(富士山絶景を臨んで走る! チャレンジ富士五湖かUTMFね)
マラソンやトレイルレースに出るようになって
明らかに変わったことがある。
それはハッキリと決まった日時が設定されること。
目標期限が明確になるんだね。
漠然とした目標って多いと思う。
こうなりたい、そうなりたい。
でも、いつなるんだよ?
- そのうちね(^o^)
そうじゃない。
「2018年4月22日にオレは100キロを11時間以内で走り切る」
っていう具体的な目標だ。
こういう目標設定って今までにはなかった。
会社での報告書の提出期限じゃないよ。
これは納期であって、自ら設定した目標ではない。
そういえば高校受験や大学受験もちょっと違う。
受験は通過点に過ぎないからな。
ランニングの場合は、通過点ではないね。
一つのレースが終われば、パチンッ!はい終了。
42キロ走りきって細胞が全滅し、数日立つと全部新しい細胞に生まれ変わる。
フルマラソンを初めて走るとホントにそう思う。生まれ変わったぞ!みたいな。
でも、フルも何回も走ってると感動は薄くなるんだよね。
で、やっちゃうんだ、ウルトラチャレンジに。 ウルトラトレイルに。
ウルトラの世界で100キロは短距離かもしれんけど、
細胞どころじゃない。
魂がリニューアルされます。
心が入れ替わります。
なんだ、そのだらしない性格かわってないやん!
と言われても、そういうどうでもいいところは変わりません。
ウルトラを走ってるとこの思いが交錯するんだよ。
希望があるからこそ真の絶望がある
絶望があるからこそ真の希望がある
どっちが真か、、どっちも真なんだろうな。 偽はないと思うよ。
ウンチ味のカレーを食うか
カレー味のウンチを食うか
と同じかもしれない。
だいたいの人はウンチ味のカレーを食う、って言う。
身体に入るのはカレーだから、入り口だけ我慢すればいいという理由だ。
でも10人に聞くと3人は、
カレー味のウンチがいいと言う。
腹に入ってしまえばわからない。毒ではないし。
食った瞬間、美味い!と思うことが大切なんだとか。
だからどちらも真なのだ。絶望も希望も。
人生の栄枯盛衰を1日で味わえる、というのはまさに絶望と希望の交錯を否が応でも味わえるということだ。
これは外部からではなく、自分の心の中で起こる核分裂みたいなものだ。
分裂してプチプチ小爆発して、最後フィニッシュで大爆発。
魂がそっくりリニューアル、アップデートされます。
ウルトラの達人は、きっとこの核分裂で起こるエネルギーで走ってるんだろうね。
そうでもしないと100キロとか無理っす。
目標の日時がちゃんと設定される。
そこで11時間切る、っていうのは目標って最初に書いたけど、
文章書いてるうちに、??って思ってきた。
時間はどうでもいい。
つらいパートをどうやって克服してくかが、オレのやるべきことだ。
心が折れて折れて折れまくったとき、どうやって修復してくかが課題だ。
結果としてタイムが出るだけ。
だから心の鍛錬の場として出場しよう。
あれ?? そう書いたらなんか気持ちが重くなってきたぞい・ω・
今年のマントラは、バットマン ブルース・ウエインの父親の名言にしよう。
人はなぜ落ちると思う?這い上がることを学ぶためだ