ラムジー夫人は詩に気をとめる。
「意味はよくわからなかったが、その言葉の流れは音楽にも似て、外から聞こえているのに夫人の心の声のようにも響」(ヴァージニア・ウルフ「灯台へ・P.208」岩波文庫)
不可解におもわれるかもしれない。「外から聞こえているのに」「心の声のようにも響」くとは。確かなのは、音楽はそもそも始めから人間の内部にありはしない、という認識から入らなければ理解できないだろうとおもわれることだ。おそらくニーチェがいうように事情はこうだったに違いない。
「《音楽》ーーー音楽はそれ自身だけでは、感情の《直接的》言語とみなしてもよいほどわれわれの内面に対して意味深いものでも深く感動させるものでもない、むしろ音楽は詩と太古に結合していたので、非常に多くの象徴性が韻律的運動の中へ、音の強弱の中へこめられて、その結果われわれは今では、音楽が直接内面《へと》語りかけ、内面《から》出てくると《妄想する》」(ニーチェ「人間的、あまりに人間的1・二一五・P.226」ちくま学芸文庫)
ということだったろうと考えられる。しかしこのことは同時に次の経過を過程の中に含んでいなくてはならない。これは一連の「流れ」だ。「身振り言語と音楽との関係」について。
「《身振りと言語》ーーー言語より古いのは身振りの模倣である、これは思わず起こるものであり、身振りに物をいわせることを全般的に抑制したり筋肉をたしなみ深く統御したりしている今でもなお非常に強いので、われわれは感動した顔をみて自分の顔の神経支配を失わずにはいられない(つくりあくびが、それをみる人のところでも、本物のあくびを呼び起こすのを観察することができる)。まねられた身振りは、まねた人を、その身振りがまねられた人の顔や体に現わしていた感覚へとつれもどした。こうして人はたがいに理解することを学んだ、ーーー人が身振りでたがいに理解するようになるや否や、身振りの《象徴性》もまた発生することができた、つまり人はアクセントのある言語をたがいに了解しあうことができた、しかもはじめはアクセント《と》身振り(この身振りにアクセントが象徴的に加わってきた)を、のちにはただアクセントだけをあらわす、というようにしてである。ーーー音楽、とくに劇的音楽の発展において、そこでは現在われわれの眼や耳に起こったのと同じことが、昔たびたび起こったように思われる、はじめ音楽は、説明する舞踏や身振り舞踏(身振り言語)がないと、空虚な騒音であるが、音楽と運動とのあの並行に長らく馴れることによって、耳は音の比喩を即座に解釈するように仕込まれ、ついには眼にみえる運動をもはやまったく必要とせずに、それがなくても作曲家を《理解する》ような、すばやい理解の高みに到達する」(ニーチェ「人間的、あまりに人間的1・二一六・P.227~228」ちくま学芸文庫)
だがニーチェが強調したいことはたぶん「舞踏」であり、もっといえば「ダンスそれ自体になる」ことだろう。とはいえ、舞踏あるいはダンスはけっしてマッチョ的な勃起的ファルスを意味しない。むしろ必要なのは非勃起的な身体の活用あるいは非勃起的生成過程だ。とすれば今の資本主義はどのように考えられるだろうか。グローバル資本主義は。というのも、日銀が警告的な意味を込めて言いだした「都市部における不動産市場の加熱」について、この際なので次の部分を引用しておきたいからだ。もちろん「資本主義」だけでもいいのだがあえて「グローバル」と付け加える理由は、今の「ソト」(外)は「ソト」(外)を常に既に自分自身へと回収することを学習した昨今のグローバル資本主義に特徴的なパラダイムを生きているということに強力な含みを持たせたいからである。
「高度成長を支えた者のかなりの部分が執着気質的職業倫理であるとしても、高度成長の進行とともに、執着気質者の、より心理的に拘束された者から順に取り残され、さらに高度成長の終末期には倫理そのものが目的喪失によって空洞化を起してきた。著者はこの時期に、そのあとに来るものはあるいは、より陶酔的・自己破壊的・酩酊的・投機的なものではないかというおそれを述べたが、これは一時期、現実のものとなったようである。二宮尊徳の仕法のごとく、利潤を配分することなく、その享受のレベルを抑えて設備投資に再投下する積小為大の企業版は、欧米企業の職業倫理上、決してなしえないところであるが、その果てに利潤を土地に投機しはじめた。それは目的喪失による行為というのみでなく、一つの自己破壊行為でありうると思われる。なぜならば、他方に執着気質的職業倫理にもとづく努力によって企業を富ましめる多数者が同じ倫理にもとづく貯蓄によってこの高価な土地を購入しなければ、それは死物と化するという矛盾がある。なお多くの帰結を語りうるであろうが、問題は残るのであって、この倫理は、一見『ソト』に出てがんばるかのように見えて真の『ソト』が見えず、個人的にも社会的にもかえって心理的な意味での『ウチ』の肥大化を起こす。一人、一家、一村ががんばることは、小規模であれば純粋に肯定しうる事態であろうが、規模が大になれば他に被害を及ぼさずにはいられない。たとえば大規模な新田開発が既存田の水不足を来たし、新田免税期間をすぎれば一村の年貢の加重を招く、など。江戸時代でも二宮的努力は必ずしも純粋に歓迎されなかった。しかし江戸時代は絶対の『ソト』を欠いた時代であって、『ソト』に出てがんばるといっても、その『ソト』とは真の『ソト』ではなく『ウチ』のなかの『ソト』であった。現代の『ソト』はそうではない。重大なのは、事柄自体よりも事態が盲点に入って認知されないことである」(中井久夫「分裂病と人類・P.68~69」東京大学出版会)
これでわからないなら少なくとも日銀は潰れなくても地銀の被るダメージは或る程度覚悟したほうがいいかもしれない。
本論に戻ろう。ラムジー夫人がこれまで発揮してきた「強度」とその影響力とはどれほどのものだったか、よくわかるに違いない。
「夫人が姿を消すと、たちまち皆をつないでいた糸がほどけたような感じになる。それぞれがてんでに波打つように、違った方向に歩きだしていく」(ヴァージニア・ウルフ「灯台へ・P.211」岩波文庫)
しかし「それぞれがてんでにーーー違った方向に歩きだしてい」けるのは、パーティーが終わり、場が解散になったからではなく、「もともとなかったもの」=「社会的文法」が、本来のばらばらな流れへと生成変化したからにほかならない。社会的文法は「或る一刻」に限り一時的に成立する可視化不可能なものでしかない。その意味では大変貴重である。しかしその「中心的な重点」はいつも可変的だ。さらに「中心」は複数ある。だからラムジー家でのパーティーという「或る一刻」は、今やすでに本来の意味での「流れ」へと、リゾームとして解放されている。そしてそれはもともと「無政府的・無目的的」な諸力の運動に過ぎない。中井久夫は「目的喪失」と書いているけれども、そして「目的喪失」という言葉はこの二十年間で主に情報通信に関わる哲学思想分野で多用されてきたが、資本主義はそもそも「目的」を持たない。あるいは「自己目的的欲望の諸運動があるだけ」だと言わなければならないだろう。それはそれでなるほど「倒錯的」であり「倒錯的」である限りでは事実なのかもしれない。とはいえ、自分で自分自身のオリジナルを消失させてしまった資本主義は常に既にシミュラクル(見せかけ)とシミュレーション(複製)の領域に留まるほかない。
ところで、夫人は「此性」を生きている。
「きっと皆は、とまた歩きだしながら夫人は思った、どんなに長生きしようと今晩のことは忘れないだろう。この月、この風、この家を思い出し、わたしの思い出を蘇(よみが)えらせえることだろう」(ヴァージニア・ウルフ「灯台へ・P.213~214」岩波文庫)
「この月、この風、この家」。これらは分割可能であると同時に分割不可能でもある特権的な時間の用法で読む必要がある。アイオーンを思い出そう。
「瞬間を表象するアイオーンのこの現在は、決してクロノスの広大で深い現在ではない。アイオーンのこの現在は、厚みのない現在、役者の現在、ダンサーやパントマイム師の現在、倒錯の純粋な『時期』である」(ドゥルーズ「意味の論理学・下・P.292~293」河出文庫)
あるいは「循環と生成」しか知らない。その中で「意識の仕切り壁がとても薄くなり」「すべてが一つの大きな流れに溶け込んでい」く。自他の境界線は消滅する。あるいは自分が自分自身でなくなり境界線そのものに《なる》。境界線になった夫人は今や「強度」として絶対的な生成変化を軽やかに遂げていく。
「まるで意識の仕切り壁がとても薄くなり、事実上(それはほっとするような幸福感となったが)すべてが一つの大きな流れに溶け込んでいき、たとえば椅子もテーブルも、夫人のものでありつつ彼らのものでもあり、あるいはもはや誰のものでもないような気がした」(ヴァージニア・ウルフ「灯台へ・P.214」岩波文庫)
さらに夫人は年齢不詳になる。というより「二十歳の娘」に《なる》。
「『今から皆で浜辺へ行って、波を見て来ようって言ってるの』すると、特に理由もないのに、たちまち夫人は二十歳の娘のように、若々しくはしゃぎだした。浮かれ騒ぐ気分が、突然彼女に取りついたかのようだった」(ヴァージニア・ウルフ「灯台へ・P.219~220」岩波文庫)
このような年齢の自由自在な可動性は「ダロウェイ夫人」の冒頭部分でいきなり展開されてもいた。
「彼女はとても若いような気もし、お話にならないほど老けた気もした。ナイフみたいにあらゆるものの中へ切りこむし、外部にいて眺めてもいる。タクシーの群れを眺めていると、遠い遠い海の上にひとりぼっちでいるような、そんな気持ちによくなるし、たった一日でも生きていることが、とてもとても危険だという感じが、しょっちゅうする」(ヴァージニア・ウルフ「ダロウェイ夫人・P.13~14」角川文庫)
一方、自由自在な可動性が権力機構の中の機械として配列されるとき、逆説的だが、それは途方もなく危険な装置と化す。カフカ「城」でこう描かれた。
「『確かに、彼は、官房にはいっていきます。でも、これらの官房は、ほんとうのお城でしょうか。官房がお城の一部だとしても、バルナバスが出入りを許されている部屋がそうでしょうか。彼は、いろんな部屋に出入りしています。けれども、それは、官房全体の一部分にすぎないのです。そこから先は柵(さく)がしてあり、柵のむこうには、さらにべつの部屋があるのです。それより先へすすむことは、べつに禁じられているわけではありません。しかし、バルナバスがすでに自分の上役たちを見つけ、仕事の話が終り、もう出ていけと言われたら、それより先へいくことはできないのです。おまけに、お城ではたえず監視を受けています。すくなくとも、そう信じられています。また、たとえ先へすすんでいっても、そこに職務上の仕事がなく、たんなる闖入者(ちんちゅうしゃ)でしかないとしたら、なんの役にたつのでしょうか。あなたは、この柵を一定の境界線だとお考えになってはいけませんわ。バルナバスも、いくどもわたしにそう言ってきかせるのです。柵は、彼が出入りする部屋のなかにもあるんです。ですから、彼が通り越していく柵もあるわけです。それらの柵は、彼がまだ通り越したことのない柵と外見上ちっとも異ならないのです。ですから、この新しい柵のむこうにはバルナバスがいままでいた部屋とは本質的にちがった官房があるのだと、頭からきめてかかるわけにもいかないのです。ただ、いまも申しあげました、気持のめいったときには、ついそう思いこんでしまいますの。そうなると、疑念は、ずんずんひろがっていって、どうにも防ぎとめられなくなってしまいます。バルナバスは、お役人と話をし、使いの用件を言いつかってきます。でも、それは、どういうお役人でしょうか、どういう用件でしょうか。彼は、目下のところ、自分でも言っているように、クラムのもとに配置され、クラムから個人的に指令を受けてきます。ところで、これは、たいへんなことなのですよ。高級従僕でさえも、そこまではさせてもらえないでしょう。ほとんど身にあまる重責と言ってよいくらいです。ところが、それが心配の種なのです。考えてもごらんなさい。直接クラムのところに配属されていて、彼とじかに口をきくことができるーーーでも、ほんとうにそうなのでしょうか。ええ、まあ、ほんとうにそうかもしれません。しかし、ではバルナバスは、お城でクラムという名前でよばれている役人がほんとうにクラムなのかということを、なぜ疑っているのでしょうか』」(カフカ「城・P.291~292」新潮文庫)
さて、夫人は夫の欲望を見抜いている。それはたった一言なのだが。
「この人は何かを求めている、いつもわたしがとても与えにくいと感じている言葉をーーーつまり『あなたを愛してますわ』と言ってほしがっている」(ヴァージニア・ウルフ「灯台へ・P.233」岩波文庫)
しかし言語化することで逆に失われてしまうほかないものがあるということもよくわかっている。言語化は何か「いわくいいがたい」ものを瞬時にして死物化してしまう危険がある。夫人はそれを恐れている。だから夫人が選択する非言語化的姿勢は夫に対する誠実性でもあるのだが。
「わたしは本当に感じていることを、決して口に出さないだけ」(ヴァージニア・ウルフ「灯台へ・P.234」岩波文庫)
というのも、もし「あなたを愛してますわ」という言葉をラムジー氏に与えたとする。と同時に氏がそれを俗世間でいう贈与として受け取ってしまったとしたら、それはたちまちのうちに本当の贈与ではなくなってしまうということを夫人はよく心得ているからだ。夫人は言葉(贈り物)をたやすく与えることで夫を債務者にしたくはないのだ。デリダはいっている。
「贈与があるためには、贈与を忘却せねばなりませんが、しかしそれと同時にそういった忘却それ自体は保持されねばならないのです。贈与が生起するためには、それはどんな忘却であってもかまわないというわけではありません。消去されねばならぬと同時に、消去の痕跡を保持せねばならないのです。そして、こういった二重の命令は、明らかに狂気を引き起こすダブル・バインドであります。私は与えようと欲し、他者が受け取ってくれることを欲します。したがって、この贈与が生起するためには、他者は私が彼に与えるということを知っていなければなりません。そうでなければこういったことは意味をもちませんし、贈与は、生起しません。しかしながら、私が与えるということを他者が知っていたり、私のほうもまた知っているならば、贈与はこの象徴的な認知(感謝)によって廃棄されてしまいます。では、どうすればよいのでしょうか。とはいえ、贈与はあらねばなりませんし、贈与はよいのです。ですから、贈与の想定それ自体、つまり贈与のこの狂気、これはダブル・バインドの状況なのです。そして、あらゆる掟、あらゆる掟についての経験がこうしたタイプのものである、と私は言いたい。一つの掟、それは必ずしも悪いものではありません。われわれはもろもろの掟は必要としますし、掟を与えること、それはまた贈り物でもあります。というのも掟は第一に安心させ、不安を避けさせてくれるからです。ところが、掟の贈与は同時に悪いものでもあります。それはパルマコンであり、毒であります。贈与はどれも毒なのです。こういった観点からすると、記憶、時間ならびに歴史との関連において、贈与と掟の贈与とは、実際、何らかの類似したものである、と言うことができます。人が与えるときーーーこれが恐ろしい点であり、贈与をただちに毒に変えてしまい、したがって贈与をエコノミー的円環のうちへ引きずり込んでしまうのですがーーー人が与えるとき、人はなんらかの掟を与えるのであり、掟をつくる〔命じる〕のです。こういったわけですから、偉大な支配者たち、ないしは偉大な女支配者たち、すなわち最も象徴的に自己固有化をおこなう人々が、最も気前のいい人々である、といった事実を前にしても、それを見て驚くなどということは少しもないのです。贈与と掟の贈与のなかに読み取るのがむずかしいのは、まさにこういったことなのです。
与えるとは、たいへんに暴力的な挙措でありうるのです。想像していただけるでしょうが、真の贈与、すなわち暴力をふるわないような、そして与えられた物やそれが与えられた相手を自己固有化しないような贈与、そういった贈与は、贈与の諸標識(マルク)までも消去せねばならないでしょう。それは現われない贈与であり、したがって他者にとってのみならず、自分にとってさえも贈与の諸標識(マルク)を消去するでしょう。真の贈与は、与えているということを知りさえせずに与えることのうちに、その本領をもっているのです」(デリダ「時間をーーー与える」『他者の言語・P.110~112』法政大学出版局)
たとえば政治家のように、有権者に対して何らかの物を与えたことを決して忘れないようにと暗黙の契約を結ばせる行為のことを贈与というとすれば、それはデリダに言わせれば贈与でもなければむしろただ単なる政治的圧力を利用したただ単なる犯罪に過ぎない。権力意志の愚劣な垂れ流しでしかない。デリダのいう贈与は、贈与を受けた者が贈与を受けたということすら感じないこと、さらには贈与を与える側も贈与を与えているということを知らないということのうちにその本領を発揮するものにほかならない。そしてそのような贈与がいかに困難な行為であるかは、デリダがいうより先にニーチェが述べていたものだ。デリダ哲学はその多くをニーチェや戦後の後期ハイデッガーから吸収している。贈与を贈与と感じさせない至高の技術。ニーチェはいう。
「そこでおまえは学んだのだ。ーーー正しく与えることは、正しく受けるよりも、むずかしいということを。また、よく贈るということは、一つの《技術》であり、善意の究極の離れ業(わざ)、狡知(こうち)をきわめる巨匠の芸であることを」(ニーチェ「ツァラトゥストラ・第四部・進んでなった乞食(こじき)・P.433」中公文庫)
そしてあえて言語化しない態度を取ることで夫人は夫を超越する。というのは、ラムジー氏は学者としては大いに権威を持っている人物であることは確かだが、他方、とりわけ家庭の中に戻ってくるとき、余りにも夫人に寄りかかり過ぎる。尊敬に値しないただ単なる子どもに戻る。マルクスが「せいぜい子どもじみるのがおちだ」という意味で大人としての自立心を崩壊させる。あたかも牛のよだれのようにだらしない同情を夫人に求める。子どもたちの態度にすら父親ラムジーに対する無限の尊敬を求める。夫人の死後、後にリリーがその餌食と化す前時代の父親像=ラムジー氏。大学教授とは所詮そのようなものでしかない、と世間が嘲笑するときの大人子供という正体を露悪的なまでにさらけ出す。夫人は「愛」を言語化することで逆に本当の「愛」が伝わらなくなってしまうことを極度に恐れてあえて沈黙を押し通す。するとーーー。
「またしても、夫人が勝利をおさめた」(ヴァージニア・ウルフ「灯台へ・P.235」岩波文庫)
第一部はここで終わる。第二部の展開は余りにも早い。ランダムに拾っていこう。とはいえ、次の部分ははずせない。
「〘ラムジー氏はある暗い朝、両腕を差し延べながら、廊下をよろめくように歩いていた。しかしラムジー夫人は、前の晩にいささか急に亡くなったので、その腕はただ差し延べられるばかりで、いつもでも空っぽのままだった〙」(ヴァージニア・ウルフ「灯台へ・P.245」岩波文庫)
ただそれだけ。それだけのことだった。ちなみに第三部では、尊大でありながら同時に土砂降りの雷雨のような同情に飢えているラムジー氏は、死んだ夫人とリリーとをどこまで二重映しにしているのかよくわからない。が、ともかく絵画に集中しようとしているリリーにまで嵐のような切迫性を伴う鉛のような重々しい重圧に満ちた圧迫感をもって、氏にそれ相応の情けをかけて気配りするよう途轍もなく暑苦しい態度でどんどん同情を要求し始める。リリーにはニーチェのいう途方もない「重さの霊」が全宇宙から大々的にのしかかってくると感じられる。それはもはや精神的強姦に等しい。しかしそれは第三部に入ってから述べよう。ここではすでに誰もいなくなった屋敷の管理を任されたマクナブ婆さんの飄々たる描写についてほんの少し引用しておきたい。
「ほこりを払ったり拭いたりしながら彼女はよろめくたびに、自分の人生がいかに一つの果てしなく続く悲しみと災厄そのものだったか、いかに起きては眠り、ものを引っ張り出してはしまい込むという単調な作業の連続だったかを、歌っているようでもあった。もう七十年近くもの間彼女が見知ってきたこの世間は、気安いところでも、心地よいところでもなかった。長年の労苦と疲労で、背中はすっかり曲がっていた」(ヴァージニア・ウルフ「灯台へ・P.249~250」岩波文庫)
マクナブ婆さんは近くを訪れる人々の声にそれとなく耳を傾けつつ「相変わらず飲んだくれては、噂話に明け暮れてい」る。けれどももはや誰もいなくなったこの「家」の空虚さと、意外というべきか上手くつり合うのだ、マクナブ婆さんの頭を通り過ぎていく七十年におよぶ様々な過去や想念や言動は。
さて、マクナブ婆さんら三人が「家」の大掃除を終えた。ところで、しかし、大掃除の大きな生活音のためにそれまでかき消されていたもの=「静かに湧き上がってくるメロディーがあった」。メロディーは形をなすまでには至っていない「間歇的な音楽」のようなものだ。
「これまで掃いたり磨いたりする音、大鎌を振るったり芝刈りする音のせいで押し隠されていたかのように、静かに湧き上がってくるメロディーがあった。それは普段は半ばしか聞かれない旋律、耳に入ってもほとんど聞きのがしそうな間歇的な音楽で、たとえば何気ない犬の吠え声や羊の鳴き声がしてーーー不規則で途切れがちでありながら、どこかでつながり始める。あるいは虫の羽音や刈り取られた草のそよぎなども、それぞれバラバラなのに関わり合っている。カナブンの耳ざわりな音や遠くで車輪がきしむ音も低く大きく響きながら、不思議なつながり方をしている」(ヴァージニア・ウルフ「灯台へ・P.272」岩波文庫)
その音楽は「それぞれバラバラなのに関わり合っている」。統合を失調していると同時に流れとしては始まりもなければ終わりもない。「カナブンの耳ざわりな音や遠くで車輪がきしむ音も低く大きく響きながら、不思議なつながり方をしている」。流れはけっして止まってはいなかった。音楽のような生成変化として「不思議なつながり方をしてい」た。
「もし私が現在の振動のイメージに参与しながら、それに先立つ振動の記憶を保持するとしたら、次の二つのうち一つのことが起こるであろう。一つは二つのイメージを併置することだが、これでは第一の仮定に逆戻りすることになろう。もう一つは、二つのイメージの一方を他方のうちで統覚することである。この場合、それらのイメージは、あたかも一つのメロディーのさまざまな楽音のように、区別のない多様性あるいは質的多様性とでも呼ぶべきものを、数とは何らの類似性ももたずに形成するような仕方で、相互に浸透し合い、有機的に一体化することになろう。私はこうして純粋持続のイメージを獲得するとともに、等質的な環境ないし測定可能な量という観念から完全に解放されることになろう。意識に注意深く問いかけてみれば、意識は、持続を記号的に表象するのをさし控えるときはいつでも、そのように振る舞っていることが認められるはずである。振り子の規則正しい振動が私たちを眠りに誘うとき、そういう結果を生み出すのは、聞かれた最後の音、知覚された最後の運動だろうか。そうではあるまい。そうだとしたら、なぜ最初の音や運動が同じように作用しなかったか理解できなくなるだろう。では、最後の音や運動と併置された、それらに先立つものの記憶であろうか。だが、この同じ記憶は、後になって単一の〔それだけ孤立した〕音や運動と併置されても、やはり何の効力も発揮しないままにとどまるだろう。したがって、音は、量たるかぎりでのそれらの量によってではなく、それらの量が提示する質によって、すなわちそれら全体のリズミカルな有機的一体化によって、相互に合成し合って作用するのだということを認めなければならない。これ以外に、弱くて連続的な刺激の効果を理解できるだろうか。もし感覚がそれ自身と同一なままにとどまるなら、それはいつまでたっても弱いままだろうし、いつまででも我慢できるだろう。しかし、実は、刺激の増大はその一つ一つがそれに先立つ刺激と有機的に一体化して、いつも終わろうとしながら、何か新しい音が付け加わるたびに絶えず、すっかり変容していく楽節のような効果を全体として与えるものなのである」(ベルクソン「時間と自由・P.128~129」岩波文庫)
「〘九月のある日の夜遅く、リリー・ブリスコウが、この家に自分のかばんを運びこませた。カーマイケル氏も、同じ列車でやって来た〙」(ヴァージニア・ウルフ「灯台へ・P.273」岩波文庫)
リリーが再び画業を目指して帰ってきた。猫のカーマイケルも一緒だ。あれから十年が過ぎていた。リリーは四十四歳になっている。とすれば猫になったカーマイケルの年齢は?途轍もない長寿猫だ。ほとんど神秘的といっていい。しかしその神秘性は十年前から「わからない」ものとして始めから持っていたものでもある。だからカーマイケルは猫として、相変わらず風の向くまま気の向くままやってきたに違いない。
BGM
「意味はよくわからなかったが、その言葉の流れは音楽にも似て、外から聞こえているのに夫人の心の声のようにも響」(ヴァージニア・ウルフ「灯台へ・P.208」岩波文庫)
不可解におもわれるかもしれない。「外から聞こえているのに」「心の声のようにも響」くとは。確かなのは、音楽はそもそも始めから人間の内部にありはしない、という認識から入らなければ理解できないだろうとおもわれることだ。おそらくニーチェがいうように事情はこうだったに違いない。
「《音楽》ーーー音楽はそれ自身だけでは、感情の《直接的》言語とみなしてもよいほどわれわれの内面に対して意味深いものでも深く感動させるものでもない、むしろ音楽は詩と太古に結合していたので、非常に多くの象徴性が韻律的運動の中へ、音の強弱の中へこめられて、その結果われわれは今では、音楽が直接内面《へと》語りかけ、内面《から》出てくると《妄想する》」(ニーチェ「人間的、あまりに人間的1・二一五・P.226」ちくま学芸文庫)
ということだったろうと考えられる。しかしこのことは同時に次の経過を過程の中に含んでいなくてはならない。これは一連の「流れ」だ。「身振り言語と音楽との関係」について。
「《身振りと言語》ーーー言語より古いのは身振りの模倣である、これは思わず起こるものであり、身振りに物をいわせることを全般的に抑制したり筋肉をたしなみ深く統御したりしている今でもなお非常に強いので、われわれは感動した顔をみて自分の顔の神経支配を失わずにはいられない(つくりあくびが、それをみる人のところでも、本物のあくびを呼び起こすのを観察することができる)。まねられた身振りは、まねた人を、その身振りがまねられた人の顔や体に現わしていた感覚へとつれもどした。こうして人はたがいに理解することを学んだ、ーーー人が身振りでたがいに理解するようになるや否や、身振りの《象徴性》もまた発生することができた、つまり人はアクセントのある言語をたがいに了解しあうことができた、しかもはじめはアクセント《と》身振り(この身振りにアクセントが象徴的に加わってきた)を、のちにはただアクセントだけをあらわす、というようにしてである。ーーー音楽、とくに劇的音楽の発展において、そこでは現在われわれの眼や耳に起こったのと同じことが、昔たびたび起こったように思われる、はじめ音楽は、説明する舞踏や身振り舞踏(身振り言語)がないと、空虚な騒音であるが、音楽と運動とのあの並行に長らく馴れることによって、耳は音の比喩を即座に解釈するように仕込まれ、ついには眼にみえる運動をもはやまったく必要とせずに、それがなくても作曲家を《理解する》ような、すばやい理解の高みに到達する」(ニーチェ「人間的、あまりに人間的1・二一六・P.227~228」ちくま学芸文庫)
だがニーチェが強調したいことはたぶん「舞踏」であり、もっといえば「ダンスそれ自体になる」ことだろう。とはいえ、舞踏あるいはダンスはけっしてマッチョ的な勃起的ファルスを意味しない。むしろ必要なのは非勃起的な身体の活用あるいは非勃起的生成過程だ。とすれば今の資本主義はどのように考えられるだろうか。グローバル資本主義は。というのも、日銀が警告的な意味を込めて言いだした「都市部における不動産市場の加熱」について、この際なので次の部分を引用しておきたいからだ。もちろん「資本主義」だけでもいいのだがあえて「グローバル」と付け加える理由は、今の「ソト」(外)は「ソト」(外)を常に既に自分自身へと回収することを学習した昨今のグローバル資本主義に特徴的なパラダイムを生きているということに強力な含みを持たせたいからである。
「高度成長を支えた者のかなりの部分が執着気質的職業倫理であるとしても、高度成長の進行とともに、執着気質者の、より心理的に拘束された者から順に取り残され、さらに高度成長の終末期には倫理そのものが目的喪失によって空洞化を起してきた。著者はこの時期に、そのあとに来るものはあるいは、より陶酔的・自己破壊的・酩酊的・投機的なものではないかというおそれを述べたが、これは一時期、現実のものとなったようである。二宮尊徳の仕法のごとく、利潤を配分することなく、その享受のレベルを抑えて設備投資に再投下する積小為大の企業版は、欧米企業の職業倫理上、決してなしえないところであるが、その果てに利潤を土地に投機しはじめた。それは目的喪失による行為というのみでなく、一つの自己破壊行為でありうると思われる。なぜならば、他方に執着気質的職業倫理にもとづく努力によって企業を富ましめる多数者が同じ倫理にもとづく貯蓄によってこの高価な土地を購入しなければ、それは死物と化するという矛盾がある。なお多くの帰結を語りうるであろうが、問題は残るのであって、この倫理は、一見『ソト』に出てがんばるかのように見えて真の『ソト』が見えず、個人的にも社会的にもかえって心理的な意味での『ウチ』の肥大化を起こす。一人、一家、一村ががんばることは、小規模であれば純粋に肯定しうる事態であろうが、規模が大になれば他に被害を及ぼさずにはいられない。たとえば大規模な新田開発が既存田の水不足を来たし、新田免税期間をすぎれば一村の年貢の加重を招く、など。江戸時代でも二宮的努力は必ずしも純粋に歓迎されなかった。しかし江戸時代は絶対の『ソト』を欠いた時代であって、『ソト』に出てがんばるといっても、その『ソト』とは真の『ソト』ではなく『ウチ』のなかの『ソト』であった。現代の『ソト』はそうではない。重大なのは、事柄自体よりも事態が盲点に入って認知されないことである」(中井久夫「分裂病と人類・P.68~69」東京大学出版会)
これでわからないなら少なくとも日銀は潰れなくても地銀の被るダメージは或る程度覚悟したほうがいいかもしれない。
本論に戻ろう。ラムジー夫人がこれまで発揮してきた「強度」とその影響力とはどれほどのものだったか、よくわかるに違いない。
「夫人が姿を消すと、たちまち皆をつないでいた糸がほどけたような感じになる。それぞれがてんでに波打つように、違った方向に歩きだしていく」(ヴァージニア・ウルフ「灯台へ・P.211」岩波文庫)
しかし「それぞれがてんでにーーー違った方向に歩きだしてい」けるのは、パーティーが終わり、場が解散になったからではなく、「もともとなかったもの」=「社会的文法」が、本来のばらばらな流れへと生成変化したからにほかならない。社会的文法は「或る一刻」に限り一時的に成立する可視化不可能なものでしかない。その意味では大変貴重である。しかしその「中心的な重点」はいつも可変的だ。さらに「中心」は複数ある。だからラムジー家でのパーティーという「或る一刻」は、今やすでに本来の意味での「流れ」へと、リゾームとして解放されている。そしてそれはもともと「無政府的・無目的的」な諸力の運動に過ぎない。中井久夫は「目的喪失」と書いているけれども、そして「目的喪失」という言葉はこの二十年間で主に情報通信に関わる哲学思想分野で多用されてきたが、資本主義はそもそも「目的」を持たない。あるいは「自己目的的欲望の諸運動があるだけ」だと言わなければならないだろう。それはそれでなるほど「倒錯的」であり「倒錯的」である限りでは事実なのかもしれない。とはいえ、自分で自分自身のオリジナルを消失させてしまった資本主義は常に既にシミュラクル(見せかけ)とシミュレーション(複製)の領域に留まるほかない。
ところで、夫人は「此性」を生きている。
「きっと皆は、とまた歩きだしながら夫人は思った、どんなに長生きしようと今晩のことは忘れないだろう。この月、この風、この家を思い出し、わたしの思い出を蘇(よみが)えらせえることだろう」(ヴァージニア・ウルフ「灯台へ・P.213~214」岩波文庫)
「この月、この風、この家」。これらは分割可能であると同時に分割不可能でもある特権的な時間の用法で読む必要がある。アイオーンを思い出そう。
「瞬間を表象するアイオーンのこの現在は、決してクロノスの広大で深い現在ではない。アイオーンのこの現在は、厚みのない現在、役者の現在、ダンサーやパントマイム師の現在、倒錯の純粋な『時期』である」(ドゥルーズ「意味の論理学・下・P.292~293」河出文庫)
あるいは「循環と生成」しか知らない。その中で「意識の仕切り壁がとても薄くなり」「すべてが一つの大きな流れに溶け込んでい」く。自他の境界線は消滅する。あるいは自分が自分自身でなくなり境界線そのものに《なる》。境界線になった夫人は今や「強度」として絶対的な生成変化を軽やかに遂げていく。
「まるで意識の仕切り壁がとても薄くなり、事実上(それはほっとするような幸福感となったが)すべてが一つの大きな流れに溶け込んでいき、たとえば椅子もテーブルも、夫人のものでありつつ彼らのものでもあり、あるいはもはや誰のものでもないような気がした」(ヴァージニア・ウルフ「灯台へ・P.214」岩波文庫)
さらに夫人は年齢不詳になる。というより「二十歳の娘」に《なる》。
「『今から皆で浜辺へ行って、波を見て来ようって言ってるの』すると、特に理由もないのに、たちまち夫人は二十歳の娘のように、若々しくはしゃぎだした。浮かれ騒ぐ気分が、突然彼女に取りついたかのようだった」(ヴァージニア・ウルフ「灯台へ・P.219~220」岩波文庫)
このような年齢の自由自在な可動性は「ダロウェイ夫人」の冒頭部分でいきなり展開されてもいた。
「彼女はとても若いような気もし、お話にならないほど老けた気もした。ナイフみたいにあらゆるものの中へ切りこむし、外部にいて眺めてもいる。タクシーの群れを眺めていると、遠い遠い海の上にひとりぼっちでいるような、そんな気持ちによくなるし、たった一日でも生きていることが、とてもとても危険だという感じが、しょっちゅうする」(ヴァージニア・ウルフ「ダロウェイ夫人・P.13~14」角川文庫)
一方、自由自在な可動性が権力機構の中の機械として配列されるとき、逆説的だが、それは途方もなく危険な装置と化す。カフカ「城」でこう描かれた。
「『確かに、彼は、官房にはいっていきます。でも、これらの官房は、ほんとうのお城でしょうか。官房がお城の一部だとしても、バルナバスが出入りを許されている部屋がそうでしょうか。彼は、いろんな部屋に出入りしています。けれども、それは、官房全体の一部分にすぎないのです。そこから先は柵(さく)がしてあり、柵のむこうには、さらにべつの部屋があるのです。それより先へすすむことは、べつに禁じられているわけではありません。しかし、バルナバスがすでに自分の上役たちを見つけ、仕事の話が終り、もう出ていけと言われたら、それより先へいくことはできないのです。おまけに、お城ではたえず監視を受けています。すくなくとも、そう信じられています。また、たとえ先へすすんでいっても、そこに職務上の仕事がなく、たんなる闖入者(ちんちゅうしゃ)でしかないとしたら、なんの役にたつのでしょうか。あなたは、この柵を一定の境界線だとお考えになってはいけませんわ。バルナバスも、いくどもわたしにそう言ってきかせるのです。柵は、彼が出入りする部屋のなかにもあるんです。ですから、彼が通り越していく柵もあるわけです。それらの柵は、彼がまだ通り越したことのない柵と外見上ちっとも異ならないのです。ですから、この新しい柵のむこうにはバルナバスがいままでいた部屋とは本質的にちがった官房があるのだと、頭からきめてかかるわけにもいかないのです。ただ、いまも申しあげました、気持のめいったときには、ついそう思いこんでしまいますの。そうなると、疑念は、ずんずんひろがっていって、どうにも防ぎとめられなくなってしまいます。バルナバスは、お役人と話をし、使いの用件を言いつかってきます。でも、それは、どういうお役人でしょうか、どういう用件でしょうか。彼は、目下のところ、自分でも言っているように、クラムのもとに配置され、クラムから個人的に指令を受けてきます。ところで、これは、たいへんなことなのですよ。高級従僕でさえも、そこまではさせてもらえないでしょう。ほとんど身にあまる重責と言ってよいくらいです。ところが、それが心配の種なのです。考えてもごらんなさい。直接クラムのところに配属されていて、彼とじかに口をきくことができるーーーでも、ほんとうにそうなのでしょうか。ええ、まあ、ほんとうにそうかもしれません。しかし、ではバルナバスは、お城でクラムという名前でよばれている役人がほんとうにクラムなのかということを、なぜ疑っているのでしょうか』」(カフカ「城・P.291~292」新潮文庫)
さて、夫人は夫の欲望を見抜いている。それはたった一言なのだが。
「この人は何かを求めている、いつもわたしがとても与えにくいと感じている言葉をーーーつまり『あなたを愛してますわ』と言ってほしがっている」(ヴァージニア・ウルフ「灯台へ・P.233」岩波文庫)
しかし言語化することで逆に失われてしまうほかないものがあるということもよくわかっている。言語化は何か「いわくいいがたい」ものを瞬時にして死物化してしまう危険がある。夫人はそれを恐れている。だから夫人が選択する非言語化的姿勢は夫に対する誠実性でもあるのだが。
「わたしは本当に感じていることを、決して口に出さないだけ」(ヴァージニア・ウルフ「灯台へ・P.234」岩波文庫)
というのも、もし「あなたを愛してますわ」という言葉をラムジー氏に与えたとする。と同時に氏がそれを俗世間でいう贈与として受け取ってしまったとしたら、それはたちまちのうちに本当の贈与ではなくなってしまうということを夫人はよく心得ているからだ。夫人は言葉(贈り物)をたやすく与えることで夫を債務者にしたくはないのだ。デリダはいっている。
「贈与があるためには、贈与を忘却せねばなりませんが、しかしそれと同時にそういった忘却それ自体は保持されねばならないのです。贈与が生起するためには、それはどんな忘却であってもかまわないというわけではありません。消去されねばならぬと同時に、消去の痕跡を保持せねばならないのです。そして、こういった二重の命令は、明らかに狂気を引き起こすダブル・バインドであります。私は与えようと欲し、他者が受け取ってくれることを欲します。したがって、この贈与が生起するためには、他者は私が彼に与えるということを知っていなければなりません。そうでなければこういったことは意味をもちませんし、贈与は、生起しません。しかしながら、私が与えるということを他者が知っていたり、私のほうもまた知っているならば、贈与はこの象徴的な認知(感謝)によって廃棄されてしまいます。では、どうすればよいのでしょうか。とはいえ、贈与はあらねばなりませんし、贈与はよいのです。ですから、贈与の想定それ自体、つまり贈与のこの狂気、これはダブル・バインドの状況なのです。そして、あらゆる掟、あらゆる掟についての経験がこうしたタイプのものである、と私は言いたい。一つの掟、それは必ずしも悪いものではありません。われわれはもろもろの掟は必要としますし、掟を与えること、それはまた贈り物でもあります。というのも掟は第一に安心させ、不安を避けさせてくれるからです。ところが、掟の贈与は同時に悪いものでもあります。それはパルマコンであり、毒であります。贈与はどれも毒なのです。こういった観点からすると、記憶、時間ならびに歴史との関連において、贈与と掟の贈与とは、実際、何らかの類似したものである、と言うことができます。人が与えるときーーーこれが恐ろしい点であり、贈与をただちに毒に変えてしまい、したがって贈与をエコノミー的円環のうちへ引きずり込んでしまうのですがーーー人が与えるとき、人はなんらかの掟を与えるのであり、掟をつくる〔命じる〕のです。こういったわけですから、偉大な支配者たち、ないしは偉大な女支配者たち、すなわち最も象徴的に自己固有化をおこなう人々が、最も気前のいい人々である、といった事実を前にしても、それを見て驚くなどということは少しもないのです。贈与と掟の贈与のなかに読み取るのがむずかしいのは、まさにこういったことなのです。
与えるとは、たいへんに暴力的な挙措でありうるのです。想像していただけるでしょうが、真の贈与、すなわち暴力をふるわないような、そして与えられた物やそれが与えられた相手を自己固有化しないような贈与、そういった贈与は、贈与の諸標識(マルク)までも消去せねばならないでしょう。それは現われない贈与であり、したがって他者にとってのみならず、自分にとってさえも贈与の諸標識(マルク)を消去するでしょう。真の贈与は、与えているということを知りさえせずに与えることのうちに、その本領をもっているのです」(デリダ「時間をーーー与える」『他者の言語・P.110~112』法政大学出版局)
たとえば政治家のように、有権者に対して何らかの物を与えたことを決して忘れないようにと暗黙の契約を結ばせる行為のことを贈与というとすれば、それはデリダに言わせれば贈与でもなければむしろただ単なる政治的圧力を利用したただ単なる犯罪に過ぎない。権力意志の愚劣な垂れ流しでしかない。デリダのいう贈与は、贈与を受けた者が贈与を受けたということすら感じないこと、さらには贈与を与える側も贈与を与えているということを知らないということのうちにその本領を発揮するものにほかならない。そしてそのような贈与がいかに困難な行為であるかは、デリダがいうより先にニーチェが述べていたものだ。デリダ哲学はその多くをニーチェや戦後の後期ハイデッガーから吸収している。贈与を贈与と感じさせない至高の技術。ニーチェはいう。
「そこでおまえは学んだのだ。ーーー正しく与えることは、正しく受けるよりも、むずかしいということを。また、よく贈るということは、一つの《技術》であり、善意の究極の離れ業(わざ)、狡知(こうち)をきわめる巨匠の芸であることを」(ニーチェ「ツァラトゥストラ・第四部・進んでなった乞食(こじき)・P.433」中公文庫)
そしてあえて言語化しない態度を取ることで夫人は夫を超越する。というのは、ラムジー氏は学者としては大いに権威を持っている人物であることは確かだが、他方、とりわけ家庭の中に戻ってくるとき、余りにも夫人に寄りかかり過ぎる。尊敬に値しないただ単なる子どもに戻る。マルクスが「せいぜい子どもじみるのがおちだ」という意味で大人としての自立心を崩壊させる。あたかも牛のよだれのようにだらしない同情を夫人に求める。子どもたちの態度にすら父親ラムジーに対する無限の尊敬を求める。夫人の死後、後にリリーがその餌食と化す前時代の父親像=ラムジー氏。大学教授とは所詮そのようなものでしかない、と世間が嘲笑するときの大人子供という正体を露悪的なまでにさらけ出す。夫人は「愛」を言語化することで逆に本当の「愛」が伝わらなくなってしまうことを極度に恐れてあえて沈黙を押し通す。するとーーー。
「またしても、夫人が勝利をおさめた」(ヴァージニア・ウルフ「灯台へ・P.235」岩波文庫)
第一部はここで終わる。第二部の展開は余りにも早い。ランダムに拾っていこう。とはいえ、次の部分ははずせない。
「〘ラムジー氏はある暗い朝、両腕を差し延べながら、廊下をよろめくように歩いていた。しかしラムジー夫人は、前の晩にいささか急に亡くなったので、その腕はただ差し延べられるばかりで、いつもでも空っぽのままだった〙」(ヴァージニア・ウルフ「灯台へ・P.245」岩波文庫)
ただそれだけ。それだけのことだった。ちなみに第三部では、尊大でありながら同時に土砂降りの雷雨のような同情に飢えているラムジー氏は、死んだ夫人とリリーとをどこまで二重映しにしているのかよくわからない。が、ともかく絵画に集中しようとしているリリーにまで嵐のような切迫性を伴う鉛のような重々しい重圧に満ちた圧迫感をもって、氏にそれ相応の情けをかけて気配りするよう途轍もなく暑苦しい態度でどんどん同情を要求し始める。リリーにはニーチェのいう途方もない「重さの霊」が全宇宙から大々的にのしかかってくると感じられる。それはもはや精神的強姦に等しい。しかしそれは第三部に入ってから述べよう。ここではすでに誰もいなくなった屋敷の管理を任されたマクナブ婆さんの飄々たる描写についてほんの少し引用しておきたい。
「ほこりを払ったり拭いたりしながら彼女はよろめくたびに、自分の人生がいかに一つの果てしなく続く悲しみと災厄そのものだったか、いかに起きては眠り、ものを引っ張り出してはしまい込むという単調な作業の連続だったかを、歌っているようでもあった。もう七十年近くもの間彼女が見知ってきたこの世間は、気安いところでも、心地よいところでもなかった。長年の労苦と疲労で、背中はすっかり曲がっていた」(ヴァージニア・ウルフ「灯台へ・P.249~250」岩波文庫)
マクナブ婆さんは近くを訪れる人々の声にそれとなく耳を傾けつつ「相変わらず飲んだくれては、噂話に明け暮れてい」る。けれどももはや誰もいなくなったこの「家」の空虚さと、意外というべきか上手くつり合うのだ、マクナブ婆さんの頭を通り過ぎていく七十年におよぶ様々な過去や想念や言動は。
さて、マクナブ婆さんら三人が「家」の大掃除を終えた。ところで、しかし、大掃除の大きな生活音のためにそれまでかき消されていたもの=「静かに湧き上がってくるメロディーがあった」。メロディーは形をなすまでには至っていない「間歇的な音楽」のようなものだ。
「これまで掃いたり磨いたりする音、大鎌を振るったり芝刈りする音のせいで押し隠されていたかのように、静かに湧き上がってくるメロディーがあった。それは普段は半ばしか聞かれない旋律、耳に入ってもほとんど聞きのがしそうな間歇的な音楽で、たとえば何気ない犬の吠え声や羊の鳴き声がしてーーー不規則で途切れがちでありながら、どこかでつながり始める。あるいは虫の羽音や刈り取られた草のそよぎなども、それぞれバラバラなのに関わり合っている。カナブンの耳ざわりな音や遠くで車輪がきしむ音も低く大きく響きながら、不思議なつながり方をしている」(ヴァージニア・ウルフ「灯台へ・P.272」岩波文庫)
その音楽は「それぞれバラバラなのに関わり合っている」。統合を失調していると同時に流れとしては始まりもなければ終わりもない。「カナブンの耳ざわりな音や遠くで車輪がきしむ音も低く大きく響きながら、不思議なつながり方をしている」。流れはけっして止まってはいなかった。音楽のような生成変化として「不思議なつながり方をしてい」た。
「もし私が現在の振動のイメージに参与しながら、それに先立つ振動の記憶を保持するとしたら、次の二つのうち一つのことが起こるであろう。一つは二つのイメージを併置することだが、これでは第一の仮定に逆戻りすることになろう。もう一つは、二つのイメージの一方を他方のうちで統覚することである。この場合、それらのイメージは、あたかも一つのメロディーのさまざまな楽音のように、区別のない多様性あるいは質的多様性とでも呼ぶべきものを、数とは何らの類似性ももたずに形成するような仕方で、相互に浸透し合い、有機的に一体化することになろう。私はこうして純粋持続のイメージを獲得するとともに、等質的な環境ないし測定可能な量という観念から完全に解放されることになろう。意識に注意深く問いかけてみれば、意識は、持続を記号的に表象するのをさし控えるときはいつでも、そのように振る舞っていることが認められるはずである。振り子の規則正しい振動が私たちを眠りに誘うとき、そういう結果を生み出すのは、聞かれた最後の音、知覚された最後の運動だろうか。そうではあるまい。そうだとしたら、なぜ最初の音や運動が同じように作用しなかったか理解できなくなるだろう。では、最後の音や運動と併置された、それらに先立つものの記憶であろうか。だが、この同じ記憶は、後になって単一の〔それだけ孤立した〕音や運動と併置されても、やはり何の効力も発揮しないままにとどまるだろう。したがって、音は、量たるかぎりでのそれらの量によってではなく、それらの量が提示する質によって、すなわちそれら全体のリズミカルな有機的一体化によって、相互に合成し合って作用するのだということを認めなければならない。これ以外に、弱くて連続的な刺激の効果を理解できるだろうか。もし感覚がそれ自身と同一なままにとどまるなら、それはいつまでたっても弱いままだろうし、いつまででも我慢できるだろう。しかし、実は、刺激の増大はその一つ一つがそれに先立つ刺激と有機的に一体化して、いつも終わろうとしながら、何か新しい音が付け加わるたびに絶えず、すっかり変容していく楽節のような効果を全体として与えるものなのである」(ベルクソン「時間と自由・P.128~129」岩波文庫)
「〘九月のある日の夜遅く、リリー・ブリスコウが、この家に自分のかばんを運びこませた。カーマイケル氏も、同じ列車でやって来た〙」(ヴァージニア・ウルフ「灯台へ・P.273」岩波文庫)
リリーが再び画業を目指して帰ってきた。猫のカーマイケルも一緒だ。あれから十年が過ぎていた。リリーは四十四歳になっている。とすれば猫になったカーマイケルの年齢は?途轍もない長寿猫だ。ほとんど神秘的といっていい。しかしその神秘性は十年前から「わからない」ものとして始めから持っていたものでもある。だからカーマイケルは猫として、相変わらず風の向くまま気の向くままやってきたに違いない。
BGM