白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

タマは一任するほかない

2019年04月07日 | 日記・エッセイ・コラム

あいにく猫には投票権がない。のら猫にはなおさらない。元ノラのタマとしてはそれもまた気にかかる要素である。いずれにしても飼主に一任するほかない。その間、タマは寝ている。カーテンの影に隠れて、カーテンからややはみ出しつつ、寝て待っている。しかし「寝ること」=「睡眠」とは一体何なのだろうか。

「しかし、私たちの過去が、じぶんにはほとんどまったく隠されたままであるのは、過去が現在の行動の必要によって抑止されているからであるとすれば、過去は意識の閾を踏みこえる力を、私たちが有効な行動に対する関心を離脱して、いわば夢の生へと身を置くたびごとに、ふたたび獲得することになるだろう。睡眠は、自然なものであれ人工的なものであれ、まさにこの種の離脱を引き起こす。最近では、睡眠時にあって、感覚性の神経要素と運動性の神経要素とのあいだの接触が中断されているとも言われている。かりにこの創意にとんだ仮説に目をとめないとしても、睡眠中にはなんらかの弛緩、すくなくとも機能的な弛緩が、神経システムの緊張について起こっていることを認めないわけにはいかない」(ベルクソン「物質と記憶・P.305~306」岩波文庫)

ちなみに人間社会の悲喜劇について、かつてタマの大先輩=「吾輩」は夏目漱石を通じてこういった。

「『あれでも、もとは身分が大変好かったんだって。いつでもそう仰しゃるの』『へえ元は何だったんです』『何でも天璋院様(てんしょういんさま)の御祐筆(ごゆうひつ)の妹の御嫁に行った先きの御っかさんの甥(おい)の娘なんだって』『何ですって?』『あの天璋院様の御祐筆の妹の御嫁にいつたーーー』『成程。少し待って下さい。天璋院様の妹の御祐筆のーーー』『あらそうじゃないの、天璋院様の御祐筆の妹のーーー』『よろしい分りました天璋院様のでしょう』『ええ』『御祐筆のでしょう』『そうよ』『御嫁に行った』『妹の御嫁に行ったですよ』『そうそう間違った。妹の御嫁に入(い)った先きの』『御っかさんの甥の娘なんですとさ』『御っかさんの甥の娘なんですか』『ええ。分ったでしょう』『いいえ。何だか混雑して要領を得ないですよ。詰るところ天璋院様の何になるんですか』『あなたも余っ程分らないのね。だから天璋院様の御祐筆の妹の御嫁に行った先きの御っかさんの甥の娘なんだって、先っきっから言ってるんじゃありませんか』『それはすっかり分つているんですがね』『それが分りさえすればいいんでしょう』『ええ』と仕方がないから降参をした。吾々は時とすると理詰の虚言(うそ)を吐(つ)かねばならぬ事がある」(夏目漱石「吾輩は猫である・P.38」新潮文庫)

と語り伝えられている。

BGM