5月からの新年号「令和」の名前は、
万葉集からだとのこと。
いい名前を付けたな~と思うと同時に、
いい名前を付けたな~と思うと同時に、
「時に初春令月にして・・・」と読んでいったとき、
「何かに似ている」と思った。
(天平2年は西暦730年)
思い出した・・・
王義之の『蘭亭の序』
353年(永和年三月三日)、
王義之は名士や一族を名勝・蘭亭に招き、総勢42名で曲水の宴を開いた。
その時に作られた27編(蘭亭集)の序文として、
王義之が書いたものと、
旅人が書いたものとが似ているのだ・・・
それで万葉集を読んで、
それで万葉集を読んで、
その旅人の個所を確かめてみたところ、
下の説明文に、
「序の筆者は旅人。以下冒頭部分、王義之の蘭亭の序に形式は同じ」
とあった。
似ているわけだ。
書き下し文だとこんな感じ
蘭亭集序 王羲之
●永和九年、歳は癸丑に在り。暮春の初め、會稽山陰の蘭亭に會す。
禊事を脩むるなり。群賢畢く至り、少長咸集まる。
此の地に、崇山、峻領、茂林、脩竹有り。又、清流、激湍有りて、左右に暎帶す。
引きて以て流觴の曲水と爲し、其の次に列坐す。
絲竹管弦の盛無しと雖も、一觴一詠、亦た以て幽情を暢叙するに足る。
是の日や、天朗らかに氣淸く、惠風は和暢せり。
仰いでは宇宙の大なるを觀、俯しては品類の盛んなるを察す。
目を遊ばしめ、懷ひを騁する所以にして、以て視聽の娯しみを極むるに足れり。
信に樂しむべきなり。
こんなことに気づいたのは、
書道で、
『蘭亭の序』を練習をしたことがあったからだけど。
日本は中国の影響を色濃く受けたが、
日本は中国の影響を色濃く受けたが、
薫る日本文化を発達させた。
中国だけではないインドや西欧の影響だって受けている。
そして逆もあるだろう。
ここでいちいち揚げないが、
「日本に学べ」ということも沢山あったようである。
「令和」
響きの良いいい名前だ。
日本に生まれたことを誇りに思う。