NOTEBOOK

なにも ほしがならなぁい なにも きたいしなぁい

02007年001月008日(月)僕の大きな物語

2007-01-08 | 授業

 何でアニメがいらなくなったのか。ゲームが相対的にいらなくなったのか。それは目標が出来たからだ。


 高校時代は自分が大学に進学するなどとは露ほども考えては居なかった。もちろん就職するなんて考えても居なかった。ただその日を無意味に生きているだけだった。いつ終わるとも分からない高校生活をどうやり過ごすかだけだった。

 それが予備校に入れられたことで変わった。大学進学というとりあえずの人生の目標が出来た。だから日々を無意味にすごす必要が、アニメやゲームに依存する必要が僕自身にはなくなったのだと思う。

 今、確かに明確な目標は無い。だけれども漠としてやりたいことはイメージが出来る。何かしたいんだ。何かしたい。

02007年001月008日(月)僕にとって神はアニメであり、ゲームだった

2007-01-08 | 授業
 コメント欄にコメントをしてくれた名無しさんのコメントを見て、自分の神をもすがりたい状況を考えてみた。

 中学で島根に越したとき。当初は馴染めなくて、友達もできず(実はできていたんだけれど、そのときの僕はその事実に気がつけなかった)、ちょっと不登校に近い状態になってしまった。高校のときも一時期、というか2年間結構絶望的な状況が続いていた。どっちにしろ二度と繰り返したくない苦い青春。2年間どうやって時間をつぶすかばかりを考えていた。残りの一年は非常に幸福な一年だったけれども。

 一浪目のとき、僕は寮に居た。一日14時間くらいの勉強をしていたにもかかわらず、2月の中ごろを過ぎても一切合格通知をもらえず、他の寮生がどんどんと合格退寮して行くのを見送っていたとき。これほどの絶望は無かった。どんな大学でもいいから、合格したい。そんなことばかり考えていた。そしてある日僕は手を洗わずには居られなくなってしまっていた。今思うとそれは洗浄脅迫という精神の病の一種だった。

 
 他の人にとっては全く絶望的な状況ではないと思われるかもしれないが、僕にとっては大変に絶望的な状況だった。そんな僕は何に救われてきたんだろうか。やはりサブカルか、アニメか、ゲームか。いや、テレビか。あのアニメが来週も放送されるから生きてこれたし、あのテレビゲームが発売されるから、退屈な一週間を、一ヶ月を、半年をやり過ごすことができた。そうだ。そうだった。来週も『エヴァ』があるから、『爆れつ』があるから、『古畑』があるから、『ボクサーズロード』が発売されるから、生きていけたんだと思う。

 しかしいつの間にやら、アニメは古いアニメか題材が古い、もしくはポリティカルアニメみたいなものしか見れなくなった。テレビゲームも今やシューティングゲームか格闘ゲームみたいなものしかほとんど出来なくなってしまった。