NOTEBOOK

なにも ほしがならなぁい なにも きたいしなぁい

02006年011月007日(火)Wiiが無いです

2006-11-07 | 授業


 任天堂のリモコン野郎をがっつり予約しようと言ったわけさ、ゲーム屋へ。ところがさ、この前まで(1週間前!!)予約受付中って書いてあった店さ、この強い風の中自転車で30分。もうコンタクトの間に何か小さい者が入ってきて目が痛いのなんのって。ウサギの目状態。

 で、お店に入るなり沢尻エリカ似の店員さんに尋ねたわけです。「Wii予約してますか」。すると「現在ご予約は終了しています」との返答。すごすごと帰る僕。

 DS売ってまで金策に奔走したのにこの有様。きっとお金はもっと有意義に使えと言うことなんだということで、靴でも買おう。

02006年011月007日(火)

2006-11-07 | 授業
 Yahooテレビ(明日までしか見れない)

 明日の「火曜サスペンス」こと「ドラマコンプレックス」もとい「火曜ドラマゴールデン」(いっ、何時の間に名前変わったの?)はなんと!!なんと!!『検事 霞夕子』。桃井さんのも良かったけれど、僕としてはなんと言っても鷲尾いさ子さんの霞夕子が一番だったな。鷲尾さんが産休か何かで降板された後に一回だけ床嶋佳子さんが霞夕子を演じていたけれど(あの時は凄いびっくりした。あの火曜サスペンスの女優のバイプレイヤーが主役だぁ)、結局一回限りのつなぎだったようで、今回の霞検事は真矢みきさんだそうで。

 どんな感じなんだろうか、まずは見ないと!

02006年011月007日(火)マイケル特番!!を思い出す

2006-11-07 | 授業

 サンボを聞いていたら、ハルカリが聞きたくなって『ハルカリベーコン』を引っ張り出した。でパソコンへ。CCCDなのでパソコンで聞けないと思っていたら、どうやら専用プレイヤーで聞けるらしいのでインストール。生意気に再起動を要求してきたけれど、大人な僕は優しく再起動。

 でかけてみる。やっぱりこの頃のハルカリは良いなぁと思ってみるけれど、ちょおと物足りないっつーの!!よく見たらビットレートが48kbpsって、なんだっつーの!!誰でも音が劣るの分かるっつーの!!軽く詐欺だよ、これ!!3000円払って48kbpsって…


 でもやっぱり歌は記憶を呼び覚ます。しかもどうでも良い記憶も。この頃だったような…マイケルの幼児虐待疑惑とか整形疑惑とかを扱う海外の特番が日テレで放送されて、それに負けじとフジテレビが放送したABCかっどかのマイケル側の反論特番が面白くなかったことを思い出した。
 あと『真珠婦人』もこの頃だった。何だかんだで見ていたぞ、『真珠婦人』。寮に居た頃は昼飯は節約のために大体寮で食べていたんで、昼ドラが見れた。そういえばあの頃のテレビはソニー製のワイド画面のテレビデオと言う珍品だった。壊れていたので、電源を入れてから最初の五分は砂嵐。テープは噛む奴だったけれど、よく夜中にNHKで放送されていた海外サスペンスを録ってたなぁ。

 あと2003年はクドカン脚本豊作気だったなぁ。春には『奥様は魔法使い』が日テレで放送されて、秋には『マンハッタン・ラブストーリー』が放送されていたんだ。でも寮の同じスペースの子達は誰一人見ておらず、そして僕は彼らが見ていた『あいのり』を一切見ておらず…あの辺か齟齬が生まれたのは。特に『マンハッタン~』の時は死ぬほど馬鹿笑いしていたし。『軽井沢婦人』、お懐かしや。

02006年011月007日(火)多分明日まで秋休みと思う・・・

2006-11-07 | 授業


 結局僕は未だに傍観者だ。状況を、誰かの何かを見ているだけに過ぎない傍観者ちゃん。そこに主体性は無く、ただもたらされる状況に受動的に、テレサ・テンです。「時の流れに身を任せ」です。でもそんなのはもう嫌なのです。損なのはもう嫌なのです。うんざりなのです。汚名は返上、名誉は挽回なのです。

 そう結局僕は雑務に身を任せて結局学祭に行かなかったばかりか、コントローラーも予約していない。お金は作ったけど。結局はまた、結局は思い出作りに失敗している。砂を噛むような人生に一服の清涼剤が欲しい。でも欲しいといっても誰もくれないのです。

 誰かください。思い出を。清涼剤を。


 久しぶりにサンボマスターのファーストを聞きながらこんなことを考えてしまっている僕はまったく酷い者なのです。このアルバムを買ったのは2年前の寮の玄関先。ペリカンの配達員さんから受け取ったアマゾン経由のお買い物。「そのぬくもりに用がある」のPVに参って買ってしまったアルバム。あの頃は聞く曲が沢山あったな、ハルカリもあの頃。寮の部屋で「ギリギリサーフライダー」の振り付けを練習していたキモ男ちゃん。

 寮のときも途中までは結構上手くいっていたのになぁ。何が悪かったんだろうか。何かあの頃の僕は何をトチ狂ったか勉強を寮で教えたりしていたな。何様だったんだろうか。Fに言わせると一年の頃の僕はかなりの真面目ちゃんだったようで、それでかの人は僕を買いかぶってしまったようで。
 
 あの頃は「世界に羽ばたく人材へ」というキャッチコピーを頭から信じきっていたなぁ、本当に。頑張って英語くらいはマスターしなきゃなんて、国際政治はマスターしなきゃなんて本気で思っていた。何かとんでもない可能性が自分の前に広がっていると思えていたんだよなぁ。だからこそ入学直後の英語のクラス分けテストの前日とかは結構気合を入れて勉強してた。

 でも授業は中学レベルの授業。政治経済とか社会学にても一部の東京からやってきている助教授、講師の方を除いて本当に?な授業が多かった。あれじゃ独学以外どうしようもない。本当に仕様が無い。だから僕はメモをしまくっていたんだ。あの頃のレポート、ノートのHDDに入ってるんだよな。見たいな。でもHDDはウィルスまみれ。さてどうしようか。

 寮に居た頃はほとんど寮に入りびたりで買出しにも中々行かなかった。キャンパスと寮が小高い丘の上にあったからなんだけれど、下に降りるのに歩くと30分。バスに乗ればいいんだけれど循環バスなのに30分に一本というタイムスケジュール。だから億劫になって中々出かけなかったから、買出しは学校の売店。そこでデザートを買うくらいで、あとはグラム38円の鶏肉とふりかけ。そしてキャベツばっかりの食生活だった。ご飯を2合炊いて、それをふりかけのみで夕食とかそんなのばっかりだった。

 よく風も引いていた。まぁ当たり前と言えば当たり前で、冬の日本海の風が直撃する立地にあった寮の窓を全開にしていたとか、ダウンジャケット着用で。そんなことしていたからだぁ。風邪を引いたら喉が痛い、喉が痛いとやる気がなくなるというので、学校の売店で売られていたのど飴を大量に買って、一度に2,3個の飴を口に投げ込んで、口の中を甘さで麻痺させてしのいでいた。そうだ。


 サンボのアルバムを聞いていたらそんなことを思い出した月曜日の深夜。明日は僕はどう過ごすんだろうか。字の如く過ぎるのを待っているのかもしれない。それじゃ酷く切ないなぁ。何かをしよう、何かを。本を読むとか、学祭が終わったので学校に行くとか。

 ホントナンダヨ、コイツハ!!