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Surf, Run and Trails / Endurance For Fun

風の歌を聴かせて

2007-07-12 12:34:39 | ThinkAbout..
遥か昔、10代半ば、高校の『倫理社会』という授業で、自由研究の発表があった。

今でも覚えている。
僕は、『表層意識と潜在意識』というテーマで発表をした。


当時、僕は、(誰でもそうだろうが)多くのことに純粋に疑問を持つ少年だった。
死のこと、宇宙の果てのこと、前世のこと、神様のこと、精神のこと。
僕が最も嫌だったのは、それらが科学的に証明できないことだった。
僕は生まれついての理数系で、全ては数値に置き換えられると真剣に思っていた。

実は今でも若干は思っている。
(人間の心は神経を伝わる電気信号で成っているのだから、0と1のデジタル信号だ)

脳という有機の細胞群には血液と酸素が送り込まれ、
同時に視覚聴覚触覚嗅覚の情報から、思想とか思考とか計算とか喜怒哀楽が生まれる。
当時の少年の僕にはそれが不思議でたまらなかった。

たまらなさを決定づけたのは、人間の生エネルギーは電気であるという事実を受けてからだ。
動物というのは、完璧なハードウエアで神の領域のマシーンだと思ったのだ。

とにかく『意識』というものに興味を持った思春期真っ只中の少年は、
図書館に出かけてその手の本を読みふけた。
『表層意識と潜在意識』という本はそこで見つけたのだ。

その本にたどり着くまで、実は理由がある。

何故、我々の心臓は勝手に動いているか、何故勝手に肺は呼吸しているのか、
そして何故心と心は伝わるのか、、、

その疑問にヒントを与えてくれたのがその本だったのだ。

そしてその答えは潜在意識だということにたどり着いたのだ。

少年にはそれがいささか衝撃的で、だから研究発表の題材になった。

表層意識というのは、我々の感情を司る個々のものだが、
その深層には動物の生体を司る意識が存在する。
群れを成したり、交尾をしたり、つまりは特性を決定付ける太古の記憶とリンクする意識だ。

西新宿のビルを思い出すといい。
ビルは我々個々の意識だ。
高いビルは計算高さや周到さを表し、地階の深さは精神性を表す。
そしてビルとビルを繋げる陸地こそ潜在意識とされるものということだ。

我々は繋がっている、全てのものは繋がっている、
という言葉を簡単に説明するとそうなるということだ。

だから、未知のことや不可解な出来事が科学的に説明できないのは、
ベースに『繋がり』を持ってきていないからだ。

西新宿の地面は、どこかで海に繋がり、大気にさらされ、やがて消滅する。
宇宙の一部なので、地球という天体はそのうち無くなる。
宇宙の歴史からいうと、地球は蚊の一生に過ぎない。

なんで宇宙が出てきたかというと、潜在意識の行き着く果ては宇宙意識なんだな。
それは摂理という。

もし、何らかの宗教に入信するとしたら、(僕は無宗派)、パンフレットや集会所の壁に
銀河系なんかの宇宙が書かれている教団がいい。
他人の血を輸血しないとか、仏壇は飾りまくれ!というバカなことは言わないだろう。

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ハートフィールドの作品の一つに「火星の井戸」という彼の作品群の中でも異色な短編がある。

ある日、宇宙を彷徨う一人の青年が井戸に潜った。
彼は宇宙の広大さに倦み、人知れぬ死を望んでいたのだ。
下に降りるにつれ、井戸は少しずつ心地よく感じられるようになり、
奇妙な力が優しく彼の体を包み始めた。

風が彼に向かってそう囁いた。
「私のことは気にしなくていい。ただの風さ。もし君がそう呼びたければ火星人と呼んでもいい。
悪い響きじゃないよ。もっとも、言葉なんて私には意味はないがね。
風の歌を聴かせてくれと言われたら聴かせるよ。それだけさ。」
「でも、しゃべってる。」
「私が? しゃべってるのは君さ。私は君の心にヒントを与えているだけだよ。」

このエピソードには、「井戸」と「風」という2つのキーワードが登場する。
そしてこの2つの語は対立的に扱われている。
このうち「井戸」のほうは、明らかにフロイトのいう「イド」
つまり精神分析的に想定された自我のことである。
「下に降りるにつれ・・・・・」という一文は、
無意識の世界に降りていくときの安らぎの気分を表している。
一方、青年が井戸からふたたび地上に出たときに、語りかけてきた「風」とは、
いわばユングのいう集合的無意識の声であるといっていい。
「しゃべってるのは君さ。私は君の心にヒントを与えているだけだよ」という表現は、
その仕掛けに注目させるための、まさにヒントである。