相次ぐ鉱山の閉鎖。ばたばたと足早に通り過ぎていったそんな一時期を覚えている人間が今の日本には多く残っている。一九九〇年代のことだ。
「鉱山の閉鎖が決まったのは、少年が中学に入って、しばらく経った頃だった。精錬所も、鉄道も、選鉱場も、徐々に操業が縮小され、やがてすべてが停止する予定になっていた。作業員の多くは関連会社へ移り、母親はコンビナートの製鉄所で働くことになった。やはり仕事は社員食堂の賄いだった」(小川洋子「選鉱場とラッパ」『群像・6・P.246』講談社 二〇二四年)
この三月に死んだ母は鉄鋼産業の全盛期と「高度経済成長」、そして生産中心主義の破滅的な終わりを告げる八〇年代バブル全盛期とが二重写し三重写しになっている光景をまともにかぶった世代のひとりだった。連日のように報道される鉱山の閉鎖。母の生涯が下り坂へさしかかったことが確実に思われ出したのもその頃だ。とはいうものの坂道の傾斜はさほど急でもなんでもなかった。事態が急変したのは打ち続く不況のなかで当時はまだ法的にも機能していた社会的安全装置がなぜか次々と取り外されてしまってからである。
二十年も経たないうちに父はすでに亡くなり、これといった学問ひとつない母は残された時間をどんなふうに生きていくかを自分なりに手探りしていた。七十五歳になり後期高齢者として登録されることになった際、なにか思い出したかのように誰にともなく不意にいった。「有意義に生きていこうと思ってるねんで」。
膵臓癌を患いベッドに横たわったまま八十歳を迎えたのがこの二月。枕元にはいつでも介護者を呼べるようにと介護ベルを置くことになった。介護ベルはもはや体が自由にならない母の「もう一本の腕となって働いていた」と十分に言える。
何十年か遡らなければならない。鉱山ひとつで成り立つような村では盛大な秋祭りが毎年行われていてその様子はテレビでもしばしば報道されていた。縁日には夜店が立ち並ぶ。作品に登場する少年はあたかも実在していたかのようだ。「輪投げのテントを仕切っているお婆さん」とその手にある「木の枝」に注目する。
「枝はお婆さんのもう一本の腕となって働いていた」(小川洋子「選鉱場とラッパ」『群像・6・P.236』講談社 二〇二四年)
輪投げで少年が狙う景品は「ラッパ」。秋祭りの電飾の中でひたすら光り輝いて見える「ラッパ」。ところが少年にとって最初の死はほかならぬ「このラッパ」目がけて訪れる。産業としての鉱山はその全盛期の間に限りひとつの村を丸ごと潤すのであり、秋祭りが先にあったわけではまるでない。産業崩壊と同時に秋祭りも、したがって輪投げの夜店も、秋祭りの電飾の中でのみ光り輝くラッパはいうまでもなく崩壊する。光り輝かないラッパを差してラッパとは言えない。少年は色褪せてもはやラッパの役割を終えたラッパをどさくさに紛れて手に入れることしかできない。
ある「どさくさ」について。
「問題が発生したのは三日め、祭りの最終日だった。放課後、急いで輪投げのテントに駆け付けた時は、すべてが順調だった。棚の景品の多くが入れ替わっている中、ラッパは定位置にあり、お婆さんは見事な枝さばきを見せ、テントの中は客であふれかえっていた。枝の魔力は健在だった。次から次へと挑戦者が現れ、お婆さんは休む間もなかった。ーーー少年は空を見上げ、ドラム缶の木くずが風にあおられて火花を散らし、闇に舞う様子を眺めた。ーーーそんなふうにほんのわずか視線を外した瞬間だった。ガシャッと気持ちの悪い音がし、振り返るとお婆さんが椅子から崩れ落ちていた。ーーー一番大切な木の枝は、お婆さんの足元で折れ曲がっていた」(小川洋子「選鉱場とラッパ」『群像・6・P.242』講談社 二〇二四年)
この「どさくさ」に紛れて少年はラッパを持ち逃げする。しかし少年は遂に少年でしかない。秋祭りとはなんなのか。なんだったのか。中学入学とともに徐々に理解することになるだろう。
ところでもうひとつの死について。鉱山会社の社宅付近をうろうろしているとても痩せた野良犬。社員食堂から出る残飯をあてにしながらかろうじて生きている。少年はもはや光り輝かないラッパの死とともに野良犬の死とも遭遇する。いずれ崩壊することがわかりきっている鉄鋼業の一環を成すに過ぎない土地で、社員食堂の残飯をあてに生きている野良犬の死は少年が否応なく見届けておかなくてはならないもうひとつの死だ。弔うとは引き受けることの別名だからである。
「木の枝」で華麗な舞台さばきを演じていた「お婆さん」はどこへ行ったか。「木の枝」だけを残して行方不明になったきりおそらくどこかで死ぬに違いない。もうこの村は終末期なのだ。
「振り返るとお婆さんが椅子から崩れ落ちていた。ーーー一番大切な木の枝は、お婆さんの足元で折れ曲がっていた」
死を目前にした母の場合、介護ベルを使い出した頃は一日に三、四度くらい鳴らしていた。体の自由は利かないにせよ手首の先くらいなら動かすことができた。何を伝えたかったのか。おそらくこういうことだ。
「次から次へと挑戦者が現れ、お婆さんは休む間もなかった」
介護ベルと木の枝とは違うわけだが、ともあれ、身体の崩壊を加速させつつ全身に広がっているであろう癌細胞は「挑戦者」として休むことなく生体を喰らい尽くして自分も死ぬ。
今は差し当たり誰も押す予定のない介護ベルが机の上に置いてある。ベッドから落ちないようにオレンジ色のリボンを括り付けて用いていた。いまもリボンは括り付けたままだ。電池は切れていないけれども次に使うのは誰だろうかと、ふと考えたりする。