二〇二四年十一月二十一日(木)。
早朝(午前五時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
朝食(午前八時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
昼食(午後一時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
夕食(午後六時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
ライブハウスってもっと広い世界じゃなかったの?
そりゃジャンル次第で色々あった。ライブハウスじゃないけどジャズ喫茶なんかだとそれこそ客層がまるで違うところもあってね。どちらに顔見せてもいいんだよ、でも何だかおかしな空気があった。極めて極端な日本的空気。
アジア的というのとは違うの?
違うね。ロシアから東南アジアまではどことなく似たところがたくさんあるんだけどさ、日本的となるとこりゃあ全然違ってくる。
タマよくわかんない。
とはいえ共通点もあるんだよ、アジア圏を越えてね。ライブハウスでは八〇年代後半メタル全盛期になるとまた違う面が前面化してきて超絶テクを競う場になった。テクの見せ合いパクリ合いってギャクがあったほど。猫も杓子もという感じだった。
猫と杓子?
言ってなかったか。
聞いてないよ。
ん~とね、「招き猫」ってあるじゃん?なんで「招く」のかってこととちょっと関係がある。杓子から言うと柳田國男がこんなこと言ってる。
「釜や甑(こしき)や椀・折敷(おじき)の類には具わらずしてひとり杓子にのみ附随していた『まじ』の力は、そもそもいかなる性質のものであったろうか」(柳田國男「史料としての伝説・おたま杓子」『柳田国男全集4・P.337』ちくま文庫)
おタマ?
ははは、そこで困っちゃいけないよ。続きがある。
「杓子には、その表向きの商法とはまったく関係のない『招く』と言うことが、常に大なる働きをしている。待人を呼ぶにも三度招き、または四方に向って客を招く。かと思うとこの物で招かれると三年の内に死ぬと言う話もある(俚言集覧)。いずれも自分が前に掲げたところの仮定、すなわち杓子に人の魂を摂取する力があると考えられたものとみることによって、始めて説明が可能である」(柳田國男「史料としての伝説・おたま杓子」『柳田国男全集4・P.345』ちくま文庫)
ホラーなの?
いやホラーじゃない。少なくとも中世には出来上がってた説話みたいだ。奄美から沖縄にかけてなら杓子や杓文字が化ける話とか杓子や杓文字に化ける話とか沢山あるよ。もっとも明治維新後に日本で出来た話は商売や軍事目的の俗説に過ぎんと言われてる。
そうなの。でも縁起物とかで商売ってのはわからなくもないなあ。かといって軍事目的ってなるとホラーどころじゃないんじゃない?
杓子にせよ杓文字にせよ日清戦争が始まるとそれまで全然なかった「めしとる」って意味が突如降って湧いて出てきた。柳田は一八七五年生まれでね、日清戦争が一八九四~一八九五年だから旧制一高に通ってた十九、二十歳の頃に何とも理解し難い流行語の出現をまともに目撃することになった。で「歴史を撹乱せんとするはよろしくない」と書いてる。
黒猫繋がりの楽曲はノン・ジャンルな世界へ。マシュー・ハルソール。モーダルな演奏が特徴的。スピリチュアル的な響きはコルトレーンを思わせたりもするが実験的により幅広くクールな音を送り出し続けている。
今日ももうひとつ。orange flavored cigarettes。ひたすら安全牌ばかり取ってきた日本の歌謡界がとうとう追い抜かれる日はもうそこまで迫ってきている予感がする。実際に一日分追い抜かれたと気づいて慌てて挽回することにしたとしよう。でも他国のアーティストもみんな一日分やるわけで一度開いた距離がさらに開くことはあっても近づくことはない。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます