1980年12月8日
29年前の今日、高3のオイラは確か図書館で勉強してから帰宅した。
雪の降る夕方だったな。
帰宅と同時に同じ学校に通う親友から電話があった。
すぐにテレビのニュースを見ろ、というものだった。
友人はひどく興奮し混乱していた。
翌日の朝刊ではほぼ1面がジョンの記事で埋まっていた。
プレスリーが亡くなっても、マイケルが亡くなっても、ジョンほどではなかった。
そのくらい世界中で大事件だった。
オイラはその日から1週間学校に行かなかった。
感受性も豊かだったろうし触れば壊れそうだし、
オイラは尾崎豊の歌詞に出てくるような少年だったのだ。(なんちて)
世界もオイラも悲しみに暮れた1980年の年末だったな。
。。。。
ジョンが唱える愛と平和はとてもシンプルである。
ジョンの対象はヨーコ一人称なのだ。
絶対愛というやつで、それが根底にないと世界平和など唱えられない。
もちろん不遇時代から生まれた反体制意識がベースになっているだろう。
彼の音楽はあくまでコミニュケートの手段でありツールであったし。
当時、ニクソン政権はベトナムに侵攻を開始した。
暴力を暴力で解決しようとする国策に反対する多くの活動家が出てきたことは言うまでもない。
フーバー長官率いるFBIは当時秘密警察とまで言われ、
国策に反対する者を削除・消去していたと言われている。
大統領選挙、国益、国策は無知無能な政治家によって、
彼等の個人利益のために、アメリカ政治は自由と言うウソ衣をまとったナチになっていった。
そしてアメリカ最大の敵はベトナムやロシアではなく、
武器を持たずして愛と平和を唱える者に違いなかった。
その中でも、アメリカが一番恐れたのはジョン・レノンだったのだ。
考えてみれば納得しやすい。
世界を動かすことのできる人間はジョンしかいなかったから。
それに彼の背後には多くの知識層が構えていた。
彼はこの世で最も成功したビートルだからだ。
(66年に発言して大騒ぎになったキリスト問題。ビートルズはキリストより有名。
残念ながら宗教は戦争の原因になるばかりで国を救った試しはない。
結局ジョンの発言は正しかったとアメリカは痛感した。)
FBIはジョンに対し、尾行、盗聴を繰り返す。
このようにジョンを精神的に追い詰める作戦をとった。
そして過去のマリファナ所持を理由に国外退去を命ずる。
マリファナ所持歴がなければ駐車違反でも構わなかったのだ。
ジョンは何度も折れそうになるが、だが信念を曲げることがなかった。
世の中には愛が必要で、望みさえすれば戦争がなくなることを伝え続けた。
国外退去令に対し上訴を繰り返す。
約5年耐えた。
(オイラは住民税滞納に2年耐えた。15マンの差し押さえ予告でびびった)
そして、その5年の戦いの末、アメリカ永住権を得たのである。
その日はジョンの誕生日で、しかも息子ショーンが生まれた日でもあったのだ。
(ホンダのCMに出てますな。チョードイイ!って)
なんてドラマティックだろう。
結局、ジョンは巨大な国アメリカに勝ったとされる。
信念を貫けば、ロックンロールは世界を変える可能性があることを、
みんなが統一して望めば願いが叶うことを。
数年後、ショーンは『イエローサブマリン』を視て、
「パパってビートルズだったの?」とジョンに聞いた。
ショーンが生まれてから主夫業に専念してたから、
仕事をする父を息子は知らなかった。
これではいかんと音楽活動を再開した矢先の出来事が今日12月8日だったのだ。
世界秩序を保つというアメリカの大義は、アメリカ自国の威力を保つに聞こえる。
湾岸戦争や911やアフガンはジョンはどうやって見ただろう??
地球温暖化に関しては、なんて言うかな?
『ALL WE ARE SAYING IS GIVE SOLAR A CHANCE!』だろうか。
ジョンとヨーコはベッド・ピースをした。
オイラは波乗りをして平和を考えよう。
波乗りは、宗教も人種も国境も関係ないので
イマジンするには最も適した環境に違いない。