まだ元気は出ないけれど、
気になった、
大河ドラマのことを書いてみますね。
古典苦手ですし、
歴史にも詳しくないのですけれど、
大昔を想いだして初歩的なことを、
私自身のおさらいにです。
(外国の方もいらしてくださってるのでフリガナをつけておきます)
°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°第18回「光る君へ」°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°
18回で一条天皇は、
道長に内覧(ないらん)宣旨(せんじ)を出したという、
話がありましたね。
内覧とは、
天皇に奉る文書や、
天皇が裁可する文書など、
一切を先に見る役目ですが、
令外官(りょうげのかん)ですので、
官位表には載ってません。
律令の「令」にない役職だから、
令外官。
大宝律令は701年(大宝元年)
養老律令は718年(養老2年)
摂関政治もその後ですので、
摂政・関白も令外官です。
(表はネットより)
一番上の、
太政大臣(だじょうだいじん)は最高職であるのですが、
実務を行わない名誉職で、
ふさわしい人がいない場合は、
空席とのこと。
また左大臣・右大臣とありましても、
同列ではなく、
左大臣が総理の役目なら、
右大臣は副総理のような役目だそうです。
道長は疫病流行の995年に右大臣になり、
左大臣は居なかったのですから、
一気に公卿(くぎょう)のトップ。
妻の倫子と義母がオホホと笑ってましたね。
なお関白のほうが、
左大臣より上位のようですが、
史実でいけば道長は翌年左大臣になり、
その執政の20年間は、
摂政(せっしょう)も関白(かんぱく)も、
置かなかったそうです。
摂政や関白は、
左右大臣より地位は高くても、
貴族の重要な会議に、
出席することができませんから、
道長は地位より実際に政(まつりごと)ができるほうを、
選んだのですね。
ドラマでいえば、
まひろ(紫式部)との約束を実行しようとしている、
というところでしょうか。
関白になりたかった、
伊周は内大臣のままでした。
内大臣は左大臣・右大臣に次ぐ官職で、
これもまた令外官。
右端の蔵人所(くろうどどころ)とは、
注1に、
天皇の秘書課みたいなところのようだと、
書かれてますが、
ボヤキの藤原実資(秋山竜次さん)が、
蔵人頭(くろうどのとう)でしたよね。
「いよいよ伊周か、よろしくない流れであるな~」
と言われてましたが、
彼は時世をよく読んでますね。
このあたりのことも日記(小右記)に付けてあります。
実資は仕事をキチンとする人だったようで、
蹴鞠(けまり)も上手だったらしい。
道長は少し遅れて日記を書き始めますので、
(残存するものでは998年)、
この辺りのものはありません。
女院(にょいん)詮子の道長夫婦に対する叱責や、
一条天皇への、
「母を捨てて妃のいうことを聞くのですか」と、
鬼気迫る演技は凄かったですね。
本当に、
あんな言い方をしたのかはわかりませんが、
何より詮子は、
一条天皇の母なのですから、
こうした人選には、
相当大きな影響を与えたことでしょう。
そして、
妃である定子に言う兄の伊周(これちか)の言葉。
「皇子を産め」「悔しかったら皇子を産め」の殺気立った演技。
これまた恐ろしいほどでした。
そのような中で、
一条天皇(塩野瑛久さん)は美しく、
静かなたたずまいでいいですね。
静かだと言えば、
妻殺し・母殺しの道兼の死を知った、
まひろの父とまひろの語らい。
「さぞや無念であったろう。しかしこれで良かったのかのう」
「あのお方の罪も無念も全て天に昇って消えますように」
この父(為時)と娘(紫式部)の描かれ方には、
いつも心打たれるものがあります。
そして月夜に、
道長とまひろは互いに引きあうように、
想い出の廃屋に出向きますが、
まひろの心の声だけで静かに別れます。
私ども視聴者には、
かってのシーンが思い浮かぶので、
いろんな想いが交差しますよね。
何だか、
動と静の回でした。
(ドラマの写真はNHKよりお借りいたしました)
マイルーム脇の庭では白のリラに代わり、
紫のリラが咲いてます。