような歌にとか。

 

道長の『御堂関白記』には私は和歌を詠んだ。

人々はこの歌を詠唱したとしか書かれておりません。

歌が書かれてませんから、

「世」なのか「夜」なのかわかりません。

 

3人もの后を出した家はありませんから、

ほろ酔い気分で我が世と思ってもおかしくはないですけどね。

 

でも私は最近ではそれ程、

道長は傲慢な人ではなかったのではと思うのですけどね。

 

史実では、

道長は身体が弱く何度も辞表を出しておりますし、

兄たちがみまかってしまいやむなく押されたこともあったわけですし、

次々起こる幾多の困難も切り抜けねばならなかったのですし、

あんがい「わが世」だなんて思わなかったのかもと。

 

実資は日記の中で(小右記)、

道長は傲慢な歌を歌ったなんて書いておりません。

皆で唱和したとあるだけです。

(歌の文字は世)

 

でも、

この歌が、

実資の日記に残されているということだけで、

道長は非常に傲慢な人だったと後世に取られてしまうのですから、

「史料」と言うものの怖さを想います。

 

でも、

書き残した実資さまをお恨みしているのではありません(汗)

 

さて、

私も子孫に誤解されないように、

色々片付けていかねば(笑)

 

°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°第45回「光る君へ」°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°

 

さて藤式部(紫式部)と道長。

そして倫子。

 

何があったのだ。

これ以上手に入らぬお方のそばにおるのも・・・

ここらで違う人生を歩んでみたくなったのでございます。

お前とはもう会えぬのか。

会えたとしてもこれで終わりでございます。

 

藤式部が旅に出るといい、

賢子が道長の娘とわかり(それは混乱の極みでしょうね)、

出家をするという道長に倫子は、

お休みになりたければ、私のもとで、

現世でお休みくださいませ。

今際(いまわ)の際でもありませんのに、

ご出家なぞあり得ませぬ。

 

でも聞き入れられず、

道長と心が通じ合わぬ倫子の悲しそうな表情。

 

道長が髪をおろし剃髪にするとき流した倫子の涙と、

道長の涙は交じり合わないものでした。

「光る君へ」45話(C)NHK

辛い正妻の倫子ですが、

また大らかな気持ちで皆を包んでいくことでしょう。

でも何だか倫子が可哀そうすぎました。

 

そして今回、

2度ほど道行く庶民たちの映像が映りました。

 

藤式部がまひろと呼ばれていたころの時代より、

30年以上の年月がたっているでしょうか。

 

道行く庶民の衣装が小ぎれいで、

人々の顔つきもにこやかでした。

足元は素足に草鞋(わらじ)か藁草履(わらぞうり)。

 

民が幸せになる政。

まひろ(藤式部・紫式部)が願った世。

道長の努力もあり、

少し進んだのかななんて観てましたけどね。

 

藤式部(紫式部)が旅に出、

おつきの乙丸が越前の海を思い出しますね~なんていう先には、

この周明(ジョウミン)が。

今回もやっぱり影像が美しかったです。

彰子の衣装の色重ね・藤式部邸の几帳の色は桜色に変わっていて、

海の波は日本画で描かれたような感じで、

ずっと見て居たかったです。

 

あと3回ですね。

 

ではまた来週。

 

 

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出家:光る君へ第44回

2024年11月18日 | 趣味・本・テレビ他

出家ってなんでしょう。

 

仏道に励み極楽往生を願うことのようですが、

明子の子息は若くして出家しましたし、

道長の父親の兼家も晩年に出家でしたね。

昨夜のドラマでは、

藤式部(紫式部)の父の為時も出家でした。

 

42回では、

藤式部(紫式部)が出家しようかしらなんて言ってましたし、

詮子(一条天皇の母)は円融法皇が崩御した後に出家。

定子は出家しながら内裏へ出入りしてました。

(実資の日記には批判が書かれてありましたよ)

彰子は万寿4年(1026年)39才で出家してますが、

母親の倫子は長歴3年(1039年)75才で出家と遅いのです。

 

以下の青文字は、

NHK「光る君へ」の冊子コラムからお借りいたしました。

 

平安時代中期になると、

貴族たちは極楽浄土へ行くことにこだわるようになっていました。

そのための方法の一つが出家です。

 

出家には、

極楽浄土にいる御仏に仕える身となって奉仕し、

少しでも極楽へ行けるようにという願いが込められているんですね。

 

なので晩年に自分の意志で出家する人もいましたし、

病気で倒れた方の死を覚悟し、

家族が当人の極楽往生を願って、

剃髪(ていはつ)を受け入れることもあったようです。

 

当時の貴族たちは「必ず極楽へ行きたい」という、

純粋な願いから出家をしていました。

 

若者の場合には寺で修行のようですが、

大人の場合は在家出家で、

出家しても政の相談にはのっていたようですし、

現世(現生)とキッパリ手を切ってということではないのですね。

 

昨夜放送でも藤式部の娘の賢子が、

出家をするという為時に、

家に居て会えるなら、

おじじさま、それでは何も変わらぬのではないですか。

などと言ってましたね。

 

良くわからない平安時代の出家ですが、

出家すると男性は剃髪(ていはつ)にしたようです。

このドラマでは、

道長の父の兼家・花山天皇・一条天皇・

三条天皇・藤式部の父の為時が剃髪でしたねぇ。

 

女性が出家の場合は直ぐに剃らず「尼削ぎ(あまそぎ)」という、

肩くらいの長さで切りそろえた状態にするのだそうです。

そして後に、

男性のように剃髪されることもあったらしいです。

 

出家してない女房たちの長い髪は大変だったでしょう。

髪の毛は御盆のような箱に入れて寝てますね。

(以前の放送)

 

男性にせよ女性にせよ、

髪を切るって神聖な行いなのですね。

 

 

°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°第44回「光る君へ」°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°

 

昨夜も盛沢山。

 

三条天皇の姫皇子を道長の嫡男頼通(よりみち)の妻にと言う、

三条天皇からの申し出に頼通は、

そのようなことを私にお命じになられるなら、

私は隆姫を連れて都を出ます。

 

道長と藤式部(まひろ)もかってそういうことがありましたね。

ふたりで藤原の家を出て遠い国へ行こうと。

 

道長はそのような自分の若き日の苦悩を想いだしたのか、

婚姻を断るために頼通に病になれ怨霊のために重病だと噂を流し、

嫡男の頼通を守ります。

 

文句言うな隆姫を守るためじゃ。

大声で頼通に言うところにはちょっぴり胸を打たれました。

 

まひろ(藤式部)と父・為時。

わしは官人にはむいておらぬゆえ皆には苦労をかけたなぁ。

父上長らくご苦労様でございました。

 

月明かりの中の二人の対話は、

いつもしみじみとしていい感じですね。

 

暮のあいさつに参ったと藤式部の房を訪ねた道長。

 

道長さまの想いが頼通さまに伝わらなくも、

次の代その次の代と、

一人で成せなかったことも時を経れば成せるやも。

 

このドラマの伏線のような話をしましたね。

(私にはそう感じられたのですが)

この時の道長の顔つきは、

とても安堵しているような落ち着きが出てました。

でもそこへ倫子さま。

 

えっ?殿の物語を書いてほしい?

赤染衛門に頼むのではなく?

何だか嫌がらせのように見えましたけど、

彼女はみんなお見通しですものね。

 

場面が変わり、

闇だ・・・

闇でない時はあったかのう。

闇を共に歩いてくれて嬉しかったぞ・・・

三条天皇は無念であられたことでしょう。

 

敦明親王(あつあきらしんのう)も父である三条天皇に亡くなられ、

先行きに不安を覚え、

自ら申し出て東宮を降りることになり、

後一条天皇(道長の孫)の弟の敦良親王(道長の孫)が、

東宮の座に就いたのですね。

 

このことには棚ぼただったというような気持ちの、

道長だったことでしょう。

 

そして、

道長の娘の威子が後一条天皇の中宮になり、

それを祝う宴席。

彰子が太皇太后、妍子が皇太后、威子が中宮と3つある后の席が、

道長の娘。

 

道長の息子は後一条天皇の摂政ですから、

「全て満たされた」という想いはあったでしょうね。

 

かがり火のなかでの頼通と教通の兄弟の舞は良かったです。

雅楽は琴・太鼓・笙(しょう)でした。

二人の衣装も華やかでしたし、

盃を回すときの音楽が良かったですね~

美しい品のある旋律が印象的でした。

宴席より月に向かって歩いて行く道長が、

月を観ながら歌を詠むのですが、

このドラマでは若き頃、

廃邸でまひろ(藤式部)と見た月とも重なり合ってるのですね。

 

そして以前、

めずらしき光さしそう盃はもちながらこそ千代もめぐらめ

藤式部(紫式部)が若宮の祝宴で詠んだ歌に対して、

道長は、

よい歌だ。覚えておこうといっておりました。

 

ですので、

藤式部(紫式部)の歌に呼応する形で、

この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも 無しと思へば

と、

詠まれたのだとドラマではなってるのかな。

 

長くなるので、

この歌の部分は次回へ持ち越します。

 

ではまた来週。

 

 

 

 

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古今和歌集:光る君へ第43回

2024年11月11日 | 趣味・本・テレビ他

平安時代の貴族は、

『古今和歌集』がお好きだったようです。

  

古今和歌集 平安時代(905年とも914年とも)

   日本最初の勅撰和歌集(ちょくせんわかしゅう)

   醍醐天皇(だいごてんのう)の命令で紀貫之(きのつらゆき)らが編集

(約1100首)

 

『古今和歌集』は二つの序文を持っていて、

仮名で書かれた仮名序。

やまとうたは、人のこころを種にして、

おおくのことばとなったものである・・・・

古今和歌集仮名序の画像

そして漢文で書かれた真名序とがあります。

古今和歌集真名序 - 書砦梁山泊 大阪店の画像

仮名にしろ漢文にしろ読めません。

 

平仮名は平安時代にできたため、

奈良時代までは日本語を表記する文字は、

漢字しかなかったようです。

 

なお

万葉仮名(まんようがな)というのは、

仮名と言っても漢字を、

本来の意味から離れ仮名的に用いた文字のことだそうで、

特に万葉集(現存する日本最古の歌集)に多く用いられているので、

この称があるとのことです。

 

古事記・日本書紀・懐風藻・万葉集・古今和歌集・風土記・

伊勢物語・大和物語・土佐日記・枕草子・源氏物語他。

 

奈良時代平安時代の書物。

こうして訳された本であっても読めるのは、

保存してくださった方々のお陰もありますね。

 

古今和歌集の紀貫之の歌

人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香(か)ににほひける

 

歌の意味合いから少しずれますが、

花でなくも、

1000年以上たっても香ってくるような昔の書物。

日本の宝です。

 

°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°第43回「光る君へ」°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°

 

昨晩観終わって感じたのは人の成長・変化でした。

 

三条天皇は即位3年というのに身体に異変が起き、

譲位を迫られお気の毒でなりません。

敦康親王は母と慕った彰子に、

お変わりになられましたねと言っておられましたが、

彰子は本当に堂々としてこられました。

(この時の彰子の袿?は母親の倫子が着ていたものですね)

 

倫子は、

道長の長男頼通(よりみち)に子ができないことに、

覚悟をお決めなさい。

父上のようにもう1人の妻を持てばいいのです。

倫子も悩みぬいて己の歩む道に光を見出したのですねえ。

でもね~倫子さま。

私だって色いろ考えておりますのよ。

ですからたまには私のほうもご覧くださいませね。

おほほほほほ・・・

これはひとこともふたことも余計かな(笑)

夫君は貴女様を貴女様が思う以上に大事にされてたようですよ。

 

そして藤式部宅の乳母のいと

藤式部宅に出入りする双寿丸を見る目がきついものだったのに、

いつの間にか目が優しくなってたし。

(前回、双寿丸にお料理を誉められたせいかな)

 

大宰府へ行くという隆家が、

清少納言になにか佇まいが変わったなと言ったけれど、

清少納言も確かに噛みつくような物言いではなく、

以前より柔らかさが出てきてました。

 

人は良いにつけ悪いにつけ変化するものなのですね。

道長と実資の「政問答」は興味深かったです。

 

まひろ(藤式部・紫式部)伝授の、

政とは民が幸せになる世を作ることという道長。

 

実資

民の幸せとは?

左大臣殿に民の顔なぞ見えておられるのか!

幸せなどというあいまいなことを求めるのが我々の仕事ではない。

朝廷の仕事は何かことが起きた時、

まっとうな判断が出来るようにすること

 

道長

志を持つことで私は私を支えてきた

 

実資

志を持つものが力を持つと志そのものが変わっていく。

それが世の習いでございます。

 

何だか実資に軍配が上がりましたが、

また来週。

 

 

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有職故実:光る君へ第42回

2024年11月04日 | 趣味・本・テレビ他

いつも有職故実(ゆうそくこじつ)に詳しい、

藤原実資(ふじわらのさねすけ)書いているのですが、

昨晩の放送でも「立后(りっこう)の儀式」を、

三条天皇に頼まれてましたね。

 

実資は天徳元年~長徳元年まで生き(957~1046)、

90歳という長命でした。

 

有職故実って「有職」と「故実」を組み合わせた語で、

(ゆうそく)は、

本来は有(ゆうしき)と表記するそうです。

 

以下青文字はNHK大河ハンドブックより抜粋です。

 

有職とは、

知識を持つ人の意味である。

 

ただし、

その知識は故実の知識であり故実の知識を多く持つ、

あるいは多く持つ人が有識である。

 

一方、故実は行動の規範、

つまり現代で言えばマニュアルに相当する。

 

この有職故実は、

公家故実(くげこじつ)と武家故実(ぶけこじつ)に大別でき、

公家故実は摂関時代に成立し、

武家故実は鎌倉時代に成立した。

 

有職公卿(ゆうそくくぎょう)と言われる藤原実資は、

村上天皇冷泉天皇

円融花山一条三条天皇に仕え、

以後も後一条後朱雀後冷泉天皇と仕えます。

 

『小右記』には88才の時、

致仕(ちし)を請うも聴されず(ゆるされず)とありますが、

(致仕とは禄位を返上するの意味)

実資は最後の最後まで有能な有職公卿だったのです。

 

 

°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°第42回「光る君へ」°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°

 

明子の息子:顕信(あきのぶ)が出家をしたのは、

明子にとっては子供を殺されたのも同然だったのでしょうね。

 

明子の兄の源俊賢は妹を慰めました。

顕信は残念なことであったが内裏の権力争いから逃れて、

心穏やかになったのではないか

それも一理あると思います。

四納言としてブレずに道長を支えてます。

 

実資は最初に書いたように立后の儀を、

三条天皇に頼まれ止む無く引き受けるしかなかったのですが、

天皇側にも道長にも媚びているのではありません。

お困りの天皇に忠義を尽くしただけなのです。

 

ですので、

天皇にお褒めに与ったと喜んでいる息子に、

浮かれるなと一喝。

なんとも小気味よい場面でした。

娘?孫?をあやす実資はなんともユーモラスでしたね。

 

かたや道長は心労が重なり辞表を出し伏してしまいます。

 

左大臣様のお命は長くはもちますまいという清少納言。

憎々し気な怖いお顔でした。

彰子は父親の道長が倒れたのは自分のせいではないかと、

心を痛めるのですが祖母にこういわれるのです。

信じた道をおいきなさいませ。

父上は皇太后さま(彰子)を誇りに思っておいでですよ

この言葉も胸に響きました。

 

祖母役の石野真子さんいいですね~

宇治で療養の道長のもとへ、

百舌彦(もずひこ)に頼まれて藤式部(紫式部)がやってきます。

宇治川ですか?別の川での撮影ですか?

情緒あふれる光景でした。

 

もうよろしいのです。

私との約束はお忘れくださいませ

お前との約束を忘れれば俺の命も終わる

ならば私も一緒に参ります

たわむれをもうすな

この世に私の役目は終わりました

この時の藤式部の表情は良かったですね。

 

お前は俺より先に死ぬな 死ぬな

ならば道長さまも生きてくださいませ

道長さまが生きていてくだされば私も生きられます

 

その言葉に泣く道長。

散楽の直秀を葬ったときも、

まひろ(紫式部)の前で泣きましたよね。

 

そして『宇治十帖』が始まりました。

『源氏物語』も終わりに近づいてきています。

 

ではまた来週。

 

 

 

 

 

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武者と武士:光る君へ第41回

2024年10月28日 | 趣味・本・テレビ他

双寿丸が登場しましたが、

彼は武士(ぶし)なのではなく、

武者(むしゃ)ですね。

双寿丸は、

しゃと言ったように聞こえましたが、

発音は現代と平安時代では、

違うでしょうからいいと思いますが、

江戸時代などで言う武士とは違い、

平安時代の武士は、

<系譜が明らかなこと>位階と官職を持つこと>

だそうです。

 

つまり、

朝廷に認められたのが武士なのですから、

そうでなければ、

ただの武者だそうです。

(光る君へ時代考証 倉本一宏さんのお話)

 

なお、

武士は貴族から生まれ、

貴族が武士を育てたとのことですが、

次第に力を持っていきますよね。

 

ドラマでは、

武士が政権をとるまで、

まだ180年あるあたりですが、

もうそういう萌芽がでているのですね。

 

°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°第41回「光る君へ」°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°

 

東宮の敦成(あつひら)親王

あの撫子の花の色は、

灰鼠の衣装の色合いに映えてましたね。

そして中宮の歌もいい歌でした。

 

見るままに 露ぞこぼるる おくれにし

心もしらぬ なでしこの花 

三条天皇は、

なかなかのやり手のようで、

人選が今までとは違いますね。

 

一条朝を、

改革?しておられるような感じに思いました。

 

一条天皇が身罷られ傷心の、

中宮彰子を励ます歌の会。

 

御簾越しに見える色合いが美しく、

その場で詠まれる歌も情緒あって、

女房の宮の宣旨(小林きな子さん)の表情に、

心が和みました。

 

というのに、

ききょう(清少納言)の登場でぶち壊し。

ここは、

私が歌を詠みたくなるような場所ではございません。

何だか失礼な清少納言。

 

ドラマですから脚色されてますが、

確かに『紫式部日記』には、

清少納言の悪口は書かれているのです。

 

実際に紫式部と清少納言が、

面識があったかどうかは別として。

ほの暗い月を見あげる藤式部と道長。

政権トップとしての、

道長は孤独なのでしょう。

 

そんな中で、

藤式部(紫式部)だけは自分を理解してくれる。

と、

思いたいのでしょうね。

 

でも、

2人の気持ちが少しずれ始めてる??

定子のお子である敦康親王は、

彰子を母のように思い慕っているのですから、

(少しは恋心はあるかも)、

元服をしたのにも関わらず、

御簾をあげて入ってきてしまいます。

(後方に控えているのは行成)

そのことを行成は、

道長に強く咎められるのですが、

恐れながら、

左大臣様は敦康さまから、

多くのことを奪いすぎでございます。

と、

道長に意見しました。

行成あっぱれ!!

 

俺に意見するのか

と、

左大臣(道長)は行成に言うのですが、

左大臣様がおかしくおわします。

と、

返すのです。

 

上司に向かいハッキリと意見を言える、

行成は立派です!!

今回は、

左遷を覚悟で言ったのでしょう。

 

中宮彰子もまた、

この先も父上(道長)の意のままになりとうない。

と、

決意します。

 

妾(しょう)明子の次男:顕信(あきのぶ)について、

顕信には蔵人頭はまだ早いと、

父親の道長が三条天皇に断ったために、

私は父上に道を阻まれたのですね。

私はいなくてもよい息子なのでございますね。

と、

顕信は出家をしてしまいます。

 

顕信さま、

お若いのですから、

急いては事を仕損じますぞ。

もう間に合わないですけれど。

 

妾(しょう)の明子も、

けっして貴方を(道長を)許しませぬ。

なんて言ってしまうんだし。

 

ああ~ああ~

明子さま方は感情的過ぎます。

お怒りはもっともなんですけどね。

 

正妻:倫子の長男は、

次男が先に取り立てられても、

長男(頼道)は耐えてますよ。

 

色いろ盛りだくさんで目が廻るような回でした。

(写真はNHKよりお借りいたしました)

 

ではまた来週。

 

 

 

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