江戸時代以後の日本に影響を及ぼしたのは、
『論語』だけではないのではと、
日本の論語だとも言われる『葉隠』(はがくれ)を再読した。
『論語』は聖徳太子の時代に日本にはいってきたらしいが、
一般に広まるのは江戸時代からだったようだ。
『葉隠』は、
江戸時代中期に、
佐賀鍋島藩・山本常朝が武士としての心得を口述し、
それを同藩士田代陣基(つらもと)が筆録し、
全11巻なるものとのこと。
『葉可久礼』とも、
『葉隠聞書』ともいうらしい。
江戸時代はじめ、
幕府の意向で中央に近いところでは、
儒教的な服従と秩序と規律の価値が重視され、
武士は役人としての仕事にあくせくしていた。
しかし江戸から遠ざかるにつれ、
教養のある人々のところから、
もっと鬱屈した人間たちのところへ行くにつれて、
中央の思想とは違った感情に人は出会うこととなる。
名誉心はいっそう峻厳なものとなり、
忠誠心はいやが上にも賛美され、
単に有用なだけの才能を軽侮することをもってよしとする風があった。
死が身近であった戦国の精神がそこには生き残っていた。
山本常朝が九州の片隅、
肥前(今の佐賀市)で最もラディカルな武士道の書、
『葉隠』を口述しえたのはそのような背景がある。
(青文字はウイキペディアより)
私の持っている『葉隠入門』は三島由紀夫が、
死の3年前に書いたものである。
この本には「付」として、
笠原伸夫訳の「葉隠名言集」もあるので、
11巻は読めなくても、
両方合わせて『葉隠』の一端を知ることが出来るという感じ。
『葉隠』を読むと『葉隠』精神も、
今の世に少なからず影響を及ぼしたのではないかなと、
思わされる。
有名な、
『武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」という章句は、
田中美代子氏の解説にあるように、
この『葉隠れ』の作者は、
まず終局の一点を先取し、
あとは現在只今の与えられた生の刻々を充填し、
全人生を一つの完結した思想として涵養したのである。
という風に捉えるのではないかな。
死というものをきちんと捉えるならば、
毎日が決しておろそかにはできないものですからね。
だから、
三島由紀夫のああいう武士道を真似事したような死は残念だったと思う。
彼なりのメッセージだったかもしれないけれど・・・
国の行く末を案じているようなことは、
子供心にも何となくわかったけれど、
やっぱり理解できない死だった。
過激なように見える『葉隠れ』だけれど、
『論語』より、
私は気持ち的には『葉隠』の方がしっくりくる。
「翌日のことは前の晩から考えておくこと」とか、
「一念、一念と重ねて一生」とか、
「一瞬、一瞬を真剣勝負のつもりですごすこと」とか、
「恋の至極は忍ぶ恋である」とか、
普通に行っている作法についてが多いのだもの。
けれど山本常朝さん。
「葉隠」は巻頭に、
「この全11巻は火中にすべし」と述べているのに、
まさか自分の口述した武士の作法書が、
鍋島藩だけでなく全国へ伝わり、
今も後世に、
読まれるなんて夢にも思わなかったでしょうね。
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九州出身の亡き葉室麟さんが『命なりけり』という、
鍋島藩の支藩の小説を書いていたな~
再読してみよう。