前36回で、
彰子のお子の「50日のお祝い」がありましたが、
昭和時代でも子供を身籠る(みもごる)と、
一般家庭でも、
様々なお祝い事がありました。
まずは、
5か月目の戌(いぬ)の日に、
着帯(ちゃくたい)の儀式。
(イヌはお産が軽いからと聞いております)
流産してしまわないように、
岩田帯と言われる布(晒)をお腹に巻くのです。
(画像はAmazonよりお借りいたしました)
「帯祝い」とも言われてましたが、
今は腹巻仕様のもの?
何もしない?
お産は病院でしたので、
ドラマのようなお祓いはありませんでしたが(笑)
「安産お守り」を頂きました。
そして当時は婚家では産まず、
里帰りして出産という方が多かったのですが、
私は婚家にいたままでしたので、
甘えられず(涙涙)
子が生まれると、
ひと月で「お宮参り」があり、
100日目の「お食い初め」があり、
「節句祝い」に、
生後1年の「誕生祝い」もあり、
「七五三」に「入学祝い」もありました。
家族でお祝い事をするだけでなく、
他家へもお祝いに伺いましたが、
今は家族だけで、
簡略化されてるのでは?
現代と平安時代とは、
着るものも住まいも変わってはおりますが、
子供を身籠れば、
多くの家庭で似たような行事を、
なさったことでしょう。
°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°第37回「光る君へ」°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°
嫉妬の心。
中宮彰子の母である倫子は、
彰子が、
藤式部の物語を一条天皇へのお土産にしたいと、
言われた時、
表情は少し変えたものの、
それは帝もお喜びでしょう
と、
大人の対応でした。
でも心の中には、
藤式部への複雑な嫉妬はあったでしょうね。
ずっと昔から、
殿のお心には誰かがおられる
と、
感づいてましたから、
相手が藤式部とわかれば心穏やかではないでしょう。
前回、
藤式部は道長さまとはどういうお仲なの
と、
藤式部にたずねた赤染衛門。
お方様だけは傷つけないでくださいね。
何もかもお見通しの赤染衛門。
こちらも大人の対応でした。
女房の宮の宣旨(みやのせんじ)は、
以前と違って、
随分表情が和らいできました。
→
彼女は醍醐天皇の曾孫かな。
彰子にお子がお生まれになられ、
そのことだけで嬉しいのか、
藤式部に対しての嫉妬の心はどこへ行ったのかな。
彼女の笑顔に和まされます。
昨夜は、
昔の冊子の作り方を、
興味深く見ておりました。
冊子づくりの場面では、
女房達の十二単の色合いに、
料紙には染紙あり、
金銀の砂子や切箔などのものもあって、
美しかったです。
中宮の彰子の衣装は、
ご本人のお好きな空色になりました。
そして藤式部の里帰り。
10才の賢子は複雑な気分でしょうね。
あちらの暮らしのほうが楽しいのでしょう。
と、
母にいう賢子の気持ちは、
寂しさと同時に、
子供であっても母への嫉妬があるのかな。
それにしても、
いつも父と娘の会話には胸を打たれます。
お前が幸せならば答えずともよい。
父親役の岸谷五朗さんはピッタリハマってます。
道長のお陰もあって、
従二位になった伊周は、
道長には感謝するどころか、
ず~っと嫉妬だらけだったかもしれません。
能力が高く見目好くの伊周が自尊心を、
もう少し抑えられていたら、
道長への恨みや嫉妬が少なくなり、
穏やかな人生になったかもしれないと思うのですが。
一方、
伊周の弟の隆家は、
道長にも信頼されていくと思います。
父親さえ健在ならば、
叔父である道長にお株を奪われることは、
無かったのですから、
こころ内には悔しさや嫉妬はあったと思いますけれど、
しっかり現実を見てますね。
やんちゃだけれど、
どこか心が美しい弟です。
明子の兄の、
源俊賢は醍醐天皇の孫であり、
父親は左遷の憂き目にあった境遇にも関わらず、
こちらも、
道長に誠実に仕えていくわけですから、
複雑な心を抑えて立派ですね。
それも裏腹にならず、
キチンと道長に寄り添っていく姿には、
爽やかさを感じます。
さて、
このお方は嫉妬心メラメラのお顔になられてます。
亡き中宮の定子の衣装に似てますね。
形見??
嫉妬とは、
① 自分より優れたものをねたみそねむこと。
②自分の愛する者の愛情が他に向くのをうらみ憎むこと。
(広辞苑より抜粋)
誰にもある?嫉妬ですが、
向上心につながるようなものだと良いかもですが、
過剰に、
相手に嫉妬して妬んでいるだけでは、
自分自身も苦しいし、
人生をダメにするかもなんて思うのですけどね。
ではまた来週。
(写真はNHKよりお借りいたしました)